バルバラという歌手 [シャンソン]
バルバラの伝記映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」を観てきた。去年の2017年、パリで放映されたものを日本語版としてリメイクしたものである。パリ版は、カンヌ国際音楽祭など、かなり多くの受賞をした話題作だった。
いまだに謎めいた歌手というイメージが多いバルバラが、どのように演じられるのか、とても興味が湧いた。
正直に言うと、自分はバルバラについては、リアルタイム世代ではないし、よく知らないというのが本当のところ。でも去年の秋から、パリのフィルハーモニー・ド・パリのほうで、バルバラ展が開催され、とても盛況だったようで、特に若い人も多く来展していて、バルバラという歌手は、いまなお、パリでは生きる伝説なんだろうな、ということが感じ取れた。
そのときにバルバラのことを結構勉強し、そしてベストアルバムのCDを買った。
これが予想だにしないくらい、自分のツボに嵌って、iPodに入れて、今なお、毎日の通勤で、必ず聴いているといったぐらい気に入ってしまった。
ユダヤ系のバルバラの場合は ナチス占領下のパリを逃れ、ブリュッセルなどを転々とする。子供の頃、父親から性的虐待も受けた。その中で家族が崩壊してゆき、父親は出奔して行方がわからなくなる。 そうした少女時代のトラウマは、「私の幼いころ Mon Enfance」というバラードに歌われている。
そしてバルバラがメジャーにデビューする頃、突然行方不明だった父親から連絡がある。再会のためにナントに急行したバルバラを待っていたのは、息を引き取ったばかりの父親の亡骸だった。
そんな辛酸をバルバラは「ナントに雨が降る」という私小説的な歌として吐き出さずにはいられなかったのだろう。
そんなバルバラの歌には「生々しい痛み」がある。
血が噴き出している心の傷口を露悪的なまでに大衆にさらす・・・
それだからこそ得られるカリスマ的な共感を彼女は得ていた。
また凄惨な内容であっても、彼女が紡ぎ出す言葉には、単なる戯言・恨み節を超えた「詩情」というべき香りを感じさせた。
バルバラの歌は、それは衝撃的な体験で それまで聴いたことのない「歌」だった。
早口の語りが自然にメロディーとなり、自然と語り終わるようにメロディが終わる・・・そんな歌。
言いかえれば 思いっきり言葉に寄りかかった音楽なのだ。
それでいて音楽的なフレーズ感があり、時折ふっと飛翔するように登場する断片的なメロディがバルバラの声と相まってなんとも魅力的だ。
自分も含め、こんな壮絶な人生はとても経験できないし、また、とても無理、そうなりたいとも思わないのが当然だけれど、そんな人生を歩んできた彼女だからこそ、そこで語る歌には真実味、カリスマがあって、そこに自分たちは惹かれてしまうのだろう。
独特のカリスマがあって、謎めいているということもあって、現役世代を知らない自分は、観る前からかなりドキドキした。
映画は、単に直接バルバラを演じるというのではなく、映画の中で、主役のブリジットがバルバラを演じて、バルバラの映画を撮るというシチュエーションが中に組み込まれている感じで、映画の中にさらに映画が入っているという凝った映画だった。
全体の醸し出すアンニュイで退廃的な雰囲気、これぞフランス映画のど真ん中という感じで、さらに時代考証などセットで組まれている道具、色調などかなり当時の時代を彷彿とさせるものであった。
映画のストーリーについては、やはりいま上映中ということもあり、ネタバレはよろしくないので控えることにする。
主役のブリジット(バルバラ)を演じたジャンヌ・バリバール。
バルバラが持つカリスマを十二分に表現できていた。とても魅力的であった。見事。
自分がはじめてジャンヌの写真を見たとき、バルバラに似ている、あの雰囲気が出ている、よく探してきたなぁという印象だった。いままでにも舞台や映画でよくバルバラを演じてほしいという依頼はあったそうだ。
そしてバルバラに似ているともよく言われていたらしい。でも実際、容姿が似ていても何の意味もない。
バルバラとは似ていないどころか、共通点もないとのことだ。(笑:本人談)
でもジャンヌが映画で求められたのは、バルバラが持つ特異性だった。
バルバラは生涯、世界に向かって主張し続けた。「私は違っている。私にはその権利がある。あなたちもそう。」と。さすがに政治演説はしなかったけれど、刑務所で演奏し、自宅に専用電話回線を引いて、エイズ患者の声に応えた。そうすることで、すべての人が違っていていいのだと訴え続けた。バルバラの中では特異性は優越性ではなく平等と結びついている。最後には声が出なくなったけれど、問題ではなかった。パリ・シャトレ座での最後のコンサートでは、常に持ち続けた自由というメッセージが聴衆の心に響いた。マチュー(元夫で今回の監督)と私は、それを呼び戻したかったのだと思う。彼女のセンセーションをね。
その「センセーション」を呼び戻すためにバルバラが装ったさまざまな姿で演じていた。
付け鼻や黒い服装。そしてちょっとした仕草も。
これが現役時代を知らない自分にとって堪らなかった。
ピアノを弾く場面、ご自分で弾かれているものと思えた。
ピアノで和音を弾く練習をし、耳を鍛えた。これって、アーティストの人生のメタファー。
歌の部分は、本物のバルバラの歌を流している場面もあり、またブリジットが本当に歌っているかのように思えた部分もあり、正直わからなかった。まったく違和感がなかった。
映画に登場する主な楽曲は、「ナントに雨が降る」、「黒いワシ」、「我が麗しき恋物語」、「いつ帰ってくるの」、「小さなカンタータ」、「グッティンゲン」、「ピエール」、「愛しているとは言えない」、「不倫」、「脱帽」ほか、である。
監督、そして脚本は、ジャンヌ・バリバールの元夫であるマチュー・アマルリック。
いや、だめだ。分からない。伝記映画なんて、しかもバルバラの映画なんて、無理だ!そして脅迫観念が襲ってきた。なぜ追い詰めるのか? なぜこの映画を作るのか?そんな葛藤があったようだが、数ある伝記映画を徹底的に鑑賞して、そして取り組んだようだった。
その結果が、ジャンヌ・バリバールはバルバラを演じるのではない。ジャンヌは、映画でバルバラを演じなければならない女優を演じるのだ、というところに行き着いたのであろう。
自分が観た印象では、結構、映画のストーリー構成自体、入り組んだ構造で、パッと見ただけでは、すぐに理解できないようなところもある。フランス人らしい芸術肌というか独特の世界観があって。でもそれはバルバラのカリスマの世界を十二分に表現できていたと思うし、素晴らしい映画であると感じた。まさにフランス人の創り出した世界だよな~という印象だった。
バルバラを演じたジャンヌ・バリバールさんのインタビュー。
いまだに謎めいた歌手というイメージが多いバルバラが、どのように演じられるのか、とても興味が湧いた。
正直に言うと、自分はバルバラについては、リアルタイム世代ではないし、よく知らないというのが本当のところ。でも去年の秋から、パリのフィルハーモニー・ド・パリのほうで、バルバラ展が開催され、とても盛況だったようで、特に若い人も多く来展していて、バルバラという歌手は、いまなお、パリでは生きる伝説なんだろうな、ということが感じ取れた。
そのときにバルバラのことを結構勉強し、そしてベストアルバムのCDを買った。
これが予想だにしないくらい、自分のツボに嵌って、iPodに入れて、今なお、毎日の通勤で、必ず聴いているといったぐらい気に入ってしまった。
ユダヤ系のバルバラの場合は ナチス占領下のパリを逃れ、ブリュッセルなどを転々とする。子供の頃、父親から性的虐待も受けた。その中で家族が崩壊してゆき、父親は出奔して行方がわからなくなる。 そうした少女時代のトラウマは、「私の幼いころ Mon Enfance」というバラードに歌われている。
そしてバルバラがメジャーにデビューする頃、突然行方不明だった父親から連絡がある。再会のためにナントに急行したバルバラを待っていたのは、息を引き取ったばかりの父親の亡骸だった。
そんな辛酸をバルバラは「ナントに雨が降る」という私小説的な歌として吐き出さずにはいられなかったのだろう。
そんなバルバラの歌には「生々しい痛み」がある。
血が噴き出している心の傷口を露悪的なまでに大衆にさらす・・・
それだからこそ得られるカリスマ的な共感を彼女は得ていた。
また凄惨な内容であっても、彼女が紡ぎ出す言葉には、単なる戯言・恨み節を超えた「詩情」というべき香りを感じさせた。
バルバラの歌は、それは衝撃的な体験で それまで聴いたことのない「歌」だった。
早口の語りが自然にメロディーとなり、自然と語り終わるようにメロディが終わる・・・そんな歌。
言いかえれば 思いっきり言葉に寄りかかった音楽なのだ。
それでいて音楽的なフレーズ感があり、時折ふっと飛翔するように登場する断片的なメロディがバルバラの声と相まってなんとも魅力的だ。
自分も含め、こんな壮絶な人生はとても経験できないし、また、とても無理、そうなりたいとも思わないのが当然だけれど、そんな人生を歩んできた彼女だからこそ、そこで語る歌には真実味、カリスマがあって、そこに自分たちは惹かれてしまうのだろう。
独特のカリスマがあって、謎めいているということもあって、現役世代を知らない自分は、観る前からかなりドキドキした。
映画は、単に直接バルバラを演じるというのではなく、映画の中で、主役のブリジットがバルバラを演じて、バルバラの映画を撮るというシチュエーションが中に組み込まれている感じで、映画の中にさらに映画が入っているという凝った映画だった。
全体の醸し出すアンニュイで退廃的な雰囲気、これぞフランス映画のど真ん中という感じで、さらに時代考証などセットで組まれている道具、色調などかなり当時の時代を彷彿とさせるものであった。
映画のストーリーについては、やはりいま上映中ということもあり、ネタバレはよろしくないので控えることにする。
主役のブリジット(バルバラ)を演じたジャンヌ・バリバール。
バルバラが持つカリスマを十二分に表現できていた。とても魅力的であった。見事。
自分がはじめてジャンヌの写真を見たとき、バルバラに似ている、あの雰囲気が出ている、よく探してきたなぁという印象だった。いままでにも舞台や映画でよくバルバラを演じてほしいという依頼はあったそうだ。
そしてバルバラに似ているともよく言われていたらしい。でも実際、容姿が似ていても何の意味もない。
バルバラとは似ていないどころか、共通点もないとのことだ。(笑:本人談)
でもジャンヌが映画で求められたのは、バルバラが持つ特異性だった。
バルバラは生涯、世界に向かって主張し続けた。「私は違っている。私にはその権利がある。あなたちもそう。」と。さすがに政治演説はしなかったけれど、刑務所で演奏し、自宅に専用電話回線を引いて、エイズ患者の声に応えた。そうすることで、すべての人が違っていていいのだと訴え続けた。バルバラの中では特異性は優越性ではなく平等と結びついている。最後には声が出なくなったけれど、問題ではなかった。パリ・シャトレ座での最後のコンサートでは、常に持ち続けた自由というメッセージが聴衆の心に響いた。マチュー(元夫で今回の監督)と私は、それを呼び戻したかったのだと思う。彼女のセンセーションをね。
その「センセーション」を呼び戻すためにバルバラが装ったさまざまな姿で演じていた。
付け鼻や黒い服装。そしてちょっとした仕草も。
これが現役時代を知らない自分にとって堪らなかった。
ピアノを弾く場面、ご自分で弾かれているものと思えた。
ピアノで和音を弾く練習をし、耳を鍛えた。これって、アーティストの人生のメタファー。
歌の部分は、本物のバルバラの歌を流している場面もあり、またブリジットが本当に歌っているかのように思えた部分もあり、正直わからなかった。まったく違和感がなかった。
映画に登場する主な楽曲は、「ナントに雨が降る」、「黒いワシ」、「我が麗しき恋物語」、「いつ帰ってくるの」、「小さなカンタータ」、「グッティンゲン」、「ピエール」、「愛しているとは言えない」、「不倫」、「脱帽」ほか、である。
監督、そして脚本は、ジャンヌ・バリバールの元夫であるマチュー・アマルリック。
いや、だめだ。分からない。伝記映画なんて、しかもバルバラの映画なんて、無理だ!そして脅迫観念が襲ってきた。なぜ追い詰めるのか? なぜこの映画を作るのか?そんな葛藤があったようだが、数ある伝記映画を徹底的に鑑賞して、そして取り組んだようだった。
その結果が、ジャンヌ・バリバールはバルバラを演じるのではない。ジャンヌは、映画でバルバラを演じなければならない女優を演じるのだ、というところに行き着いたのであろう。
自分が観た印象では、結構、映画のストーリー構成自体、入り組んだ構造で、パッと見ただけでは、すぐに理解できないようなところもある。フランス人らしい芸術肌というか独特の世界観があって。でもそれはバルバラのカリスマの世界を十二分に表現できていたと思うし、素晴らしい映画であると感じた。まさにフランス人の創り出した世界だよな~という印象だった。
バルバラを演じたジャンヌ・バリバールさんのインタビュー。
映画のプログラム(これは行かれたらぜひ買ってください!)、各シャンソン雑誌や朝日新聞にも掲載されています。ジャンヌという女優さん、とても自己主張がはっきりしていて、自分の世界観を持っていて、芯が強い方のように思いました。いかにもフランス人という感じです。
ちょっと、そのインタビューの一片を。
「話し合ったが最後、男は常に自分のほうが正しいと落着するから前に進まない。時間の無駄だわ。話すよりもアクションすることね。実行してしまったほうがいいのよ」。
天才肌の映画監督であり俳優と呼び声高いマチュー・アマルリックも、ジャンヌ・バリバールにとっては、才能のあるひとりの男にすぎないようだ。
―今回、劇中ではブリジットという女優の役を演じながら、ブリジットが演じるバルバラを表現する
という難しい役どころだったと思います。女優としても、チャレンジだったことはありましたか?
「何も難しいことはなかったわね。だって、実際の人生のほうがよっぽど難題が多いのよ(笑)。それもあって、映画のなかでは難しさを感じることはなかったし、むしろ映画を作れることに幸せを感じていたわ。」
―偉大な歌手を演じることにプレッシャーはありませんでしたか?
「女優という仕事をするには、自分が演じる人物に圧倒されないこと。それが基本です。また、年齢や経験を重ねるごとにプレッシャーは感じなくなるものです。偉大な人物だと思うより、私の従姉妹なの、と思いながら演じます。それくらいの心持ちでないと、演技はできませんね」
―パリの歌の女王といわれた歌手バルバラを演じるに当たって、どのような役作りをしたのだろう
か。今回の作品の監督で、私生活では彼女の元パートナーだったマチュー・アマルリックは、
どんな助言をしたのだろう。
「マチューは、すでにシナリオを完成させていたけど、私には自由にさせてくれた。よくアドリブを入れたけど、バルバラは、きっとアドリブが好きな人だったのではないか、と私が思ったから」
そして今回このバルバラ映画が放映されるにあたって、FBのほうで、この映画の公式ページが設立されて、毎日のように称賛の心のこもったコメントが寄せられている。シャンソン界や映画評論家などさまざま。これをきちんとそのコメントが入った専用のフレームの写真を作って、アピールしているのは、すごい手が込んでいて感心してしまいました。
本当にお洒落です!
それもちょっとご紹介。
(FB 映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」ページより。)
ジャンヌ・バリバール演じるバルバラが歌うとき、私は演技とは何だろう?と考える。
うたが、こころが、ことばが、誰かの気持ちにつながる瞬間。
空気と相まって生まれてくるメロディは、重く美しい誰かの人生だった。
真舘晴子(ミュージシャン/The Wisely Brothers)
「撮られたもの」と「いままさに撮られているように撮られたもの」。
両者が溶け合って、バルバラというひとつの像を結ぶ。
気づけば、作中の監督イヴ=本作の監督マチュー・アマルリックの視点と
自分の視点を重ねて『バルバラ』の中のバルバラを見つめていた。
青野賢一(ビームス創造研究所クリエイティブディレクター/文筆家)
私はバルバラの「撃たないで」という曲を唄っていた時がある。
シャンソニエとしての攻撃性、クレアシオンとしての美意識が私に
唄う勇気をくれたのだ。この映画はいつか観た伝記映画ではなかった
一台の黒いピアノからまた、勇気をもらった
夏木マリ
私も「黒い鷲」を歌っているので、ずっとバルバラの映画を待っていました。
本当に感激しました。情景が浮かぶような映像美、そして同じ歌手として
バルバラの孤独な人生に共感しました。
もう一度観たい、素晴らしい映画です。
美川憲一(歌手)
リアルとドラマの見事なコラージュ。
どこからがバルバラ本人なのかわからなくなるほど
素晴らしいジャンヌ・バリバールの演技に圧倒されました。
前田美波里(女優)
日本人はシャンソンに、易しく分かりやすい大衆性よりも奥深く気品のある文学性を求めた。
だが、その願望を高い水準で満たす歌手は、実際には多くなかった。長い空白の時を経て、
渇きを癒やしてくれたのがバルバラの歌だったのだ。
蒲田耕二(音楽評論家)
私は「わが麗しき恋物語」を日本語詞で唄っている。創作ともいえる歌詞なのに、バルバラの
メロディと合体すると、そこに別の「極上」の物語が生まれる。バルバラは奇跡の作曲家だ。
それは、極上の底なし沼のように私たちを魅了し続ける。
クミコ(シャンソン歌手)
シャンソンを逸脱する異形さ、そのエクセントリックを封じ込めた傑作。思いがけない手法で
描かれる彼女の脱日常と愛へのヒリヒリとするような希求ぶり。それはロックのマナーも超え、
そしてフランスそのものだ。
サエキけんぞう(作詞家・アーティスト)
今回、自分は公開2日目の朝1番にかけつけたのだが、とてもラッキーなことがあった。
それはシャンソン歌手のクミコさんのミニライブが、上映後にあったのだ。2曲歌ってくれた。
バルバラが歌う曲に日本語歌詞をつけて。
とても明るい朗らかな方で、その2曲が入った新譜CDもその場で販売して、さらにサイン会までやってしまう、という・・・まさにひとさまのふんどしで相撲をとるとはこのこと(笑)とみなさんの笑いをとっていました。
歌はめちゃめちゃうまかったです!久しぶりに心にじ~んと染みる歌というのを聴いた感じ。
シャンソン、いいな。 ちょっと開拓してみようかな?
PAサウンドもなかなか上出来でした。
自分が行った映画館は、渋谷のBunkamura ル・シネマ。なにか改装工事中で、今回のバルバラ映画がリニューアル・オープンだったとか。
この映画館は、芸術の世界の映画は、必ずここで放映されますね。芸術専門の映画館みたい。
いままでもロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、アルゲリッチ、パリ・オペラ座などたくさんここで観てきました。これから上映予定として、マリア・カラスやボリジョイ・バレエもあるみたいですね。
ここの映画館の興行主が、とても芸術の世界に深い敬意を表していて、積極的にスポンサーしているんでしょうね。
バルバラ映画を行った場合はぜひプログラムを購入することをお勧めします。(1番左の赤いプログラム)こんなにもらってきました。