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チケット争奪戦 [海外音楽鑑賞旅行]

それでは最後にチケット争奪戦について、その悪戦苦闘を記しておこう。
いまだから語れる、この奮闘記はどうしてもこの日記に外せない。


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現在のチケット獲得状況は、交響曲第2番だけを除いて、全部確保できている。
第2番だけ、いまなおリターンチケット待ちなのである。


でも必ず出てくる確信あります。
絶対穫れる!


2017年にこのフェストの存在を知った自分は即座に、いつもお世話になっている旅行会社と情報共有を図り、ぜひ現地とのパイプをお願いします、と依頼した。


いつも自分を担当してくれている女性のコンシェルジェは、そのようなフェストって存在するんですね、って驚いていた。内部で相談した結果、数日後に連絡があり、自分の担当のコンシェルジェを男性のY氏に交代するという。


Y氏はオーケストラに所属していたこともあり(金管、トランペットだったかな?)、大のマーラーファンだという。今回の極秘プロジェクトは、もううってつけの最適任者である、という社内の判断だった。


自分はこの旅行会社にお世話になって、担当はずっと女性のコンシェルジェだったので、男性ということで、男性ならではのプロフェショナルさと頼もしさを感じて、期待していた。


今回は難解な極秘プロジェクトだったので、自分個人でチケットを取るより、やはりプロの方に任せるほうが安全と確実性があるだと思った。まぁその分、手数料込でチケット代金は高くつくが仕方がない。


値段より安全を選んだ。

彼ならやってくれる!と期待していた。


電話でお互い自己紹介して、「ノンノンさん、私もマーラーが超大好きなので、必ずやノンノンさんの夢を叶えます。そして私自身も、全公演をコンプリートして現地で全公演を経験したいと思います。こんなフェストがあるなんて、まったく知りませんでした。お知らせ頂きありがとうございました!」


でも、そう簡単にはすんなり行かないんだな。


普通、海外の公演カレンダーは、公演日の早くても半年前くらいにチケット発売オープンになる。
もっと普通は3か月前くらいが妥当か。。。


2020年5月の今回のマーラーフェスト2020だと、半年前なら2019年12月、まさにいまの時期だ。
チケット発売はこのくらいかな、という皮算用。旅行会社も以下同文。


そういうことも含めて、公演カレンダーをつねにチェックしていたことは言うまでもない。

ところが予想に反して、よりによって約1年半前の2018年12月に発売オンセールが始まってしまったのだ。


自分も旅行会社も、まだまだだろう、と完璧に油断しきっていた時期。


自分はそれをSNSの投稿で知った。
すでにオンラインで発売が始まっていて、8番の初日の日はすでに完売。


げげっ!


もう青ざめました。


あわててネットで公式HPを確認。

そうしたら確かに記載されていて、すでに発売が始まっている。


旅行会社さん、だからちゃんと現地と密でコンタクトとってお願いしますね、と言っておいたのに、何やっているのよ~という怒りモード。


HPの記載内容を確認すると、発売になったのは、いわゆるセット券。いわゆる全公演がセットになっているチケットだ。値段もそれなりにふさわしい大金だ。


自分が気づいたときは、すでにこのセット券は売り切れ完売になっていた。
個別単位の公演のチケットの発売日は、その後の2019年6月1日である、とのこと。


自分は仕方がなしに、この個別単位の発売日にかけるしかない。

Y氏ともその旨、位相合わせをして、再度襟を正して再挑戦する。


セット券が入手できていれば、いままでのような苦労はしなくて済んだのだ。

終わったことはもう水に流そう。


ターゲットの6/1が近づくにつれて、そわそわしてしまい、自ずと緊張が走る。1か月前になってもさらには発売日のギリギリの1週間前になってもY氏からなんの連絡もない。ふつう1か月も期限が切れれば、それなりの準備をすすめるべく連絡があるはずだ。


それが土壇場の1週間前になっても連絡がないとは。


特殊なフェストなので、情報のパイプラインがなく苦労しているのは想像はできた。

自分はだんだん焦りと怒りが増幅してきた。


そしてある日、このようなキレた内容の抗議文をY氏に送った。


もし従来通り、女性のコンシェルジェだったならば、このようなキツイ調子でクレームは絶対できなかったと思う。そこは同性の男性であるが故の自分の甘えというか、遠慮、配慮がなかった。


ノンノン:


情報を掴もうという努力をなさっているとは思いますが、やはり遅すぎです。
こちらの依頼に対して、いつも後手後手になっていて、対応が遅すぎます。
待っているほうは、どうしても感情的にイライラします。

もう少しマメに連絡を入れていただけると救われると思います。
(現在の状況も含めて。いつも簡単な結果だけになっています。)


今回のチケット手配は、こちらの温度感からすると、普通のチケット手配と違って、
相当試練の困難な争奪戦と理解しています。私が掴んでいるまわりの雰囲気もそうです。

そちら&現地との温度差がないように、お互いのフェーズを合わせたいと思いますので、
よろしく気を入れていただくようお願いします。


情報がないせいだと思いますが、今回の対応の遅さを鑑みると、今後のことが
不安になってきます。


超困難な手配ですから、全滅で、キャンセル待ち前提の闘い、ということも当然
覚悟しています。だから、そうなると1年後の公演開始までずっとキャンセルが出るまで
待ち続ける、という長い戦いになると覚悟しています。


今回の旅行のために、3年間海外旅行をお休みした訳ですから、この旅行のために
かけているのです。


それだけかけていますので、こちらの気持ちをくんでいただきたい、と思います。


キツイ言い方をさせていただきましたが、ずっと御社を利用してきたカスタマーの立場、
経験上から、いつもの手配と違い、かなり対応が遅いので苛立った次第です。


今後1年先まで長いお付き合いになりますので、いまアドバイスしたほうがいいと思い
筆を執った次第です。


お許しください。



Y氏:


ノンノン様

メール拝見いたしました。
今回のご旅行でノンノン様がどれだけの思いで
マーラーフェスティバルを心待ちにされているかを
しっかり汲み取ることが出来ず申し訳ございませんでした。

レスポンスが遅いということはご指摘の通りであると反省しております。
情報不足においても、ご不安思いをさせて申し訳ございません。

チケット発売まで間もなくではございますが、
直前まで情報収集に努めさせていただきます。
ベストな手配が出来るように、ノンノン様とも密なやり取りをさせてください。

この度はご指摘をいただいて申し訳ございません。
引き続きよろしくお願いいたします。




このような返事をもらっとき、正直イラっとして感情的になった自分は後味が悪いというか言い過ぎた、感情的になり過ぎた、と反省モードしきりだった。


それから数日後、一週間もしなかったと思う。


チケットが手配できた、という連絡。


さすがに2番と3番は完売だけど、それ以外の公演は全部抑えたという。

Y氏はきちんと仕事をしてくれた!
やることはきちんとやってくれた!


2番、3番はリターンチケット待ちするしかない。


男は言葉多くより、ちゃんと実績で答えるのみ!という男の姿を見せてくれた。

もちろん感謝の気持ちをたくさん伝えることは当然だった。


それから2週間経過したくらいだろうか・・・Y氏が1か月の休職に入ってしまった、という連絡。
そして1か月後に連絡したら、そのまま退職された、とのこと。


自分は相当ショックで立ち直れなかった。


理由は聞けなかったが、あくまでも自分の推理。

たぶん病気になってしまったのでは?と思った。
病気になり、1か月休職して、それまでに治癒できなかったのでそのまま退職手続き。


出会ったとき、「自分もマーラーの大ファン。自分も現地で全公演をパーフェクトに体験したいです!」と熱く語っていた。そんな前向きだった男が辞める理由は見当たらない。


もし、あくまで自分の想像に過ぎないけれど、もし病気での退職だったならば、まさに志半ばにして倒れるとはこのこと。そして自分に叱咤激励され、きちんと男としてその結果を出した。


自分はそう思うと泣けて泣けて仕方がなかった。


いままで一緒に闘ってきた想いもよぎり、朝の満員の通勤電車の中で人目はばからず大泣きしてしまった。


まさに今回のノンノン2020プロジェクト、なによりもY氏のためにも絶対に成功させないといけない。


Y氏の後任は、また女性のコンシェルジェに担当してもらい、今後の調整などサポートを受けている。


第3番は、ほんの数日前に、リターンチケットが出てきて、無事確保しました。
あとは第2番「復活」のみ!


毎度のことながらチケット争奪戦はひとつの人生のゲームだとつくづく思います。










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マーラーフェスティバル2020に行きます! [海外音楽鑑賞旅行]

クラシックの作曲家は大半がそうなのかもしれないが、グスタフ・マーラーは作曲家として生前はまったくと言っていいほど評価されず、逆に批判、罵声を浴びながらその生涯を終えた。


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マーラーの作品が評価されたのは、本当につい最近のことで、マーラーの作品を演奏指揮した直弟子のブルーノ・ワルターなどいることはいるが、マーラーの作品を頻繁に世間に取り上げ、真に商業的な成功に導いたのは、レナード・バーンスタインではなかったであろうか?


それ以来、マーラーブームと呼ばれるブームが何回も起きるほど大人気になり、いまではマーラーの交響曲、歌曲はクラシックファンに最も親しまれている作品のひとつと言えるようになった。世界中のクラシック業界どこもかしこもマーラー・ツィクルスが実演された。自分もあまりに多くて全部思い出せないけれど、自分がコンサートに参加したものでは、ラトル&ベルリンフィルのマーラー全曲演奏会、そして日本では、インバル&東京都交響楽団のマーラー全曲演奏会。


前者は、現地ベルリン・フィルハーモニーで交響曲第6番「悲劇的」、後者は、東京芸術劇場&横浜みなとみらいで全公演に参加した。


マーラーをコンサート演目に取り上げるのは、正直言うと、自分はもう少々食傷気味という感じがするくらいで新鮮味という点では、あまりに演奏され過ぎた。


いまではそんな感もある。


マーラーはウィーンで音楽の教育を受け、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、ウィーンで作曲家、指揮者としての活動をスタートさせるのだが、オペラを指揮しながらも、自分の作品を作曲していく過程で、そのウィーンでの評論界では全くと言っていいほど評価されず、まさに不遇の時代を過ごした。


その後、ヨーロッパを離れ、海を渡り、アメリカへ移住。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の音楽監督に就任するが、やはり批判、罵声などの評価から変わらず。またクラシック不毛の地アメリカのオーケストラ、クラシック業界に対してマーラー自身が偏見の眼差しで見ていたこともあって、やはりそこでも不遇の時代となり得た原因があった。


そういう常に”評価をされる”という点ではまったく冷遇され続けてきたマーラーではあるが、唯一オランダ、アムステルダムでは、とても暖かく受け入れられ、まさに熱狂と言っていいほどのフィーバーであった。


当時コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者であったウイレム・メンゲルベルクとの出会いがそのような不遇のマーラーの人生を変えた。メンゲルベルクは、1902年6月のドイツのクレーフェルトの音楽祭で交響曲第3番を指揮するマーラーに出会い、一気に一目ぼれ。ぜひマーラーをアムステルダムに呼ぼうと企てるのである。


メンゲルベルクは、自分の一生涯をかけてマーラーをサポート、啓蒙していこうと決心した。
マーラーにとって、メンゲルベルクはまさに自分の音楽家人生にとって最愛で最強のパートナーとなった。

アムステルダムの聴衆とメディアはマーラーに対して暖かかった。
つねに熱狂と大歓声に囲まれた。
そしてメンゲルベルクの熱いサポート。


アムステルダムにいると新しい作品に対するインスピレーションを得ることも多く、またメンゲルベルクとの強力なコンビネーションですでに書き上げていた作品などの補筆なども頻繁に行う促進力を生むことも多かった。そしてなによりも自分の作品をここアムステルダムで演奏することで大絶賛を浴び、マーラーをとても暖かく迎え入れてくれた。


これをすっかり気に入ったマーラーは、その後メンゲルベルクに招聘され、何回もアムステルダムで客演を重ねる。マーラーにとって、アムステルダムは、”音楽の第2の故郷”となった。


こうやってアムステルダムは、マーラー演奏のメッカとなっていく訳だが、マーラー没後に1920年に盟友メンゲルベルクによって最初のマーラーフェスト1920がアムステルダム・コンセルトヘボウで開催され、メンゲルベルク&ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団によってマーラーの交響曲、歌曲などの全作品が演奏されたのである。


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このマーラーフェストの第2回は、その75年後の1995年に開催された。このときはRCOだけではなく、ベルリンフィル、ウィーンフィル、そしてその他の楽団によって、アムステルダム・コンセルトヘボウでマーラーの全作品が演奏された。


自分はこの1995年当時、ヨーロッパに住んでいて、アムステルダムに同期の友人が住んでいて、現地で頻繁に交流していた。その友人は筋金入りの大のクラシックファンだったのだが、マーラーについてはいままであまり聴いたことがなく食わず嫌いだったところが多かった、ということだった。


でも自分が住んでいるこのアムスでのマーラーフェスト1995に4曲通って、初めてマーラーという作曲家を理解できたし、自分のクラシック人生に大きな転換期になった、と熱く語ってくれた。


とてもユニークなフェスで、普通はほとんど誰もよく知らないであろうマーラーファストであるが、自分がその存在を知ったのは、このアムスの友人の1995年度大会の体験談を通じて初めて知ったのであった。


その話を聞いて、ぜひそのマーラーフェスト1995の次回大会を熱望していた。


いったいいつのことになるか、まったく想像できなかったけれど、2017年のときに偶然ネット検索で、2020年にそのマーラーフェストが開催されることを知った。1920年大会、1995年大会は、マーラーフェスト(MAHLER FEEST)であったが、今回の2020年から改め、マーラーフェスティバル(MAHLER FESTIVAL)と改称された。


3回目のフェストがなぜ2020年なのか、だが、単純に想像して、第1回の1920年から、2020年が満100年にあたり、大きな節目と考えられたから、だと思う。


自分はもう色極めだった。


もうこれは絶対行くしかない。こんなユニークなフェスは絶対自分に合っている!
そこからは、このフェストに行くべく、猛努力を重ねてきた。これは先の日記で書いた通りである。


マーラーフェストについてはこんな経緯である。


今回のマーラーフェスティバル2020の日程表である。


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ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、ベルリンフィル、ウィーンフィル、グスタフ・マーラーユーゲント管弦楽団、ブタペスト祝祭管弦楽団、そして今回新たなメンバーに加わったのが、ニューヨークフィルである。ニューヨークフィルもマーラに所縁のあるオーケストラで、バーンスタインはこのニューヨークフィルの音楽監督、首席指揮者に就任していたとき、このマーラー作品を頻繁に演奏項目に取り上げ、またマーラー録音の教科書とも言える作品も数多残した。


それが近年のマーラーブームの礎となった。


だからニューヨークフィルの参加は至極当然と言えば当然である。


指揮者は、ヤーブ・ヴァン・ズブェーデン(ニューヨーク・フィル)、チョン・ミョンフン(ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団)、キリル・ペトレンコ(ベルリンフィル)、ダニエル・バレンボイム(ウィーンフィル)、ダニエル・ハーディング(グスタフ・マーラーユーゲント管弦楽団)、イヴァン・フィッシャー(ブタペスト祝祭管弦楽団)と蒼蒼たるメンバーである。


でも前回の1995年の一連のスター指揮者と比べると、今回はやや小ぶりかな?という感じは否めない。各々の楽団に所縁のある指揮者が選ばれるが、RCOにチョン・ミョンフン氏とは意外だった。


確かにRCOは首席指揮者で最有力候補のダニエレ・ガッティが女性スキャンダル(#MeeToo)問題で引責辞任したのが一番痛かったであろう。そしてハイティンクの現役引退、ヤンソンスのご逝去・・・とめぼしい候補が軒並みスピンアウトした。RCOのマネージメントはいまなかなか厳しい状況にあるそうで、フェストの指揮者選びは難航に難航を重ねたと思われる。


でも、しかしチョン・ミョンフン氏とは!

これは背後にある権力と金が働いたものと推測される。
この報を聞いたとき、すぐにピンと来ました。(笑)
・・・以下自粛。(爆笑)


ベルリンフィルの指揮者がペトレンコというのも楽しみだ。


おそらく、そう、おそらくだ。自分がベルリンフィルを振るペトレンコの図を見るのは、これが最初で最後になるに違いない。昔の予算体力と違い、いまやベルリンフィルが来日公演をおこない、それに4万~5万をかけて通うというのは、いまの自分にはできないというか不可能だ。


担当する曲は、交響曲第4番と交響曲第6番。

第6番をやってくれるというのは嬉しかった。


自分にとって、マーラー交響曲第6番「悲劇的」と言えば、絶対ラトル&ベルリンフィル。
自分はマーラーをバーンスタインで勉強してきたことはもちろんだけれど、自分のマーラー演奏の教科書は、近代のマーラー解釈の先駆者であるアバドやラトルによるところが大きい。


第6番の第2楽章と第3楽章をどのような順番で演奏するのか?
旧来は、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテと演奏するのが常であった。


それを第2楽章にアンダンテ、第3楽章にスケルツォの順番で演奏し始めたのが、アバドが最初であった。ラトルもそれに倣った。ベルリンフィルのシェフとして両先輩にあたるこの両人がこの順番で演奏したのに対し、新シェフであるペトレンコは、はたしてこの順番で演奏するのか?注目する点である。


これに向けて、ラトルのベルリンフィルの離任コンサートになった第6番の自主制作のCDも購入して、いま聴いている。どのような解釈の違いがあるか、楽しみである。


マーラーの歌曲には、じつはマーラーは、オーケストラ版と室内楽版の2つのヴァージョンを作曲している。リュッケルト歌曲集、子供の不思議な角笛、亡き子をしのぶ歌、大地の歌。


これらがオーケストラ版は、メインホールで交響曲とペアで演奏され、室内楽版のほうは、リサイタルホールの方でピアノと歌手の組み合わせで演奏される。前回の1995年大会と今回が違う点は、この室内楽版が演奏される点であろう。

自分はもちろんこの室内楽版も全部行くことにした。


アムステルダム・コンセルトヘボウのリサイタル・ホールも初体験である。


このマーラーの歌曲については、上の演目の他に、マーラー夫人であったアルマが作曲した歌曲、アルマの友人・愛人が作曲した歌曲を歌唱演奏する日もある。

これはかなりレアであろう。(笑)
マーラーフェストならでは、である。


もうひとつ楽しみなのは、オランダの室内楽ユニットのアムステルダム・シンフォニエッタの実演を体験できることだ。マーラー、シュトニケの室内楽版を演奏してくれる。


アムステルダム・シンフォニエッタは、Channel Classicsに所属しており、彼らの新譜はよく聴いていたので、その存在を知っていた。ピアソラのブエノスアイレスの四季などのアルバムは絶品だったし、自分もディスクレビューで絶賛の日記を書いた。


彼らが、日本に来ることはたぶんかなりの可能性の低さなので、こうやって現地に赴くしかないと思っていたが、まさかマーラーフェストで実現するとは思いもしなかった。


大変楽しみにしている演奏日である。


今回のマーラーフェスティバル2020、もうロゴ、カタログ、ポスターのデザインも決まっている。


フェスティバル・ロゴ

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カタログ

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ポスター
まさに人生に1回のチャンス!と書かれていて、まさにその通りである。

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アムステルダム・コンセルトヘボウのホールのホワイエの壁には、このようにフェストのポスターが他のポスターと並んで貼られている。

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前回の1995年大会は、赤色がトレードマークだった。


アムスに住んでいた友人が、当時のフェストに行ったときに通った4曲のカタログ。今年の6月に久し振りに同期会の飲みとして2人でサシで飲みました。そのときに写真に撮らせてもらったものです。


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マーラーフェスト1995の非売品CD。やっぱりトレードマークは赤色です。
とてもレアな録音なので、ヤフオクで10万のプレミアで入手しました。


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録音はオランダ放送協会によるもの。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、
コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された
自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようですが、
一般には全く流通していない大変貴重な非売品。
(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤である。)

これも本番までの予習材料で何回も聴き返すことになるでしょう。



この非売品CDに入っているカタログに掲載されているこの写真。


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その飲み会で友人が語っていたこと。


そうここ!


このコンセルトヘボウの前にある広場で特設の会場が設置され、ここでメインホールで演奏されるフェストの模様が、ここでパブリックビューイングされていたんだよね、と熱く語っていました。


これは前回の1995年大会だけに実在したオプションであった。

今回の2020年大会も同じような催しが行われれます。
ただし、現在の最新技術を使ったいまの時代にあった仕様のイヴェントになります。


その他、本番の公演前にシンポジウム、討論会、インタビューや座談会なども行われる。


ファスティバル期間中、コンセルトヘボウはひとつの大きな展示会場スペースになる。マーラーの個人的な所持品などが展示される予定。~たとえばマーラーの未亡人であるアルマの家族アルバム(マーラーの孫娘:マリナ・マーラーからお借りできるもの)からの写真の数々。そして同様に、パリのマーラー音楽図書館からお借りできる物の数々など。


我々訪問者は、あのマーラーの有名なメガネ、スコア原稿、指揮棒、そしてシャツのカウフスボタンのようなものを実際じかに見ることができてさぞかし感激することになるであろう。


これは楽しみ!いっぱい写真撮ってきます。


まさに一期一会のフェスト。
このフェス期間中は、アムステルダムがマーラー一色に染まる期間なのである。


この3年間、この写真を自分のパソコンの壁紙に貼り付けて、”行くぞ!コンセルトヘボウ”と毎日自分に叱咤激励をしていたのでした。


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そんな3年間なのでした・・・じつは。


マーラーフェスティバル2020は公式HPが出来ていて、そこに関する記事、”マーラー・イン・アムステルダム”など興味深い記事の数々。


年明けてから、それの邦訳を日記でお送りしたいと思う。


自分も訳していながら、とても勉強になったというか、マーラーとアムステルダムとの関連について、自分の血肉になりました。


本番の2020年の5月まで、これからマーラー一辺倒の偏った投稿内容になりますので、そこはぜひご容赦を。










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