SSブログ

杜の都 仙台 [国内音楽鑑賞旅行]

よく仙台のことを「杜の都」と呼ぶのだけれど、なんとなくイメージは湧くけれども、その意味、由来をよくわかっていなかった。

いま調べてみると、「杜」は江戸時代から仙台の人々が植え育ててきた屋敷林や街路樹などの人工林を指し、それらが仙台の風土や歴史に立脚しているという説明のようだ。

伊達政宗による仙台開府より前は、仙台にはほとんど木がなかったらしい。
城下町が造られると、その中の武家屋敷において植林が行われて屋敷林が形成された。

そこからまさに、ある意味計画的において植林の歴史をずっと歩んできて、森、緑の街として、その風土が形成されてきたんだな。

途中第二次世界大戦のときのアメリカ軍による仙台空襲によって焼け野原と化したこともあったのだが、でも、けっしてめげることなく植林を続けていまの自然の美しい都を培ってきた。

杜の都は、最初は森の都とも読んだらしい。

今回自分が仙台を散策して、その想いを強くしたのは、やはり定禅寺通りのケヤキかな。
今回のメインイベントだったけれど、本当に素晴らしい光景だった。

植林って簡単に言うけれど、樹木が育つって、もう大変な月日が必要で、それも計画的に街の景観を美しく見せるように綺麗に揃えて植樹していくってもう大変な努力が必要だ。

そんな「杜の都・仙台」を自分のものにしたくて、たった1泊2日だったけれど仙台を散策してきた。仙台の特徴づけるものを全部自分は体験したかった。

そこには、前職で就職する前に、工場見学としてソニー仙台テクノロジーセンターを訪問したときのこと。自分の心の中では、就職して東京に出たいのに、もし仙台勤務だったらいやだなぁ~というようなヨコシマな考えでブルーな気持ちだった記憶がある。だから当時は仙台観光なんて気分じゃなかった。

そのお詫びといったらなんだけれど、思いっきり仙台を満喫したい気持ちだった。

東北新幹線で仙台到着。

DSC00472.JPG

仙台駅では新幹線ホームでは発車のベルの代わりに、仙台フィルが演奏するさとう宗幸さんの「青葉城恋唄」が流れるのだ。(笑)

懐かしいよなぁ~。さとう宗幸さんのこの曲1978年のレコード大賞新人賞。仙台を代表する曲。工場見学した時もバスの中で流れていた。

このことは事前に知っていたので、今回気をつけて聴いてみた。結局ホームで新幹線待ちの時間も含め、5回くらい聴きました。ほんの短いフレーズだけれど、あ~確かに懐かしいあの曲だ~とわかりました。


仙台の駅はとても新しくて、大きい。

西口方面

DSC00734.JPG
                                                   
                                                   
5vosxqoRC2TiSXI1545834571[1].jpg

東口から西口への連絡路

DSC00665.JPG


結構駅ナカが発達していて、仙台を代表する名産物に因んで、牛タン通りとかずんだ小径とかある。(笑)牛タン屋さんだけが並んでいたり、ずんだカフェが並んでいたり、とてもユニークだ。

DSC00473.JPG



仙台に着いたときから、街中を歩いていて、とても気になるのが美人率が高いこと。
すれ違う女性、結構おっおってな感じで、つい振り向いたり、男心的にドキッとしてしまう美人が多い。普段自分が住んでいる東京よりも美人率高いと思う。絶対に。人口的に東京よりも全然少ないのにこの確率!!!

昔の格言で、反対の意味の迷言があるらしいが、それは昔はそうだったかもしれないけれど、いまはあきらかに間違いです。(笑)こればかりはガイドブックには絶対載っていない実際来てみないとわからないことです。


DSC00481.JPG


仙台は、真冬で大雪だろうと思っていたが、雪はまったく振っていなかった。(笑)
東京とまったく同じだった。長靴を履いて防寒していたのに・・・。


仙台は、第二次世界大戦で焼け野原になってからの都市化計画で、結構近代的に計画的に作られてきたような気がする。街が碁盤の目の格子状で、地下鉄も南北線と東西線という感じで、まさに札幌に似ているなと思った。

仙台駅の西口に開ける街と東口に開ける街とに大別出来て、従来からの繁華街(いわゆる旧市街)は、西口。新市街は東口という感じ。今回はやはり西口をメインにした。

地下鉄の車両は、とても新しい。東京の地下鉄と変わりませんね。

DSC00609.JPG


初めての歩行者に対してもとても優しくできている。

DSC_0868.JPG


かと思ったら、地下鉄のホームから地上に上がるのに87段も階段を登らせるし・・・しかも消費カロリー付き。(笑)

DSC00542.JPG


仙台の一番繁華街として華やかなところは、やっぱり国分町だと思うんですよね。
ここにはすでにレポした牛タンの太助もあるし、いわゆる牛タンをはじめ飲食街やデパートが多くていわゆる繁華街。

ここが牛タン太助のある通り。とても古い感じで、いかにも飲食街っぽい。

DSC00712.JPG



でもそんな古い飲食街通りの中に、こんなお洒落なお店が!
店の名前も「杜の都1923」。思わず入っちゃおうかな、と思いましたが、バーでしたので、お酒飲めないのでやめときました。

DSC00567.JPG



1本違うと完全な商店街アーケードになる。

pPPAlr7oewcaI3R1545835183[1].jpg



仙台の中でも都会的で洗練されている通りが、定禅寺通り。
あとで紹介しますがここのケヤキは本当にスゴイ。まさに植林の街、仙台を象徴するような通りです。こんな感じでその通りに面するお店もちょっと洗練されています。

VzoSwO_cZeETms11545835332[1].jpg




定禅寺通り沿いはお洒落。
こんな公衆電話ボックスも発見。思わず反応してしまいました。(笑)
なんかロンドンのコヴェントガーデン(ロイヤル・オペラのある街)の街の景観を思い出してしまいました。

p82JmoCACb57huY1545835441[1].jpg


仙台に来たら牛タンとかいろいろ美味しいものがありますが、じつは仙台ラーメン、いわゆる「みちのくラーメン」も楽しみのひとつであった。たくさんあるけれど、駅の東口にある「らーめんくろく」をチョイス。ちょっと地理的に隠れ家的でわかりにくいかも。

らーめんくろく

jUhIMqgmo_EI2x01545835565[1].jpg


ここは若い人が経営していて、いわゆるラーメン屋さんらしくないお洒落な雰囲気のラーメン屋さんだった。客層もみんな若い人ばかり!

DSC00660.JPG



ここは「くろくの塩」と呼ばれるぐらい塩ラーメンが売りみたいですが、自分は「くろくの醤油」を注文。

DSC00663.JPG



これがなかなか美味しかった。麺はちょっといままで体験したことのない太麺のストレート麺。うどんか、と思うくらい。(笑)醤油の味が濃くて美味しかったですね。

このらーめんくろく、とてもおススメです。

さて、ここからいわゆる仙台の観光地の本命を廻る。

観光地巡りには、観光専用バス「るーぷる仙台」を使う。
いわゆる京都の観光専用市バスと同じです。

DSC00668.JPG



これがなかなか洒落ているバスなのです。

DSC_0925.JPG



このタイプ以外にももう一種類あってこれまたお洒落なんですが、写真に撮れなかった。
バスの中もこんなにオシャレ。いいないいな。

DSC_0931.JPG



バス停もこんなにお洒落です。(笑)

DSC_0917.JPG


この観光バスを使って自分が行く目的は2つ。瑞鳳殿と仙台城跡。
やっぱり仙台といえば伊達政宗なんだよね。当たり前ですが。仙台の都を開府した武将。
NHK大河ドラマの渡辺謙さん演じる「独眼竜政宗」観ていませんでした。(スミマセン)
大変な高視聴率でしたね。

この2つはその伊達政宗に纏わる観光地なのです。

まず瑞鳳殿。

まさに伊達政宗が眠る霊屋。政宗自身が遺言でこの地を墓所に定めた。
墓所なのでバス停から遠いのは仕方がない。
こんな永遠の心臓破りの坂には本当に参りました。

aT0cl187gCThFfi1545836046[1].jpg


まさに絢爛豪華な墓屋ですね。

WZyod5oKbowRdvc1545836148[1].jpg
                                                    
                                                   
0HVKnI5J51hrsVc1545836252[1].jpg
                                                  
                                                
そして仙台城跡。

いまは仙台城の天守閣はありません。その城跡のみ。
礎石がありますね。

IPJR7QEwICFiMWe1545836348[1].jpg



そして仙台に来たら、この伊達政宗の銅像にはぜったい寄らないといけませんね。

DSC00682.JPG



さらにアップすると、伊達政宗の肖像画が描かれているのです。

sLnlrM6qwntCDq31545836549[1].jpg



この仙台城跡から仙台市内が見下ろせるのです。
お天気が残念でしたが、仙台って大きな都市なんだな、ということがわかります。

DSC00695.JPG



ここに政宗に仮装した方が説明していました。(笑)
みんなここで記念の写真を撮るんですが、ハイ、チーズというところを、みんなハイ、ずんだ餅!と言って撮ってました。(笑)

DSC00693.JPG



今回、真冬の仙台に来て、最高のメインイベントだったのが、SENDAI光のページェントを経験できたこと。

これは真冬じゃないと経験できないことだから。
しかも期間は12/14~12/31と決まっている。
本当に自分はジャストタイムでした。

まさに仙台の植林の象徴的な場所である、自分が思うには仙台で1番お洒落な場所、通りである定禅寺通りでおこなわれます。この定禅寺通りのケヤキが160本。そこに60万個のLED電球を取り付けて、夜になったら一気に点灯。

そのじつに幻想的な世界!
定禅寺通りは、もう人混みで大変な混雑。
ちょうどクリスマスだったからね。


これはちょっと写真ではその幻想的な世界を表現するのは難しい。
特に奥行きの表現を出すのが難しいですね。

ずっと自分の前方向に広がる幻想的世界。

BnAC21gpbeQ_EDT1545836898[1].jpg
                                                  
                                                   
qTFNHvu1SHcodf11545837028[1].jpg

女性の裸像を前に。

MGEthzU_zSobqAN1545837142[1].jpg



サンタクロースに扮して。みんなクリスマスで逝かれている?(笑)

DSC_0895.JPG



このLED電球で光ったケヤキをバックにこのような記念撮影をする人も多かった。

DSC_0900.JPG



このケヤキとは別に、このような電球で飾られた大きなクリスマスツリーもあった。

DSC00605.JPG



真冬の仙台観光のボルテージ最高潮は、このSENDAI光のページェントだったね。

RdTg7WWhxXG058v1545837354[1].jpg



その余韻も冷めやらず、仙台駅に戻って、ずんだ茶寮でずんだスィーツを体験する。

DSC00610.JPG



ずんだというのは伊達政宗が発明したという説があるほど仙台ではおなじみの伝統食。
ずんだは、ゆでた枝豆をすりつぶし、塩や砂糖でシンプルに味付けしたもの。

まず”ずんだ餅”。
餅をずんだ餡と一緒に食べる、仙台では定番のおやつ。

DSC00613.JPG



ずんだってどんな味なの?というと、やっぱりあの枝豆の匂い、味がするんですよね。
あっこれは枝豆だ!という感じ。枝豆の風味がして、それに控えめな甘さ、爽やか後味。



そして自分のクリスマスケーキとして、ずんだロールケーキでメリークリスマス。

DSC00615.JPG



ずんだロールケーキというのは、ずんだと合せたクリームを生地でクルリと。


以上が「仙台を自分のモノにする、体験する!」の今回の全容の巻。

念のため言っておきますが、これを1日でやったわけではありません。(笑)
2日かけました。

でも考えてみてください。

これにすでにレポートした、仙台フィルの第九、仙台の牛タン老舗巡り、松島の瑞巌寺、が加わっているのです。

やっぱり只者ではない。(笑)

なんでも全部経験したいという貧乏性なんですね。

さすがに、これだけ歩行して動き回ると、腰に来てしまい、ぎっくり腰になる寸前で帰京してしばらくベッドから起き上がれませんでしたです。

今年の日記はこれで書き納めです。
1年付き合っていただきありがとうございました。

また来年もよろしくお願いします。







nice!(0)  コメント(0) 

松島 瑞巌寺 [国内音楽鑑賞旅行]

古くから和歌に詠われる歌枕の地として、松尾芭蕉や伊達政宗をはじめ、多くの人が訪れ、その絶景を楽しんだ松島。

まさに名勝の地。

松島って日本三景として有名ですね。
約260の島がつくる日本三大美景のひとつ。
まさに穏やかな海に浮かぶ大小さまざまな島々を巡れば、その個性的な造形美を楽しめる。

じつは地理的には松島って仙台から電車で40分くらいで辿り着けてしまうのだ。
ただ、このような日本三景を楽しむなら、絶対夏だろう、という認識があって、今回真冬ならちょっと厳しいな、と感じていた。

ガイドブックには、いえいえ冬季限定のかき鍋クルーズというのもありますよ~♪なんてお誘いもしているが、ちょっと萎えるなと思っていた。

それで松島をあきらめようと思った矢先、自分の目に飛び込んできたのが、伊達家の聖地・瑞巌寺。その一流絵師による襖絵、障壁画などのあまりの美しさに、これは、いま観ないと、絶対後悔する。

しかもだ。この国宝の瑞巌寺。2008年からまさに今年の2018年3月まで平成の大改修がおこなわれたばかりで、拝観することが可能になったばかりなのだ。

今後また、松島に行くことってこれからあるかどうかも、怪しい。
まさに一期一会だ。

この瑞巌寺を訪れるために、松島まで行こうと思った。



qmS11xP7Xg_mxpT1545736658[1].jpg



伊達政宗が約5年の歳月をかけて再興した。京都などから大工を招き、熊野山の木を使って造り上げたという。政宗が菩提寺として定め、自ら縄張りを行い造営。その随所に政宗の美意識とこだわりがあるのだ。

大改修によって拝観ルートが以前と違った。
上の写真の本堂に直接入れないのだ。

まずこの庫裡(くり)から入る。

DSC00618.JPG



庫裡というのは台所のこと。

中の写真を撮り忘れたが、政宗はこの台所にも美しさを追求した。
台所はいわゆる実用本位の建物だけれど、政宗はここにも桃山風の豪壮な唐草模様が施したりなど、かなり美しさに拘ったのだ。

また大屋根にいわゆるいまでいう煙突があるのだが(台所だから)、そこにも政宗こだわりの唐草模様の彫刻などの装飾があって、美しい。

庫裡と廊下が国宝に指定されている。

まさに伊達なこだわりなのだ。(笑)
政宗って、本当に美意識のセンスがある武将だったんですね。

内部の写真を撮るのを忘れたのは、本当に悔しい。


庫裡からそのまま歩いていくと、すぐに自分が一番見たかった本堂につながる。
ここが一番の見所。

本堂は10室からなり、今はなき仙台城の大広間を彷彿させる構造で、その襖絵や障壁画はまさに絢爛豪華。国宝に指定されている。

この瑞巌寺の本堂を仙台城の本丸大広間と同じ構造にしたのは、瑞巌寺に対する政宗の特別な想いだったそうだ。

孔雀の間。

DSC00619.JPG
                                                  
                                                   
DSC00625.JPG


自分が一番見たかった「室中孔雀の間」。仙台藩最初の御用絵師である狩野左京によるもの。
本堂の10室をこれから見て回るのだが、本当にこの本堂内の襖絵や障壁画はどれも桃山美術ならではの豪華絢爛さだ。

これをじかに自分の目で観れたのは、本当に人生の宝。
松島なんてそうそう行けないと思うからね。


この瑞巌寺を訪れた松尾芭蕉。
彼の「奥の細道」で、そのときのことをこのように詠んでいる。

十一日、瑞巌寺に詣。
雲居禅師の徳化に依て、七堂夢改まりて金壁荘厳光を輝、
仏土成就の大伽藍とはなれりける。



この孔雀の間を観たら、この歌の気持ちも分かるような気がします。


文王の間。
奥に伊達政宗の像がある。

DSC00620.JPG



その像を横から撮る。ここを特に上段の間という。

DSC00621.JPG



墨絵の間。
こういう白黒の濃淡だけの表現も美しい。

DSC00622.JPG



松の間。

DSC00623.JPG



礼の間。

DSC00624.JPG



菊の間。

DSC00626.JPG



素晴らしかった。自分は、この本堂の襖絵、障壁画を見たくて、松島まで来て、この瑞巌寺を訪れようと思ったのだ。まさに政宗の美意識ですね。伊達な男です。(笑)


これで本堂は見終わって、じつは瑞巌寺は、この庫裡と本堂とあともうひとつ宝物館ということころがある。いわゆる資料館みたいなところ。

宝物館

DSC00629.JPG



伊達政宗

DSC00632.JPG
                                                  
                                                     
DSC00631.JPG


この歴史価値観のある掛け軸。

DSC00633.JPG




そして電光掲示板の仕掛けを使った瑞巌寺と伊達家などの人物との関係図なのでしょうか。

DSC00634.JPG





これで瑞巌寺征服。

瑞巌寺は海:松島湾の側にある。
帰路に下っていくと。。。


DSC00637.JPG




なんと、松島湾クルージングの発着場所に出てしまった。
なんたること!(笑)

znNMkXxVGhl7b0G1545736926[1].jpg



いろいろな松島島巡り観光船のコースがある。

正直迷いました。これも神のお告げ。クルージングしなさい!ということなのかな?ということで、出発時間を見るとあと30分もある。あと、この日はとても寒くて、観光船で外気にさらされながら1時間以上も海の上にいたら風邪ひくこと間違いなし。やっぱり松島湾クルージングは真夏でないとだめだよね、と正気に戻り、やはり自粛することに。

ちょっとその発着場所からあたりの写真を撮影してみました。

DSC00639.JPG
                                                    
                                                     
DSC00640.JPG
                                                    
                                                    
DSC00641.JPG
                                                     
                                                  
DSC00642.JPG
                                                  
                                                   
DSC00643.JPG
                                                 
                                                    
DSC00644.JPG
                                                    
                                                   

発着場所にはこんなものが。
やはり瑞巌寺は、松尾芭蕉の奥の細道で有名な寺院だったんですね。
松尾芭蕉の奥の細道は、江戸から奥州・北陸を旅し、俳句として詠んでいった旅。
仙台に行ったことで、この松尾芭蕉の存在が自分の中で急激に大きくクローズアップされてきた。
                                                      
xJUlPbbnTv8OVmo1545737096[1].jpg



松島って、じつは牡蠣の名産地。10月~3月がシーズンなのだ。
本当は、この松島湾沿いにある松島観光協会のカキ小屋に行きたかった。

SI_80003792_97853[1].jpg



まさにスコップでザックザックの男ワイルドな世界。
これでとれたての牡蠣を蒸して食べるのは最高だろうな~と思っていた。
何回も言うけど今後、また松島に行くことなんてないかもしれない。
だったら一期一会でチャレンジしたかったけれど、やっぱり人気なんだな。予約制で結構満杯で時間的に折り合いがつかなかった。

その代案として焼き牡蠣丼をいただこうと、かねてよりサーベイしていたこのお店に。「南部屋」

_djNba6ubwE8gTg1545737179[1].jpg
                                                     
                                                    
DSC00653.JPG
                                                     
                                                    
朝いちばんだったからね。

さっそく焼き牡蠣丼を注文。

DSC00655.JPG

これはいただけないな~。正直がっかりしました。
ガイドブックに載っている写真とずいぶんイメージが違います。
ボリですね。
憤りを感じました。

仙台から仙石線で松島海岸駅まで40分。
じゅうぶん松島を楽しめたと思います。
牡蠣はちょっと残念だったけれど、瑞巌寺が最高に素晴らしかったので良しとしよう。


じつは自分の興味は松島だけではなかった。
今回は実現できなかったけれど、あの平泉もじつは仙台から40分くらいで行ける位置なのだ。

この平泉に高館というところがあって、北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれている。


平泉はあの奥州・藤原氏が開府して4代に渡って栄えたところ。兄・頼朝に追われた義経は奥州に辿り着き藤原秀衡氏の庇護のもと、この高館に居館を与えられた。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来するから。

秀衡死後にその子、泰衡は、頼朝の圧力に負けて義経を急襲。義経はここにて自害して波乱の人生を終える。

丘の頂上には、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経公の木造が安置されている。

いわゆる高館義経堂。

image1[1].jpg



鎌倉ファンなら、義経の波乱の人生の最後の地を訪れたいと思うのは当然のことだろう。

後年、松尾芭蕉がこの高舘義経堂を訪れ、「夏草や兵どもが 夢の跡」と詠んだのは有名である。

NHK大河ドラマで、1番最初に義経を演じた当時の尾上菊五郎さんの「源義経」。これはVHSで当時の総集編をまとめたものがNHKから売られていてそれを購入した。そして最近見た大河ドラマでは、タッキーこと滝沢秀明くんの「義経」。

この両方とも、泰衡に急襲されたとき、最後に自害する場所は、大河ドラマではこの義経堂の中なんだよね。

これは昔からずっと疑問でした。義経堂は後年に建てられたもの。

ドラマとしてこの最後の地に義経堂を使うことが、絵になりやすい演出だったのでしょうね。

平泉は、支配した奥州藤原氏のもと、東北中の富が平泉に集められ、まさに華やかな「黄金文化」を築き、世界遺産にも登録されている。藤原氏は結局、義経を殺した泰衡を、頼朝が滅ぼした。(頼朝にとって、藤原氏の大勢力は気に入らなかった。 義経をかくまったことを理由に奥州征伐!)

その奥州征伐のときに、頼朝は平泉の毛越寺、中尊寺を見て、大層感動して、のちにそれを模した永福寺を鎌倉に建てたのだ。 その寺院の建立の目的は、弟の源義経、藤原泰衡をはじめとする、奥州での合戦での戦没者を弔う目的があった。

その毛越寺、中尊寺、ガイドブックで写真を見たのだが、これが素晴らしい!
まさに平泉は、「みちのく黄金郷」。 日本史大好きマニア、そして鎌倉の大ファンの自分からすると堪らない憧れの地だ。

平泉のことはもちろん子供の頃から義経絡みでよく知っていたが、 まさか仙台から電車で40分のところにあるとは!地理感がなかった。(笑)

松島湾クルーズ、そして平泉。
これだけでももう一度仙台を訪問する価値はあるのではないか?
一期一会なんて言ってないで、旅費もそんなに高くない訳だから、季節のいい夏にむけて、もう一度訪れてみようか?

もちろん仙台フィルの公演を聴くことは予定に入れないとね。(笑)
  

nice!(0)  コメント(0) 

なぜ牛タンといえば仙台なのか? [国内音楽鑑賞旅行]

今回仙台の初代のお店「太助」で味わって自分なりにわかったことは、やっぱり牛タン発祥の元祖オリジナルのお店は、牛タンの肉の質のレベルが段違いに違うということだ。もうここで大きな差が出来てしまう。

べつに自分は仙台牛タンのことは最近知ったばかりで、ほとんど経験がないのだが(笑)、じつは仙台に行く前に、仙台牛タン定食ってどんな感じなのか、事前に東京で3回くらいフライングして経験していたのだ。もちろん夢を壊さないように内緒にしておいたのだが・・・。

そして、この東京での3回の外に、今回仙台で、太助の外に、もう1軒有名なお店で経験した結果、自分が出した結論!

わずか4回での経験しかしていないけれど、なんとなく間違いないような気がする。

それだけ発祥オリジナルの元祖のお店の味は衝撃的だった。

もう太助のを食べた瞬間、いかに東京のは、酷かったのか?ということがわかります。(店名は”仙台牛タン”で売り出していましたが。(笑))

逆を言えば、太助のを食べた瞬間、その段違いのうまさにビックらポンだったのだ。さすが、本場は全然違うな~、みたいな感じで。

自分が自ら経験したその段違いの差。


太助の本物の牛タンを食べると、他の店のは、徹底的に肉質がもう全然ダメで、あきらかに量販レベルの安いタン肉ということが、もうバレバレに分かる。元祖太助のすごさは肉の質の高さにある!と確信したのだ。


牛タンといえば、なぜ仙台なのか?

ここにその歴史がすべて書かれている。

仙台牛タウン「仙台牛タンの歴史」

http://www.gyutown.com/about/history.htm

仙台で牛タンが生まれたことだけで1冊の本になっているくらいだ。

ここで簡単に紹介してみよう。

仙台牛タンの生みの親「太助」の初代店主 佐野 啓四郎氏(故)が、洋食料理の中で使われていた素材「牛タン」の旨さのとりこになり、試行錯誤を重ねた末「牛タン焼き」が誕生した。その自慢の一品を、お店で出したのが仙台牛タン焼きの始まりなのだ。 




sano[1].jpg
「太助」初代店主 佐野 啓四郎氏


上のURL先の「仙台牛タウン」では、仙台牛タン誕生の真相を、当時の関係者の証言をもとに、明らかにしている。

以下その仙台牛タウンの記事から。


牛タン焼きの誕生は昭和20年代。
時はまさに終戦直後の混乱期、仙台市内は、失業者であふれ、慢性的な食糧難に加えて、酔っぱらいや喧嘩が多く、火事などが多発した物騒な時代であった。

中でも手軽に開業できる焼き鳥屋は大人気で、仙台市内では多く焼き鳥屋が営業していた。牛タン焼きの生みの親である(故)佐野 啓四郎氏も当時は和食の職人として、焼き鳥中心の飲食店を経営していた。

当時は食糧難ということもあり、焼き鳥屋といっても鶏肉だけではなく、豚肉や牛肉など、様々な素材を焼き料理として出していた。

そんな中、和食の職人として腕をふるっていた啓四郎氏の悩みは、焼き料理は調理方法が簡単なので、ヒット商品を出しても、周りのお店に次々と真似されてしまうことであった。

「誰にも真似のできない自分だけの料理を造りたい!」

そんな気持ちが自然と芽生えるようになった。

啓四郎氏は苦しい胸の内を、洋食屋を経営していた親友の小野氏へ相談した。それから、何日かして小野氏から「お店で牛タンを出してみたら?」と提案された。和食では通常扱うことのない素材であったが、職人としての好奇心からどんなに美味しいものかと思い、小野氏の勧めに従って、小野氏の知り合いの洋食屋に行き、タンシチューを食べてみた。

食べてビックリ「コクがあって本当に旨い!」啓四郎氏は、一口で「牛タン」の持つ素材の魅力にひかれた。しかしながらタンシチューは3日も4日もかけてじっくり煮込んで作る料理のため、焼き料理中心のお店では適さない食材。啓四郎氏の牛タン焼き造りの試行錯誤の日々が始まったのだ。


研究をはじめて、すぐに困った問題にあたった。牛タンの素材そのものが仙台市内ではほとんど売っていないのだ。牛タンを求め、宮城県内のと畜場や山形県内のと畜場へ電話をし、運良く牛タンが見つかると後日に取りに行くからとお願いして、牛タンを確保する日々が続いた。

当初は、おっかなびっくりでお客様の口に合うかどうか確かめながら販売する毎日であった。一週間かけて宮城県内や山形へ買い出しに行っても牛タンは10本も集まらなかった。牛タン1本から25枚前後しかとれないので一人前3枚限定としたりした。職人の良心にかけて、1頭に1本しかない牛タンとテールを、いかにお客様に美味しく食べていただくか、そして食べさせ続けるられるか、とにかく頑張ったのだそうだ。


連日、牛タン相手に悪戦苦闘の末、和食の職人ならではのアイデアを思いついた。それは、切り身にして塩味で寝かせて焼く現在の手法。

一人作業場へこもり、牛タンの切り身の厚さ、包丁の入れ方、熟成期間、塩の量、塩の振り方、炭火の火力、焼き加減など、あらゆる角度から研究を重ねれられた。


そして・・・・・ついに、仙台牛タン焼きが誕生したのだ。



太平洋戦争が終結し、日本が復興に向けて歩み始めた昭和23年、仙台牛タン焼きの歴史が始まったとのだから、自分の生まれた年よりずっと先に仙台牛タン焼きってこの世に存在していたんですね。

2018年の今年になるまで、まったくその存在を知らないで生きてきました。(笑)

この牛タン誕生の歴史の話に中にとても大切なことが書かれている。

それは、切り身にして塩味で寝かせて焼く現在の手法。
牛タンの切り身の厚さ、包丁の入れ方、熟成期間、塩の量、塩の振り方、炭火の火力、焼き加減など。


ここなのだ!!!


自分が太助の味と、他の店とを比較した時に圧倒的に感じるその差はなんなのか、はすべてここに隠されていると思うのだ。牛タン1枚なのに、じつはそこには人知れずの秘伝が隠されていて、この世に数多の仙台牛タン焼き屋さんが存在するにもかかわらず、元祖発祥のお店が、一味も二味も違うのは、誰にも真似できない味が実現できているのは、そこにすべてが集約されているのではないか、と思うのだ。

それこそが佐野啓四郎氏が日頃悩んでいた誰にでも真似できてしまう、誰にも真似できない自分だけの料理を造りたい!その結晶がいまの太助の味なんだろうと思う。

だって、自分がじかに食べてみて、あきらかに違うもん!(笑)
全然違う。。。


そんな仙台牛タンの発祥のお店「太助」に行ってきた。仙台観光のメインイベントである。
佐野啓四郎氏の初代の「太助」のお店は、現在は息子の「味太助」と娘婿の「旨味太助」の2店舗に分かれる。

なんか、純連とすみれみたいだ。(笑)

店舗は国分町にあって、仙台駅から地下鉄南北線で、「勾当台公園」で下車して、商店街の中にある。お互い100mもないくらい近くにある。

やはり発祥のお店なので、行列は仕方がない。でも東京の人気ラーメン店のような非常識な行列でなく分別ある程度なので、5分~10分位で入れる。

自分の感覚では、旨味太助のほうが美味しいと思う。
結局、旨味太助は2回訪問した。味太助は1回。

それをレポートしよう。

まず2回行った旨味太助。


DSC00483.JPG

旨味太助の看板の上のほうに、味太助と書いてある。
これはやはり太助の正当な直系の跡取りは味太助のほうで、その傘下ですよ、という意味合いなのか・・・不明である。

でも旨味太助のほうが美味しい。(笑)

老舗だけあって、店内はすごい狭い。
最初に1回目は、カウンターは無理で、奥の座敷の方に通された。

DSC00492.JPG
                                                 
                                                 
DSC00490.JPG
                                                   
                                                    
なんか雰囲気ある~。(^^)(笑)

当時つぶやいたときは、発祥のお店なので、天皇陛下・皇后さまが、来店なさってそのパネルがあります、とか言ったけれど、よく考えたら、こんな正装で来るはずもなし。(笑)

おそらく東日本大震災のときかあるいはなにかの時に仙台に来られた時に撮影されたものなのだろう。

DSC00495.JPG



そしていよいよ発祥のお店の牛タン定食。麦めしとテールスープつき。
3枚、4枚、6枚という感じで枚数を選べるようになっている。それだけお値段は張りますが。。。
もちろん自分は6枚をオーダー。


DSC00496.JPG



もうドッキドキ。(笑)

とにかく見た目がお肉が太っていて、とても美味しそう。
この太っている感覚がとても大切なのだ。(他のお店との比較で大切なポイントです。)

さっそく牛タンを口に頬張ると、その香ばしさ、とても柔らかい、そして歯ごたえととにかく食べ応えがあって、美味しい!の一言。やっぱり太っているお肉は美味しい!

自分がいままで東京で食べてきたものはなんだったんだ?という感じになってしまった。
やっぱり本場の牛タンは違うな~と思ってしまった。

不思議だったのは、これだけ太っていると、見た目太ったお肉は、人間の脳の中では必ず味覚として焼肉を連想することなのだ。

でも実際食べてみると、焼肉じゃないのだ。(笑)
一瞬あれ?と思ってしまうはず。(笑)

やっぱりタンの味なのだ。

あ~いま自分はタンを食べているんだな、とそのときに再確認してしまう。
やっぱり牛タンだよな~という感じ。

見た目丸々太っていて、ジューシーで香ばしくて、とても柔らかくて美味しいのだが、味はタン(笑)、そんな感じが太助の牛タンの味である。とにかく美味しい。

6枚ともあっという間に平らげてしまった。

麦めしなんていうものも、こんなときくらいしか食べる機会がなく、自ら好んで食べるものでもないだろう。なかなか牛タンと相性抜群であった。

テールスープというのは牛の尻尾のスープのこと。
これは珍味。薄味だけどとてもダシの効いた感じでいい味出していると思う。
骨付きの尻尾の肉や、肉だけの塊が入っている。ネギの千切りが入っていてさっぱりしていて、スープの魅力を引き出していた。

あまりに美味しく衝撃的だったので、翌日もう一回訪問した。
そうしたら運よくカウンターに座ることが出来た。

旨味太助はこんなに狭いお店なんですよね。

初代店主の啓四郎氏の額縁が飾られていますね。

DSC00706.JPG


カウンターはなにがいいか、というと、大将が牛タンを網で焼いているところをじかに観れることなのだ。


焼いています。(笑)

DSC00703.JPG



でも、この方は、旨味太助の店主、佐野八勇さんではありません。
ガイドブックに載っていた写真とは違います。

ちょっとここいらのノウハウ含め大切なことは、このつぎの味太助のときに説明をトライしてみよう。

もちろん今回も6枚をオーダー。
大変美味しゅうございました。(^^)

DSC00707.JPG



次に息子が経営している味太助のほうを訪問した。
相変わらず昼の夜も大行列だ。

lYe_AmBe0vrDXy41545646485[1].jpg

                                                     QQPqZVb7xo39nhr1545646575[1].jpg

                                                    

                                                   
ここも大体旨味太助と変わらない感じくらいの店内スペースだが、味太助の方が店自体古くて、狭い感じがする。

こちらも狭い。


DSC00549.JPG


お店の壁には、ここにもやはり初代の佐野啓四郎氏の写真が飾られていました。
堂々と目立つところに飾っているのは、このお店、味太助こそが初代「太助」の直系である! という主張なのでしょうか?(笑)


DSC00547.JPG




でも旨味太助のほうが美味しいです。(笑)


ここでもカウンターを陣取ることができて、大将が牛タンをじかに網で焼く姿を拝見することが出来た。尚、この方が佐野啓四郎氏の息子さん、店主なのかどうかは、不明です。(左利きです。)
雰囲気あるので、っぽいですが・・・。

DSC00556.JPG


ここで網の横にある牛タンを乗せて山盛り状態にしてあるところに注目してほしい。
これは旨味太助のほうもこうなっていて、ここから牛タンを1枚1枚剥がして、網の上に乗せて焼いていくという感じなのだ。

これは初代「太助」からの伝統なのでしょうね。



焼いています。(笑)

DSC00559.JPG



こちらも3枚、4枚、5枚とあって(なぜか6枚はなかった)5枚をオーダー。

DSC00561.JPG



確かに美味しかったが、肉の太り具合、食べ応えなど旨味太助のほうが美味しいように思えた。
こちらの牛タンは、ちょっと痩せているように感じたのだ。
もちろん美味しいことは美味しいのだが。



これで終わりにしておけばよかったのだが、ガイドブックを見て、どうしても行きたい牛タン屋さんがあった。利久とか有名どころがたくさんあるのだが、喜助というお店に行ってみたかった。

発祥のお店を体験できたのだから、それで十分といえば十分なのだが、いわゆるチェーン店のような有名なお店の仙台牛タン焼きってどんな感じなのか?も体験したいと思ったのだ。

喜助は仙台市内でもたくさん存在するが、駅前中央店を選んだ。

DSC00728.JPG



いかにもチェーン店らしく近代的で清潔感溢れるお店だ。

DSC00729.JPG



メニューを見てオーダーするときに、女性の店員さんから、タレですか、塩、味噌、どの味になさいますか?と聞かれる。(笑)

いままでに経験のないことだ。たしかにどれもイケそうだ。

でも仙台牛タンは塩が基本なのだ!

タレとか、味噌とか邪道である。(笑)
でも味噌にしてみた。(^^;;

DSC00732.JPG



もちろん美味しい。食べてとても美味しいと思うのだが、なんか違うんだな。
やっぱり一番違うと思うのは、タンの肉の質。
こちらは見た目、太っていなくて、食べてもあまり柔らかいという感じがしない。

太助で食べたような衝撃はなかった。
東京でフライングして食べた牛タンの延長線上にあるように思えた。

このときにこの日記の冒頭で述べた自分の見解を確立することができたのだ。
しみじみとそう思った。

誰にも真似できない自分だけの料理を造りたい!

そこが原点で、牛タンの肉の仕入れ先から、その仕込み、調理法含め、まさに秘伝なんだろう。
とくに肉の柔らかさというのが、太助と他のお店の徹底的に違うところだと思う。
塩でつける塩梅など、まさに秘伝ノウハウの固まりなのだろう。

仙台市内だけでも無数の牛タン屋さんがあるし、全国各地にも無数にあって、おそらくいろんなバリエーションの牛タン焼きを体験できるのだろうし、その味はそれこそ千人十色なんだろう。

そう思えば納得のいくところだ。

味太助のほうは、東京の水道橋に分店があります。
行ってみようと思っています。

仙台牛タン、知ったのは人生後半だけれど、この発祥のお店の味を知ってしまったことはある意味不幸なことだったのかもしれない。(笑)


最後に太助のお店の外に飾ってあったお店のモットーの看板を紹介しておきます。



DSC00565.JPG

                                                 










nice!(0)  コメント(0) 

仙台フィルの第九 [国内音楽鑑賞旅行]

日本の年末行事、第九。まさか仙台で聴くことになるとは、予想もしなかったが、自分のクラシック鑑賞人生の中でも大きなメモリアルとなって一生記憶に残るだろう。

なぜ仙台フィルなのか?

それは前回の日記の時に深く述べたので、ここでは繰り返さない。
自分に関与すると思われる人が、いっせいにこの第九のコンサートに勢ぞろいすること、そしてクリスマスを仙台で過ごすことにとても魅力を感じたからである。

そして仙台フィルを地元で聴くことは、運命で避けられないことだと確信したこともある。

ホールは、仙台銀行ホール イズミシティ21。

DSC00515.JPG



全体をフレームに収めるのは難しいので、これが精いっぱい。

DSC00517.JPG



地下鉄の南北線で、一番最後の終着駅「泉中央」で下車して、すぐ。
最近は地下歩道が出来てたので、そのままその通路を歩いて行けば、地上に出て、すぐ目の前がホールだ。アクセスが抜群にいい。

ホールのジャンルとしては、多目的ホール。

コンサートやオペラ、バレエなど幅広いジャンルの大型の公演対応の大ホール、発表会やミニコンサートで密な空間を生み出す小ホール、展示会からダンスパーティ、会議まで使える展示室のほか、スタジオや練習室で構成される複合施設。

ホールを運営していくという点では、いろいろなジャンルで使える複合施設にしておくことは、スケジュールの空きを作らず、つねにコンテンツで満たされるようにビジネスをやっていくという点で必須ですね。

確かにクラシック音楽専用ホールは、究極の憧れかもしれないが、実際ホール運営を黒字で回すようにしていくには、クラシックのコンサートだけで、それだけで毎日、つねにホールを満杯にするのは、コンテンツ供給という点でやはり大変なこと。

「仙台に音楽ホールを!」という動きもあるようで、やはり音楽家の方にとっては、クラシック音楽専用ホールをフランチャイズにもつってすごく憧れることなんですよね。それも痛いほどよくわかる。

地方のホール運営は、そのコンテンツ供給問題ふくめ、運営していく上で、なかなか制約があって、難しいものがあるのだけれど、もし音楽ホール実現!となった暁には、ぜひ応援させてもらいますよ。

このホールは、市民の自主的な文化活動を促進し、もって市民の文化の振興を図ることを目的として設置されている。なので、まさに音楽専用というのではなく、広く市民の文化振興を目的としているところからも、このスタイルのホールは納得できる。

仙台市市民文化事業団・東北共立・石井ビル管理グループが管理運営を行っている。


仙台フィルは、いつもフランチャイズ・ホールとしては、日立システムズホール仙台を使うのだけれど、今回の第九でこのホールを選んだのは、大合唱団をステージに入れるには、ステージの奥行きがこちらのホールのほうがゆとりがあるように思えたからなのだが、どうだろうか?

真ん中にロビー空間があって、その両端に大ホール、小ホールがある。
なかなか新しく出来たばかりのようで、とても綺麗な施設だ。

DSC00519.JPG
                                                   
                                                    
DSC00520.JPG
                                                   
                                                  
DSC00523.JPG
                                                  
                                                     
ホワイエ

DSC00524.JPG
                                                 
                                                    
DSC00525.JPG
                                                     
                                                    

多目的ホールのスタンダードな形状のホール。
開口型のステージにやや扇形気味に見えるが、じっさいは平行壁関係のシューボックス。そしてホール視野のことを考えた傾斜のある客席。

DSC00526.JPG
                                                   
                                                   
DSC00534.JPG
                                                   
                                                   
DSC00536.JPG
                                                     
                                                       
自分の座席からみたステージ(ど真ん中、前方)

DSC00537.JPG



ホールの音響は、じぶんは中央ど真ん中の前方よりの座席だったので、そこでの印象なのだが、オーケストラのサウンドがとても明晰で濁りなどいっさいない、そして音伝播上の損失ロスがいっさいない、とてもクリアな音響のように感じました。

その反面、座席が前方ということで、ホール空間の音、響きが聴こえにくいこともあると思うが、オーケストラのサウンドに対して、それを取り巻くはずの反射音、響きがそんなに感じなかったような・・・

とにかくそのオケの大迫力のサウンドにびっくりした感じ。ふつう、オケのサウンド6(あるいは7)に対して、響きが4(あるいは3)ぐらいの割合で、全体のシルエットが聴こえてくる感じなのだけれど、かなり直接音主体でどちらかというとソリッドな音質で、自分に迫ってくるようなサウンドだった。

仙台ファイルのサウンドは、後述で詳しく。



仙台フィル第九.jpg


仙台フィルの第九。

仙台フィルは、毎年年末になると恒例の年末行事である第九演奏会をおこなう。定期公演とは違う「特別演奏会」という位置づけである。自分は、この日の実演に接するまで、全然知らなかったのであるが、とにかくびっくりしたのは第九合唱団のその大編成な所帯。

えぇぇぇ~?そんなに乗せる?という感じで(笑)、ステージの横幅はそんなにないけど、奥行きがあるので、そこにどんどん合唱団が何列にも重なっていくのは圧巻なものがあった。

最近の第九の合唱構成という言い切り方はできないけれど、比較的少人数編成で、前後2列~3列位がスタンダードかな?とも思うのだが、ひさしぶりの大編成な第九な合唱団を見た。

その厚みのある人の声の合唱は、じつに迫力あって、美しい調べを奏でていた。
録音より生演奏がぜったいいいと思うのは、絶対この合唱ですね。

あの合唱のホール全体に行き渡るスケール感の大きさ、そしてそれぞれ声のキーの高さが違う方々による幾重にも重ねられた声のハーモニー、和声感の美しさ。これは絶対生には敵わない。

これも今回はじめて知ったのだが、この仙台フィルの第九の合唱団として、

仙台フィルと第九をうたう合唱団
常盤木学園高等学校音楽家1・2年生
宮城学院女子大学音楽家有志

などで構成された混声合唱団だったのだ。

「仙台フィルと第九をうたう合唱団」というのは、「第九」特別演奏会での仙台フィルとの共演を目的に、オーディションを経て結成された市民参加型の合唱団。20代~70代までの幅広い年齢層で構成されていて、仙台市民に限らず、多賀城市や岩沼市、など県外などから約120名が参加している、いわゆるこの演奏会のためのボランティアなのだ。

一般参加型としては今年で12回を迎え、オーケストラをより身近に感じていただく機会として、着実にその輪を広げてきた。震災を経験して歌う喜びを分かち合いたいという思いで参加された方も多く、初めての方や何十回も歌われてきた方などさまざま。

8月から週一回練習を重ねて、本日の演奏会を迎えたのだ。

小澤さんのサイトウキネンの合唱もそう、地元松本の合唱団有志で構成されている。
都会のようにプロで生活している合唱団がいるわけではない、地方独特の事情なのだが、それにしてもその合唱のレベルの高さ。

本当に驚くばかりである。

今回のことを知るまで、まったく先入観なしに聴いていたので、仙台でプロの合唱として生活している人たちなのかな?ぐらいにしか思っていなかった自分はその素晴らしく分厚く美しいハーモニーは、当然のことと思っていたのだが、こういう背景を知ったいま、あらためて驚くしかないのである。

今回の第九のコンサートである意味もっとも自分にとって衝撃的だったのは、この合唱のパフォーマンスだったもしれない。

ソリストの澤畑恵美さん(ソプラノ)、金子美香さん(メゾ・ソプラノ)、片寄純也さん(テノール)、大沼徹さん(バリトン)もじつに素晴らしかった。ここはみなさん、さすがに二期会のプロ。自分が思い描いていた通り、まさにこの曲に対するイメージ通りの見事な歌いっぷりだった。

特にメッゾの金子美香さんは、今回の自分の主役的存在でもあり、その美声、豊かな声量を十分に堪能させていただいた。今年夏のバイロイト音楽祭の「ワルキューレ」で日本人歌手としての出場に日本中が沸いた。

今回、実演に接するのは初めてだと思う。
自分の記憶にないのだ。とても満足。今回このために仙台まで足を延ばした甲斐があったというものだ。

澤畑恵美さんは、いままでかなりの回数、実演に接していると思う。
ミューザ川崎の東響の名曲全集での第九やマーラー2番「復活」で何回も聴いたような記憶があります。独唱するパートが多く、見せ場も多く、堪能させていただきました。素晴らしかったです。



仙台フィルは、自分が予想していた以上に素晴らしいオーケストラであった。
とにかくその発音能力の高さに驚いた。大音量なのである。(笑)オーケストラとして歌う能力があるというか、鳴らす能力が十分すぎるほどある。

特に弦の厚みと、ユニゾンの美しさは卓越したレベル。オーケストラの楽器は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなど、その大半が弦楽器が占めている。ここにしっかりとした土台があると、オケ全体のサウンドも締まるし、オーケストラの個性の大半もそこで決まってしまうと言ってもいい。



自分の前方中央の座席で聴いていると、その弦の厚み、アンサンブルの精緻さ、アインザッツが一致している感覚とか、かなり秀逸で感心させられることが多かった。そしてとにかく大音量なのである。

木管などの管楽器の安定ぶりも素晴らしいものがあった。なによりもすべての楽器の調和から、オーケストラ全体として、とてもバランス感覚がとれているオケだと感じた。

その精緻な演奏能力と発音能力に長けていることから、第九という終盤に向けてどんどんとクレッシェンドしていく爆発力、盛り上がりは見事なまでに花開いた演出だったように思える。



敢えて及第点をつけるなら、ホールのせいなのか、座席のせいなのか、わからないが、響きがあまり感じられず、じかにシャワーのように硬質な弦のサウンドを浴びせられるものであるから、やや耳にキツく感じたことも確か。

単にアンサンブルの素晴らしさだけではない・・・なんというのかな、弦の音の解像度の高さ、まさに弦が擦れる音が聴こえてきそうなぐらいキレッキレのサウンドなのだ。ちょっと耳が痛くなる感じなくらい。(笑)

もっとシルキーで絹糸のような肌ざわりの音色の質感や強弱の緩急があると、もっと表情豊かな演奏になったかもしれない。要はちょっと潤いのサウンドが欲しかったというところです。

まっこれはハコのせいかもしれませんね。

飯守泰次郎さんは、もう大河のようにこの大きな流れにある曲をまとめきっていてさすがだと思いました。もう指揮者としても大御所。逐次細かなキューを出すわけでもなく、ある程度団員たちに任せきったような大らかで全体を俯瞰した大捌きな指揮はさすがだと思えた。


ほんの少し前まで体調を崩されていることがあって、出演をキャンセルすることがあったので、とても心配していたのであるが、この日見た限りでは、とても元気そうで安心しました。

仙台フィルを聴くなら、まず飯守さんの指揮で、というのが自分の心の中の大きな目標としてあったので、心願成就。言うことないです。

そして最後に 西沢 澄博さんの首席オーボエ奏者としての勇姿、しっかり拝見してまいりました。
調音のA(ラの音)から、すべてにおいて。真正面に座っていたので、飯守さんに重なって姿は見えなかったけれど(笑)、その嫋やかなオーボエの音はしっかり聴こえていました。

ある意味、西沢さんの勇姿を見ることが、地元仙台まで行こうと思ったキッカケなのですから、想いが遂げてよかったです。


今年の聴き納め。

そして年末の第九を仙台にて、仙台フィルで聴けたことは、今年2018年の自分のクラシック・シーズンを締めくくる上で、本当に最高の自分へのご褒美だったと言っていいと思う。



仙台フィル第九特別演奏会、二日間が終演。

合唱団は終演後解団式を行いました。常盤木学園高等学校音楽科、宮城学院女子大学、エキストラの方々、仙台フィルと第九をうたう合唱団、飯守マエストロとの記念写真です。

仙台フィルと第九をうたう合唱団は、また来年の第九を目指してオーディオションから始まるんですね。(笑)

DvGZl4zUcAAejAB[1].jpg
(c)仙台フィルと第九をうたう合唱団twitter


48386458_1135763676590883_4096879302614712320_n[1].jpg
                                                  
                                                     
48406811_1135764053257512_8622941295410675712_n[1].jpg
                                                 
                                                     
48423321_1135763949924189_1079407573058191360_n[1].jpg
(c)仙台フィル公式FB



仙台フィルハーモニー管弦楽団 特別演奏会「第九」
2018/12/22(土)15:00~ 仙台銀行ホール イズミシティ21

モーツァルト
歌劇「ドン・ジョバンニ」K.527 序曲

ベートーヴェン
交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱つき」


指揮:飯守泰次郎

ソプラノ:澤畑恵美
メゾソプラノ:金子美香
テノール:片寄純也
バリトン:大沼徹

合唱指揮:佐藤淳一

合唱:

仙台フィルと第九をうたう合唱団
常盤木学園高等学校音楽家1-2年生
宮城学院女子大学音楽家有志

コンサートマスター:西本幸弘
客席首席ヴィオラ:中村智香子

管弦楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団









nice!(0)  コメント(0) 

海外赴任の本住居を決める前の仮宿泊 [雑感]

ドイツの朝ごはんの日記を書いたら、急に思い出した海外赴任時での生活。それもまず渡欧して、自分の住居を決めないといけない。

そのときに物件を探したりして、気に入った物件が見つかるまで時間がかかるので、それまでの間に仮宿泊が必要なのだ。

自分はベルギーのブリュッセルと、イギリスのロンドン近郊のベージングストークという街に住んでいたのだが、各々でいろいろ国による事情が違っていた。

ブリュッセルのときは、4~6か月の長期滞在だったので、もう日本人赴任用のマンションというのが会社借り上げで決まっていて、必ずそこに宿泊することが決まっている。前任者との引き継ぎで1週間~2週間かかるので、その定宿に移るまでの仮宿が必要だ。

それはもうホテルを使う。ホテルで1週間過ごすのだ。朝食はヨーロピアン・コンチネンタル・スタイルのあの例のやつですね。(笑)

ブリュッセルは、もうすでにレールが敷かれているので、あまり問題なかった。

イギリスに赴任するときは、結構いろいろな想い出があった。

赴任になると、家は自分で探さないといけない。
不動産屋さんに直接行って、物件をいろいろ紹介してもらうのだ。

その物件が決まるまで、やっぱり仮宿が必要。

もう25年以上前のことなので、記憶が薄っすらなのだが、その仮宿って、イギリスのB&B(Bed&Breakfast)じゃなかったんじゃないかな?と思うのだ。

B&B、いわゆるベッド&ブレックファーストというのは家族経営による小規模な宿泊施設のこと。
通常の住宅・民家をリフォームしている宿が多い。とにかく安くていいですね。

期限は、自分の住まいが決まるまで、ということなので、特に制限はないのだけれど、やっぱり常識というものがあって、あまり長居はできないので、そこそこで決めないといけない。宿泊料はたぶん会社持ちでした。

とにかくふつうの一般の家と見掛け上変わらなくて、それを宿として改築している感じ。
自分の部屋は、まさにベッドが1つあって、そのベッドのスペースのみの部屋で、マンションの1Kよりも小さいし、ホテルという感じでもない。トイレやバスルームは共同。そして朝食のみの提供。
階段で2Fに上がっていった記憶があるんだよね。

141671033[1].jpg
                                                                                                                                      
                                                                                                                                       
169362121[1].jpg
                                                                                                                                         
                                                                                                                                       
自分の場合、部屋はこんなに広くなかったです。
ベッドのスペースのみ、という感じでしたから。

DSCF0980auto[1].jpg


毎朝の朝食をとるダイニングはまさにこんな感じ!
この写真は、自分がまさにいたところじゃないの?と思うほどソックリ。
こういう木製のテーブルで何人も共同で食事するスタイル。
そして大きな窓があって、そこに陽の当たる素敵な芝生の庭が一面に広がっているのだ。
その庭の風景いまでも鮮明に覚えている。


src_10096753[1].jpg



朝食は、こういう定番のイギリスのブレックファーストという感じでもなかったような気がするんだよね。もう少し温かみのある感じの食事だったような。でも目玉焼きとソーセージ、とかは定番だったかな?


オーナーのおばさんは、まさにイギリス婦人という感じの方で優しい方だった。

いま考えてみたら、この朝食を取るとき、一応時間が朝7時からとか決まっているのだが、不思議と自分が2Fから降りてきて朝ごはんするときは、自分1人だったな。

そしていまじゃよくやっていたなぁ、とか思うが、朝ごはんを食べながら、その婦人と世間話を数分するのが日常だった。(もちろん英語で!)

だって、ご飯食べたら、Thank Youでそのまま黙って自分の部屋に戻ったらあまりに失礼というか、ましてやこれからイギリスで生活して仕事していく訳だから、そんなことくらい普通にやれなきゃということもあったな。

結構ちゃんと会話として成り立っていて、自分の言葉も伝わっていて、ちょっと自信になりました。

とにかく、これから始まるんだな~というちょっとした緊張感が、この仮宿にいる1週間にはあって、このダイニングでの朝食時の環境と婦人との会話は鮮明に覚えています。

この仮宿に泊まっているときのちょっとしたハプニングもあって、お風呂はシャワーもあるのだけれど、ちゃんと湯舟につかれるバススタイルで、お湯を張っていた時に、自分が目を離した隙に、お湯があふれてしまい、外にそのお湯が流れ出ていて、周りがベチャベチャになったことがありました。

自分は、婦人に何度も謝り、「全然気にすることないわよ。」と言ってくれてホッとした想い出がある。


イギリスの住居のスタイルとして、

デタッチド・ハウス(1戸建て)
セミデタチッド・ハウス(つまり1棟に2住宅は入っている。)
パーパスビルト・フラット (マンションタイプ)

とかかなりの複数種類あって、(いわゆるみなさんがイギリスで見るあの独特の家です。)自分はASTRAアンテナ付き(笑)の1戸建てを借りました。なかなかいい家。(東京じゃこんな立派な家は間違っても住めないなぁ~と思い、この時だけの贅沢と当時は思ってましたよ。)

結構そういう戸建ての住宅街という感じで(でも密集していないのがいい)、よく近所でホームパーティーに誘われたりしてました。へ~、海外でのホームパーティってこんな感じなのか~とかいい経験。

もちろんファーストネームで呼ばれていました。(笑)

会社では、日系企業だから日本人赴任者は、-sanとして尊敬をもって接してきますので、ファーストネームで呼ばれるとなんとなく親近感が・・・(笑)

ときどき夜に街に出かけたりするため、家の前に停めている車で出発するんだが、お近所さんはよくそのことを知っていて、「お前は、日本人だから夜に会社に行って仕事しているだろ?夜は、ちゃんと家で家族とゆったり過ごさなきゃダメだ」とよく言われていました。(笑)

あと、「お前の英語は完璧なビジネス・イングリッシュ。もっと土地にあったこなれた英語を学んでいけ。」ってなことも言われましたね。(笑)


やっぱり観光旅行で海外でリフレッシュするのと、実際その国で暮らしていくということでは、大違い。海外で暮らしていると、日本で当たり前ですぐにパッとできたことが、海外では意思が通じず、いつまで経ってもなにも変わってない、あれ?伝わっていなかった?(笑)なんてことは日常茶飯事。

また自分は日系企業で自分の会社で、海外赴任するということだから、会社内では到底日本人は、高い位置で待遇されるが、実際、海外で生活した時に、そういうのではなく現地の会社に就職となれば、人種差別や労働条件はもっともっと厳しいはずです。

あと、自分はもういくつも持病を持っているので、海外で暮らすのは無理かな、と思いますが、海外で病気になった時ですね。ロンドンには日本人がやっている病院があって、そこは内科から精神科までオールラウンドプレーヤー。助かりました。病院は結構大事だと思いますよ。

床屋もロンドンの日本人がやっているところに行っていた。

毎日の食事は、当時は日本食は高級食で、ロンドンに行かないとダメで、毎日中華料理を食べていたような記憶があります。中華料理って、やはり優秀で、ヨーロッパのどこの国に行っても必ず中華料理って存在するんだよね。(笑)もちろんイギリス料理もよく食べていましたが。

これだけ言えることは、いま小さなお子さんがいらっしゃるご家庭なら、お子さんにどこかのタイミングでぜひ海外生活(ホームステイや留学など、将来的に仕事で勤務がいいですが。)を経験させるように勧めるのがベスト。

海外生活の経験は、その人の人生で将来必ずなにかしらのプラスになります。

それだけは自分が心底そう思うことです。

自分が悔しいのは、あの頃にクラシック音楽に傾倒していたなら、ヨーロッパのあらゆる国のコンサートホール、オペラハウスを体験できたのになぁ、ということ。

世の中、そんなに甘くないです。
そういうチャンスがあるときに、不思議とその価値観を理解していないことが多い。

それが人生というものです。(笑)






nice!(1)  コメント(0) 

世界の朝食を食べさせてくれるお店 ドイツの朝ごはん [グルメ]

久しぶりにドイツという誰もが知っている有名な国の朝ごはん。ドイツはもうあまりに馴染み深い。ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、シュトッツガルト、フランクフルトなど想い出も多い。ヨーロッパの中で自分が一番好きな国だと思う。

クラシック音楽の芸術の都、中心的な存在だし、また技術という観点からも1番進んでいて、日本人と1番相性が合う国だと思う。仕事ではシュトッツガルトにR&Dの拠点があって、よく出張していた。

ドイツ人は、ある意味、日本人とよく似ているところがある。

Map_of_Germany_and_neighboring_countries[1].png



ドイツ連邦共和国

ヨーロッパ大陸のほぼ真ん中に位置し、9つの国に囲まれているドイツ。ドイツ料理は、隣国フランスをはじめ、ロシアやハンガリーなど多文化が溶け込んだ、いわば「ヨーロッパ料理」である。また16の州からなる連邦制のドイツは、地方によっても様々に異なる豊かな食文化が楽しめる。


環境に対する関心が高く、ゴミの分別やリサイクルが徹底している。
綺麗好きな人が多く、家の中を清潔に保ち窓辺に花を飾ったり、建物の色や看板も景観を意識した自然な色合いが好まれる。

これはまさにそう!ドイツの街の景観は、まさにシンプルで綺麗好き。ドイツ人の家の中もそうですね。自動販売機などというものは絶対存在しないのだ。ペットボトルや空き缶などのゴミの問題がありますからね。ドイツへ旅行に行くと、どうしても喉が渇く自分は、そういう場合は、もうカフェに入るしかない。

日本人とドイツ人はよく似ていると言われるが、家族といっしょに過ごす時間を大切にするので、働くときは集中して働き、残業はあまりしない。また夏やクリスマスシーズンに長期休暇をしっかりとる。自然が大好きなドイツの人たちは、大都市に住んでいても、郊外に小さな庭(クラインガルデン)を借りて、週末は野菜栽培を楽しんだりしているのだ。

マイスター(親方)制度

ドイツでは170ほどのマイスター資格があって、様々な分野で伝統や技術が守られている。
マイスターになるには、職業学校を卒業して見習いをしながら技術や知識を身につけ、試験に合格する必要がある。試験では知識や技術のほか、経営能力も試される。

これはもうドイツの制度としてとても有名ですね。自分に関係するところでも、録音エンジニアなどのトーンマイスター(音職人)とか、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などのマイスタージンガー(歌の職人)とか、とても馴染み深いです。


アドヴェント

クリスマスまでの4週間をドイツでは、アドヴェント(待降節)と呼ぶ。アドヴェント前に各家庭で必ず用意するのが、もみの木など常緑樹でつくったリースに4本のろうそくを立てたアドベンツクランツ。日曜日のたびに1本づつ火を灯し、4本全てに火が灯されると、クリスマス到来です!

ドイツ画像.jpg

では、ドイツ料理として、どんなものが有名なのか。

ヴァイストヴルスト

100種類以上もあると言われるドイツのソーセージ。中でもミュンヘンが州都のバイエルン州の伝統的なソーセージのヴァイスヴルストは非常に傷みやすいので、朝早く作って朝ごはんで食べる習慣がある。薄い豚腸の皮を剥いて甘いマスタードをつけて食べる。

これはとても有名。自分も何回も食べたことがある。昔、この豚腸を剥いて食べるということを知らずにそのまま食べていました。(笑)あと、ゆで汁につけてサーブされることもあって、そのゆで汁を飲もうとしたこともあります。(笑)


ブレーツェル

腕組みをしたような独特の形のブレーツェルはドイツが発祥のパン。水酸化ナトリュームをくぐらせてから焼くことで、表面がパリっとした茶色になる。


ヴァイスビア

小麦の使用割合が多いドイツのヴァイスビア(白いビール)はフルーティーでポップな苦みの少ないのが特徴。これもよく飲みました。ドイツと言えばビールとソーセージという感じで、ビールでは、このヴァイスビアが代表的で、ベルリンなんか行ったときはよく飲んでいた。


クラインケベック&ブロート

小さい小麦のパンをクラインケベック、大きめのパンはブロートと呼ぶ。朝ごはんにはクラインケベックやミューズリーなどをよく食べる。また10時頃には休憩をとって軽食を食べる習慣があって、家から持ってきたパンや果物を食べます。

へー!面白い!


クワルク

生乳を乳酸菌発酵させて作るドイツのフレッシュチーズ。ドイツでは消費されるチーズの半分近くがクワルクなのだ。

カルトフェル

南米から伝わって17世紀末ごろから食べられるようになったジャガイモ。今ではたくさんのジャガイモ料理が考え出され、ドイツ料理には欠かせない食材である。


カルテスエッセン

ドイツの食事というのは、朝と夕を少なめにして、お昼をたくさん食べる。1日のメインは13時頃に食べる昼ごはんで、小学生は給食がなく、家に帰って食べる。一方、晩ごはんはカルテスエッセン(冷たい食事という意味)と言って、火を使わずブロートとハムやチーズ、ピクルスを食べる。


保存食

食料が乏しくなる冬に備えてソーセージなどの肉の加工品、ザワークラウトやピクルスなどの野菜の瓶詰といった保存食を作る習慣があった。そうした食品は冷蔵庫が普及した今でもドイツ料理を特徴付ける食品なのだ。


グリューワイン・キンダープッシュ

寒い時期はスパイス入りの温かいグリューワインがよく飲まれる。ワインの替わりにブドウジュースで作るキンダープッシュもある。


こんな感じです。いかにもドイツの食事という感じですねぇ~。
感覚的にわかります。

そのドイツの朝ごはんを食べに、今日も原宿にやってきました。



まさに東京の伝統的な木造建築の原宿駅。

DSC_0827.JPG



これは残しておいてほしいなぁ。近代的な新駅舎ではあまりに味っ気ありませんね。

こんな女子高生のような大行列が!聞いてみたら、ジャニーズショップのオープンを待っているのだとか?さすが原宿!(笑)

                                                      
DSC_0826.JPG

しかし店内は、女性率高し!男性はボク1人しかいません。(^^; みんな、女性です。自分の真向かいに、女性2人に座られました。あまりにあっけらかんで、こっちが勝手に照れています。(笑) もう向かいの女性たちから、自分は異性とは、思われてません。やりたい放題、好き放題に喋ってます。(笑)

DSC_0812.JPG
                                               
                                                  
DSC_0815.JPG


これがドイツの朝ごはん。

DSC_0816.JPG


今回のはミュンヘンが州都のドイツ南部・バイエルン州の伝統的な朝ごはんメニュー。

バイエルン州には、非常に傷みやすいため朝早く作って朝ごはんに食べる習慣がある白いソーセージ「ヴァイスヴルスト」がある。甘いマスタードをつけて、腕組みをしたような独特の形の「ブレーツェル(英語ではプレッツェル)」と一緒に食べるのが典型的な朝ごはんメニュー。

生乳を乳酸菌発酵させて作るドイツのフレッシュチーズ「クワルク」やレンズ豆のサラダとともにワンプレートにしてある。

もうかなり有名な品々なので、経験のあるものばかり。

ヴァイスブルスト、白ソーセージはふつうに美味しかったですよ。でも豚腸の皮は面倒なので、剥がさないでそのまま食べました。(笑)マスタードをつけながら。

腕組みした形のブレーツェルのパン。確かに表面はパリっとした感じになっていますが、でも普通のパンです。(笑)

ドイツの有名なチーズ「クワルク」もふつうに美味しいチーズ。
レンズ豆のサラダは、いままで食べたことがなくて、珍しかったですが、普通に美味しかったです。

ドイツの朝ごはん、正直物足りない。(笑)
なんかあっという間で、どれもよく知っているものばかりなので、感動はあまりなかったです。

あっけなかったです。




自分は結構ベルリンとかドイツに行ったとき、せっかく日本から来たんだから元をとらなければ、という貧乏発想で結構ドイツレストランで肉料理とか、ドイツ独特の有名な豪勢な料理を頼んだりするのですが、意外やドイツ人の普段の食事ってそのようなものは家庭では食べなくて、家庭ではもっと質素なものが多い、というお話、これからしてみます。


ベルリン在住のフリーランスライターで、ドイツのライフスタイル分野を中心に執筆している久保田由希さん。

日本での仕事に終止符を打って、2002年にベルリンに渡って、ご自分で、明日のことはわからない崖っぷちフリーランスライターと仰っていますが、大好きなドイツ、ベルリンの情報を発信していこうという人生の選択。

まっ華やかに見える一方で、その裏には大変な見えない苦労も多いと思いますが、記事をよく拝読しているので、うらましいなぁと思う限り。

去年の2017年の記事で、

「平日はシンプルな家事でいい。ストレスの少ない、ドイツの合理的な食生活」

は、なかなか感心することが多かったのでここでその一部を紹介。
ドイツで生活してみないとわからないというか、観光旅行ではぜったいわからないことですね。

slide_522914_7378788_free[1].jpg
(c)Yuki Kubota


「やらなければならない」と信じていることが案外単なる思い込みで、やらなくても別に平気だったという場合がある。中でも家事、特に食事については日本にいた頃よりもずいぶんと気楽に考えるようになったそうである。


ドイツの食生活はシンプル。朝食メニューはパンにハム、チーズ、野菜などを挟んだものや、ミューズリ(オーツ麦などの穀物を加工したものにドライフルーツ、ナッツなどを加えたシリアルの一種)に牛乳やヨーグルトをかけたものが主流。

昼に温かいものを食べ、夜は再びパンにハム、チーズという「火を使わない食事」が伝統的である。夜に温かいものを調理する家庭も当然あるが、火を使わない夕食は現代でもごく普通の光景。

ドイツパンは、白くふわふわした日本の食パンとは異なる。ドイツパンの種類は豊富で地域によっても異なるが、一般的に北部に行くほど生地に使われるライ麦の割合が高くなる。


〇朝食は「作るものではなく、食卓に並べるもの」

ドイツの一般家庭にホームステイをしていたとき、パン、バター、ハム、チーズという内容の朝食を毎朝準備していて「ドイツの朝食とは作るものではなく、冷蔵庫から出して食卓に並べるものなのだな」と思ったそうだ。

もちろんこれは手抜きではなく、そうした食文化なのである。

ドイツでは夕食も朝食と同じ内容でいいのだと知ったとき、それを真似しようとは思わなかったが、少なくとも日本食のように「夕食にはご飯と味噌汁、メインのおかずに小鉢やサラダを付けなければ」という半ば強迫観念めいたものは消えていったそうだ。



slide_522914_7378790_free[1].jpg


朝食によく作るフルーツサラダ。リンゴやバナナ、キウィなどを刻んで混ぜたもの。
これにオレンジジュースやコーヒーを添える。(c)Yuki Kubota



〇軽い夕食は、胃もたれせずによく寝られる

夕食によく作るのはサラダ。パンを添えるときもある。ときどきはシチューや、茹でたジャガイモにハーブソースをかけた料理も食卓に上る。

スーパーで売っている惣菜の品揃えは日本ほど充実していないが、夕食を作る気力がないときにはサンドイッチを買ったり、気軽なアジア料理レストランで料理をテイクアウトする人もいる。

考えてみれば、昼食は午後の活動に向けてエネルギーが必要なので、しっかりした食事を取るのは意味がある。夜は寝るだけなので昼間と同様に食べなくてもいいといえる。理にかなった食生活ではないだろうか。


現代の家庭料理で手の込んだものはなく、野菜もよく使う。ドイツ料理レストランで見かけるようなどっしりとした肉料理は、ベルリンの一般家庭では特別な行事を除いてあまり作らない。



〇平日はシンプルに、週末はみんなで食事を楽しむ


こうした食習慣は、日本の感覚ではなかなか受け容れられないかもしれない。日本人にとって食事は非常に重要で、食べることは大きな楽しみだろう。

私自身も夜には温かい料理を食べないと、どことなく寂しい気持ちはある。しかし以前のように品数に縛られることはなくなり、いまでは栄養バランスさえ気をつけていれば、ご飯に具だくさんのスープ程度で十分だと思っている。

ドイツでは平日の食事はごくシンプルに、週末は家族全員で生地からピザを作ったり、夏は庭や公園でバーベキューパーティーをする、という例もよく聞く。そうしたメリハリが、家事への重圧感を減らして日常を楽しむ秘訣かもしれない。




平日の食事はシンプルにして、休日に料理を楽しむスタンスもいいのではないか。冒頭のように「やらなければならない」ことが思い込みに過ぎないこともある。


記事全文はこちらです。                                            「平日はシンプルな家事でいい。ストレスの少ない、ドイツの合理的な食生活。」

https://www.huffingtonpost.jp/2017/07/28/housekeeing_n_17620118.html


たしかに、自分も食事は、1日の生活の中でもっとも楽しみのひとつ、いや食べること自体が人生の楽しみみたいなところがあるから、このドイツ人の平日の食生活がそのまま日本人の価値観とあうというか強制はできないと思うけど、確かにそういう生活スタイルもあるんだな~と思いましたね。

でも夜はやっぱり自分は温かい食事じゃないとダメだな。淋しすぎる(笑)

また「ドイツ人が教えてくれたストレスを溜めない生き方」の最近の著書も出たばかりで、自分が住んでいる日本人社会とは根本的に違う何かがありそうで、なかなか面白そうですので、これもお勧めしておきます。

https://www.shc.co.jp/book/9339








nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。