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孤独がない人はダメ [雑感]

2017年10月17日にNHK BSプレミアムのアナザーストリーで放映された
「長嶋茂雄 引退の日 ラストシーズン」。


再放送されたものを録画してあったのだが、今日ようやく拝見した。


長嶋さんのあのラストシーズンで引退試合を迎えるまでの葛藤、あのときいろいろ起きた裏事情、そして長嶋茂雄という日本プロ野球史上最高のスターの野球人像をあらためて考えてみる、という内容のドキュメンタリーである。


その中に現在の長嶋さん本人のインタビューもあって、その中で、自分の人生にとっても、かなりドキッとくるような衝撃なコメントがあり感激してしまった。


深いよなぁ、という感じ。
頂点を突き詰めた人だから達観できる世界観というか。。


長嶋さんの現役時代は、自分は子供の頃は幸いにも晩年の3~4年くらいはリアル体験できた。あの引退試合、中日とのダブルヘッダーはじかに観ていましたから。444号のラストホームラン、最後の「巨人軍は永久に不滅です。」もリアルタイムで観ていました。


王さんとのアベックホームランも観たことがある。アベックホームランというのは、ON砲、王・長嶋さんから生まれた言葉じゃないですかね。アベックホームランって本当に興奮します。相手に与えるダメージは圧倒的に凄いですね。完璧なまでに叩き潰すという感じですね。


自分は子供の頃から野球少年で、プロ野球、高校野球はもちろん、巨人の星、ドカベン、野球狂の詩とか、のめり込んでいました。サッカーはダメなんだよね。ワールドカップしか見ない。(笑)Jリーグはサッパリ。


巨人V9時代は本当に後半のみ実体験。だから小学生の子供の頃。


本当に自分が等身大でリアルにプロ野球にのめり込んだのは、巨人で言えば、江川、西本、原、篠塚、中畑とか、阪神でいえば、バース、掛布、岡田、真弓、中日でいえば田尾、谷沢、モッカ、大島、中尾、小松、そして広島なら山本浩二、衣笠、高橋慶彦、北別府とかの時代。


自分はまさに日本プロ野球の黄金時代と呼んでいます。


その後も、そのときほどのめり込みはしなかったけれど、ずっと関心を持って観てきた。長嶋監督のメークドラマ、巨人・中日10.8最終決戦とか、野村ID野球全盛時代、イチロー、松井秀喜、日本人プレーヤーが大リーグへとか、WBCとか、もういままでの重要なところは大体。


最近はまったくダメになりました。
野球中継を見ることさえ無理な体になってしまった。
ニュースで結果を見るくらいです。


長嶋茂雄さんは、打っても、守っても、走っても絵になる千両役者のような選手だった。「燃える男」、チャンスにめっぽう強い、プロ野球の”躍動感”をファンに与え続けてくれた類まれな選手だった。


ときは高度経済成長期。まさに長嶋は明日に向かう希望の星。

戦後最大のスーパースターであった。


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この写真は、空振り三振のときの超有名写真だが、このヘルメットを飛ばすのは本人が意識して飛ばしていた、というのは有名な話だ。


プロスポーツのカメラマンも、その絵になる一瞬を撮るって本当にプロだよなぁとつくづく思います。


長嶋さんは、当時の川上監督からV9達成のときに引退することを命じられた。川上監督からすると、長嶋茂雄ほどの大打者の生涯打率が3割を切ることは絶対許されることでなく、そこを心配していた。


でも、パッと座布団を跳ね除けて正座して
「監督、あと1年、あと1年やらせてください。」


その最終年、スランプと不調とどう向き合っていったのか、を刻銘にそのドキュメンタリーで描いていく感じである。


長嶋さん曰く、


「自分はみなが言うような天才型ではなく、どちらかというと努力型でしょうね。努力はあまり人に見せない。努力というのは見えないところでやること。」


当時は、王:努力型、長嶋:天才型と確かに言われていましたね。


ダブルヘッダーの引退試合で、第1試合終わったとき、長嶋さんが外野フェンス沿いに1周して回ったのも伝説で有名である。


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このときの裏事情についても、このドキュメンタリーでは密着している。

「もうひとつの引退セレモニー」

というタイトル。


この引退試合の4日前に、巨人軍広報部長 小野陽章、後楽園球場支配人 丸井定郎と長嶋さんを加えた4人で、その引退セレモニーについて事前の打ち合わせ。


そこで、長嶋さんは外野フェンス沿いに場内一周したいと申し出る。


でも、それは観客ファンが興奮してグランド内に入り込んできて非常に危険。くれぐれもそれだけはやめてほしい、と却下。長嶋さんはそのときは、わかりました。


確かに、この頃のプロ野球って、観客がグランド内にどんどん雪崩れ込んでくるというのが当たり前のシーンでしたね。


巨人V8のときに、優勝を決める阪神との甲子園決戦。あっさり巨人が大勝して、怒った阪神ファンがグランドに雪崩れ込んで、巨人選手はもうめちゃくちゃボコボコにされたとか。


あと、古葉竹識監督率いる広島が、赤ヘル軍団旋風を巻き起こし、球団初の優勝を遂げたとき、最下位の長嶋巨人との後楽園球場で優勝を決めた瞬間。もう凄かったです。観客席からどど~って雪崩れ込んできて、もみくちゃにされながら、胴上げしていましたね。


リアルタイムで観てました。あんな大人数雪崩れ込んだのを見たのは、この1戦が自分の中で1番でした。最近まったくそういうのがなくなりましたよね。


確かに危険だからなのでしょうけど、最近のお客さんは以前ほど熱くならないというか、大人しいんですかね。それともそうできないように物理的な仕掛けが球場にできているのでしょうか?


当時の富坂警察署からも、くれぐれもそれだけはやめてほしい、とのこと。それで長嶋さんは引き下がったのだけれど、引退試合のダブルヘッダーの第1試合の7回表が終わってベンチに帰ってきたとき、長嶋さんは、広報部長 小野さんに


「小野さん、やりましょう、やりましょう。」


そのとき小野さんは、長嶋さんの最後のお願い。あとで問題になったら、自分が辞めればすむこと。として認めた。


それで、あの場内一周が実現した。


幸いにも観客がグランドに流れ込んでくるということはなかった。

そうだったんだね。

これが「もうひとつの引退セレモニー」。

ちょっと自分はじ~んと来てしまいました。


そして、最後が、「1人で自分を追い込んでいく」。
これが自分は最高に感動し、共感したところであった。


長嶋さんくらいの大スターになると、当時は誰も長嶋さんにアドバイスするということはできなかったらしい。

川上さんもコーチの牧野さん、荒川さんも。


誰も長嶋さんになにもものを言えなかった。


バッティングコーチなんかも、さらにここのところが悪いと思っても直してさらに悪くなったらファンに対してどうしようという気があって、誰も話せなかった。


長嶋が圧倒的な存在ゆえに生まれる微妙な心遣い。

それを振り払うように1人で追い込むようになった。


試合終わったら毎日、ニッポン放送キャスターを伴って、自宅でキャスターに相手投手のモノマネをさせて、「平松来い!外木場来い!安仁屋来い!」と素振りをしていたそうだ。平松はそうじゃないだろう!と怒られることもしょっちゅうのこと。午後10時から翌日の午前2時まで。毎日やっていたそうである。


長嶋さんは、シーズンオフの山籠もりも有名ですね。
静岡・伊豆の大仁ホテルですね。
部屋にネットを張って、トス打撃とか、山へのランニングとか。
必ずパートナー1人だけの同伴で、基本1人でやっていた。
チームメイトすら知らない。
1人で自分を追い込んでいた。


娘さんの長島三奈さんも出ていて、「父は1人が好き。そういう時間を大切にしていた。」


長嶋さん曰く、


「部屋の電気を消して真っ暗にする。そこで振るんですよ。ふつうは鏡に映すとかするんだけど、それじゃダメ。もう自分自身ではっきり分かりますから。音が全部違いますから。スイングは。その音をね、いい方向に音を高めないとダメなの。それが24時間、1日24時間常に思っているからね。」


「孤独だからこそ本当の球場に、あるいは舞台に出たときに初めてそういうものが、生きるんだろうからね。孤独を逃げることはもう野球の勝負師として駄目だね。孤独がない人は全然駄目だよ。」


松井秀喜氏が、恩師長嶋さんからのコーチングで有名なのは、電話がかかってきて、そのままそこで素振りしろ、それでそのスイングの音を電話口で聞いて、それじゃだめだ、よし、それでいい、とかやっていたのは有名な話ですね。


なんかこのインタビューを聞いていて、自分の理論に一貫していて感動しました。


そして勝負師たるもの、その大舞台では必ず1人になる。
その1人でその”とき”を勝ち取るのも、1人。

孤独がない人は全然駄目。
孤独を逃げることはもう野球の勝負師として駄目。


なんかもうここが1番じ~んと感動。(号泣)


深い、というか、その場、その修羅場を長年くぐり抜けてきた人でないと達観できない境地だよな、と感動しました。


「雨ニモマケズ、風ニモマケズ

あんなつまんねぇことねぇと思わないかい?
せっかく雨が降ってくれるんだよ。
だったら「雨を喜び」だろう。
せっかく風が吹いてくれるんだよ。
だったら「風を楽しみ」だろう。

それでやっぱり生きていくのが本当の俺たちの生き方じゃねぇか。」


長嶋さんと懇意にしていたニュースキャスターとの会話である。


雨を喜び

風を楽しみ


長嶋さん曰く、


「自分の人生観そのもの。
プラス思考。
悪い方向に考えない。
いい方向、いい方向へ考える。」

「明日がダメだと、またまた明後日にしようかと。
常にそういう前向きでやることがね、人生の中でやっぱり大事なんじゃないかな。」

「期待が重いと思ったことは一度もない。それは喜び。」



・孤独がない人はダメ。
・プラス思考。


まさに自分の人生を生きていくうえで指針となる、そしていままでの自分の生き方に太鼓判を押してもらったようなうれしい言葉であった。


かなり自分は楽観的な性格ですから。(笑)
これじゃ将来困るだろう、というレベルで。(笑)


でもうれしかったし、心強かったです。
長嶋さんほどの達観した人生からあぶり出てきた、本当に深い言葉ですから。


今日は本当に偶然の偶然、この録画してあったドキュメンタリーを見ようと思ったのだが、まさに玉手箱からの宝物という感じで大収穫な日であった。







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9→10のミステリー [クラシック雑感]

名人位9連覇の中原誠名人が10連覇をかけて、加藤一二三十段と激闘を繰り広げ、残念ながら10連覇ならず、加藤一二三新名人の登場となったとき、当時の将棋界ではかなり衝撃的でセンセーショナルなできことであった。


このとき子供心に思ったことが、9連覇から10連覇を成し遂げるときのミステリー、いわゆる9→10へのミステリーについて、相当悩んだことがあった。子供なのに悩んだのである。


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やっぱりそうなのかなぁ、という感じで、自然界の慣わし、神様のお達しというか、そのようにできているのかなぁという感じで。


そう思ったのは、その当時、自分の脳裏に鮮烈に蘇ったのは、プロ野球で、あの王・長嶋を擁して、川上哲治監督のもと、V9,9連覇を成し遂げた巨人のことを思い出したからである。


自分は巨人V9時代は、後年から実体験している世代である。
自分は、やはり長嶋茂雄さんの大ファンであった。


長嶋さんは、やっぱり格好良かった。”男の躍動感”、”燃える男”という感じで、「四番・サード、長嶋」は本当に絵になる男だった。


「巨人、大鵬、卵焼き」の時代である。


そんなV10,10連覇を目指すシーズン、結局、中日ドラゴンズに優勝を奪われ、10連覇はならなかった。神話は途切れた。その年に、長嶋さんは引退。


その引退試合の後楽園球場での巨人×中日のダブルヘッダー、じかに観ていました。


いまでも鮮烈に覚えています。

長嶋さんは、その引退試合にホームラン。場内をわかせました。
1試合目が終わった後に、場内一周を外野フェンス沿いに歩いて回ってお別れの挨拶。


そして第2試合の最後の打席、「四番・サード、長嶋」のアナウンスに、場内、悲鳴のような叫び声。


「長嶋、やめるなー!」
異常な雰囲気でしたね。

最後は内野ゴロで、ジ・エンド。

そして試合終了後のあの伝説の挨拶、ちゃんとリアルタイムで観ていましたよ。


「巨人軍は永久に不滅です。」

の名セリフを残して、まさにプロ野球の歴史にひとつの時代の終焉を告げた。


自分は、数年前、この長嶋さんの引退試合、巨人×中日のダブルヘッダーを収録した市販DVDビデオを購入しましたよ。(笑)


小さな子供の頃に、TVの前でかじりついて観ていたあのシーン、ふたたび歳をとってから観ても涙が出ました。


そんな思い出があるから、あれから数年後、中原誠名人が名人位10連覇ならず、にでくあわせたとき、ありゃー、やっぱりそうなのか、偶然なのか、いや、これって自然界のならわし、9→10のミステリーじゃないのかなーと心底気味悪がったものである。


神様のお告げ、まさに人間が逆らえない運命というような。。。


それから数年後、自分がクラシック音楽に興味を持つようになり、その世界に入っていったとき、またしても、この9→10のミステリーに遭遇することになる。


それは作曲家が交響曲を作曲していくとき、第1番から第9番まで作曲することはできるが、第10番に進むときに、死んでしまい、第10番に到達できないというミステリーである。


これはクラシック界の中で、相当有名な伝説で、「第九の呪い」と呼ばれている。第九の呪いは、クラシック音楽の作曲家の間で囁かれていたとされる、「交響曲第9番を作曲すると死ぬ」というジンクスである。


ベートーヴェンが交響曲第9番を完成させた後、交響曲第10番を完成することなく死去したことに端を発する。
 
グスタフ・マーラーが「第九の呪い」を恐れて、交響曲第8番の完成後次に取り掛かった交響曲を交響曲として認めず「大地の歌」と名づけたという逸話が知られている。マーラーはその後に交響曲第9番を作曲したが、交響曲第10番は未完に終わった。


実際に「交響曲第9番」作曲と前後して死去した主要な作曲家は、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー、ヴォーン・ウィリアムズ、シュニトケ、ヴェレスなどがいる。


もちろんそうならない例外もある。ドヴォルザークは9番目の交響曲を完成したところで打ち止めになったが、初めの4曲は生前には出版されなかったため番号が振られず、現在第9番とされている作品も当初「交響曲第5番」として出版されたため、厳密には「交響曲第9番」を作曲して死んだわけではない。


他の多くの作曲家はその前で打ち止めになっているか、それを大きく越えている。たとえば、交響曲を主な表現の手段とはしなかったラフマニノフなどの作曲家は第9番のはるか前で打ち止めになっているし、交響曲を重要な表現の手段としていたブラームス、チャイコフスキーらも、結局第9番に及ばないところで打ち止めになっている。


一方で、ハイドンやモーツァルトといった作曲家は、第9番をはるかに上回る数の交響曲を作曲している。


でもクラシック界では、この「第九の呪い」はかなり有名で、子供の頃に巨人V10ならず、中原誠名人10連覇ならずを体験した身からすると、まさか大人になったときにクラシック界で、さらに「第九の呪い」にでくあわすとは思いもよらなかったのである。(笑)


また最近発見したのは、IT業界にも「第九の呪い」があるらしい。


Windows


Windowsはたくさんの人が知っているOSだと思うが、バージョンの推移はどうだったであろう。Windows7が大ヒットして、そのあと、8、8.1・・・そしていきなり10に飛んでいる。本来9として出るはずだった8.1が大不評だった8に対してテコ入れにならず、リブランドとしてWindows 10を出したことは記憶に新しい。


iPhone


iPhoneはどうであろうか。iPhone 7、8と来て、いきなりX(テン、つまり10)に飛んでいる。iPhoneXは世代でいうと9世代に相当すると思うが、9のネーミングをスキップしたものの結局失敗に終わりそうである。


Android


Androidに目を向けてみる。実は最新のバージョンが8(Oreo)である。次のバージョンの9はまだ出ていないのだが、このタイミングでOracleとのJavaをめぐる裁判の旗色がすこぶる悪くなっている。


IT業界の第九の呪いは、9番をスキップして10番に行く、という意味のようであるが、彼らはこれをIT業界の第九の呪いと題して気味悪がっている。


どんなプロダクトでも、9作目まで行くということは、はじめのころに大成功したということになる。じゃないと打ち切りになっているはず。なにがしかの成功体験があって継続し、そろそろネタギレになる時期がこの9番目という数字なのかもしれない。


とにかく自分の場合、この自然界のオカルト、第九の呪いをはじめて意識したのが、中原誠名人10連覇ならず、の瞬間、子供だった自分の脳裏にまっさきに思い浮かんだのは、王・長嶋時代の巨人の10連覇ならず、だったのだ。


そのミステリーが頭の中にシンクロして駆け巡った。


あ~神様って、やっぱりそうなんだ、自然界ってそういうルールになっているんだ、と子供心に相当悩んで、かなり気味悪がったものなのである。

 





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ふぐ料理フルコースをいただく [グルメ]

通勤の帰路、自分の街の駅から、自宅へ徒歩で帰るときに、かならずその店の目の前を通るときに一度入ってみたいなぁと思っていたお店が”ふぐ”料理のお店。


お恥ずかしいことながら、ふぐ料理って食べ事がない。
記憶にない。


自分の子供の頃に、記憶にあったのは、”ふぐ”には毒があって、その毒にあたって、よく死亡事故があったことだった。ニュースで、ふぐ料理を食べたお客さんが毒にあたって死亡したというニュースをよく報道されていたのを覚えている。


最近はまったくそういうニュースは聞いたことがないので、料理人がふぐの毒をさばくことがもう慣れてきたというか、ふぐのどこに毒があるのか、やっと常識になったということなのだろう。


・大人は絶賛するけど、言うほどおいしいの?
・ふぐってどんな味がするのか想像がつかない
・ふぐの食感ってどんな感じなのだろう



これがふぐ料理のフルコース。


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美しいですよねぇ。


この中で1番有名なのが、ふぐ料理の代名詞、とも言えるふぐの刺身である「ふぐ刺」。これを食べてみたかった。


大皿に、丁寧に職人の手によって盛り付けられた透き通るふぐの刺身はなんとも美しく、ふぐ刺しを美味しく食べるためには、繊細な味わいのふぐの旨味を最大限に引き出す、ふぐ料理専用のポン酢を器にたっぷり注ぎ、小ネギと、もみじおろしをお好みで器に振り入れていただく。


「ふぐ刺しの食べ方」ってご存じですか?

大皿のどこから箸をつけて良いか悩みますよね?


どこから食べるかは諸説あるが、ふぐ刺しの盛り付けを崩さず、最後まで美しくいただくためには、中央から箸をつけるのが正解なのだそうである。


ふぐ刺しを食べる際のマナー違反は「お箸で何枚ものふぐ刺しをすくうように取ってしまう」こと。元・巨人軍の長嶋茂雄さんがされていたことで有名になった食べ方だそうだ。真似する人が続出したようだ。たぶん長嶋さんが現役時代のときの話なんだろうな。いかにも選手時代の長嶋さんらしいです。(笑)


ふぐ刺しを何枚も重ねた状態では噛むのが大変なほど、ふぐは弾力性に富んだ身をしている。わざわざお皿の絵柄が透けるほど薄く削いで盛り付けているのは、理由あってのことなのだそうだ。ふぐ刺しは欲張って沢山取るのではなく、2~3枚をふくねぎとともにゆっくり味わいながらいただくのが正しい食べ方なんだそうだ。


でも自分は、ぜひだっ~と何枚も箸ですくって食べてしまう長嶋方式で食べてみたかった。(笑)自分は、ぜひこの食べ方でやろうと思っていたのである。


ふぐの刺身が薄切りである理由はほかにもある。
この薄さゆえ、最後の方はせっかくの刺身が乾燥してしまう場合もある。


遠慮せずにどんどん食べていただき、次の料理に進んでいただいた方が新鮮なふぐも喜ぶとのこと。ふぐ刺しはじっくり味わいながらも、乾燥する前に食べきってしまうのが良いのである。


意を決して、いつも自宅への帰路のときに必ずその目の前を通るふぐ料理のお店に入ってみることにした。ビルの地下にあって、完全個室のお店だ。これならコロナ対策としても安心ですね。


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フルコースで頼んでみたかったのだが、これは団体客の宴会用なのだそうなので、仕方がなく1品料理でつぎつぎとコース料理と同じメニューを頼んでいくことにした。たぶん金額的に大変なことになるだろうな、とは危惧していた。


雪が降って、とても寒かったので、熱燗で。
そしてお通し3品。


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酒場放浪記で吉田類さんが、これはピリっと辛口ですねぇ、とよく仰っているのだが、この日本酒で辛口というのがどんな味のことを言うのか、自分はよくわからないんですよね。(笑)下戸で酒はあまり飲まないので。


でもなんとなく想像つきます。わかります。日本酒で辛口ってたぶんこんな味なんだろうな、ということ、おそらく間違いないと思う。ぜひ辛口の日本酒、体験してみたいです。



そしてトップバッターにもちろん「ふぐ刺し」。


1人前だと少ししかないだろうから、やはり大皿でだっ~とやってみたい。(笑)店員さんに、メニューの大皿の写真を見せて、これと同じになるには何人分だったらそうなる?と聞いてみた。そうしたら2人前で大丈夫です、と答える。


そうしたら2人前でお願いします。

それでやってきたのがこれ。


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う~ん、なんか違うよなぁ。2人前でこれなら、自分が欲しい図は、たぶん4人前から8人前にはなるだろう。まさに宴会用だ。(笑)大変な金額になるのでやめておいてよかったかも。そしていよいよ念願の「だっ~」をやってみた。


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食べてみて、透き通った無味無臭の刺身という感じでしょうか。。。非常に弾力性があって、歯ごたえがあって、美味しかったことは間違いないが、まっこんなもんなのかな、とも思った。あっけなかったです。


つぎに焼きふぐをいただく。


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焼いています。
たっぷりのニンニクをまぶしたタレを表面につけながら焼く。


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自分はこのとき学んだことがある。
「ふぐには骨がある」ということを。


見た目、まるまる食べ応えのある感じなのでがぶっといって食べ応えありを想像していたのだが、骨があるのだ。骨があって、それに白身の身がうっすらと付いている感じで、正直かなり食べづらかった。


見た目と違って、食べ応えまるでなし。骨を避けながら、その表面についている身をそぎ落とすという感じであろうか。焼きふぐで食べるふぐの味は、表面についたにんにくのタレが香ばしくて美味しかった。でも食べづらく、食べ応えもなく、かなり欲求不満ではありました。



つぎにふぐの唐揚げ。


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これもがぶっとかぶりついて、食べ応えありを期待したが、これにも骨があった。(笑)かなり食べづらく欲求不満である。味は鶏のから揚げならぬ、白身魚の唐揚げという感じであろうか。しかも骨付きのおまけつき。



つぎにふぐの刺身のぶつぎり。


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これは美味しかった。今回のフルコースの中で1番美味しかったと思ったものだ。分厚いまさにぶつ切りのふぐの刺身だ。


なにが美味しかったかと言うと、骨がないことだ。


骨の心配をすることなく、がぶがぶとかぶりつける。そして刺身のまさに正方形というかまさにかたまりで、じつに食べ応えのあること。上の乗っているたっぷりのねぎといっしょにポン酢につけて食べるこの美味しさよ!
一番満足度が高かったです。


そして最後にふぐ鍋。締めの雑炊つきである。


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ダシのもとは、昆布でとる。
そこにふぐのぶつ切りと、しめじなどの野菜を入れていく。


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なんかこうしてみると、あまり美味しくなさそう。(笑)


これはふつうのお湯に昆布をくぐらせただけなので、たとえば、味噌仕立てだとか、醤油仕立てだとか、であるなら、もっと美味しそうな感じなるとは思うのですが。。


このふぐ鍋の基本は、ダシのほうは、あくまで昆布であっさりで、それにふぐ、野菜などの具を湯通しした後に、ポン酢とネギ、薬味につけて食べるというスタイルなんですね。


ふぐは、さほど骨もすくなく(ちょっとはあった)、比較的美味しくいただきました。白身魚という感じで、それをポン酢、ねぎ、薬味でいただくという感じでしょうか。野菜もみなさん想像通りの味です。


まぁ、そんな大したものではなく拍子抜け。


最後に締めの雑炊。
店員さんに作ってもらいました。


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できあがり。


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お茶碗によそった後に、軽く醤油をかけて食べるという感じでしょうか。
う~ん、たいしたことなかったなぁ。


これだけで結構お腹いっぱいにはなりました。
でもこれがふぐ料理フルコースか、と言われれば、まったくの拍子抜け。


そんなたいしたものでは全然ないです。

グルメの自分を唸らせるものでは全然なかった。


恐る恐るの会計は、諭吉さんが飛んでしまう感じ。
もう二度とくることもないでしょう。(笑)


まぁ、ふぐ刺しを食べることができた、という点では記念にはなりました。


そしてこれは毎回思うことで、まっこれが業界の常識というものだよなぁ、と思うことだが、料理の世界ではプロの写真家が撮影した写真は、まさにプロ!美味しそう!と思うわけだが、実際のブツが来たらかなりガックリと落胆するというこの当たり前の事実。


自分は何度この落胆さを味わっているか。


HPに掲載されている写真、実際お店に行ったときのメニューに掲載されている写真、もうさすがこれこそ、プロのカメラマンの仕事だと思うのである。





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