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生誕160周年記念 イザイ音楽祭ジャパン2018 東京公演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

2018年はベルギーのヴァイオリン奏者で作曲家、またヴァイオリン奏法におけるベルギー楽派の第1人者として名高いウジェーヌ・イザイ(1858-1931)の生誕160年にあたる。

その生誕160周年を記念し、日本イザイ協会は、共催の在日ベルギー大使館とともに、「イザイ音楽祭ジャパン2018」を福岡と東京で開催した。 

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これはかなり画期的なことで、もともとのきっかけは、去年の2017年にベルギーで行われた「クノック・イザイ国際音楽祭」との綿密な連携と協力によって準備されたものなのだ。

去年の2017年の9月に4日間に渡って、イザイを特集した国際音楽祭がベルギーのクノッケ・ヘイストで開催され、いわゆるイザイ国際音楽祭(Ysaye's Knokke)という形で、イザイに纏わる音楽祭としては初めての試みでもあった。

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(c) 日本イザイ協会FB

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(c) 日本イザイ協会FB


そのクノック・イザイ国際音楽祭の芸術監督であるイザイの孫弟子にあたるフィリップ・グラファン氏との連携、交渉に成功して、そのイザイ音楽祭の日本版をやろうという試み、奇しくも生誕160周年ということで機運は高まった。

正直なところ、イザイの日本での知名度は高いとは言い難い。
福岡に拠点のある主催の日本イザイ協会もつい最近、ピアニストの永田郁代さんによって設立されたばかり。

イザイといえば、ベルギーを代表するヴァイオリニストであり、作曲家である。

没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、これが現在のエリザベート王妃国際音楽コンクールの前身となった。


演奏家としてはその高い技術と説得力ある表現(多彩なヴィブラートの用法と巧みなテンポ・ルバートが特色)で多くの聴衆を惹き付け、ヴァイオリン音楽に大きな影響を与えた、と言われている。

作曲家としては、主にヴァイオリンを中心とした作品を遺していて、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを強く意識した「無伴奏ヴァイオリンソナタ」がよく演奏され、エリザベート国際王妃音楽コンクールの課題曲の常連である。

イザイについて、日本で知られていることって、せいぜいこのレベルではなかろうか?

自分もご多分に漏れず、その程度で、エリザベート国際王妃音楽コンクールのことと、無伴奏ソナタなら聴いたことがある、という程度だった。

そしてイザイと言ったら、超絶技巧、譜面も音符の数も多く、うわ、めんどうくさい、とつい思ってしまう(笑)くらい高度な演奏テクニックを要する曲が多く、無伴奏ソナタなどの一部の作品を除くと、未だに演奏機会は少なく、作品の演奏がおしなべて困難であることもあって作曲活動の全貌は明らかになっていないのが実情なのだ。

日本イザイ協会の設立によって、現地のベルギーに飛んで、直接イザイの足跡を探り、自筆譜などの複写や情報収集などで、そのいまだに詳らかにされていないイザイの活動を日本に啓蒙しようという動きが具現化されてきた。

日本イザイ協会のHPを拝見すると、やはりとても真面目というか、イザイが好きで、イザイのことを啓蒙したい、本当に音楽家のための純粋な内容という装い。とても硬派で真面目という印象が強く、いまどきのコマーシャルな色付けをほとんど感じない。

でも、日本のクラシック界のコンサートは、やはり集客が命。招聘元ふくめ、ある意味とても商業的だ。硬派な装いは、そのまま集客に結びついてくれれば最高に格好いいのだけれど、イザイの日本での知名度も含め、当初、地元福岡公演は完売とのことだったが、東京公演のほうが苦戦という話を聞いていて、そっかーまぁ仕方ないよね。始めたばかりだし、時代が経っていけば、そのうち努力も報われ、認知度も高くなってきますよ。。。という感じで心構えしていた。

そんな中、ひさしぶりの東京文化会館。

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小ホールでの公演なのだが、なんと!そんな心配もよそに、大行列ではないか!
およおよ?下馬評とは違う予想外のできごとにひたすら嬉しいの一言。
急にドキドキしてきた。

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インターミッション

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いろいろ観客層を眺めていると、主催者様のただならぬ苦労が見えてきて、なるほどと思った。

今回のこのイザイ音楽祭ジャパン2018は、じつは日本イザイ協会の主催の外に、共催にベルギー王国大使館、そして後援に在日フランス大使館/アンスティチュフランセ、外務省、日本・ベルギー協会 福岡県など、かなり組織的に日本とベルギーの国家間のイベントという位置づけで公的バックアップしているところが特徴だった。

(ベルギーからのスポンサーとしてGODIVAのチョコレートにも参画いただいております。(笑))

この日は、駐日ベルギー大使御夫妻も来福され、コンサートを楽しまれた。

ホールに入った途端、その招待席の多さに驚いてしまった。このような光景はいままで見たことがなかった。

そして、客層の若いこと!クラシック・コンサートの客層なんて、大概が高齢層で占められるのが、毎回通って分かりきっている自明の事実なのだ。

あまりに若すぎる!いつもと違う違和感さえ感じた。そしてヴァイオリンの楽器ケースを背中に抱えた若者がじつに多かった。自分の予想にしかすぎないけれど、音大生、演奏家の卵たちじゃないかな?と思った。

初の試みである日本でのイザイ音楽祭なのだから、そこは必死で埋めたという主催者様の努力・苦労がよく見えてきて、涙しました。(笑)

コンサートもじつに素晴らしく感動ものだったが、最後のカーテンコールでは主催者、永田さんもステージに上がり、思わずそっちにブラボーしました。(笑)

沢田研二にも見習わせたい。(笑)

イザイ音楽祭ジャパン2018は、ベルギーでのクノック・イザイ国際音楽祭の芸術監督であるイザイの孫弟子にあたるフィリップ・グラファン氏、彼がこの日本版も芸術監督を務め、そして、加藤知子、小林美恵、今井信子、岡本郁也、水本桂の幅広い世代の名手たちが、ヴァイオリンの詩人イザイとその深く関わる名匠たちの世界を再現した。



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なんと、日本初演の曲が5曲も!

ほとんど初演の曲ということは、CD音源もない訳で、聴いたことのない曲なんだから、それが、素晴らしい演奏なのか、わからん訳です。(笑)

今春、ブリュッセルで発見されたイザイの新しい無伴奏ソナタ。メディアでも一躍話題になったが、ヴァイオリン界に大きな影響を与えるこの話題の曲も演奏された。

この曲は、もちろんフィリップ・グラファン氏の独奏で演奏されたのだが、演奏前に、フィリップ氏からその説明があった。音楽誌ストラドのインタビューも交えて。

イザイのスケッチブックの中に残されているのを発見した。イザイが残した6曲の無伴奏ソナタの後に書かれたもので、いわゆる遺作である。そのイザイのスケッチブックのマニュスクリプトには6番のソナタと題されていたが、スケッチではなく、とてもしっかりした1楽章、歌曲のような2楽章、そして3楽章は2/3までで作曲されていたが未完成だった。

フィリップ・グラファン氏は実存する六つのソナタの構造基本を分析し、3楽章を完成させた。
「このソナタは98パーセントはイザイの作品です。素晴らしい、新しいバイオリンのレパートリーです。」

とても弾くのが難しい!と仰っていました。

こんないま話題の曲を聴けるなんて!

実際聴いたが、これは美しいというより、いかにもイザイ的な調性の曲で超難しい。2楽章は歌わせ的な要素もあって美しいと思ったが、全般的には結構前衛的。聴いた瞬間、いかにもイザイの曲らしいな、と感じた。

演奏するのも大変という感じがして、とくに弓のように唸るボウイングの連続技には圧倒された。
いかにも技術的に難しそうです。

22日の桐朋学園大学仙川キャンパスでおこなわれるイザイのレクチャー&パネルディスカッションの中でも、フィリップ音楽監督によってこの新発見ソナタのお話や演奏があるそうです。




今回の演奏曲の中で、自分的に注目していたのが、ショーソン詩曲、メディテーション、無伴奏ソナタ第5番(編曲)。

その中で無伴奏ソナタ第5番は、イザイの代表曲だが、じつは今回演奏されるのは、この原曲を編曲したヴァージョンなのだ。

ベルギー在住の作曲家エリカ・ベガさん(メキシコ生まれ)が、このコンサートの為に編曲。 

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(c) 日本イザイ協会FB


3ヴァイオリン+ヴィオラ+チェロ(フィリップ・グラフィン+加藤知子+小林美恵+今井信子+岡本侑也)で演奏された。イザイ音楽祭ジャパンの開幕記念に世界初演される素敵なプログラム。

エリカ・ベガさんは、ヴァイオリニストとして演奏活動を行いながら作曲を学び、メキシコ政府奨学生としてブリュッセル王立音楽院作曲科を卒業。数々のコンクールで入賞している。現在はゲント王立音楽院のICTUSアンサンブルによるマスタープログラムにて研究生として研鑽を積んでいるのだそうだ。

チェロを除いて立奏でおこなわれた。
聴いた感じが、現代音楽的な様相で、コンサートの冒頭の曲だったので、これはイザイの世界満載といきなり感じてしまった。

エリカ・ベガさんの編曲は、オリジナリティがあるけど、けっしてイザイの世界を変えてはいなかった。

この曲は、この後の桐朋学園大学仙川キャンパスのマスタークラスの生徒たちとグラファン先生と演奏する課題曲にもなっているようです。

今回のコンサートでは、さきほどの新発見のソナタ6番と、この無伴奏ソナタ5番の編曲版の2曲が大きな柱だったのかもしれませんね。




ここで、今回のコンサートの奏者たちについて一言。 




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フィリップ・グラフィン(ヴァイオリン、音楽監督)

イザイ・プロジェクトにおけるすべてのキーパーソン。
イザイの弟子、ヨーゼフ・ギンゴルド氏、フィリップ・ヒルショーン氏に師事。
イザイの孫弟子にあたる。現在、パリ国立高等音楽院、ブリュッセル王立音楽院教授。
1964年の54歳。私と同じ歳なんですね。

イザイが過ごしたベルギーの避暑地クノッケにて、「Ysaye's Knokke」国際音楽祭を創立、芸術監督を務めている。今回のイザイ音楽祭ジャパン設立も彼の力なくしてあり得なかった。

今回、はじめて彼の実演に接したが、足をガシっと曲げて、しっかり地を踏んで弾く独特のスタイルで、彼独自の世界があることを感じました。

素晴らしいヴァイオリニストであるとともに、現地におけるイザイの情報源、ソース源として今後ももっとも重要なキーパーソンで、よろしくお願いします。 




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今井信子(ヴィオラ)

ご存知、日本におけるヴィオラ奏者の草分け的存在。伝説的な日本を代表するヴィオラ奏者。
その華麗なる経歴はとても書き尽くせないけれど、敢えて、自分が挙げるとしたら、1995年から96年にかけて東京、ロンドン、ニューヨークの3都市にわたって開催された「インターナショナル・ヒンデミット・ヴィオラ・フェスティバル」では音楽監督をつとめ世界の注目を集めたこと。そして、2009年よりスタートした日本初のヴィオラ単独の国際コンクール、東京国際ヴィオラコンクールでアドヴァイザーおよび審査委員長を努めるなど、常にヴィオラ界をリードする存在として、めざましい活躍を続けていること。

この2つはどうしても自分の日記で書いておきたかったです。

フィリップ・グラフィン氏とも数十年に渡る間柄で、今回の音楽祭で共演する(ドビュッシーの弦楽四重奏)ことは大きな夢だったようだ。

じつは大変お恥ずかしいことに、自分は今井さんの実演に接したことがなかったと思う。
(自分の記憶にない。)だから、今回、今井さんの実演に接することが1番の楽しみで自分の貴重な財産になると思っていた。

日本初演の曲を2曲(イザイ序奏、ヴュータン奇想曲)、今井さんの独奏で堪能できた。
もちろん無伴奏第5番やドビュッシーの弦楽四重奏では、今井さんばかりを見ていたような気がする。(笑) 




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加藤知子(ヴァイオリン)


4歳よりヴァイオリンをはじめ、三瓶詠子、故久保田良作、江藤俊哉の各氏に師事。
第47回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門第1位、レウカディア賞受賞。翌年の海外派遣コンクールで特別賞受賞。1980年桐朋学園大学卒業。1982年第7回チャイコフスキー国際コンクール第2位受賞。またしてもその華麗な経歴は書き尽くせません。現在、桐朋学園大学主任教授。

自分は、加藤さんは今回初めて実演に接しました。
イザイの冬の歌をピアニストの水本桂さんのピアノとともに聴きました。
加藤さんのヴァイオリンは、とてもよく鳴っていて、この冬の歌はある意味イザイらしくない(?)というか、のびのびした朗々と鳴っているような気持ちよさがあって印象的でした。 




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小林美恵(ヴァイオリン)


実演に何回も接したことのある自分にとってはとても馴染みの深い演奏家でいらっしゃいます。
東京藝術大学首席卒業、1990年のロン=ティボー優勝、その後国内外で大活躍されてきたのはもうご存知の通り。その華麗な経歴は書き尽くせません。でも自分にとっては、やっぱり小林さんと言えば、どうしても夏に軽井沢大賀ホールで開催される軽井沢国際音楽祭の主役という印象なんですよね。自分が行ったのが7年前の2011年。それ以来毎年出演されている。
久しぶりに拝見いたしましたが、なんか、全然変わってませんよね。(笑)美貌、スタイルもずっとそのまま維持され、全然変わってない。7年も経っているのに凄いことです。久しぶりに実演に接してすごい懐かし感がありました。 




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岡本 侑也(チェロ)

岡本くんも今回自分がどうしても実演に接しておきたいと思って楽しみにしていた奏者。
じつは今年の東京・春・音楽祭で川本嘉子さんのブラームス室内楽で、実演に接したことがあった。今回が2回目。岡本くんは、すごい時の人なのだ。

もう知っての通り、去年の2017年のエリザベート王妃国際コンクールのチェロ部門第2位およびイザイ賞を受賞。そして第16回(2017年)齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞、ベルギー政府賞も受賞しました!出光音楽賞も・・・受賞ラッシュ(笑)。。。と今回の音楽祭には絶対出ないといけない人だった。(笑)

ドイツ・ミュンヘン音楽大学を首席で卒業し、現在はミュンヘン音楽大学大学院でユリアン・シュテッケル氏に師事。

まさに、「大器を予感させる才能」ですね。

岡本くんは、水本桂さんのピアノとともに、これまた日本初演のイザイの「メディテーション(瞑想曲)」を披露した。これがじつに素晴らしかった。とてもいい曲。チェロの音色、音域というのは人を恍惚とさせる(ある意味眠くなる。(笑))独特の秘密があって、じつに朗々と鳴っていて、気持ちのいい曲だった。

まさに「瞑想」とはその言葉通り!

岡本くんはすでにイザイのメディテ―ションを暗譜していたそうです。 




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水本桂(ピアノ)

札幌市生まれ。宮澤功行氏、中川和子氏に師事。
数々の国際ピアノコンクール受賞の後、ヨーロッパ、日本を中心に演奏活動を続けている。

北大卒業なんですね!(^^)
ドイツの国立フランクフルト芸術大学留学、ヘルベルト・ザイデル、ライナー・ホフマン氏に師事。

ベルリンコンツェルトハウス、ブリュッセルパレデボザール、パリのフォーレホールなどで演奏、室内楽演奏家としても活躍。その華麗な経歴はとても書き尽くせません。


現在、ドイツ国立フランクフルト芸術大学非常勤講師を経て、ブリュッセル在住。
ブリュッセル王立音楽院、エリザベート王妃チャペル音楽学校の弦楽器科ピアニスト。

水本さんのピアノはとても粒立ちがよく、ピンと張り詰めた硬質でクリスタルな響きをしていました。かなり自分的には来るものがありました。

石造りで天井の高い東京文化会館の小ホールは、特に音響の素晴らしい室内楽ホールとして有名で、ポリーニがサントリーホールが出来ても、自分は東京文化会館小ホールの響きがピアノには絶対的な信頼を持っている、と言って、なかなかサントリーホールでリサイタルをやらなかった、という伝説があるくらいで、特にピアノの音色には格別な定評がある。

もう数えきれないくらいこのホールでピアノを聴いてきたけれど、その確信をこの日改めて確かなものにした感じ。

弦楽器を立てるというか、いや対等の立場で、じつに主張していて素晴らしかったと思います。



今回コンサート全般を通して感じたこと。

イザイの曲の独特の旋律や調性というか、やっぱりコマーシャルではないよね。
かなり神秘的で独創的なイザイ独特の世界があって、ふつうのクラシックコンサートとは、やっぱり基本的な立ち位置が違う感じがします。

だって、最後のドビュッシーだって、かなり色彩感ある独特な曲なのに、すごくまともに聴こえてしまうくらいですから。(笑)

骨格感のある硬派なコンサートだったと思います。

まだ終わってません。

明日から、講演・パネルディスカッション、そしてマスタークラスがあります。

10月22日18時~桐朋学園大学仙川キャンパス333号室

「ウジェーヌ・イザイのレガシーと価値」

・パネル・ディスカッション/Michel Stockhem,Philippe Graffin,Shizuko Ishii,Kenji Sakai
・講演/石井志都子 Shizuko Ishii 「イザイの弟子から受け継いだこと」
    ミッシェル・ストッケム Michel Stockhem 「イザイが作曲家達に与えたインスピレーショ               
    ン、大な演奏家達とのつながり」
・演奏/フィリップ・グラファン Philippe Graffin 「新発見の無伴奏ソナタ遺作」
    マスタークラス生との共演 「無伴奏ソナタ第5番(編曲版)」

「マスタークラス」

10月23日17時30分~東京藝術大学第1ホール 指導/Philippe Graffan

受講曲

北田千尋  イザイ:無伴奏ソナタ第3番
山内眞紀  サン サーンス:ハバネラ
小西真央  イザイ:無伴奏ソナタ第6番
清水百合子 ドビュッシー:ソナタ
及川悠介 ラヴェル:ソナタ遺作


インターミッションで、ベルギービールでした。(笑)

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生誕160周年記念 イザイ音楽祭ジャパン2018 東京公演
2018/10/20(土)19:15~ 東京文化会館小ホール

1.イザイ<無伴奏ソナタ5番mov.1 op27-5> (編曲版)日本初演
フィリップ・グラファン、加藤知子、小林美恵、今井信子、岡本侑也

2.イザイ <冬の歌 Chantd'hiver,op.15>
加藤知子、水本桂

3.イザイ <瞑想曲 Meditation:poeme No.5,op.16> 日本初演
岡本侑也、水本桂

4.ショーソン <詩曲 poeme op.25>
フィリップ・グラファン、小林美恵、加藤知子、今井信子、岡本侑也、水本桂

休憩(インターミッション)

5.イザイ <序奏 Solo viola Introduction> 日本初演
今井信子

6.ヴュータン <奇想曲 Solo viola Cappricio> 日本初演
今井信子
                                                                                                                                                         
7.無伴奏ソナタ遺作(新発見)日本初演
フィリップ・グラファン

8.ドビュッシー <弦楽四重奏曲 op.15>
フィリップ・グラファン、小林美恵、今井信子、岡本侑也





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再び、伝説となる! [雑感]

すみれが、ラー博にもたらした効果は絶大だ。そして、すみれを一気に全国区に押し上げたのもラー博のおかげだ。

お互い持ちつ持たれつなのだ。新横浜ラーメン博物館は、1994年に、日本初のフードテーマパークとしてオープン。その昭和ノスタルジーなレトロな館内の空間は、当時センセーショナルだった。

自分は、ラー博には1995年から通い始めたが、すみれとは、その当時からのお付き合いで、その激動の歴史は先だっての日記に書いた通り。(笑)

道産子にとって、札幌味噌ラーメンはやはり故郷の味。
やっぱりずっと拘ってきたんだな。

まさに今日読んだ記事によると、「日本のラーメン店においては、オープンして1年以内に50%以上のお店が閉店しているという現状がある。さらに10年続くお店は20%、20年続くお店は3%と言われている。その中で長く続き今もなお繁盛しているお店には、トレンドに左右されない魅力がある。」なのだそうだ。

いわゆる全国ラーメン人気でつい商売に手を出したものの、そんなに世の中甘くないということなのだろう。本当の真の実力を兼ね備えた者のみが、長年に渡って生き残っていける。

自分はラーメンは大好きだけれど、いわゆる麺通と呼ばれるファン層の方から比べると、毎日新しいお店のラーメンを開拓したい、という気持ちが極めて少ない。「生涯何千食、食した」とは縁のない世界。

たぶん自分が大金持ちだったら、毎日いろんなラーメンを開拓したい、という気持ちも湧くだろうけれど、限られた予算の中で生活している身分になると、やっぱりせっかく身銭を切るなら、自分がよく知っている大好きなラーメンを食べたいと思う派なのである。

だから、いわゆる中毒性があって、あぁ~また食べに行きたい~と思うような、お気に入りのラーメンを飽きもせず、毎日食べる、という、そんなラーメン・ファンなのだ。

自分がそのように思うラーメンは、ほとんど99%以上の確率で、いわゆる「トレンドに左右されない魅力を持っていて、何十年も長続きしている・・・」そんなラーメン屋さんばかり。

一過性の人気で評判になったお店で食べても、自分に対して来るものがないことがほとんどだ。

すみれは、まさに23年間に渡って、愛し続けた故郷愛のラーメンだった。

相当熱狂した。

でも知っての通り、ここ数年、ラー博のすみれは、自分が熱狂していた頃の面影はなく、寂れていくばかりの感じで、だんだん足が遠のいていった。食べるたびに後悔するのだ。これはダメだ。もう来るのはよそう。

札幌で真実を追求しよう。

そう思って4~5年。

そんな、すみれがラー博を卒業する。
12/2に卒業。あと45日。

閉店間際になると激混みが予想されるので、早めに詣でしたいと思っていた。

館内に入った途端、こんなものを目にする。


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「再び、伝説となる。」「札幌以外で、すみれが食べられるのは、ラー博だけ。」
たくさんの花束贈呈で、みんな別れを悲しんでいる。

思わず、グッとくるものがある。開館当初から、一緒に汗を流してきた同士を、華やかに送ってあげたいというその気持ち。SNSでも毎回、「すみれ」の連載特集を組んで、お別れムードいっぱいだ。もうなんか、金輪際、ラー博には入店しない永遠のお別れみたい。(笑)

この卒業にちなんで、最近連載されている「すみれ」の歴史特集で、この自分が知らないこともあった。

当初、村中明子さんが創業した「純連」。純連と書いて、すみれと呼ばせていた。
でも看板の、そのフリガナのひらがなが風雨で剥がれてしまって、漢字の純連だけになってしまった。その看板を見ていた通行人は、いつしか、そのままの音読みで、「じゅんれん」と呼ぶようになって、そのままその特徴ある味噌味とともに「じゅんれん」という名で巷には定着してしまったのだそうだ。

お母さんの純連は、病気で、いったん閉店するが、数年後に再開。

そのときは、巷にすっかり馴染んだ「純連(じゅんれん)」という名で再スタートした、という経緯なのだそうだ。あとは、ご存知、「純連(じゅんれん)」は、長男の村中教愛氏が店を継いだ。

その後、三男の村中伸宜氏が、純連と書いて「すみれ」と呼ぶお店を開店。その後、ひらがなのみの「すみれ」で定着する。

そして家族、親戚一同の大反対を押し切って、ラー博に出店。そして、「すみれ」を全国区のスターダムに押し上げて、純連は押しも押されぬ札幌味噌ラーメンの王道を走ることになった。

ある意味、村中伸宜氏の大英断がなければ、今日の純連、すみれの立ち位置はなかった。
いまや、濃厚な札幌味噌ラーメンのことを、「純すみ系ラーメン」とか、「村中系ラーメン」と呼ぶのだそうだ。

そしてたくさんのラーメン職人の若手たちが、純連やすみれで修行をして、おそらく店主の許可を得て、自分のお店を出す。

それも純すみ系のスープの味で。。。

その中には、10年続くお店は20%、20年続くお店は3%、トレンドに左右されないで生き残っているお店はどれだけあるだろうか?

自分の経験からすると、二番煎じは、絶対初代を超えることはできない。

たとえ、よくできている、親方と似ているスープだと思っても、毎回また通いたいと思わせるようなお店はないだろう。



激混みを避けて、卒業45日前に来てみたが、年々劣化していくそのスープの味に、だんだん客足が遠のいていく感じで、来るたびに閑散としていて、往年のファンにとって淋しいよな~と思っていたんだが、今日来てみたら、行列ができていた。(笑)

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でも、全盛期のすみれの大行列を知っている身からすると、やっぱり寂しい。
酷いときなんか、このお店から、ラー博館内の半周するくらいの距離まで大行列ができていて、いったいいつになったら食べられるんだろう?と気が遠くなるんだが、それでも食べたいから並ぶのだ。

すみれの場合は、それが常であった。

食べ物を食べるのに並ぶことを嫌う人は多い。
でも自分はさほど苦はならない。大行列をみた瞬間、さすがにめげるが、でもそこまでしても食べたいという気持ちが大きい。

自分がこの10年で、行くたびに毎回行列して食べていたのが、このすみれと新宿にある「麺屋武蔵」だった。麺屋武蔵も当初は相当嵌った。やっぱりこれは本物だと直感がわいた。毎回行列しても食べたいと思わせるお店だった。

ところがこの麺屋武蔵も、ご多分にもれず、スープの味が劣化していった。最近数回行ったが、印象は変わらず、もうガッカリ。

ラーメン屋さんにとって、スープの味を何年も続けて同じに保つことが如何に大変なことなのか!

麺屋武蔵も14年前のあの頃は、毎回大行列だったのに、いまは全然空いていて楽勝だ。(笑)
すみれといい、名店の行く末というか、難しいものがあるとしか思えない。


ラー博のすみれと最後のお別れ。
味噌ラーメンと鬼めしをいただく。

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おっ!いつものガッカリするスープの見た目からすると、今回はちょっとマシに見える。
やっぱり最後だと贔屓目もあるかな?有終の美にしたい、ちゅう。

鬼めし、というのは、すみれ独自の看板メニュー。炒飯もいいが、自分は、すみれに来たら、この鬼めしを一緒に食べることをおススメします。卵焼きの千切りをご飯の上にかけて、とても辛い豆板醤(?)みたいなものをかけて食べます。

これがすみれの濃厚味噌とよく合う!

最後のすみれの味噌ラーメン。




あかん!(笑)やっぱりあかん!

自分が知っている全盛期のすみれはこんなんじゃない。
ちょっと面影がある程度にしか思えない。

でもここ数年、マズすぎる!と徹底的にこき下ろしてきたレベルに比べると、今日はちょっと濃厚さがやや感じられて、幾分マシのように思えた。見た目の改善は味にちゃんと現れていた。

最後のお別れというセンチメンタルな気分が、自分をそう思わせているのだろうか?

味噌があのころのような濃厚~って感じじゃなくて、どうしても薄く感じるんだよね。
物足りんのだよ。

そして表面を覆っているラードも全盛期に比べると薄いし、これじゃダメだ。

ひょっとすると、札幌本店もふくめ、多少のイメチェンはあるのだろうか・・・。

自分が全盛期と思えるすみれの写真は、これが一番近い感じ。


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色的にもいかにも濃厚~ってな感じで、これこそ純すみ系の味だ。
ラードも厚い。

いまのは、全般的に薄いんですよね。


これがラー博だけの現象なのか、札幌本店もそうなのか、今年の年末帰省して自分のこの目、この舌で直接確かめます。

もし万が一、不幸な事態に陥ったら、自分は、お店の人に直接なぜこんなに味が変わったんですか?と直接聞いてみようと思っている。

もちろんクレーマーと思われて、本家のお店出入り禁止になったらこちらも困るので、ソフトな語り口で対応することはもちろんのことだ。自分が1995年からの熱烈なファンで、横浜のお店でここ最近味が変わったように感じるのですが、ここ札幌本店でも同じように感じるということは、スープの味のイメチェンでもされたんですか?

こんなソフトなイメージで。

たぶんお店の女性の方は、自分じゃ対応できないと思い、もしその日に厨房に居たら、三男の村中伸宜氏に直接談判できるかもしれない。(笑)

失礼のないよう、クレーマーに思われないよう十分な配慮が必要だ。

自分が全盛期だと思ったすみれはこんな感じでした・・・というような展開を予想して、上の写真を自分のスマホに入れておいた。(笑)

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どんな展開が待っているのか、もういまからワクワクである。

トレンドに左右されない本物のラーメンというのは、絶対また食べたい~というような中毒性を持っている。

自分がここ数年、これも毎回行き倒しているのは、日本橋にある京都銀閣寺ますたにラーメン。
あの三層になっている豚骨醤油背油ラーメンがたまらない。週末の休日になるとついつい行きたくなる。

1998年頃から通い続けて、もう20年目。

この日本橋のラーメン屋さんに行く楽しみは、じつはその途中に乗っていく銀座線でレトロ仕様の銀座線に遭遇できるのでは?というところにも楽しみがあるのだ。(笑)

もう2回も遭遇した。

念願かなって、京都の本家の北白川の「中華そば ますたに」も経験できた。

これからも、数多くのお店を体験するのではなく、こうやって自分が入れ込んだ本物のお店に何回も行き倒すというラーメン人生が続くんだろうな。

今年の年末にすべての真実が明らかになるが、自分は信じたい。

あの全盛期のすみれの味が、またラー博に戻ってくる!ということを。








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神楽坂 [雑感]

クラシックファンであれば、神楽坂といえば、音楽之友社。いつもお世話になっています。(笑)

1941年創刊のまさに日本のクラシック音楽誌の草分け的存在。「音楽の友」「レコード芸術」とかあまりに有名。「音楽の友」はいつも定期購読したいな~とは思うんだけれど、貧乏人なので、興味のある記事があるときは必ず買ってます。

自分もクラシックファンの末席にいる者として、聖地巡礼というか表敬訪問として、いつか神楽坂を訪れたいと思っていたのでした。


音楽之友社

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奥が音楽之友社、手前が音楽友之社の別館だそうです。

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こうやって、音楽の友とかレコード芸術とか、いま手掛けている雑誌が展示されています。

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中にスルスルと入ってしまおうかな~とも思いましたが(笑)、部外者立ち入り禁止の看板がありましたので、やめときました。

音楽の友のいまのひとつ先代のポチ編集長は、いつも夜中の0時過ぎにSNSに投稿して、「また今宵もこんな時間になってしまいました。はぁ~。でも今月号は楽しみにしてください。ではおさしみ~。」なんて感じの投稿をほぼ毎日やっていて(笑)、その真夜中の時間帯の道路の写真を投稿していたんだが、たぶんここのことなのかな~?(笑)

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ちょっと蛇行しているのが特徴と記憶しているんですが。。。音楽之友社の目の前から、東西線神楽坂駅に向かう方面を撮影したものです。



でもこれで神楽坂に来たミッションがコンプリートしました。
まさかこれで終わる訳にはいかないので、ちょっと神楽坂を散策してみようと思ったのです。

音楽之友社のすぐそばにこんなに素敵なカフェがありました。
店の内装がとてもお洒落でうわぁ、これは素敵だな~と思い、思わず入っちゃおうかな~とも思いました。ランチタイムには軽食もあります。

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そして赤城神社。ここは700年にわたり牛込総鎮守として鎮座してきた神楽坂では由緒ある神社ですね。

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神楽坂というのは、厳密な定義で言うと、東京都新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂のこと。

いわゆる傾斜のある坂になっていて、坂の上が、「神楽坂上」、そしてずっと降りて行って、一番下の坂の下が「神楽坂下」。

その傾斜のある坂の両側には、いろいろお店や飲食店が並んでいて、ここを特に「神楽坂商店街通り」と言っているようです。

最寄りの駅でいえば、神楽坂上のほうにあるのが、東京メトロの東西線の神楽坂駅、神楽坂下にあるのが、JRの飯田橋駅。

自分は神楽坂駅を使ったので、音楽之友社から下っていく感じ。
でも結局、この坂を昇ったり降りたりを何回も繰り返していました。(笑)


昔は、夏目漱石の通った田原屋などの老舗があったりなど風情があったらしいが、いまは、結構チェーン店やコンビニエンスストアの進出が目立ち、確かに歩いていると、チェーン店などで、どこかで見たことのあるお店が多いな~とは感じた。

でもそれを差し引ても、やっぱり神楽坂独特の風情のある雰囲気がその場にあってとても素敵なところだと思いました。

音楽之友社から降りていく。

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神楽坂野菜計画


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ここは、なんかふっと吸い込まれそうになる気になるスポットで、ぜひここでお昼ご飯を食べたいな~と思いましたが、値段が高いのでやめときました。(笑)

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以下神楽坂商店街通りの様子です。

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ここが一番下ったところの神楽坂下の交差点。

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ざっとこんな感じです。
それでは各々気になるスポットを紹介していきます。

コボちゃんの銅像。

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読売新聞に4コマ漫画として掲載されている植田まさしさんの漫画のキャラ。
この神楽坂商店街通りに、漫画コボちゃんの田畑小穂(コボちゃん)の銅像が建設され、その除幕式が2015年8月16日、作者の植田まさしさん臨席のもとで行われた。神楽坂は植田さんが長年住んでいる街なのだそうだ。それがここに設置された理由なんでしょうね。

でも正直、銅像の実物はあまり小さすぎて、まったく気が付かないです。坂を何回も昇ったり下ったりしましたが、全然気が付かなく、やっと見つけました。郵便ポストの隣にありました。(笑)



ほうじ茶を煎じています。

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このカレーショップ「ボナ」は相当ソソられました。
カレー大好きなんで。ピザのようなものから、いろんなものをカレーに絡めて、美味しそう。

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「不二家 飯田橋神楽坂店」。ここには数ある不二家の中でも、この神楽坂店でしか購入出来ないという「ペコちゃん焼」がある。日本で唯一なんでここは絶対に行くべき!

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チョコやカスタードをはじめ、いろんな種類のペコちゃん焼きがある。
じつは、店内にアンケートの紙が貼っていて、そこに自分が買った種類を、小さなシールを貼っていくようなシステムがあるのだが、その中では断トツにチョコが多かったので、自分はチョコにしました。

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さっそくいただく。お味は?まっこんなもんだろ?(笑)

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神楽坂に来たら絶対寄らないといけない必須の老舗甘味処「紀の善」。神楽坂の甘味処としては、あまりに有名なところなのだそうだ。ペコちゃん焼きの隣にある。

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店内もなかなか素敵でした。

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ここに来たら絶対注文しないといけない「抹茶ババロア」。
「抹茶ババロア」を目的に神楽坂に来る人も多いとか、神楽坂散歩のマストグルメなのだそうだ。
最近では、TBSテレビの日曜劇場 ”ラブストーリー”で、トヨエツの大好物として登場し、益々、人気を博しているとのこと。

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静岡産の抹茶を使ったもったりとしたババロアが素晴らしい。
甘過ぎないところがいい。たっぷりと餡・生クリームが添えられているのがまた嬉しい。
なんかお洒落な甘味ものですね。



昭和32年創業の15種類の大きな肉まんと小さなミニまん5種類が食べられる「五十番 本店」。
ここも「神楽坂散歩」では外せないお店だそうです。

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たくさんの種類の肉まんを売っている。

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肉まんをひとつ買って食べてみることに。お店の前にベンチがあって、そこで座って食べられるようになっている。さっそく中の餡を見せる写真を撮ろうとしたら、中の肉汁がぶちゅう~って感じですごい量飛び散った。(笑)Yシャツやカバンにベッタリ。すごいね。なんか小籠包食べるときみたいな感じですね。中の肉汁がたっぷりで、これは本当に美味しい肉まんでした。こんな美味しいものは、久しく食べていない。

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神楽坂のシンボル的存在の「毘沙門天 善國寺」。神楽坂商店街通りに即したところにある。
創建して400年余、インドで信仰されてきた財宝の神「毘沙門天像」が祀られている。
善國寺は開運厄除けの福運を授けてくださる「毘沙門天」を祀っているお寺なのだそうです。

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お昼ご飯をどうしようかな、と思いました。たったひとつの肉まんでも結構腹持ちがいいのだけれど、やっぱりご飯はご飯。

これは事前にネットで神楽坂のグルメを探していたんですよね。神楽坂は確かにグルメの宝庫。とてもお洒落で、雰囲気のあるお店が多いのだけれど、どこも正直高杉なんですよね。創作フレンチとかイタリアン。

自分に合うお店を探すのに苦労しました。行き着いたところは、音楽之友社に比較的に近く、東西線の神楽坂駅の1番出口をすぐ出たところにある「清久仁」。

なぜここにしたか、というとお魚専門の和食やさんで、値段が千円くらいで食べられる。
日本食大好きで庶民派の自分に合いそう。

「清久仁」
なんか結構古い昔から存在している和食やさんで、隠れ家的な感じがします。

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中に入ってみると、高級でもなく、ふつうっぽくていい!
なんか家族で経営しているほのぼの町の定食屋さんな雰囲気があります。

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サバの煮つけ定食をいただきました。
最高に美味しかったです。

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これを食べているときに、何気にルイージ&アラベラさんの公演がすでに先行で始まっていることをmixiのマイミクさんの投稿で知ることに!かなりはげしく動揺。(笑)家に帰ってからじゃいい席もう売り切れで無理。仕方なくスマホで購入を試みて、見事に成功。最近はスマホでなんでもできちゃうね。

このチケット獲り、来週土曜の最大イベントと心構えしていたので、それが今日チケット獲れてしまったことに、この瞬間、相当興奮してしまいました。(笑)

ドキドキ冷めやらず。。。


神楽坂に来たら、どうしても寄りたいお店がありました。
それはとても雰囲気があって、その雰囲気にやられてしまったからです。
正直お腹もかなりパンパンなのですが、喰いもん道楽はこれが最後と行ってみる。



神楽坂茶寮 本店

町屋風の和のスイーツや食材を扱っています。
テラスもある。木造造りでとても雰囲気があって、自分はこの雰囲気にやられて、ぜひ行ってみたいと思いました。メディアにも何回かレポートされていて、神楽坂では有名なところみたいです。


スミマセン、逆光で太陽の陽が入り込むので露光が・・・白っちゃけてしまいました。

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自分はテラスより店内を希望。
店内は照明を薄暗くして、それが木造とうまくマッチして、かなりお洒落でいいです。
でもなんでこんなに柱が多いんでしょう?(笑)
店内の面積が広いし、木造だから、強度的に支柱の支えが必要なんでしょうかね?

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あんみつをオーダー。右にあるシロップをかけるのをまた忘れてしまい、そのまま食べてしまいました。(笑)でも美味しかった。

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今回の散策でとても新鮮だな~と感じたのは、神楽坂って”横丁”文化である、ということ。

表通りから脇へ入った道のことを「横丁(よこちょう)」と言う。神楽坂には、大通りを歩くだけでは気づかないような横丁がたくさんあるのだ。

人一人が通るだけで精一杯の道を進んでいくと、石畳の道に、趣のある料亭、一般の民家がひしめく通りが現れる。それが妙に趣きがあって素晴らしい。

この横丁は、まさに絶好写真撮影スポット。
夜の撮影は、もっと最高に素晴らしい。

この横丁文化は、神楽坂独特で、ひとつの観光スポットになっていて、カメラを持ったたくさんの観光客が、そんな狭い路地裏に集まっている・・・そんな光景が自分にとっては、とても興味深いというか、人生初の体験で新鮮味があって感動しました。

表通りから一歩入る静かな路地裏、いわゆる横丁の住宅街のなかにレストランや料亭などが結構あるのだ。そういう奥まったところにひっそり存在するのが、どこか隠れ家的で、かなり和の雰囲気があって素晴らしくいい。

ここには、かつては江戸時代に蜀山人、明治期に尾崎紅葉・泉鏡花などが住んでいたそうだ。

神楽坂の横丁は、かなりたくさんあって、地図を見ても、メイン通りの神楽坂通りの枝道に入ったところからまさに迷路のようにたくさんの横丁が混み入っている。

それぞれの横丁に名前がつけられていて、観光地化している。

なにせ路地裏の迷路だから、行きたい横丁スポットにたどり着くのがかなり苦労する。(笑)


芸者小道。
ここに行きたかったんだが、結局辿り着けず。ネットからの拝借で失礼します。
雰囲気あります。

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たくさんある横丁のうち、自分が選んだのは「兵庫横丁」と「かくれんぼ横丁」。


兵庫横丁は、戦国時代に武器商人が住み、「兵庫」(武器を入れておく倉庫)があったことから「兵庫横丁」の名がついたそうだ。

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横丁には、こうやってひっそりとレストランがあったり、小さなショップがあったりで隠れ家的で賑わっている。

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あれ~ニャンコが!(=^^=)

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かくれんぼ横丁にも。たくさんの観光客。やっぱり横丁の中でも超有名な人気スポットなんだね。

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そんな路地裏に料亭がひっそりと。
まさしく、これぞ神楽坂横丁文化!

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そしてラストスパート。

じつはここからは行きたいとは思っていけれど、場所を特定するのが大変だったので、この日はあきらめていたのだが、帰りの東西線の神楽坂駅の入り口を見つけることができなく、迷いに迷って行き着いたところが、この諦めていた観光スポットだった。(笑)神様が、神楽坂に来たら、ちゃんとここも見て行けよ!ということで誘ってくれたんだろう。(笑)


la kagu(ラカグ)

2014年に新潮社の倉庫を改装しオープンしたキュレーションストア。 各分野のキュレーターが、本当に良いものだけをセレクトして集めた、おしゃれなショップ。

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中に入ってみると、洋服やカフェなどが入ってました。

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「かもめブックス」という、カフェが併設されている、神楽坂の有名本屋。

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本だけでなく変わった文房具や雑貨もあり、 さらにはアートギャラリーも奥にあり、かなりお洒落な雰囲気です。

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本を読みながら、カフェでくつろぐこともできるのです。

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神楽坂といえば、軒並み出版社がたくさん存在する街としても有名。
迷いに迷って辿り着いたら、この新潮社本館にたどり着きました。

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書籍管理課。。。自分の人生では、たぶん縁がない世界だったかもしれないな~。

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そして旺文社もありました。

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クラシックファンの聖地として巡礼の意味を兼ねて、訪問した神楽坂ではありましたが、いやはやなんとも風情があってとても素敵な街というかスポット。独特の雰囲気があって、いままで自分が生きてきた世界とは別世界のような感じがしました。

また訪問して、つぎなる横丁を開拓しないといけない。 (笑)








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大谷康子さん [クラシック演奏家]

大谷康子さんといえば、自分にとっては、やはり東京交響楽団のコンサートマスターという印象が大きい。

それは当然だろう。1995年に東響のコンサートマスターに就任して、2015年までの20年間の間、勤め上げて2016年には、東京交響楽団名誉コンサートマスターの称号を授かる。

当時としては女性のコンサートマスター(コンサートミストレス)は珍しい存在だったと思う。
人知れずの苦労もあったのかもしれない。 

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人柄が素晴らしく、マルチなタレントもあるので、ソロ含めて幅広い活動をされているが、やはり大谷さんといえば東響。

自分は、2015~2017年間の3年間、東響の名曲全集の定期会員になり、ミューザ川崎に通い詰めた。大谷さんは、2015年に東響を卒業され、その後を若き俊英の水谷晃くんが引き継ぐ感じで、その端境期を体験できた。ミューザ川崎の名曲全集は、実際のところ、2013年から、会員ではなかったけれど単券で結構通っていたので、実質、東響のコンサートマスター時代の大谷康子さんを、足掛け4年くらい、ずっと観てきたことになる。

ミューザ川崎の2CAや2CBの座席から、つねにコンサートマスターの席を見ると、大谷さんの横からの姿を眺めていた。そこにいるのが至極当たり前のように思えるほど存在感があった。

2015年5月10日に、その名曲全集の一環として、「大谷康子デビュー40周年コンサート」と題して、なんと1日に4大協奏曲を弾く!というとてつもないチャレンジをしたこともあった。

もちろん自分はその場に居合わせた。

いまでも鮮明に覚えている。

ヴィヴァルディ、メンデルスゾーン、プロコフィエフ、ブルッフ。

コンチェルトだから1曲につき、3楽章あるわけだ。
それを4曲もやるなんて!

いつもは、しっかりとオーケストラを支えていく役割から、この日だけは自分が前へでるスター。
素晴らしく感動した記憶がある。

まさにこの日の公演は、華のあるステージで、大谷さんのヴァイオリンが「歌うヴァイオリン」と評されるのがよくわかるような気がした。


この日は自分はたしかスマホで実況中継していた記憶があります。(笑)

なんかその日の楽しい想い出としてしっかり頭に刻み込まれているのは、アンコールのときだったのかな?ステージでヴァイオリンを弾いていた大谷さんが、そのままステージから降りてきて(もちろんヴァイオリンを弾きながら、です。)、ミューザの1Fの客席、そしてさらには、2階席と上ってきて、ヴァイオリンを弾きながら客席の通路を歩いて回ったのだ。楽しそうにお客さんに挨拶して回る姿が忘れられない。

場内湧きに湧いて爆笑。(笑)

なんと!楽しい人なんだろう!(笑)

とそのとき思った。見た目の通りの感じの方でした。

自分のすぐ目の前を弾きながらの大谷さんが通過したのを覚えている。

なんか、つい最近のことのようだ。


そして2FのホワイエのCD売り場で、この大谷さんのCDを買ったのだ。 


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Violin Sonata: 大谷康子(Vn)Golan(P)+beethoven: Violin Sonata, 5

http://urx.red/MtGz

まさにデビュー40周年を記念する録音で、ベルリン・イエス・キリスト教での録音なのだ。
つい嬉しくなって、すぐに購入を決断。

いまこうやって当時を振り返りながら聴いている。

やっぱり素晴らしく録音がいい。ふつうの教会のような響き過ぎの感が少なく、とても適度な残響感。ヴァイオリンの艶というか鮮度感が抜群で、空間感も程よくある。録音技師いい仕事をしている。

R.シュトラウスのフランク・ソナタとベートーヴェンのスプリング・ソナタ。

まさに名曲中の名曲を取り上げた大谷さんを代表する素晴らしい作品だと思う。
大谷さんの演奏解釈は、クセがなく、とてもスタンダードな装いで自分の中にすんなりと入ってくる。違和感、抵抗感まったくないです。




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自分の番組で、ソプラノ幸田浩子さんと。



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番組のメインパーソナリティとして。N響首席オーボエ 茂木大輔さんと。




仙台市生まれで、名古屋育ち。
3歳でスズキメソードで学び、東京藝術大学で音楽家への道を確かなものとする。
ソロ活動を在学中よりはじめる。ウィーン、ローマ、ケルン、ベルリンなどでのリサイタルを行う。

2013年のザルツブルグ市ミラベル宮殿マーブルホールでリサイタルとか、2014年秋のシュトゥットガルト室内管弦楽団との日本ツアーなどの海外との関係も深いが、とりわけやっぱり最近の注目は、キエフ国立フィルとの共演。

彼らが来日した時の日本ツアーのソリストを務めたり、逆にキエフ国立コンサートホール 創立155周年に招かれ演奏したりその友好関係の絆は強く、最近の大谷さんの海外での活躍は、このキエフ国立フィルとのコラボがとても印象に残ります。

そのツアーにひっかけてという感じで、しっかりヨーロッパの他の国も観光がてらにヴァカンスを楽しまれていて、なんかSNSの投稿、とても楽しそうです。(笑)うらやましい~(^^)

そして、2016年から、まさに10年プロジェクト「大谷康子のヴァイオリン賛歌」の公演をスタートさせた。

東響を卒業してもソロ活動とても順調そう。

愛器はピエトロ・グァルネリ(1708年製)。

大谷さんは、やはりその笑顔をみればわかるように、本当に天性の素晴らしい人柄が滲み出ているのがよくわかる。

いい人の典型的な感じの全体のシルエットしてる。(笑)

本当に素晴らしい人なんだろうな~。

テレビ・ラジオなどの活躍も多い。

テレビ番組「題名のない音楽会」に340回以上出演で最多出演記録なのだそうだ。
BSジャパンの「おんがく交差点」で春風亭小朝師匠と司会をつとめ、演奏も披露しています。

また病院の慰問や学校での演奏教室などのアウトリーチ活動にも余念がない。

最近の海外での楽しそうな投稿が印象的だったのと、ひさしぶりにデビュー40周年CDを聴いて、やっぱり素晴らしい録音!と感動して久しぶりに大谷さんのことを日記にしたかった気分でした。

今後ますますのご活躍お祈りしています。

最後に宣伝。

本出ます。

長くヴァイオリニストとして第一線で活躍する大谷康子が語る、音楽を通して出会った名演奏家、名指揮者、名オーケストラとの秘話や、指導者としての心がけ。そして、東日本大震災で救助に来てくれた約30カ国の代表を招いたチャリティコンサートや、病院の慰問や学校での演奏教室など、「音楽を届けることで世界をひとつにしたい」という夢をずっと追いかけている生き方。

あきらめずに、「そのときしていることを楽しむ」ことから生きる喜びは生まれるという、人間&音楽賛歌。。。だそうです。

いわば大谷康子さんの音楽家人生として得てきた糧のすべてをこの1冊にまとめ上げたものなのだと思います。

私もぜひ買って読んでみたいです! 


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ヴァイオリニスト、今日も走る!
大谷康子










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アルゲリッチのショパンコンクール1965 [ディスク・レビュー]

自分のクラシック・ピアノへの開眼、その基本は、ポリーニ、アルゲリッチだった。

いままでどれだけの彼らのアルバムを聴いて来たことだろう。両人ともショパンコンクールで世に出たある意味ショパン系ピアニストなのだが、その後の活躍はショパンに限らず、いろいろな作曲家の作品を世にリリースして幅広い芸術の域を我々に示してきてくれた。

その中でも、やっぱり自分の中でアルゲリッチに対する想いは、絶大なものがある。

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やっぱり彼女はとても激情家で、恋多き女性、そしてあの剃刀のように切れのいい強打鍵のパワフルな演奏スタイル、すべてにおいて、生きる伝説カリスマなのだ。

彼女の最大の魅力は、やはりとても人間っぽいというところだと思う。
とても恋多き女性、ショパンコンクールの審査結果に納得がいかずボイコット事件、つい最近では、元夫のデュトワの#MeTooによるセクハラ告発問題で、デュトワが干されたときも、まっさきにその発信国になったアメリカの公演を全キャンセル、そして自分がピアノのソリストとしての公演の指揮者にデュトワを指名とか・・・その気性の激しさ、そしてすぐさま行動に移すその積極性、あきらかにアルゲリッチだ。

彼女には、強い心、自分の芯というものがあって、それがぶれない。
彼女の実演に接したときでも、ピアノに座るなり、演奏の前の心の準備のような間を置くことなどなく、座るなり、さっさと弾き始めてしまうのだ。(笑)

そういうあっけらかんとした器の大きさというか、からっとした性格がいかにもアルゲリッチらしくとてもいい。

けっしてエリート然とした近寄りがたい演奏家というよりは、もっと愛情の深さ、激情家、失敗も多々あるといったその波瀾万丈な人生にとても人間っぽい俗っぽさ、誰からも愛される秘密がそこにあるのではないのではないか、と思ってしまう。

アルゲリッチのドキュメンタリー映画も結構観ている。

「いろんな作曲家を弾いてきたけれど、やっぱり自分はシューマンがとても好きなんだと思う。
シューマンの曲を弾いていると、とても幸せな気持ちになり、自分に合っていると思う。」

そんなことを発言していて、とても興味深かった。

ふだんの生活もたくさんの若い演奏家、いわゆる取り巻きとも言える仲間たちといっしょに暮らしていて、慕われている。そこには、若者たちに自分のいままでの演奏家としての糧を伝えていっていることは間違いないことだ。

日本ともとても所縁が深く、別府アリゲリッチ音楽祭をやってくれて毎年必ず日本の地を踏んでくれている。本当にありがたいことです。

衝撃の1965年のショパンコンクール優勝を経て、まさに若い頃から第1線で活躍しつつ、現在ではもうレジェンド、カリスマ的な神々ささえ感じる。

コンクールというのは、ある意味、演奏家が世に出るためにひとつのきっかけなのかもしれないが、大事なのはコンクール優勝ではなく、そのコンクールの後。

コンクールで優勝して名を馳せても、その後さっぱりで消えていった演奏家のいかに多いことか!

コンクールの後に、つねに第1線で居続けることの難しさ、たとえ浮き沈みが多少あっても、それが晩年に至るまで持続できるというのは、本当に運や巡りあわせもあるかもしれないが、大変なことなのだ。


ショパンコンクールではいろいろな課題曲が演奏されるが、その中でもオオトリのメインは、ショパンピアノ協奏曲第1番。

この曲はもちろん大好きで大好きで堪らない。

この曲の録音で名盤と言われるものは、過去にいろいろある。
じっくり創り込まれた感のある人工的なセッション録音。そしてまさに臨場感を味わえるようなライブ録音。セッション録音やライブ録音でも、このショパンピアノ協奏曲は、本当にいい名盤がたくさんある。

その中で、自分がどうしても忘れられない、この曲だったら、この1枚というのがあるのだ。

それがアルゲリッチが優勝した時の1965年のショパンコンクールでのショパンピアノ協奏曲第1番。 

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もうすでに廃盤になっていて、中古市場にしか出回らないディスクになってしまったが、自分はこの曲だったら、この演奏がどうしても忘れられない。ある意味、この曲の自分のバイブル的な存在にもなっている。

この曲は、最初にオケの前奏がかなり長い時間あるのだが、このときのコンクールでは、そういうのをかなり端折って略して演奏している。

そしてもうバリバリの当時のライブ録音。観客席の咳き込みなど、リアルにそのままダイレクト録音だ。いまのように編集の時に咳き込みをカットなどという小賢しいことはやらない。

このコンクール盤は、当時雨天の雷だったようで、外で雷が鳴っているのが、何回も演奏中に音として録音されているのだ。(笑)

そういう当時のコンクール・ヴァージョン的に編集されたショパンピアノ協奏曲第1番で、現代の完成度の高い作品と比べると聴き劣りするかもしれないが、自分の中では、この曲で、この盤を超えるものはないと思っている。


とにかくいま聴いても、身震いがするほど、新鮮で衝撃的だ。若い頃に、この録音を聴いて、当時のショパンコンクールでアルゲリッチが優勝した時ってどんな感じだったんだろうな~ということを夢想していたことを思い出す。

その映像がもし残っているならぜひ観てみたいと恋焦がれていた。
だって、1965年の大会に優勝ってことは、もうほとんど自分が産まれた年に優勝してこの世界にデビューしている、ということ。

大変な尊敬の念を抱いていた。

当時、クラシックのジャンルで、ピアノといえば、アルゲリッチから入っていった人だったので、当時猛烈に彼女の録音を買いまくっていくうちに、彼女の原点はこの1965コンクールの演奏にある、ということに行き着いたのだった。

1965年の優勝のときの映像、もちろんこのショパンピアノ協奏曲第1番を弾いている演奏姿を観てみたい、とずっと恋焦がれていた。

そういう過去の偉業、自分がそのときにリアルタイムに接することができなかった事象に、クラシックファンって妙に魅力を感じるそういう人種なのではないか?と自分は常々思っている。

過去の大指揮者、演奏家などの名盤蒐集というジャンルが、クラシック界で根強い人気なのは、なんか自分がリアルタイムに接することのできなかったことに対してなんとも言えないミステリアスな魅力を感じて、そういう探求心魂に火をつける、というか。。。そういう感じってあるのではないだろうか。

1965年のアルゲリッチ優勝大会には、自分はまさにそのような感覚を抱いて相当憧れた。

数年後に、その夢は成就した。

1965年大会アルゲリッチ優勝のときの映像が残っていたのだ!
もちろんメイン課題曲のピアノ協奏曲第1番の演奏。

いまやこれも廃盤になって手に入らないのだが、

ショパン国際ピアノ・コンクールの記録「ワルシャワの覇者」DVD 32枚セット

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こういうショパンコンクールの歴史的に残されている貴重な過去の映像を集めた夢のようなパッケージ商品が発売されたのだ。結構高かった。その中に、アルゲリッチ優勝の第7回大会もあるし、なんとポリーニ優勝の第6回大会もあるのだ。

当時ヤフオクで10万くらいの大枚はたいて買ったと思うが、嬉しかった思い出だ。


もちろん白黒画像だが、よく残っていた。あの伝説の水玉模様のドレスを着て、コンクール会場に入場してきて、自分が何回も聴き込んだあのコンクールライブをいま目の前で演奏している。

なんともいえない感動だった。

アルゲリッチらしいピンポンが跳ねるように、鍵盤を軽やかにタッチする場面、後で述べるが、この箇所がこの曲で自分が一番拘るところ。そこを見事に映像として観ることができた。

生きててよかった!と当時真剣に思った。


このDVDセットは、じつは演奏の模様収録だけでなく、インタビューやショパンコンクールの歴史について解説するなど、大半は演奏よりもそういうところに割かれていて、自分は少々退屈に思ってしまった。

愚かなことに、結局アルゲリッチのその場面を見たら、あとはほとんど死蔵という感じだったので、結局売却してしまった。今思えば、ずいぶん勿体ないことをしたと思う。



なぜ、アルゲリッチのショパンコンクール1965の演奏なのか?

アルゲリッチは、その後、後年にこのショパンのピアノ協奏曲第1番を何回も再録している。
でもそこには、自分がコンクールライブ盤で感じたような緊張感、鋭さというのを感じなかった。
どこか、創り込まれている安心な世界での表現で、ビビッとくるほど緊張や感動をしなかった。

追い込まれた極度の緊張感の中でしか起こり得なかった奇跡、そんなミステリーがこのライブ録音にはある。

コンクール独特の緊張感、まさに伝説の名演奏。
この曲のこれに勝る名演奏はない。

アルゲリッチ本人も、このショパンコンクール録音が気に入っていたという話もある。


1965年第7回国際ショパン・コンクールにおいてアルゲリッチが優勝した時のライヴアルバム。
正規盤とこんなジャケット違いのものも当時収集していた。(中身は同じ。)

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「ピアノ協奏曲第1番」「スケルツォ第3番」「3つのマズルカ 作品59」で演奏はワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団。24歳という若きアルゲリッチの自由奔放で情熱的な演奏が素晴らしい。

ちなみに、コンクールでの彼女の使用ピアノはスタインウェイでもベーゼンドルファーでもなく、ベヒシュタインだったというのが驚きである。

ポーランドの人々が「ともかくマズルカだけはポーランドを知らなくては弾けない」と言い切りがちなこの曲を、ショパンコンクールの準備をするまでマズルカが何かも知らなかったというこのアルゼンチン出身のピアニストが、そんなうんちくを蹴散らすかのような見事な演奏を披露しているのだ。


なぜ、数多あるショパンピアノ協奏曲第1番の録音の中で、この1965のショパンコンクール盤がいいのか?

いま改めて聴いてみると、アルゲリッチらしい強打腱のオンパレードで緩急はまるでなし、ある意味一本調子で現代の流麗な語り口のピアニストたちの演奏と比較すると、いくぶん乱暴で粗野な印象を受けることは確か。

通常、20分かかる第1楽章を16分で弾いている。
それくらい高速で強打腱、そして一本調子というのが贔屓目なしの率直な感想だろう。

まさに若いよな~という感じの演奏だ。

でも、若かりし頃の自分はこの演奏に惚れ込んだ。

特にこだわったのは第3楽章の冒頭でピアノが最初に入るところ。

ここはアルゲリッチのこのコンクール盤では、まるで鍵盤の上でピンポンが跳ねるように、じつにリズミカルに跳ね上げるように弾く。これが自分には堪らなかった。

それ以来、この曲を聴くときは、この部分はどうなのか?を聴いて、この盤はよい、よくないなどの判断をするようになってしまった。(笑)

ある意味変わってる奴。(笑)

それくらい自分にとって大事な箇所だった。

他のアーティストのこの曲の録音のこの部分は、大抵なめるように、軽やかなにさらっと弾き流すのだ。これが自分には物足りなかった。もっと強く鍵盤を弾くかのようにピンポン的に弾いてくれるのが好きだった。

いままで聴いてきたこの曲の録音では、この部分は大半がさらっと流す弾き方が大勢を占める。

そんな聴き方をするようになったのも、この1965コンクール盤による影響が大きい。

自分にとって、特にピアノは、そのピアニストの解釈によって、そして嵌るきっかけとなった最初の曲に支配されることが多く、その影響のために、いつまで経っても新しく出てくる新譜に対して寛容になれない、という保守的な自分がいる。

ピアノ協奏曲では、自分にとって命のラフマニノフのピアノ協奏曲第3番についてもまったく同じだ。あの曲もアルゲリッチの演奏がリファレンスになってしまっている。

いつまで経っても新しい新譜を受け入れられる寛容さが持てない。

じゃあポリーニの1960年のショパンコンクール優勝のときのこの曲の第3楽章の冒頭のピアノが入るところはどうだったのだろうか?

これもずいぶん悩んだというか、聴きたくて恋焦がれた。(笑)

ポリーニのコンクール時の演奏は、なかなか音源として出なかったので、時間がかかったが、ようやくDGがポリーニ全集ということでBOXスタイルの全集を出してくれた。

その中に、この1960年大会のポリーニによるこの曲の演奏が収録されているのだ。

やった~!とう感じで、もちろん購入した。

聴いた感想は、まぁ~さらっという感じでもないし、ピンポンのように弾く感じでもなく、中庸でした。自分的には、あまり印象に残らなかったような・・・(笑)

後年、この曲に関しては、いろいろな名盤が出たが、自分的に納得いく素晴らしい演奏、録音と思ったのは、クリスティアン・ツィンマーマンの弾き振りによるピアノ協奏曲第1番&第2番。

これは世間の評判通り、自分も素晴らしい演奏だと感じた。

いわゆる創り込まれた芸術の域というか、そういう完成度があった。

あと、ライブ、つまり生演奏ではどうだったか?

記憶がなかなか思い起こせないのだけれど、ウィーンフィルが定期的に毎年サントリーホールで公演する来日公演で、ランランがこの曲を演奏して、そのときは鳥肌が立つくらい興奮した素晴らしい演奏だった記憶がある。

いずれにせよ、時代を超えたピアノ協奏曲の名曲中の名曲ということで、ふっと思い立ち日記にしてみた。ピアノ協奏曲を語る上では忘れられない、そして絶対避けては通れない1曲だ。

そういえば、来年?ショパンコンクールがまたやってくるのではないだろうか?

あの場で、また新しい時代のスターが生まれるのだろう、きっと。






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世界の朝食を食べさせてくれるお店 モロッコの朝ごはん [グルメ]

このシリーズをやり始めてから、世界の国の地理に詳しくなったような気がする。

いままでその国の名前はよく聞いたことあるけれど、それが世界のどこに位置するのか?というのは、いまいちピンとこなかった。

朝ごはんを通して旅に出よう!

伝統的な朝ごはんは世界的に消えつつあるが、そこには歴史や、文化、栄養、生きることを楽しくしてくれるヒントがいっぱいつまっている。

そんなスローガンでやってきた。


やっぱり原宿2号店は最高だ。
こんな広いゆったりしたスペース。
大体、休日の土曜の午前中に来るのだが、なんかこのスペースを見るとホッとする。
休日だから、なにも予定などなくて、頭の中まっさらにして、ここで世界の朝ごはんを堪能する。

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2か月に1回更新される世界の朝ごはん。
今回は、モロッコの朝ごはん。

モロッコの世界地図な位置は、ここ。

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モロッコ王国。

首都:ラバト
最大の都市:カサブランカ
人口:約3,300万人
民族:アラブ人やベルベル人
宗教:イスラム教やスンニ派が多数
言語:アラビア語、ベルベル語、フランス語など。
政体:立憲君主制




アフリカ大陸の北西に位置するモロッコ王国。南部にはサハラ砂漠が広がるが、大西洋と地中海に面する北部は一年を通して穏やかな気候でカサブランカなどの都市が集中する。先住民族のベルベル人とアラブ人などが住んでいて、アフリカとアラブの文化に、フランスやポルトガルなどヨーロッパの文化が入り交じり、現代のモロッコは、多様性のある文化のクロスポイントになっている。

食生活にもそれが反映されている。


国花はバラ。花が咲く5月には香り豊かなダマスクローズの収穫が一斉に行われ、ローズオイルやローズウォーター、ジャムなどに加工される。


イスラム教のモロッコでは、イスラム法で定められた食のルールがある。
食べてもよいものが「ハラル」で、食べてはいけないものが「ハラム」として禁じられている。

豚肉やアルコールはハラムとして禁じられている。
ただ観光客であれば、都市部ではお酒を購入することが出来る。

7世紀にアラブ人がやってくる前から住んでいた先住民族のベルベル民族。
タジンやクスクスといったモロッコを代表する料理は、もともとベルベル民族の料理なのであった。

日本でもポピュラーになってきたアルガンオイル。
アルガンの実の種からとれる貴重なオイルは古くからベルベル人に重用されてきたが、近年美容効果などで海外からも注目されて貴重な輸出品となっている。

モロッコってこんな国です。


これがモロッコの朝ごはん。

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小さな穴がたくさん空いたパンケーキの「バグリール」と、四角いパイのようなクレープの「ムサンメン」がモロッコの人気の朝ごはん。どちらもセモリナ粉で作りたっぷりのバターとハチミツをかけて食べる。

トマトや玉ねぎと卵をタジンで煮込んで作ることが多い「ベルベルオムレツ」。たっぷりのイタリアンパセリとコリアンダーが入ったモロカンサラダと一緒にワンプレートスタイルにした朝ごはん。


写真のお皿の左下にある円形のパンケーキが「バグリール」。
モロッコのパンケーキ。小さい穴がたくさん空いているのが特徴。
朝ごはんに限らず、露天でも何十枚ものパグリールを重ねて売っていて気軽に食べることが出来るのだ。

その右にある四角いパイのようなクレームが「ムサンメン」。
ホブスというパンがモロッコではよく食べられているのだが、ムサンメンという四角いクレープと、「バグリール」というパンケーキが朝ごはんにはよく食べられている。

どちらもパスタと同じセモリナ粉が原料。ムサンメンは、いろいろなものをのせてくるくると巻いて棒状にして食べる。バターとハチミツが人気。


食べたんだが、この日記を書いているときに大失敗したことに気づいた。
バターとハチミツをかけて食べるもんなんだね。気づかないで、そのまま食べていました。(笑)

どうりで無味無臭というか、これ美味しいかな~?と思いながら食べていました。(笑)
食感がモチモチしているので、確かにバターとハチミツをかけて食べたら、最高に食べ応えがあって美味しいかもですね。我々日本人で言えば、白いご飯になにかを乗せて食べるみたいな、そんないわゆる主食的な存在なんでしょうね。

バグリールもムサンメンも、どちらも同じ味がするというか、あまり変わらないと思いました。

どちらもセモリナ粉で作られているので、同じなんだね。


その上に映っている真ん中に玉子が乗っているもの。
これはベルベルオムレツといって、トマトと玉ねぎを煮込んだソースに玉子を後から落とすモロッコスタイルのオムレツ。タジン(北アフリカ地域で使われる土鍋のことで、いまはそれを使って作る鍋料理のことを全般にそう言っていたりする)を使って作ることが多い料理。

これは美味しいと思いましたね。
まずトマトの風味が強烈なので、すぐにわかったが、単にトマトだけとは思えない絶妙な味の複雑さというか、ちょっとしたクセのあるアクセントがあって、これってなんだろう?とずっと思って食べていたのだが、いま日記書いていて、それが玉ねぎによるものだということがわかった。

さっきのパンケーキもそうだけれど、この企画、いつも予習しないで、いきなり本番で体験して、その後にゆっくり日記を書くときに、ようやく朝ごはんの中身、構成を知るという後付けなので、どうしてもこんな失敗とか、後になってわかる、という感じなんだよね。


さらにその横にあるさっぱりサラダ風。
たっぷりのイタリアンパセリとコリアンダーが入ったモロカンサラダ。
これはホント見た目通りのさっぱり風味のサラダでした。


今回のワンプレートの朝ごはんにはなかったが、モロッコ料理と言えばやっぱり「クスクス」。
セモリナ粉を小さな粒にまとめた世界最小のパスタ。モロッコでは野菜や肉と一緒にタジンで煮込んで食べるのが一般的。モスクに行って礼拝する安息日である金曜日に食べることが多く、モスクでクスクスがふるまわれたりするそうだ。

クスクスと言えば、なんかゴローさんが三軒茶屋に美味しいお店がある、とみんなに宣伝していたことを思い出しました。(笑)


モロッコの国の人の食事の仕方なのだが、絨毯を敷いた床に座って、取り皿なしで大皿から直接食べるのが一般的な食べ方だそうだ。イスラム教では右優先の思想があるあるため、右手を使って食べる。イスラム暦の第9月はラムダン月とよばれ、約1か月間太陽が昇ってからは沈むまで何も口にしないのだ。

バグリールは、ラムダンの時期に特によく食べられている。また断食明けには体に優しいトマトスープのハリラが好んで食べられるそうだ。

自分はイスラム圏に生まれなくてよかったと思うのは、やっぱりこの断食があるのは耐えられないからかな?(笑)


今回の朝ごはんと、その他、モロッコに関する諸々の情報は、駐日モロッコ王国大使館による協力によるもの。

今回お店のスタッフは、モロッコ大使館にお伺いして、参事官の方々にモロッコの朝ごはんを試食してもらったそうです。(笑)

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(c)WORLD BREAKFAST ALLDAY FB Page


この日の原宿。この日もこれ以外に特に予定を入れていなく、なんかのんびりした1日を。。。こういう休日の過ごし方はいい!

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東京昔ラーメン 福寿 [雑感]

奴は渋谷 笹塚に住んでいた。(笑)当時よく笹塚に遊びに行っていたのだが、どうしても忘れられないラーメン屋さんがあった。奴に教えてもらい、よく一緒に食べに行っていたし、自分一人でもよく食べに行っていた。

じつにひさしぶりに奴のことを思い出したとき、この笹塚のラーメン屋さんのことを思い出し、無性に食べたくなった。奴と疎遠になってから、笹塚という街自体にもまったく行かなくなった。

よし!行ってみよう!

本当に久しぶりの笹塚。
駅前は工事中ではあったけれど、そんなに面影は変わっていなかった。

ここの十号通り商店街にある。


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懐かしすぎる!(笑)まったく変わっていなかった。

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この商店街の一角に、焼き鳥を売っているお店があって、そこで焼き鳥を何本か買って、その場で、奴と立ち食いしたことがよくあったのだが、まだやっていた!

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目指すラーメン屋さんは、この十号通り商店街をずっ~と下ったところにある。

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福寿。

創業67年にもなる老舗中の老舗。まさに日本でも相当古くからやっている東京昔ラーメン屋さん。じつに30年ぶりに暖簾をくぐります。

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まったく変わってない!
あの当時のまま。

まさに昭和のノスタルジックな雰囲気がそのまま残っているお店なのだ。

あれから30年は経っているのにオヤジが結構ピンピン若いんだよね。
店主交代しているかな?いやそんなことはないだろう。

あまりに高齢なんでいつ閉店になっても不思議ではないので、やはり今のうちに食べに来たのは正解だった。

結構お客さんもかなり入っていて、繁盛していた。昔より入りがよいぐらい。
ごく最近、フジテレビで特集されたらしく、その効果もあるかも?とか。

テーブルなんて、このレトロ。

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値段設定もとても良心的。

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飲み水のサーバーは、あまりに古すぎて衛生的によくなさそうに感じてしまう。(笑)

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自分はチャーシューメンの大盛を頼んだ。

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大盛はやっぱりちょっと図的に汚いかな?
しかもチャーシューがとても貧祖。

でも懐かしすぎる。まさにあの当時にそのまま。

昔、じぶんはここの東京昔ラーメンの味が大好きで、必ず大盛を2杯平らげていた記憶がある。

さっそく食べてみたが、まったく変わっていなかったね。

本当に美味しい。

麺がすこし固めのが特徴。そして相変わらず美味しい飾りっ気なしのスタンダードな醤油味。

まさに東京昔ラーメン。

昭和の懐かしの東京ラーメン。


イケメンより男前が好き
クリエーターよりも職人が好き
最近のラーメン屋はとかく意識が高い

ダシから徹底的に凝りに凝った芸術品ともいえるいまのラーメン

ここのラーメンは、そういうものとは全く無縁のふるき良き時代の味がする。
昭和のノスタルジックな雰囲気いっぱいで、飾り気ナシの大勝負。

自分がガキの頃、北海道で生まれ育ったときに、オヤジやオフクロに連れて行ってもらったラーメン屋、また当時は出前でラーメンをとる、というのが結構あたりまえで、そんなガキの頃に家でウマいウマいと言って食べていたラーメンが、まさにこんな感じのラーメンだった。



そんな奴はいまはどうしているのか?

奴の名前でネットでググると、なんと折り紙の世界がいっぱい出てくるのだ。(笑)

折り紙の世界は、自分もよく知らないが、でも日本折紙学会という組織がきちんとあって、専用のサイトもたくさんある。やっぱり折り紙の大好きな人が集まって、自分の折った作品を自分のツィッターに上げたりして、楽しまれている、そういうほのぼのした世界みたいだ。

折り紙の世界って、こんな世界。。。

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まさに和の美しさというか、日本的でいいな~と思う。
どちらかというと女性にファンが多いのかな?とも思ったり。

じつは奴の名前でググると、折り紙の世界では奴はどうもスーパースターみたいなのだ。(笑)

これが奴の出世作品。

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「ツル星人」

伝承の折り鶴に,長い手足を折り出して,人型にアレンジされた、どちらかというと面白的な作品。

奴はこれで、一気にスターダムに乗り上げて、折り紙界のスーパースターみたいなのだ。
奴のこの作品に、みんな憧れて、マネをして折ろうとするが、折り方がわからないので、そういう講習会があったりすると、奴は講師として招かれているみたいだ。

じつはその講習会の模様の写真を見つけることができた。
奴は講師として映っていた。

2012年「折紙探偵団」という折り紙の東京コンベンションのこと。

ひさしぶりに奴の近影を見た。

やっぱり奴だった。変わってなかったな。ちょっと太ってひと回りガタイが大きくなっていた気もする。もともと体格がデカいやつで、自分も大きいが、奴のほうが大きかった。

当時は髪型は相当長髪だったが、いまは綺麗さっぱり短くしていた。


このツル星人、何年も連続して講習されている作品で,折り紙教室でも大人気なのだそうだ。

講習生のみなさんも奴の講師ぶりを、こんな風に書いている。

とても大柄な方でキャラがまず最高、朗らか。
とっても明るい雰囲気の折り紙教室


ある個所の沈め折りの説明で「ここをバコーン!と内側にしまって!」
他の個所の沈め折りの説明で「ここを,さっきのバコーンみたいにシャキーン!と内側に」
「そうすると,ここがシャキーンでここがバコーンになるんだけど」
読むと意味不明かもしれませんが,実は結構分かりやすいんですよ,これが。


なんか長嶋茂雄さんみたいですね。(笑)

でも奴のことをよく知っているだけに、このコメントはよくわかるし、その通りと思う。
そういうやつでした。

ツル星人をはじめて開発して折ったスターで、その後それに憧れる折り紙ファンが全国に居て、折り方の本も出しているみたいだ。そしてこうやって毎年、折り紙講習会に講師として招かれている。

奴の他の作品を披露してみよう。

「イスに座って本を読む、ツル星人」

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「 怪獣ツルラ 」

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「 大怪獣 ギャオス 」

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奴の作品は、一番前の青いやつで、「ふんころがし」(笑)

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折り紙の世界って、ある意味、日本的で可愛らしいというイメージがあるけれど、奴の作品は、どれも怪獣もの(笑)。はじめ奴の名前でググったときに、この折り紙の作品が出てきて、てっきり同姓同名の別人かな?とも思ったのだが、この一連のゲテモノというか怪獣ものを見て、あ~やっぱり奴に間違いない、と確信したのだ。

奴らしいというか、奴の匂いがする。。。という感じで。

奴は、当時から、いや大学の頃からちょっと変わったやつで、とても個性的だった。

大学の時、スケバン刑事という番組が流行っていて、初代:斉藤由貴、二代:南野陽子、三代:浅香唯ってな感じで大流行していた。(自分は原作の漫画でもスケバン刑事読んでました。)

奴はナンノこと南野陽子の熱烈な大ファンで、それはそれは、よくいろいろ聞かされました。(笑)いろいろなナンノのコレクターしてました。社会人で再会しても変わってませんでした。ナンノ・ブーム健在という感じで。


ネットでさらにググると、なんとTV出演もしていた!

2015年にフジテレビで、KinKi Kidsのブンブブーンという番組に出演していた。

「近藤真彦と東京タワーを丸ごと知り尽くそう」という内容だった。(笑)

まだ東京タワーやってるんですか!(笑)

自分の予想だけれど、出演者のKinKi Kidsの堂本兄弟と、近藤真彦といっしょに東京タワーってこんなところ、という感じで、東京タワーのいろいろなところを現地ロケで紹介、説明するテレビマンとして出演したのではないか?と思うのだ。

東京タワーのことは知り尽くしているからね。(笑)


でも、まさか折り紙界のスーパースターになっているとは知らなかった。

自分は、オーディオや海外旅行、そしてクラシックコンサート通いとどれも莫大な投資資金が必要な趣味ばかり。生活のリズムを壊してまで、やってるという感じなのだが、そんなところに、奴の折り紙の世界で活躍をしているのを見て、なんとお金のかからない健全な生活をしているんだろう!と思った訳だ。(笑)

お金をかけないで、人生を謳歌する方法はいくらでもあるんだな、ということを強烈に感じました。

2012年の近影の写真でも、当時の面影はそのまま、ひさしぶりに30年ぶりに再会してみたいな~?

積もる話もあるかろう・・・。







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クラシック・コンサートのカーテンコールは、なぜ何回も繰り返すのか? [クラシック雑感]

クラシック・コンサートに行き始めた人は、あの終演のときのカーテンコール、つまり指揮者やソリストが何度も舞台袖に下がっては、また登場して、を繰り返して拍手喝采を浴びるのか?といういわゆる儀式を不思議に思うかもしれない。

自分は通い始めた頃からそんなに違和感を感じなかったが、じゃあこれはなんのためにやっているの?という疑問にきちんと答えられるか?というと、それも自信がなかった。

せっかく昨日カーテンコール撮影のことについて日記にできたので、ついでに、このカーテンコールの儀式について、チャレンジしてみたい。

ネットでググると、いろんな人がこのカーテンコールについて、語っている。
なんで、ダラダラやるんだよ!スパッと終わってほしい!なんて声も結構多い。(笑)

その中で、有識者と思われる方が、カーテンコールの由来について説明している箇所を見つけたので、抜粋して紹介しよう。

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もともと、クラシック音楽のコンサートは「劇場(オペラハウス)」で行なわれていた。
例えば、ベートーヴェンの「運命」の初演は、ウィーンに今でも現存するオペラハウス「アン・デア・ウィーン劇場」。

当時、劇場の緞帳(カーテン)を下ろしたのかどうかは伝わっていないが、「カーテンコール」というのは、演目が終わった後、緞帳(カーテン)をおろし、そのすき間から出てきて拍手に応える、というのが本来の姿である。(現在でも、オペラではその形式で行なわれている)

クラシックで「コンサートホールでの演奏」が主流となったのは19世紀以降のこと。

コンサートホールは、オペラなどの舞台上演を目的とせず、場面転換などの必要もないため、大道具移動装置や緞帳(カーテン)といった「劇のために必要な設備」が排され、「いかに音楽をよく響かせるか」に特化したつくりになっている。

このため、演奏するのは良いのだが、「終わった後に緞帳(カーテン)がなく、カーテンコールが出来ない」という問題に直面することとなった。

この解消策が「演奏家自ら袖に下がって、「一度聴衆の視界から消える」ことで、カーテンコールの代替行為とする」方法である。

誰が始めたのか定かではないが、今日では音楽界の常識として、演奏家にとっては「自分の演奏に満足してくれたことに感謝する大事な時間」として、聴衆にとっては「素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに対する最大限のお礼」として、どのコンサートでも行なわれている。




そういうことでしたか!

昔は幕カーテンが下りて、そこから観客の歓声に呼び出され、その幕のすき間から出てきて、拍手に応える。確かに、これはいまのオペラでは当たり前にやられていることですね。

そしてコンサートホールでのクラシック・コンサートでは幕がないので、指揮者自ら舞台袖に下がって姿を消して、そして拍手に応えて、また現れる。。。そういうことだそうです。


でも何回も繰り返す理由については、言及されてませんね。

それについてドンピシャ!と的を突いた発言しているところは、ちょっとググったぐらいでは、見つけられませんでした。



カーテンコールとは?

音楽会・演劇・ショーなどで、終幕後に観客が拍手喝采し、いったん退場した出演者を舞台に呼び戻すこと。

「カーテンコール」という言葉の由来は、英語の「curtain call」で、英語圏でも同じような意味で用いられる。「curtain(カーテン)」は「幕」、「call(コール)」は「呼ぶ」といった意味を表し、「幕が下りた後に呼ぶ」という文字通りの意味合いになる。


自分の経験だと、大体クラシック・コンサートのカーテンコールって、4~5回くらいではないだろうか?

2~3回やって、その後アンコールに入って、そしてまたカーテンコール。

オペラはもっと多いかもしれない。
オペラのカーテンコールは、いわゆる独特の形式があって、登場人物1人1人出てきて、拍手を浴びて、そして後ろに並んで、全員終わったらみんなでお手手つないで、ステージの前へ出ていく。

幕を完全に開けて、端役や合唱など全員が集合する形式を特に「アンサンブル・カーテンコール」と呼ぶ。役の重要度の昇順(合唱、端役、脇役、主役の順)に登場する場合が多い。


2013年2月3日 新国タンホイザー.jpg



ここら辺は、オペラファンであれば、もう目に焼き付いている当たり前のシーンであろう。

自分のオペラのカーテンコールのベストショットは、ステージの後ろに合唱、端役などがずらっと並んでいて、主役たちがお手手つないで前へ出てくる瞬間。オペラのカーテンコールを撮影するときは、必ずここを狙う。それまでは絶対写真撮りません。(笑)




なぜ何回も繰り返すのか?


ずばりノンノン流に解析を施してみると、

クラシック・コンサートにしろ、オペラにしろ、何時間も時間をかけたその演奏家、歌手たちの芸術品であるから、それに対して1回の挨拶で終わるのは、あまりにも失礼。やはりこれだけ長い時間をかけた芸術作品に対しては、観ている聴衆のほうもその余韻というのを十分に味わいたい、という想いがあるのではないだろうか?

その余韻を味わうために、何回も繰り返す。

休憩挟んで3時間のコンサートなのに、終演の挨拶、拍手が1回で終わってしまっては、あまりにあっけなさすぎるし、尻つぼみ的な感じもする。

やはり深くて感動を与えてくれた長い公演に対しては、十分にその出演者に対する感謝の気持ちを伝えるには、時間をかける必要がある。

カーテンコールの回数は別に決められたものではなく、臨機応変だ。

本来カーテンコールとはそういう決まった回数ではなく、舞台に感動した観客が劇場を去りがたく、拍手が鳴りやまない状態のことをいうのだ。

まさにクラシックの世界のカーテンコールの奥義はそこにあると思う。

例えばロンドン。例えば韓国。おそらくブロードウェイも。カーテンコールは決まった数しか出てこない。大体1~2回。カーテンコールはあっという間に終わり、オーケストラがチェイサーの音楽を奏で始めたら、観客はさっさと劇場から出ていくそうだ。

それじゃ、あまりに悲しいし、寂しすぎると思うのだが、カーテンコールのやり方や回数などの伝統も、その国によって違うということは当然のことなのかもしれない。







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カーテンコール [クラシック雑感]

クラシックのコンサートのカーテンコールは、その光景に、その公演のすべてが含有されているとても華やかな瞬間だ。

やっぱりこれは自分の想いなのだけれど、コンサートの鑑賞日記の巻末に、このカーテンコールの写真があると、それまでの文章がぐっと映えてくるというか、読み手側にものすごい感動、そしてその公演の場がいかに素晴らしかったか、という臨場感を与える効果があるのではないか、と思うのだ。

やっぱり写真の視的効果はすごく大きい。

カーテンコールを撮影することは、国内のコンサートホールでは、ほとんど禁止行為で、撮影していると係員が飛んでくる感じで、とても厳しい。レセプショニストがしっかり目を見張らしている、という感じだ。

いつかレセプショニストの日記を書いたことがあったが、自分にとって、レセプショニストの存在は、どちらかというと撮影していると、注意される、いわゆる怖い存在といった経験のほうが多い。(笑)

演奏中を撮影することは、これはもっての外だと思うが、終演後のカーテンコールぐらいは撮影したいなぁという気持ちは正直ある。

ここら辺は、結構ホールによって、その厳しさや緩さがまちまちで、カーテンコールの撮りやすいホール、撮るのが極めて困難なホールというのがあって経験上自分の中ではよくわかっている。(笑)

自分の経験では、やはりサントリーホールが1番厳しいと感じる。

それと比較して、海外音楽鑑賞旅行で、海外のホールに行くと、もう日本とは天と地の差で、カーテンコールはほぼ撮影可能だ。

クラシックに限って言えば、外国人の聴衆のマナーは、日本と比較すると、かなりレベルが低いように思われる。自分の経験からすると、静謐さ、楽章間の拍手禁止、フライングブラボーをやらない、終演直後の沈黙の時間をきちんと守るなど日本の聴衆は、クラシックに関して造詣が深くとてもハイレベル。

日本人聴衆は概して大人しい。それに対して、外国人聴衆は、もっと動的だ。
オペラで演出に不満があれば、もう平気でブーの嵐だし、床をどんどん踏み鳴らす。意思表示がはっきりして、個性的なのだ。

もちろん日本でもそうじゃない場合もあり、よくマナーが悪い観客に遭遇することはよくある。

でも自分の経験からすると、やっぱり日本の聴衆のほうが、海外の聴衆よりずっと大人しくて紳士淑女のように思えるし、クラシック・コンサートの聴き方の基本的マナーをわきまえているように思える。

カーテンコールを撮影するなら、海外のホールだけにしたほうがいい。

自分もその昔は、よく国内のホールでもカーテンコールの撮影にチャレンジしていた。
自分ながらよく果敢に挑戦したよな、と思う。

カーテンコールの撮影は、ひとつのスキルが必要なのだ。ただ、撮ればいいってもんじゃない。
たとえばソリストが一番いい表情をしているような、輝いているような、その瞬間を撮らないといけない。

終演後、ソリストの挨拶、指揮者の挨拶など、ほんのわずかで、あっという間に終わってしまう。

そのわずかの間にベストショットを撮る必要があるのだ。

もちろん一発で撮れるわけがなく、連写してたくさん撮る。1回のカーテンコールで、50枚から100枚ぐらい撮っているかもしれない。その中の90%は、ほとんど失敗作なのだ。ピンボケしていたり、ソリストの表情がいまいちだったり・・・。

撮影中にいま撮ったショットがうまく行ったか、逐次猛スピードでビューモードで確認する。

これで、いいショットが撮れていた場合は、もうそこで撮影は終了。

いいショットが撮れるまで、ずっと繰り返すのだ。

日本のホールはとても厳しいので、必ず係員が飛んで注意される。それもわかっているので、要は終演直後から、係員に注意されるまでの間に成功作品を撮影する、そういうタイムリミットがあるのだ。



ソリストの表情など、どの写真を選ぶかは、やはりその人のセンスが滲み出る。

いわゆるカメラマンとしてのセンスというのかな。

風景画を撮るより、人物画を撮る方がずっと難しいのだ。

ソリストの一番いい表情をいかに撮るか、そのソリストの一番いい所をいかに引き出すか、これがカメラマンの腕の見せ所なのだと確信している。

自分のカメラの美学として、ピンボケの写真は、絶対日記には載せたくないというのがある。
それだけで、日記が汚れてしまう感じがするし、ピンボケの写真しかなく、そんなことするくらいなら最初から写真は掲載しないほうがいい。

あと、カーテンコールの撮影にはカメラマンの腕というかデジカメの機能もかなり大事なファクターでもある。

カーテンコール撮影に必須な技術は、ずばりズーム。終演後に一気にズームして、フレームの構図内で、出演者の大きさのバランスを取ること。つまり遠近感の調整。

これは終演後にまずやらないといけないこと。

ズーム機能の倍率の弱いデジカメはNGです。コンサートホールはとても広いので、遠くの観客席からステージでの出演者の被写体に適した大きさにする、つまり適した遠近感にはズームが絶対必須の技術なのだ。ソリストの表情がわかるくらいがいい。

素人の写真では、ステージ上の出演者たちを撮るのはいいけど、なんか座席が遠いので、豆粒みたいにしか映っていないのもよく見かけるが、これじゃダメです。

最近スマホは画質が綺麗に撮れるけれど、自分的にはズームが弱いと思っているので、カーテンコール撮影には使えない。

一眼レフの本格的なものは、そのガタイがでかいので、カバンから取り出すときにかさばるし、それを使って撮影している時点で、もう係員に見つかりやすいので、これもNG。

やはりコンデジが1番いいです。自分はソニーのサイバーショットを使っているのだが、じつは最新になるほど画質や撮像素子のレンズの高性能になっていくんだが、ところがなぜかズームの倍率が弱いのだ。

新しいほどいいと思って最新のサイバーショットを買って、カーテンコール撮影に臨んだところ、ズームが弱くて、被写体が小さく過ぎて、ちゃんとしたカーテンコールが撮れないのだ。

もうがっくり。金返せ!

そして再度もう一ランク下げてズームの倍率の桁表示データに気をつけて買って、カーテンコール撮影にチャレンジ。これもダメだった。

結局、同じサーバーショットでもちょっと古いモデルが、自分的には、もっともズームが強くカーテンコール撮影に向いていて、いまこれをカーテンコール撮影専用デジカメとして愛用している。

(結局サイバーショットだけで、3台も持ってしまうはめに・・・)

やっぱりコンサートホールはとても広いのでそういうところがキーになる。

あと、細かいことを言うなら、ホールの暗がりで撮るので、どうしてもピントがぼけるというか、90%の失敗作は、大半がこのピンボケだ。これも不思議なことに、ホールによって綺麗に撮れるホールと、どうやってもピンボケになってしまうホールと存在するのだ。ホールの照明の種類によるものなのかな?

ザルツブルク音楽祭の祝祭大劇場は超難しかったです。何回撮影しても、どうしてもピンボケしました。

シャッタースピードを調整するという技もあるが、あの瞬時の間にいろいろやるのは厳しい。


だから自分にとって、終演からのこのわずか短時間の間が、勝負の時だった。
ある限られた一瞬の間に、たった1枚でいいから、その人のもっともいい表情を引き出しているその瞬間が撮れればそれでいいのだ。何十枚の連写の無駄使いも気にならないのだ。

そして、このエンディングのこの儀式があるために、そしてこの勝負の時がエンディングで待ち構えているから、コンサートの公演の最初からどうも落ち着かないというか、コンサートに集中できないということもある。

うまいショットが撮れるかどうか、もうコンサート公演中のときから心配なのだ。(笑)

その瞬間にステージの演奏家の方々が最高!と思えるような所作をしてくれるかどうか、そんな不安をずっと抱きながらコンサートを聴いているのだ。

これは精神衛生上あまりよろしくない。

係員の方に注意されると、やはり精神的に気持ちのいいものではない。
そして、このカーテンコール撮影のために、心配し過ぎて、コンサート自体に身が入らないのでは、なんのためにここに来ているか本末転倒というのもあり、最近自分は、国内のコンサートホールではカーテンコールを撮影しないことに決めた。

そうすると、コンサートの最初からの不安やドキドキがなくなり、公演にしっかり集中できるようになり、精神衛生上とてもよくなった。

でも職業病といおうか、終演後の演奏家の挨拶を観ていると、うわぁこれはベストショットだな~、撮りたい~ってな気持ちになるのだ。

それを我慢してただ拍手しているのが、これまた精神衛生上よろしくない。(笑)


ただし海外に行ったときは、カーテンコールはやっぱり撮影しようとは思っている。
だって、自分だけがそのホールで体験しているからね。


そんな自分が盛んにカーテンコールを撮影していた頃の写真をオンパレードで披露してみたい。
いままでの過去の日記で披露してきた写真だが、ここでもう一度その感動を!


2013年9月13日 読響のコンサートで、清水直子さん。大ファンです!

2013年9月13日読響(サントリー).jpg



2013年6月30日 東京芸術劇場で、都響のドビュッシーづくしのコンサート。
吉野直子さん、カッ,カッコイイ・・・(^^;;

2013年6月30日 東京芸術劇場 吉野直子 都響のドビュッシーづくし.jpg

2013年8月、ルツェルン音楽祭のKKLにて。結局この公演がアバドとの最後の対面だった。
最前列なので、 アバドと藤村実穂子さんの姿が全く見えない、なんじゃそれ?だった。(笑)
このカーテンコールの写真にアバドと藤村さんが隠れて映っていないのが最大の悔しい~ってな感じ。

2013年8月18日 アバド・藤村実穂子.jpg



2013年8月、ザルツブルク音楽祭でのドン・カルロ。まさにヨナス・カウフマン一色だった。カウフマンの公演のチケットは、いつも瞬殺ソールドアウトで無理。このチケットもこの年のザルツブルク音楽祭の最大の魅せ場で、いつみてもソールドアウトで、1番チケットが取れなかった公演だった。大変なプレミア価格で売買されていた。渡欧直前に奇跡的に取れました。忘れられないです。

ドン・カルロ.jpg



2013年8月 ザルツブルク音楽祭 祝祭大劇場にて。ムーティ&ウィーンフィルのヴェルディ「レクイエム」。 独唱ソリストにはガランチャもいた!ザルツブルク音楽祭は、やっぱりウィーンフィルのお祭りだよね~。

2013年8月30日 ムーティ&ウィーンフィル ヴェルディ「レクイエム」.jpg


サイトウキネンで小澤さんを観る!という念願がかなったとき。2013年8月31日、まつもと芸術館にて。ラヴェルの 子供の魔法。後にこの公演をCD化して、それが米国のグラミー賞を受賞しました。

2013年8月31日 小澤サイトウキネン ラヴェル「子供の魔法」.jpg


水戸室にて小澤さんを観る!これもひとつのミッションだった。2014年1月19日、水戸芸術館にて。小澤さんだけでなく、 映ってる団員さんたち、みんな若いよ。

2014年1月19日 小澤水戸室.jpg


2014年4月26日 銀座王子ホールにて。タベア・ツインマーマンのヴィオラリサイタル。
この方はとても個性と才能が あって、まさに玄人受けするアーティストだと思います。

2014年4月26日銀座王子ホールタベア・ツインマーマン.jpg


2014年12月27日 年納めコンサート。神尾真由子さん。ミューザ川崎で東響で聴きました。指揮は秋山和慶さん。 神尾さんは、もう何回聴いたかわからないね。パワフルな奏法ですね。

2014年12月27日 東響 神尾真由子さん 秋山和慶さん.jpg



2015年2月3日 N響とアラベラさん。アラベラさんは、2004年にデビューだけど、自分が入れ込んで聴き始めたのは、 この年。ファンとしては遅い参入です。YouTubeで見ると、アラベラさんも昔は垢抜けてなかったな。(笑) 女性演奏家にありがちな経年とともに抜群に綺麗になるパターンです。アラベラさんのカーテンコールの中でもこのショットは、自分的にはかなり気に入っていて最高の部類に入ります。

2015年2月3日 N響コンチェルト ベルク.jpg



2013年の新国のワーグナー楽劇「タンホイザー」。主役のタンホイザーが主役としては、いまいちオーラがなく不満でしたが、でもいい演出でした。いいカーテンコールのショットだと思います。新国もカーテンコール撮影厳しいです。

2013年2月3日 新国タンホイザー.jpg



カーテンコールではありませんが・・・(笑)

いまや恒例となってくれたポール・マッカートニーの東京ドームでの来日コンサート。余裕持って、1時間以上も 前に行っているのに、このザマですか?(笑)まっ超盛り上がりというところですね。ポールは、公演中は水を1滴も 飲みません!

2015年4月25日 ポール.jpg



2015年6月6日、愛知芸術劇場にて、ヘンゲルブロック&NDRとアラベラさん。まさにこの年、自分のアラベラさんフィーバーは頂点に達した。東京、大阪、名古屋、縦断ツアーを追っかけました。サントリーの公演はNHKで放映されました。 宝物。アラベラさんのメンコンは5回も聴きました。もういいです。(笑)

2015年6月6日 NDR 愛知芸術劇場.jpg


2015年9月27日 ミューザ川崎にて、東響の名曲全集で、アリーナ・イブラギモヴァさんを堪能。いまとても注目の若手 ということで、燃えた年だった。イブラギモヴァさんは、このコンチェルトと、銀座王子ホールでシリーズ化しているモーツァルトのソナタを鑑賞。

2015年9月27日 東響名曲シリーズ・アリーナイブラギモヴァ.jpg




国内ではカーテンコールを撮影しない代わりと言ってはなんだが、最近嵌っているのは、サイン会の撮影を撮ること。

カーテンコールと違って、短時間での異常な緊張感は必要ない。その分すごく楽だ。(笑)
こちらのほうが健康にいい。

でもじつはこれも結構難しいのだ。何枚も連写しては失敗作が大半。サイン会だと、どうしてもサインをもらうお客さんがジャマになる。そしてソリストもサインを書くので下を向いているから、シャッターチャンスはずばり、サインを書き終わって、顔を上げてお客さんに笑顔で挨拶するとき。


今年の3月の読響とのコンチェルトでのアラベラさん。またしてもメンコンでしたが、これまた素晴らしかった。そしてこのサイン会でのショットは、アラベラさんコレクションの中でも断トツのトップに入ります。

DSC02304[1].jpg


2015年の王子ホールでのモーツァルト・ソナタのリサイタルの後のサイン会でのイブラギモヴァさん。うっ、なんと魅力的なんだ!ちょっとセクシーです。(^^;;

DSC04518.JPG








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