普門館 [コンサートホール&オペラハウス]
普門館といえば、大きく2つの顔をもつコンサートホール(というより多目的ホール)といえる。
カラヤン&ベルリンフィルの来日公演、そして中学・高校生による吹奏楽の聖地、吹奏楽の甲子園という顔。自分は、普門館といえば圧倒的に前者。大変失礼な話なのだが、後者はその当日まで知らなかった。
2011年の東日本大震災以来、天井の強度がスペックを満たさないということで、取り壊しが決定した。来月の12月より取り壊しが始まる。
そこで、11月5日~11月11日まで一般公開ということで、ホール内をお別れができる、という粋な試みがあった。自分は最終日の11日の前日の深夜にそのことを知って、ぎりぎり最終日の11日に間に合った。
自分が、東京にやってきたのは、1987年。そのときはすでにサントリーホールがオープンしたばかり(1986年10月)、そしてそれ以前は、東京文化会館が東京のメッカということもあり、いままで、とりわけ普門館にいく機会がなかった。ある意味行く必要も感じなかった、というのが正直なところで、普門館の中に入ったことは1回もなかった。
あとで述べるが、普門館は大空間なので音響が悪い、という先入観があり、自らがどうしても行きたいという気持ちにならなかったのだ。
来月から取り壊しということで、いま一般公開もしている、ということで、これまで縁がなかったけれど最後のお別れで、ホール空間を見てこようかな~とも思い、最終日にかけつけた、という次第である。
普門館といえば、とにかくカラヤン&ベルリンフィルの来日公演である。
1977年、1979年、1981年の3回にわたって、この普門館を利用した。約5000人を収容できる大ホールで、なぜカラヤンがここを選んだのかはいまもって謎なのだが、大収容なので、1回の興行で、いっぺんに利益が稼げるという算段があったのだろうか?その横長の大空間のホールは、当然音響劣悪で、聴衆の失望を招き、1979年の再来日時にはカラヤンが反響板を新たに作るよう要求したという伝説もある。
後にこの普門館のベルリンフィル演奏会がライブ録音CDということで世に出ることになるのだが、会場が大きすぎて音響上問題があるので、反響板のようなものを据えて演奏したそうで、その解説には「もし上野の東京文化会館だったら」と言い合ったという当時の感想も載っているそうである。
1977年に、その音響の劣悪さをある程度わかっていたカラヤンは、ドイツで専用の反響板をつくり、この日のためだけに搬入した、という話もあった。
1977年のベートーヴェン・ツィクルスを全曲録音していたTOKYO FMの当時のプロデューサーで、現在は音楽評論家の東条碩夫氏によれば~当時、主催者側は大がかりな残響調整装置を準備していた。そして本番前日、早稲田大学交響楽団に舞台上で演奏させ、カラヤンは客席内を移動しながら響きを確認した。その結果、このままで十分と判断、装置も使用しなかったというのである。だそうで、それだけ音響には問題のあるホールであった。
とにかくあまりに巨大すぎるのだ。
その当時のカラヤン公演を体験した人の話によると、普門館はとにかく広いので驚く。席は1階後方で、舞台上のカラヤンは遥か彼方に見えていた。音も、東京文化会館あたりで聴いていたのとはまったくちがい、何だか、遠くで勝手に演奏しているのを、こっちも勝手に聴いているような、そんな印象があった。つまり、音が自分のいるところまで飛んでこないのだ。だから、いま思い返してみても、「とにかく広くて、カラヤンも遠くにいて、何だかよくわからなかった」というのが正直な感想だったようだ。
そんなカラヤン&ベルリンフィルの伝説の普門館でのライブなのだが、これがCDとなって世に出て、カラヤンファンをはじめ、かなりセンセーショナルな話題になった。
1977年はベートーヴェンの交響曲全曲演奏会をやり、その全曲録音。そして1979年はベートーヴェンの交響曲第九。これがリリースされた。いわゆる「カラヤンの普門館ライブ」ということで、話題になった。
TOKYO FMが録音したカラヤンの1977年ベートーヴェン・ツィクルス。東京・普門館ライヴは最初はCDの単バラとして出されたが、その後、SACDになり、さらにはまとめてボックス化となった。ボックス化のときは初出時と同マスターではなく、最新リマスターをもとにさらなる微調整を加えブラッシュアップした、通常CDでは初のお披露目となる「最終決定稿」たる音質だった。
TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (SACD)
ベートーヴェン交響曲第5番「運命」第6番「田園」
(他の曲ももちろん単バラで売っています。)
http:// urx.red /Ntlf
TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (CD-BOX)
ベートーヴェン交響曲全曲演奏会BOX
http:// urx.red /Ntmf
1977年東京公演におけるベートーヴェン連続演奏会は、カラヤン&ベルリン・フィルによる実演での最後のベートーヴェン・ツィクルスとなったもの。この連続演奏会は、「TDKオリジナルコンサート」という番組で収録され、TOKYO FMによって全曲がステレオで録音され、たいへん良好な状態でテープが保存されていた。
「TDKオリジナルコンサート」というのは、1971年、芝崎彪さんが提案したクラシック音楽番組。
国内外の名演奏家のコンサートを収録し、民放FM放送(FM東京等)で放送する、という内容の当時のラジオ番組である。
この「TDKオリジナルコンサート」、いろいろな演奏家のライブを収録してきたが、その目玉だったのが1977年、東京普門館(5000人収容)で開催されたカラヤン・ベルリンフィルハーモニーだった。このCDが2010年、FM東京創立40周年事業としてCD化されたのだ。
この歴史的な録音には、当時TOKYO FMの名プロデューサーだった東条碩夫氏(現・音楽評論家&ジャーナリスト)があたり、さらにストコフスキーも絶賛した腕前の日本が誇る名エンジニア故若林駿介氏を動員、万全の体制で臨んだ。
そのためすこぶる良好なステレオ録音が残されていた。
エキストラなしのベルリン・フィル正規メンバーのみで臨んだ「運命」「田園」は朝日放送がテレビでモノラル放送したためFMでは放送されず、またワイセンベルクとの協奏曲も未公開のまま眠っていた音源で、CD化でこれらの音源が陽の目を見た際には大変話題になった。
カラヤンが激賞した田中信昭氏率いる合唱団との第九で聴ける日本人離れしたとてつもないボルテージの合唱も必聴ものなのだ。
普門館で行われたカラヤン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演(1977年)
この1977年、普門館で行われたFM東京「TDKオリジナルコンサート」カラヤン・ベルリンフィルによるベートーヴェン交響曲全曲収録には数限りないエピソードがある。同全曲CDの解説書からそのいくつかを紹介する。
東条碩夫氏(音楽評論 元FM東京プロデューサー)
・第5番「運命」の普門館での演奏は、彼等が残した如何なるレコーディングにおける演奏にも増
して凄まじい力感に溢れているといえる。
・録音エンジニアはエフエム東京の橋本正文が、他の7曲は若林駿介氏がつとめた。
・「第9」の本番直前、それまで快調だった収録用のアンプがトラブル。心の中でアンプを呪った。
中山 実氏(大阪国際フェステバル協会元職員)
・1977年のベルリン・フィルの招聘は大阪フェステバル協会とNHKの競争となった。
・ベルリンフィルは正団員約110人に約40人のエキストラを加えた総勢150名を超えるメンバーが
来日している。TV収録のある日は正団員が出なくてはならないという決まりがあった。「運命」
「田園」はTV収録があったため正団員のみ出演している大変貴重な記録である。
カラヤンはセッション録音によるベートーヴェン交響曲全集を1950年代、1960年代、1970年代、1980年代の4回録音している。1950年代のモノラル録音のみ英EMIで、後の3回はいずれもドイツ・グラモフォン。
このTOKYO FMの録音が発見され、それがCD化されたことで、カラヤン&ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集は、全部で5回ということになった。
それを聴かれたファンの方々は、
計算し尽くされ、ミスは何回も録り直しが利くセッション録音と違い、一発勝負の聴衆を前にしたライブ演奏ではこれほど「燃える」ものだとは、と再認識した。
特に「運命」、ベルリン・フィルによる緻密なアンサンブルと贅肉を削ぎ落したかのようなカラヤンの解釈による演奏は生演奏らしい、曲の迫真に迫るような素晴らしい名演。特に終楽章は超名演と言っても良い。
既述の東条氏の第5「運命」のコメントと相通ずるところがあり、自分はかなりそそられた。
また東条氏が悔やんでいた第九のときのアンプのトラブルも、その後SACDとしてリマスターされたときに、この新DSDマスター制作を担当したのが、Altus斎藤啓介氏で、通常の5倍の時間をかけて制作。録音当時にトラブルがあったとされる第9終楽章後半なども前情報なく虚心に聴くと録音の不備が全くと言っていいほどわからない出来になっているのだそうだ。
じつは、自分はこの1977年のTOKYO FM録音によるベートーヴェン・チクルスのCDを3枚ほど所有しているのだ。4~5年前に友人から無料で譲り受けたものなのだが、普門館ということで、音響悪いというイメージが先行して、食わず嫌いでそのまま新品未開封でラックに死蔵になっている。
ぜひ聴いてみたい気になった。
カラヤン&ベルリンフィルは大きく時代別に大別すると、60年代、70年代、80年代の3つの時代に分けれると思っているのだが、その中でも70年代が一番脂に乗っていた最強の時代だと自分は確信している。
そういう意味で普門館ライブのときは、1977年、1979年、1981年。
まさにその全盛期の時代の彼らだといえるわけで、その熱い演奏を想像することはできる。
そして一方で、もうひとつの金字塔の録音である1979年の「カラヤン普門館ライブの第九」。
NHK FM録音による「カラヤン普門館ライブの第九」
http:// urx.red /Ntlt
ベルリンフィルを率いて8度日本を訪れているカラヤンだが、1979年に東京、普門館でおこなわれた来日公演は、その豪華な参加メンバーとプログラムとで特筆されるべき壮挙であった。
4回のオーケストラ演奏会に加え、初めて帯同したウィーン楽友協会合唱団とともに合唱付きの大曲を5夜にわたって披露、贅沢なソリスト陣も手伝って、「ザルツブルク音楽祭の引越し公演」という評さえあった、まさに当時の熱狂ぶりは凄かったのだ。
10月21日の第九は、カラヤンとベルリンフィル2度目のベートーヴェン:交響曲全集と同一のトモワ=シントウ、シュライアー、ヴァン・ダムに、エキゾティックなカルメン役で欧米を沸かせたユーゴ出身のアルト、バルダーニを加えたソリスト陣に、「カラヤンのコーラス」楽友協会合唱団という完璧な布陣。
カラヤンと楽友協会合唱団は、1947年の初顔合わせ以来通算200回目の共演という記念の一夜でもあった。全公演中の白眉とされた当演奏はNHKがFM生中継し、全国の音楽ファンを魅了したと伝えられている。
このいわゆる「カラヤン普門館ライブの第九」のCDは、NHK技術研究所に残されていた当時のオリジナル・テープに基づく世界初の復刻。NHK初のデジタル録音とのことだが、24年の歳月を感じさせない鮮明な音質に仕上がっているそうだ。
テープの保存状態が非常に良好だったためか、放送音源のCD化につきまとう経年劣化の問題が皆無であることは何よりの朗報。マスタリングもハノーヴァーの最新技術によって念入りにおこなわれたとのことだそうだ。
この1979年の普門館公演でライブ収録された交響曲第9番は、カラヤン没後にCD化されたのだが、カラヤンのライブ録音で第九が稀少であることから「普門館の第九」として話題を呼んだことでも有名なのだ。
つまり、「カラヤン普門館ライブ」と呼ばれる復刻CDには、1977年のTOKYO FMによって録音されたものと、1979年のNHK FMによって録音されたものがある、ということなのだ。
今回の日記のために、情報を補記したところもあるが、自分にとって普門館といえば、もうまさにこのカラヤン&ベルリンフィルの来日公演というイメージだった。
だから、その普門館にお別れ、ということで、ざっとその広大なホール空間を眺めて終わりかなぁと思う程度だったのだ。
あらためて、普門館について簡単な説明を。
仏教の在家団体「立正佼成会」が所有するホールで、東京都杉並区にある。
この日、行ってみたが、お世辞にも交通の便がよいとはいえない。
地下鉄メトロを何回も乗り換える必要があって、かなり遠いところにある。駅からも結構離れていて歩く。
こけら落としは、美空ひばりという話もあるし、日本フィルの特別公演との話もある。
耐震強度不足により、2018年冬(12月)より解体されることになった。
11月5日~11月11日まで最後のお別れということで、一般公開となった。
その最終日に自分は伺った。
普門館
最終のお別れということもあって、たぶん人も少なく閑散という感じなんだろうなぁと思っていた。
ところが行ってみたら、まさかの朝からの大行列!(^^;;
まったく驚いた。こんなに根強い人気があったとは!
ちょっと異様だったのが、とにかく客層がみんな若い人ばかりなのだ。年齢の行っている人はほとんどいない。みんな若い!そして木管楽器を入れるような楽器ケースを背負っている人がじつに多かった。
一瞬、音楽家の若者なのかな、とも思ったが、これが普門館とどうしても結びつかなかった。
そしてこれ。
「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」
この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけがある意味、その意味を暗示していたんだな。
警備員の方も、写真撮影のお手伝い大変。みんなこの掲示板ポスターの前で記念撮影するんだよね。それもみんな楽器ケースを背負った若者ばかり。
とにかく大変な大行列なので、内部の観覧は30分間隔で区切ってこの大行列を順繰りにこなしていくということだった。
どきどき!ステージが見えてきた。
この入り口は、演奏家の方がステージに上がるための入り口なんだな。
ここが普門館のホール空間。
1階席3150席、2階席1552席の4702席収容。まさに空前絶後の大空間である。
これが反響板の一部なのだろうか?(側壁にあります。)
ステージ上空にはそのような仕掛けはあまり見当たらなかった。
これだけの大空間を覆うように音の流れを向けるのは確かに大変なことだ。
舞台(反響板)の後ろはこんな感じになっている。
でも自分が気になるのは、こちらだったりして・・・TASCAMとかソニーとか。(笑)
ステージに上がることだけが許される。
ステージ後方に大きな反響板。そこに「普門館からありがとう」とある。
普門館、まさに本日にて48年の歴史に幕。
とにかくみんな若者。そしてほとんど全員が木管、金管の管楽器を持っている。
全員バラバラだけど、それぞれ吹いている。
自分はこの風景が理解できず、思わず警備員の方に聞いて、そのすべての真実が理解できた。
勉強不足なのは、自分のほうだった。
ここ普門館は、いわゆる中学・高校生の”吹奏楽の聖地”、”吹奏楽の甲子園”とよばれるメッカのところで、ここで長年にわたり全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中学・高校の部が開かれてきたのだ。
普門館が開館したのが、1970年。吹奏楽コンクールがこの普門館で開催されたのが、1972年から。途中他の開場でやったりしてブランクがあったが、1977年から2012年までの35年間、まさに毎年ここが吹奏楽の甲子園となった。
”目指せ!普門館”の合言葉を元に、みんな練習に励んだ憧れのホールだったのだ。
今回、普門館解体というニュースを受けて、みんな悲しみに暮れたが、普門館を所有する宗教法人「立正佼成会」が吹奏楽ファンへの感謝の思いを込めて、この一般公開を企画した。
「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」
この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけの意味が、ここでようやくはっきりと理解できた。
みんな若者ばかり、そしほとんどが管楽器を持っている。この現象の意味も理解できた。
この最終日の11日は朝から列ができ、午前10時に開場した。混雑を避けるため30分ごとの入れ替え制とし、約3800人が舞台に足を踏み入れたのだそうだ。
まさにステージの上は、管楽器をもった若者で溢れかえった。そして思うままに吹いている。
最後のお別れを名残惜しんでいるのだ。
最初みんな、バラバラに吹いているのだけれど、最後になると偶然なのか、それともみんな、つい意識して合わせたのか、同じ曲をシンクロして全員揃って大吹奏!これはちょっとじ~んとくるものがあって大感動でしたよ。
ステージ後方の反響板や舞台裏にはもうびっしりと書き込み。
みんなこの普門館への思いを書き綴っていったんだな・・・
テレビも入っていて、インタビューを受けている若者もいた。
この一般公開してからの1週間、かつてこの舞台をめざした人たちが続々と訪れた。
以下、最終日の当日、取材していた朝日新聞の記事から抜粋。
「中学1年の時に全日本(吹奏楽コンクール)に出場し、舞台に立った。普門館がなくなるのは寂しいけれど、心にずっと残り続けています」
「夢の舞台にあと一歩及ばなかった。楽器にこの舞台を見せてあげたくて。解体は何とも寂しいけれど、来られてよかった」 37年ぶりにケースから出したフルートを手に思いに浸った。
普門館への思いは、現役の中高生にも息づいている。
「普門館は憧れの舞台。合奏を通して、様々な人と音楽をつくる喜びを感じた」と話した。
フィナーレが近づく11日夕。千人以上が集まったステージに、東京佼成ウインドオーケストラのトランペット奏者、本間千也さんら5人がサプライズで登場。金管五重奏で奏でた「聖者の行進」や「ディスコ・キッド」に、来場者らは静かに聴き入った。
アンコールでは会場全員で「星条旗よ永遠なれ」を演奏。一体感が味わえる定番のマーチを響かせて、普門館最後の合奏を締めくくった。
そして午後6時半。名残惜しそうに過ごす人々が残る大ホールに、閉館を告げるアナウンスが響いた。
自分はまったく知らなかったとはいえ、偶然にもこの場に居合わせることのできた幸運に、音楽の神様にひたすら感謝するのみ。たった30分ではあったが、そんなみんなの想い出をおすそ分けいただいたような気分。
本当に素敵な場面を体験することができた。
今日は、久しぶりに奮発してディナーは創作フランス料理のフルコースをいただくことにしていた。
ちょっと時間待ちしているところで、近くの小学校でなんと生徒による吹奏楽のお披露目会があったのだ。父母参観のもとみんながんばっていた。
もともとは交通推進パレードという意味合いだったようなので、このように近くの警察署による警察官による大人の吹奏楽もお披露目ありました。
こうしてみると、つくづく今日は偶然とはいえ、吹奏楽に縁のある日でした。(笑)
住宅街の中にひっそりと佇む隠れ家的名レストラン。
店内はじつに素敵で最高の雰囲気でした。
秋刀魚、松茸、フォアグラのビストロ茶漬け。驚愕の美味!(^^;;
よくこのようなお店、みんなよく知っているなぁ?(笑)
カウンターでいただきましたが、シェフがすごく忙しそう。
でも自分が初めてのお客さんということもあってか、1品作るたびに、シェフみずから運んできてくれて一品の説明をしてくれるのだ。他のお客さんは馴染みのお客さんなのか、そんなことはしないのに。。。
とてもありがたいというか、恐縮しました。
女性スタッフの方が、これまたとても素敵な方だったのです!(^^)
カラヤン&ベルリンフィルの来日公演、そして中学・高校生による吹奏楽の聖地、吹奏楽の甲子園という顔。自分は、普門館といえば圧倒的に前者。大変失礼な話なのだが、後者はその当日まで知らなかった。
2011年の東日本大震災以来、天井の強度がスペックを満たさないということで、取り壊しが決定した。来月の12月より取り壊しが始まる。
そこで、11月5日~11月11日まで一般公開ということで、ホール内をお別れができる、という粋な試みがあった。自分は最終日の11日の前日の深夜にそのことを知って、ぎりぎり最終日の11日に間に合った。
自分が、東京にやってきたのは、1987年。そのときはすでにサントリーホールがオープンしたばかり(1986年10月)、そしてそれ以前は、東京文化会館が東京のメッカということもあり、いままで、とりわけ普門館にいく機会がなかった。ある意味行く必要も感じなかった、というのが正直なところで、普門館の中に入ったことは1回もなかった。
あとで述べるが、普門館は大空間なので音響が悪い、という先入観があり、自らがどうしても行きたいという気持ちにならなかったのだ。
来月から取り壊しということで、いま一般公開もしている、ということで、これまで縁がなかったけれど最後のお別れで、ホール空間を見てこようかな~とも思い、最終日にかけつけた、という次第である。
普門館といえば、とにかくカラヤン&ベルリンフィルの来日公演である。
1977年、1979年、1981年の3回にわたって、この普門館を利用した。約5000人を収容できる大ホールで、なぜカラヤンがここを選んだのかはいまもって謎なのだが、大収容なので、1回の興行で、いっぺんに利益が稼げるという算段があったのだろうか?その横長の大空間のホールは、当然音響劣悪で、聴衆の失望を招き、1979年の再来日時にはカラヤンが反響板を新たに作るよう要求したという伝説もある。
後にこの普門館のベルリンフィル演奏会がライブ録音CDということで世に出ることになるのだが、会場が大きすぎて音響上問題があるので、反響板のようなものを据えて演奏したそうで、その解説には「もし上野の東京文化会館だったら」と言い合ったという当時の感想も載っているそうである。
1977年に、その音響の劣悪さをある程度わかっていたカラヤンは、ドイツで専用の反響板をつくり、この日のためだけに搬入した、という話もあった。
1977年のベートーヴェン・ツィクルスを全曲録音していたTOKYO FMの当時のプロデューサーで、現在は音楽評論家の東条碩夫氏によれば~当時、主催者側は大がかりな残響調整装置を準備していた。そして本番前日、早稲田大学交響楽団に舞台上で演奏させ、カラヤンは客席内を移動しながら響きを確認した。その結果、このままで十分と判断、装置も使用しなかったというのである。だそうで、それだけ音響には問題のあるホールであった。
とにかくあまりに巨大すぎるのだ。
その当時のカラヤン公演を体験した人の話によると、普門館はとにかく広いので驚く。席は1階後方で、舞台上のカラヤンは遥か彼方に見えていた。音も、東京文化会館あたりで聴いていたのとはまったくちがい、何だか、遠くで勝手に演奏しているのを、こっちも勝手に聴いているような、そんな印象があった。つまり、音が自分のいるところまで飛んでこないのだ。だから、いま思い返してみても、「とにかく広くて、カラヤンも遠くにいて、何だかよくわからなかった」というのが正直な感想だったようだ。
そんなカラヤン&ベルリンフィルの伝説の普門館でのライブなのだが、これがCDとなって世に出て、カラヤンファンをはじめ、かなりセンセーショナルな話題になった。
1977年はベートーヴェンの交響曲全曲演奏会をやり、その全曲録音。そして1979年はベートーヴェンの交響曲第九。これがリリースされた。いわゆる「カラヤンの普門館ライブ」ということで、話題になった。
TOKYO FMが録音したカラヤンの1977年ベートーヴェン・ツィクルス。東京・普門館ライヴは最初はCDの単バラとして出されたが、その後、SACDになり、さらにはまとめてボックス化となった。ボックス化のときは初出時と同マスターではなく、最新リマスターをもとにさらなる微調整を加えブラッシュアップした、通常CDでは初のお披露目となる「最終決定稿」たる音質だった。
TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (SACD)
ベートーヴェン交響曲第5番「運命」第6番「田園」
(他の曲ももちろん単バラで売っています。)
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TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (CD-BOX)
ベートーヴェン交響曲全曲演奏会BOX
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1977年東京公演におけるベートーヴェン連続演奏会は、カラヤン&ベルリン・フィルによる実演での最後のベートーヴェン・ツィクルスとなったもの。この連続演奏会は、「TDKオリジナルコンサート」という番組で収録され、TOKYO FMによって全曲がステレオで録音され、たいへん良好な状態でテープが保存されていた。
「TDKオリジナルコンサート」というのは、1971年、芝崎彪さんが提案したクラシック音楽番組。
国内外の名演奏家のコンサートを収録し、民放FM放送(FM東京等)で放送する、という内容の当時のラジオ番組である。
この「TDKオリジナルコンサート」、いろいろな演奏家のライブを収録してきたが、その目玉だったのが1977年、東京普門館(5000人収容)で開催されたカラヤン・ベルリンフィルハーモニーだった。このCDが2010年、FM東京創立40周年事業としてCD化されたのだ。
この歴史的な録音には、当時TOKYO FMの名プロデューサーだった東条碩夫氏(現・音楽評論家&ジャーナリスト)があたり、さらにストコフスキーも絶賛した腕前の日本が誇る名エンジニア故若林駿介氏を動員、万全の体制で臨んだ。
そのためすこぶる良好なステレオ録音が残されていた。
エキストラなしのベルリン・フィル正規メンバーのみで臨んだ「運命」「田園」は朝日放送がテレビでモノラル放送したためFMでは放送されず、またワイセンベルクとの協奏曲も未公開のまま眠っていた音源で、CD化でこれらの音源が陽の目を見た際には大変話題になった。
カラヤンが激賞した田中信昭氏率いる合唱団との第九で聴ける日本人離れしたとてつもないボルテージの合唱も必聴ものなのだ。
普門館で行われたカラヤン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演(1977年)
この1977年、普門館で行われたFM東京「TDKオリジナルコンサート」カラヤン・ベルリンフィルによるベートーヴェン交響曲全曲収録には数限りないエピソードがある。同全曲CDの解説書からそのいくつかを紹介する。
東条碩夫氏(音楽評論 元FM東京プロデューサー)
・第5番「運命」の普門館での演奏は、彼等が残した如何なるレコーディングにおける演奏にも増
して凄まじい力感に溢れているといえる。
・録音エンジニアはエフエム東京の橋本正文が、他の7曲は若林駿介氏がつとめた。
・「第9」の本番直前、それまで快調だった収録用のアンプがトラブル。心の中でアンプを呪った。
中山 実氏(大阪国際フェステバル協会元職員)
・1977年のベルリン・フィルの招聘は大阪フェステバル協会とNHKの競争となった。
・ベルリンフィルは正団員約110人に約40人のエキストラを加えた総勢150名を超えるメンバーが
来日している。TV収録のある日は正団員が出なくてはならないという決まりがあった。「運命」
「田園」はTV収録があったため正団員のみ出演している大変貴重な記録である。
カラヤンはセッション録音によるベートーヴェン交響曲全集を1950年代、1960年代、1970年代、1980年代の4回録音している。1950年代のモノラル録音のみ英EMIで、後の3回はいずれもドイツ・グラモフォン。
このTOKYO FMの録音が発見され、それがCD化されたことで、カラヤン&ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集は、全部で5回ということになった。
それを聴かれたファンの方々は、
計算し尽くされ、ミスは何回も録り直しが利くセッション録音と違い、一発勝負の聴衆を前にしたライブ演奏ではこれほど「燃える」ものだとは、と再認識した。
特に「運命」、ベルリン・フィルによる緻密なアンサンブルと贅肉を削ぎ落したかのようなカラヤンの解釈による演奏は生演奏らしい、曲の迫真に迫るような素晴らしい名演。特に終楽章は超名演と言っても良い。
既述の東条氏の第5「運命」のコメントと相通ずるところがあり、自分はかなりそそられた。
また東条氏が悔やんでいた第九のときのアンプのトラブルも、その後SACDとしてリマスターされたときに、この新DSDマスター制作を担当したのが、Altus斎藤啓介氏で、通常の5倍の時間をかけて制作。録音当時にトラブルがあったとされる第9終楽章後半なども前情報なく虚心に聴くと録音の不備が全くと言っていいほどわからない出来になっているのだそうだ。
じつは、自分はこの1977年のTOKYO FM録音によるベートーヴェン・チクルスのCDを3枚ほど所有しているのだ。4~5年前に友人から無料で譲り受けたものなのだが、普門館ということで、音響悪いというイメージが先行して、食わず嫌いでそのまま新品未開封でラックに死蔵になっている。
ぜひ聴いてみたい気になった。
カラヤン&ベルリンフィルは大きく時代別に大別すると、60年代、70年代、80年代の3つの時代に分けれると思っているのだが、その中でも70年代が一番脂に乗っていた最強の時代だと自分は確信している。
そういう意味で普門館ライブのときは、1977年、1979年、1981年。
まさにその全盛期の時代の彼らだといえるわけで、その熱い演奏を想像することはできる。
そして一方で、もうひとつの金字塔の録音である1979年の「カラヤン普門館ライブの第九」。
NHK FM録音による「カラヤン普門館ライブの第九」
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ベルリンフィルを率いて8度日本を訪れているカラヤンだが、1979年に東京、普門館でおこなわれた来日公演は、その豪華な参加メンバーとプログラムとで特筆されるべき壮挙であった。
4回のオーケストラ演奏会に加え、初めて帯同したウィーン楽友協会合唱団とともに合唱付きの大曲を5夜にわたって披露、贅沢なソリスト陣も手伝って、「ザルツブルク音楽祭の引越し公演」という評さえあった、まさに当時の熱狂ぶりは凄かったのだ。
10月21日の第九は、カラヤンとベルリンフィル2度目のベートーヴェン:交響曲全集と同一のトモワ=シントウ、シュライアー、ヴァン・ダムに、エキゾティックなカルメン役で欧米を沸かせたユーゴ出身のアルト、バルダーニを加えたソリスト陣に、「カラヤンのコーラス」楽友協会合唱団という完璧な布陣。
カラヤンと楽友協会合唱団は、1947年の初顔合わせ以来通算200回目の共演という記念の一夜でもあった。全公演中の白眉とされた当演奏はNHKがFM生中継し、全国の音楽ファンを魅了したと伝えられている。
このいわゆる「カラヤン普門館ライブの第九」のCDは、NHK技術研究所に残されていた当時のオリジナル・テープに基づく世界初の復刻。NHK初のデジタル録音とのことだが、24年の歳月を感じさせない鮮明な音質に仕上がっているそうだ。
テープの保存状態が非常に良好だったためか、放送音源のCD化につきまとう経年劣化の問題が皆無であることは何よりの朗報。マスタリングもハノーヴァーの最新技術によって念入りにおこなわれたとのことだそうだ。
この1979年の普門館公演でライブ収録された交響曲第9番は、カラヤン没後にCD化されたのだが、カラヤンのライブ録音で第九が稀少であることから「普門館の第九」として話題を呼んだことでも有名なのだ。
つまり、「カラヤン普門館ライブ」と呼ばれる復刻CDには、1977年のTOKYO FMによって録音されたものと、1979年のNHK FMによって録音されたものがある、ということなのだ。
今回の日記のために、情報を補記したところもあるが、自分にとって普門館といえば、もうまさにこのカラヤン&ベルリンフィルの来日公演というイメージだった。
だから、その普門館にお別れ、ということで、ざっとその広大なホール空間を眺めて終わりかなぁと思う程度だったのだ。
あらためて、普門館について簡単な説明を。
仏教の在家団体「立正佼成会」が所有するホールで、東京都杉並区にある。
この日、行ってみたが、お世辞にも交通の便がよいとはいえない。
地下鉄メトロを何回も乗り換える必要があって、かなり遠いところにある。駅からも結構離れていて歩く。
こけら落としは、美空ひばりという話もあるし、日本フィルの特別公演との話もある。
耐震強度不足により、2018年冬(12月)より解体されることになった。
11月5日~11月11日まで最後のお別れということで、一般公開となった。
その最終日に自分は伺った。
普門館
最終のお別れということもあって、たぶん人も少なく閑散という感じなんだろうなぁと思っていた。
ところが行ってみたら、まさかの朝からの大行列!(^^;;
まったく驚いた。こんなに根強い人気があったとは!
ちょっと異様だったのが、とにかく客層がみんな若い人ばかりなのだ。年齢の行っている人はほとんどいない。みんな若い!そして木管楽器を入れるような楽器ケースを背負っている人がじつに多かった。
一瞬、音楽家の若者なのかな、とも思ったが、これが普門館とどうしても結びつかなかった。
そしてこれ。
「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」
この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけがある意味、その意味を暗示していたんだな。
警備員の方も、写真撮影のお手伝い大変。みんなこの掲示板ポスターの前で記念撮影するんだよね。それもみんな楽器ケースを背負った若者ばかり。
とにかく大変な大行列なので、内部の観覧は30分間隔で区切ってこの大行列を順繰りにこなしていくということだった。
どきどき!ステージが見えてきた。
この入り口は、演奏家の方がステージに上がるための入り口なんだな。
ここが普門館のホール空間。
1階席3150席、2階席1552席の4702席収容。まさに空前絶後の大空間である。
これが反響板の一部なのだろうか?(側壁にあります。)
ステージ上空にはそのような仕掛けはあまり見当たらなかった。
これだけの大空間を覆うように音の流れを向けるのは確かに大変なことだ。
舞台(反響板)の後ろはこんな感じになっている。
でも自分が気になるのは、こちらだったりして・・・TASCAMとかソニーとか。(笑)
ステージに上がることだけが許される。
ステージ後方に大きな反響板。そこに「普門館からありがとう」とある。
普門館、まさに本日にて48年の歴史に幕。
とにかくみんな若者。そしてほとんど全員が木管、金管の管楽器を持っている。
全員バラバラだけど、それぞれ吹いている。
自分はこの風景が理解できず、思わず警備員の方に聞いて、そのすべての真実が理解できた。
勉強不足なのは、自分のほうだった。
ここ普門館は、いわゆる中学・高校生の”吹奏楽の聖地”、”吹奏楽の甲子園”とよばれるメッカのところで、ここで長年にわたり全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中学・高校の部が開かれてきたのだ。
普門館が開館したのが、1970年。吹奏楽コンクールがこの普門館で開催されたのが、1972年から。途中他の開場でやったりしてブランクがあったが、1977年から2012年までの35年間、まさに毎年ここが吹奏楽の甲子園となった。
”目指せ!普門館”の合言葉を元に、みんな練習に励んだ憧れのホールだったのだ。
今回、普門館解体というニュースを受けて、みんな悲しみに暮れたが、普門館を所有する宗教法人「立正佼成会」が吹奏楽ファンへの感謝の思いを込めて、この一般公開を企画した。
「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」
この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけの意味が、ここでようやくはっきりと理解できた。
みんな若者ばかり、そしほとんどが管楽器を持っている。この現象の意味も理解できた。
この最終日の11日は朝から列ができ、午前10時に開場した。混雑を避けるため30分ごとの入れ替え制とし、約3800人が舞台に足を踏み入れたのだそうだ。
まさにステージの上は、管楽器をもった若者で溢れかえった。そして思うままに吹いている。
最後のお別れを名残惜しんでいるのだ。
最初みんな、バラバラに吹いているのだけれど、最後になると偶然なのか、それともみんな、つい意識して合わせたのか、同じ曲をシンクロして全員揃って大吹奏!これはちょっとじ~んとくるものがあって大感動でしたよ。
ステージ後方の反響板や舞台裏にはもうびっしりと書き込み。
みんなこの普門館への思いを書き綴っていったんだな・・・
テレビも入っていて、インタビューを受けている若者もいた。
この一般公開してからの1週間、かつてこの舞台をめざした人たちが続々と訪れた。
以下、最終日の当日、取材していた朝日新聞の記事から抜粋。
「中学1年の時に全日本(吹奏楽コンクール)に出場し、舞台に立った。普門館がなくなるのは寂しいけれど、心にずっと残り続けています」
「夢の舞台にあと一歩及ばなかった。楽器にこの舞台を見せてあげたくて。解体は何とも寂しいけれど、来られてよかった」 37年ぶりにケースから出したフルートを手に思いに浸った。
普門館への思いは、現役の中高生にも息づいている。
「普門館は憧れの舞台。合奏を通して、様々な人と音楽をつくる喜びを感じた」と話した。
フィナーレが近づく11日夕。千人以上が集まったステージに、東京佼成ウインドオーケストラのトランペット奏者、本間千也さんら5人がサプライズで登場。金管五重奏で奏でた「聖者の行進」や「ディスコ・キッド」に、来場者らは静かに聴き入った。
アンコールでは会場全員で「星条旗よ永遠なれ」を演奏。一体感が味わえる定番のマーチを響かせて、普門館最後の合奏を締めくくった。
そして午後6時半。名残惜しそうに過ごす人々が残る大ホールに、閉館を告げるアナウンスが響いた。
自分はまったく知らなかったとはいえ、偶然にもこの場に居合わせることのできた幸運に、音楽の神様にひたすら感謝するのみ。たった30分ではあったが、そんなみんなの想い出をおすそ分けいただいたような気分。
本当に素敵な場面を体験することができた。
今日は、久しぶりに奮発してディナーは創作フランス料理のフルコースをいただくことにしていた。
ちょっと時間待ちしているところで、近くの小学校でなんと生徒による吹奏楽のお披露目会があったのだ。父母参観のもとみんながんばっていた。
もともとは交通推進パレードという意味合いだったようなので、このように近くの警察署による警察官による大人の吹奏楽もお披露目ありました。
こうしてみると、つくづく今日は偶然とはいえ、吹奏楽に縁のある日でした。(笑)
住宅街の中にひっそりと佇む隠れ家的名レストラン。
店内はじつに素敵で最高の雰囲気でした。
秋刀魚、松茸、フォアグラのビストロ茶漬け。驚愕の美味!(^^;;
よくこのようなお店、みんなよく知っているなぁ?(笑)
カウンターでいただきましたが、シェフがすごく忙しそう。
でも自分が初めてのお客さんということもあってか、1品作るたびに、シェフみずから運んできてくれて一品の説明をしてくれるのだ。他のお客さんは馴染みのお客さんなのか、そんなことはしないのに。。。
とてもありがたいというか、恐縮しました。
女性スタッフの方が、これまたとても素敵な方だったのです!(^^)