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スティングはいまも格好良い!(ソロ時代) [海外ロック]

ポリスのシンクロニシティーの頃の洋楽ロックのひとつのトレンドは、MTVという番組が結構新しいトレンドとして流行したことだった。

ロックのアーティストは、自分のシングルカットの曲に対して、それぞれプロモビデオを作って、それを宣伝材料に使うのだ。MTVはそのビデオクリップのランキングを特集する番組だった。

懐かしすぎる。大学時代でしたね。よく友人の下宿先に泊めてもらって一緒に観ていました。

シンクロニシティーは、そんなポリスのビデオクリップの中でも頂点となる出来栄えだった。MTV時代全盛の賜物だった。

ポリスのビデオクリップ集は確か市販ビデオ化もされていたはず。

見つめてみたい、Synchronicity Ⅱ、Wrapped Around Your Fingerの3曲はよく見ることができたのだが、King Of Painのビデオクリップは、なかなか拝見できなく、市販ビデオの中にも入っておらず、ずっと恋焦がれていたが、つい最近ようやくSNSで拝見することができた。

SNSって本当にスゴイ!



それ以前の若い頃の作品のビデオクリップもあることはあるのだが、かなりクオリティが芸術的ではなく、とりあえず作りました的なお粗末なものだった。高校教師では、学校の教室で歌っていたり、あとスキー場で3人が滑りながら撮っているビデオもありました。


シンクロニシティーの大成功の後、バンドは休止状態。もともと終盤は仲が最悪だったこともあり、また、もうやることはやってしまった感もあって、特にスティングは再開する気はなさそうだった。

自分は、大学3年、4年生だったけれど、ポリスのニューアルバムをすごい懇願していた。
同じポリスファンの同期生と、いつも教室や食堂で熱く語り合っていた。

その当時、次に出るのはライブ・アルバムという噂があって、友人とともに待ち望んでいた。

そのときに新しい曲を発表するということで、リリースされたのが高校教師'86だった。

オリジナルの高校教師のセルフカバーだ。
これは稀に見る駄作であった。(笑)

とくにビデオクリップがポリスの終焉を暗示するかのような過去のメモリアルを表現するような感じで、これを観た瞬間、ポリスは終わったな、と確信しました。

スチュアート・コープランドはビデオ作成に関与していなかった(落馬で足を骨折。このため、「高校教師'86」のドラムはすべて打ち込みとなっている)が、商品がリリースされた後に抗議していました。(ポリスはまだ終わってない!って)

以上長くなりましたが、これが自分の子供時代、学生時代のポリスに関するメモリアル。



その後、社会人になってから不思議と、体質的にロックは聴かなくなった。
ずいぶんブランク期間が入った。

そこから再びポリスが自分の目の前に現れたのは、前職を退職して、いまの会社に転職した2007年。まさにあの頃から20年後。

「ポリスが再結成する。」

というのだ。

これは猛烈に興奮したな。
アルバムは出さないけれど、全世界ツアーはやるという。
その中に日本も含まれていたのだ。

もちろんそのための一時的な再結成であって、ずっと続けるわけではない。

もう死ぬ気になってチケット取りました。
はじめて、ポリスのステージを生で観れる!@東京ドーム。

あの感動は忘れられなかったです。
涙しました。いままでの愛が報われた感じがしました。

近くにギタリストのチャーがいました。
たくさんの業界人がかけつけていたみたい。


スチュアート・コープランドは、白い手袋を履いて、ドラムスをやっていました。
手の皮が剥けるからね。でも手袋履きながらは、ビジュアル的に超格好悪かったです。(笑)

全盛期のときは、手に黒いテープを貼って、手を保護していました。



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全盛期のポリス (1983年)


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再結成時のポリス(笑)(2007年)


シンクロニシティーの後、当然のなりゆきでスティングはソロに転向。
ここから、スティングのソロ時代に突入する。

自分は、スティングのソロになってからは、結局、最初のアルバムの「ブルータートルの夢」、そしてつぎの「Nothing Like The Sun」の2枚までしかフォローしなかった。

それ以降は、社会人の荒波、仕事のことで音楽どころではなかったし、大きなブランク期間に入ってしまった。

スティングはソロになってからは、やはりジャズ色が強く、独特のスティング・ワールドともいえる格好いい音楽を提供してくれた。

ブルータートルの夢では、Set Them Free (If You Love Somebody,Set Them Free)が素晴らしかった。ポリス時代の見つめていたいが、相手を束縛する歌であるのに対して、Set Them Freeは、逆に相手を解放してあげなさい、という逆のアプローチの歌。(スティング本人のコメント)

ブランフォード・マルサリスなど蒼々たるジャズ・ミュージシャンを引き連れ、ポリス時代とはかなり趣が違う大人の音楽になった。

この曲のMTVのビデオクリップも格好良かったな。
これもゴドレー&クレームによる作品です。この2人はセンスあります。

つぎの作品の「Nothing Like The Sun」は、その後にリリースされた作品を聴いていないけれど、ソロ時代の作品の中で最高傑作だと思います。

名曲中の名曲、Englishman In New York、そしてFragile、ビールのCMタイアップ曲にもなったWe'll Be Togetherなどまさに名曲目白押し。

いまもiPodで朝夕通勤でヘビーローテーションで再生しています。

ジャケットも最高に格好いいです。


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スティングはソロになってからは、ぐっと大人の雰囲気になりましたね。
若い頃のやんちゃな感じではなく、歳相応のダンディな大人の雰囲気で、自分のシルエットに相応の大人の音楽をやるようになった。

自分もいまでもポリスの曲をiPodで再生しますが、やはり自分も歳なんだよね。
ロックは結構キツイと感じるようになって、スティング時代のソロの曲のほうが、体に染み入ってきやすい、というか体を思いっきり委ねられる心地よさがある。



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スティングのコンサートは、2回行きました。
社会人になって上京したばかりの東京ドームと、ずっとその後のブランクがあった後の日本武道館。

若い頃の東京ドームは、まだ学生時代のポリスの余韻が熱かった頃だから、もう超興奮。

いまでも鮮明に覚えているのは、見つめていたいをアンコールに持ってくるのが、スティングのコンサートの常なのですが、これがいかにもアンコールっぽくモダンにアレンジされていて、最後のリピート部分は、正直脳天から雷を受けるような大衝撃でした。

あのときの一瞬で、自分は失禁しました。

あの瞬間が忘れられなく、十数年後の2回目のコンサート体験でも、やはり同じ場面で失禁。(笑)

スティングはライブの盛り上げ上手、千両役者です。

ポール・マッカートニーが、ライブでビートルズの曲をやると、場内が大歓声になるのと同じように、スティングがライブでポリスの曲をやると、当然大歓声になります。



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スティングは大人になってずっとダンディな感じにイメチェンしましたが、ちょっと気になるのは、頭髪がどんどん寂しくなっていくこと。ポリスの頃から、左右のこめかみのところがライトバック、レフトバックってな感じで、これは歳とると禿げ上がるな~と若い頃思っていましたが、ポリス再結成時の頃には、もうほとんど髪がなくなっている状態で、これは仕方がないのかな、と諦めていました。

でも最近それがおかしいのだ。

ちょっと不自然に髪の毛が豊かになっている。
自分は、スティングは植毛していると思うんですよね。(笑)


使用前
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使用後
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あくまで私の推測です。でもずっとSNSでスティングの近影を見てきた自分としては、あきらかにその最近の不自然さが引っかかります。でもいまがいいならそれでいいです。


2016年にプロモーションのため6年ぶりとなる来日を果たしたスティングだが、好きな日本のラーメンランキングのトップ3を発表している。

スティングは自身のInstagramにラーメンを食べる写真を公開していた。(らーめん山頭火です。)そのキャプションには「今週は東京へのファンタスティックな旅をしてたんだ。テレビ出演と僕のお気にいりのラーメン店を訪れたのを楽しんだよ。ありがとう、ジャパン!」と記されている。

これを見て、今度の新曲は、スープを「煮詰めていたい」という曲をポリス名義でリリースしてほしい、と思いました。(スミマセン、他人の盗作です(笑))

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所属レーベルであるユニバーサル・ミュージックはスティングの好きな日本のラーメンランキングのトップ3を発表している。

ランキングは以下の通り。

1. らーめん山頭火
2. 麺匠 竹虎
3. 博多一風堂


ちょっと自分の好みと違うけれど、ラーメンが好きでいてくれるのは嬉しいです。


日本食好きだそうで、焼き鳥や鉄板焼きといったオーソドックスな和食からキットカット日本酒味まで、好き嫌いはないらしい。若々しさを保っているスティングは、インタヴューで「健康の秘訣」をよく聞かれる。運動、歌うこと、など答えていたが、食事をしっかり摂っていることも大きい。


そんなスティングだが、ポリス時代からソロにかけてのセルフカバーのニューアルバムをリリースしたばかりだ。

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My Songs

Sting

http://urx2.nu/dxwW


これがめちゃめちゃ素晴らしい!今風のアレンジで、ちょっと即興っぽいところも入れたりして、スゴく格好良くなっている。経験上、オリジナルよりカバーのほうがいいもんなんだよね。さっそくiPod行きで、通勤で聴いています。

Set Them Free、Englishman In New Yorkがすごく格好良くなっている。

あとBrand New Day。

この曲は、自分は2回目の武道館公演のときに、ライブではじめて聴いていい曲だな、と思い、でもいままで知らない曲だったので、たぶん自分がフォローしなくなってからヒットした曲なんだろうな、と思いました。

Brand New Dayは、調べてみたら、1999年にリリースしたアルバムでした。

なにせ、ソロ時代は最初の2枚しかフォローしていませんので。
2枚目のNothing Like The Sunは、自分が社会人になった1987年のリリースで、それから現在までスティングは、さらに10枚ものアルバムをリリースしているんですよね。

10枚もフォローしていなくて、本当にスティングのことを語れるのだろうか?というお叱りも受けそうだが、大丈夫!

このセルフカバーの1枚に、スティングのすべてが入っていて、彼がやってきたことの総決算という位置づけのアルバムなのだ。この1枚を聴く限り、ソロ時代を10枚も聴いていないハンディをまったく感じない。

やっぱり自分はポリス時代からよく知っている熱狂ファンだったから、その貯金で暮らしているようなものだ。

このアルバムの全作品を一通り全部聴くと、メロディメーカーとしての才能、衰えていないことがわかる。

上の3曲の他にも、Shape Of My HeartとかFragileとか。。。不思議とソロ時代の曲がいいな、と思ってしまうのは、自分が歳だからなんだよね。

そういう体質になってしまった。

ポリス時代の曲も全部モダン・アレンジで素敵です。

ぜひ買うべし!


最後に、ポリス時代、ソロ時代のディスコグラフィーの簡単な紹介をしてお終いにしよう。 


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Outlandos D'amour

POLICE

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ポリスのデビューアルバム。シングルカットされたロクサーヌが有名だが、じつはポリスのライブ・コンサートを構築する曲で、コンサート本編の最後はCan't Stand Loosing You、そしてアンコールの一番最後は、So Lonelyといったように、ライブの肝心要の締めどころは、このアルバムから持ってくるとても重要なポジションのアルバムでした。 


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Regatta De Blanc 白いレガッタ

POLICE

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自分的にはポリスの最高傑作はこのアルバムだと思う。ホワイト・レゲエの色濃く、高い音楽性、完成度の高い演奏など、彼らの特徴が一番よく出ている。全体的にアコースティックっぽいというか、純粋にベース、ギター、ドラムスだけのとてもシンプルなサウンド。シングルカットされた孤独のメッセージはポリスの代表曲です。 


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Zenyatta Mondatta

POLICE

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ホワイト・レゲエより、もっとよりポップで軽い感じの曲調、サウンドになった。いかにも人気が出やすい感じ。日本ではこのアルバムは有名ですね。ドゥドゥドゥ・デ・ダダダがとても有名。この曲の日本語歌詞バージョンも出た。作詞は湯川れいこさん。シングルカットは高校教師が有名。このアルバムを引き連れて、日本に来日しましたね。 


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Ghost In The Maschine

POLICE

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これまでの路線、趣がガラッと変わってちょっとバンドの音楽性の方向性を変えた意欲作。シンセサイザーやフォーンセクションなども導入して、スリーピースのバンドの音というより、かなり人工的な分厚いサウンドになってしまった。自分はこれを初めて聴いたとき、これをライブで実現するのはどうやってやるのかな?と思ってしまいました。でも曲自体は、かなり名曲が多いです。シングルカットはマジックが有名ですが、自分は1曲目のマテリアル・ワールドが好きでした。 


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Synchronicity

POLICE

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ロック史上で、これだけジャケットが格好良いアルバムは、いままで見たことがない。スティングが哲学者のカール・ユングの本からインスピレーションを得て、シンクロニシティー(同時性)という造語をした。この単語は辞書に載っていないです。前作でサウンドをイメチェンしたけれど、このアルバムで、またもとのスリーピースのバンドの音に先祖がえりという感じです。ちょっとサイケディリックな感じの曲調、サウンドでいかにも哲学的です。A面とB面で、曲の趣が違い、A面は激しい曲、B面は静かで美しい曲を集めた。A面、B面があるアナログレコードならではですね。アンディ・サマーズのアイデアらしいです。 


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Police Live

POLICE

http://urx2.nu/UIx4

シンクロニシティーの後、あと残されたミッションは、ライブ盤を出すだけ、という噂が常にあって、大学の同期の友人と1984年にずっとその話で盛り上がり、待ち焦がれていたのに、実際出てきたのは1995年だった。2枚組みで、1枚目は若い頃のライブを集めたもので、2枚目はシンクロニシティーコンサート。iPodに入れていてよく聴いています。やっぱりロックはライブがいいです。あの大歓声の声が聴こえると血が燃えたぎるし、本来ロックって割れんばかりの大歓声の中での演
奏・・・そういうものではないのかなぁと思います。 



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Dream Of The Blue Turtles ブルータートルの夢

Sting

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スティングのソロ第1弾。これはポリスの事実上の活動停止発表のあとに待ちに待ったという感じだったので、本当に感動しました。スティングの音楽素養のバックグラウンドにあるジャズのセンスが滲み出ていて、ジャズ・ロックというような独特の音楽観を持ったアルバム。結構ポリスとかなり違って大人の雰囲気なので驚きましたし格好良かったです。 


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Nothing Like The Sun

Sting

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間違いなくスティングのソロ時代の最高傑作ですね。エリック・クラプトン、マーク・ノップラー、ギル・エヴァンス等の豪華ゲストを迎えて製作されたソロ第2弾。Englishman In New YorkやFragile、そしてWe'll Be Togetherなど本当にアルバムのすべての曲が珠玉の名曲です。 


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Bring On The Night

Sting

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スティングがソロになって、いわゆるジャズ・ミュージシャンを引き連れて、ジャズ・ロックを演奏するライブの模様を収めたもの。ロックのライブはやっぱりスタジオ録音と違って、いいもんですね。これは映画にもなって、そのサントラのような位置づけだった。この映画、きちんと映画館で観ました。スティングのライブとしては、最高傑作かもしれない。ジャケットもいいし。


これで、もうスティングに関してはすべて書き尽くしましたし、思い残すことはありません。
自分のいままでのロック人生のすべてを語ったつもり。

ロックの分野で、この歳からまた新しいアーティスト、新しい曲を開拓するということは、自分の場合ないような気がします。










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スティングはあの頃は本当に格好良かった!(ポリス時代) [海外ロック]

人間にとって自分の中にもっとも音楽的素養を構築する時期というのは子供の頃、学生のときに夢中になって聴いていた音楽なのではないだろうか?情緒多感な子供時代、学生時代、自分の音楽人生を徹底的に支配していたのは洋楽ロックであった。

いますっかり専門になっているクラシックも、子供時代に当時親がぜひ聴いて教養を磨きなさい、といって、買ってくれたLPレコードがたくさんあって聴いていた。その中にはカラヤン&ベルリンフィルのLPもある。

でもそれは義務で聴いていたもので、自分の意思ではなかったし本命ではなかった。

自分の学生時代というのは、日本の音楽界は歌謡曲、フォークソング、(そして演歌も)の全盛時代だったが、自分はどうしても好きになれなかった。そのアンチテーゼという位置づけで洋楽ロックに夢中になった。

自分の進むべき道は、これだ!と確信した。

当時は洋楽ロックは、ひとつのブランドというか、自分は日本のアイドルの歌謡曲、フォークソングを始めとする芸能界を聴いている友達とは、ちょっと一線を画すんだぞ、という感じで、洋楽ロックを聴くこと自体が格好いいことというか、ひとつのアイデンティティーみたいな感じで自分は他人とは違う、ということを示したかった反骨精神真っ盛りだったマセたガキだったのかもしれない。


洋楽ロックといっても、当時はいまのようにメディアも発達していなかったし、日本にプロモートされるバンドなんて世界でメジャーどころしかなかった。

自分は、いま55歳だが、自分と同世代の人なら、当時流行っていたバンドって言ったらみんな、懐かしい~といった共通認識のバンドたちではないだろうか?

いまリバイバルで大流行しているクイーンだって、自分は直球ど真ん中のリアルタイム世代(中学生、高校生のとき)。クイーン人気は、世界中のどこよりも日本で先行したバンドだったので、ずいぶん夢中になって聴いた。(映画ボヘミアン・ラプソディのフレディー・マーキュリーは似ていないです。(笑))

ロックと言っても自分は、ブリティッシュ・ロック専門だった。アメリカのロックはあの分厚すぎるサウンド、バンドのルックスと平和過ぎるところが体質的に受けつけなかった。アメリカのロックは、「産業ロック」といって馬鹿にしていたようなところがあった。

ブリティッシュ・ロックのほうが、ファッション、尖っているイメージで、自分の反骨精神を満たしてくれた。アフリカ飢餓救済のチャリティ・コンサートもアメリカのUSA for AfricaよりもイギリスのLive AIDのほうが好きだった。

ロックじゃないけど、カーペンターズも自分の青春時代を大きく支配したアーティスト。
イーグルスの「ホテルカルフォニア」も一世を風靡しましたなぁ。

いまもiPodで聴いています。自分が朝夕通勤で聴いているのは、こんな子供時代に聴いた音楽ばかり。

いまのようなネットで情報氾濫の時代と違って、当時は自分の身の回りにこういう洋楽ロックの情報はほとんど皆無で、湯川れいこさんのミュージックライフで、その写真、記事を観て、すごい興奮するという感じだった。時々TVで深夜に特集されたときなんぞは、もう大変!

どちらかというと当時の洋楽は映像メディアは追い付いていなくて、ひたすらレコード鑑賞で堪能して、その音楽を聴きながら、自分の頭の中でステージ姿を妄想するというかそんな感じだったような記憶がある。いまの情報氾濫の時代と比較して、当時のほうが自分の中のスターのカリスマ性を磨くというか、自分の精神性を高めるには、返って情報がなかった時代のほうが幸せだったように想うこともある。

自分のロック人生にとって、当時話題になったバンドは、大体聴いていて、とくに子供時代の数少ないお小遣いをためて、LPレコードを買うのが本当に楽しみだった。お小遣いで足りない分はそのレコードを持っている友達のところでカセットテープにダビングしてもらうのだ。

LPがCDになって普及し始めたのは、自分の社会人1年生のときだったから、自分のロック人生は、ぜんぶアナログレコード世代。だから子供の頃に買ったLPレコード約100枚は、いまも大切に保管してある宝物。

これらのレコードがもう日の目を見ることもないだろうと思っていたが、まさかのアナログブームだ。世の中なんて、本当にわからない。

いろいろなロックバンドを、たくさん聴いたけれど、一番自分のロック人生に影響を与えたのは、ポール・マッカートニーとスティングの2人、と断言していい。

ロック人生の前半がポールで、後半がスティング。

ポールについては、ウィングスに最初に夢中になって、その後にビートルズを知って、思いっきり嵌った。自分はジョン派よりもポール派です。

ポールは、いままで日記で熱く語ってきたので、今度はスティングの番なのだ。

どうしても熱く語らないといけない。


スティングといえば、自分はやはりポリスなのだ。
ポリスほど夢中になったロックバンドはなかったかもしれない。

ポリスが最高潮だった1983年のシンクロニシティーのとき。

彼らは、こんなに格好良かった!!!

男が男に惚れる、とはこのことだ。
もう自分は学生だったが、こんなに憧れたロックスターはいなかった。

                                                                                                                                                     
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3人編成というのがめちゃめちゃ格好良かった。

ポリスがきっかけで、トリオ、3人編成というのを強く意識するようになった。
そしてギター、ベース、ドラムスという最小単位の3人編成なのに、その抜群の演奏のうまさ。
ロッキングオンの渋谷陽一氏曰く、「めちゃめちゃ演奏がうまい優等生バンド」。

そしてその卓越した音楽性。

当時のメディアで言われていたキャッチフレーズ。

「史上最強のロックバンド」
「ロック史上最強のトリオ」

まさにそうだった。



自分がポリスを聴きだしたのは、2枚目の「白いレガッタ(Regatta De Blanc)」から。(中学3年か高校1年)あの孤独のメッセージからだ。ポリスは5枚しかアルバムを残さなかったが、その中で、よくポリスの最高傑作はどれなのか、という問いに最高のベストセラーだったシンクロニシティーをあげる人が多いが別にそのことに異論はない。でも自分はポリスの基本というか、ホワイト・レゲエと呼ばれたロックにレゲエを融合させる、その独特のテイストがよく現れていて、ポリスの本質の作風、サウンドって、じつは、この2枚目の白いレガッタが最高傑作なのではないか、という意見なのだ。

ポリスの曲は、1曲も漏らさず、どれも完璧に知っているが、ディスコグラフィーについては、スティングのソロ時代も含めて、あとで語ろう。

ポリスがデビューしたのは、パンク、ニューウェイブの嵐が吹き荒れている時代だった。

パンクロックは自分にとって衝撃だった。セックス・ピストルズやクラッシュがシーンを賑わせていたが、それ以外にもストラングラーズ、ダムド、ジャムetc。

ロックの発信源、点火はいつもロンドン、ブリティッシュロックだと自分は当時思っていた。

ポール・ウェラーのジャムも格好良かった。3人編成として自分のロック人生で外せないバンドだ。ジャム解散後のスタイル・カウンシルもすごく嵌った。ジャムとは正反対のお洒落な雰囲気で、かなりイケていた。


パンクロックへの風当たりは冷たかったものだ。汚くて粗末な服装をして、世の中への悪態をついている。音楽のレベル、とりわけ楽器演奏の技量はお粗末で、ギターは3コードくらいしか弾けない。思いつきだけでバンドをやっている。どれも一発屋で低能…等々。

セックス・ピストルズがアメリカツアー中に内部崩壊するようなかたちで解散し、パンクロックはまたたくまに下火になっていく。

ニューウェイブの幕開けである。

方法論として演奏テクニックをあえて無視したバンドは別として、例えば、粗末な演奏技能しか備えていないバンドは自然淘汰される結果となり、その後もポピュラー音楽史に名を刻んでいくのは、実はニューウェイブとは言えないほどの長い実戦経験を積んできているXTCやトーキング・ヘッズ、クラッシュのようなバンドだった。


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ポリスもこの時代にシーンに躍り出たのだった。
彼らはメジャーのA&Mレコーズと契約する。

そんなパンク・ニューウェーブの中のひとつのバンドとしてデビューしたのだが、じつはそのときポリスの3人は、みんなすでに30歳代の経験豊かな歳をとったニューウェイブの衣をまとったベテランバンドだったのだ。

ベース、ボーカルのスティング、ギターのアンディ・サマーズ、ドラムスのスチュアート・コープランド。この3人を売り出していく上で、3人の髪の毛をみんなブロンドに染めた。3人のルックスのよいブロンド・ロッカーたち、という線で売り出していく。

絵的にも実力的にも本当に個性的な3人だが、過去にも3人編成のロックバンドってたくさん存在するが、やはりポリスはルックス的にフォトジニックな3人だった、というのが結構大切な要素だったかも。

デビューアルバムは、それほどのインパクトはなかったが、パンクやパッと出のニューウェイブのバンドにありがちな、勢いだけで単純な反骨メッセージをわめいているのとは異なり、しっかりとした技量を備えた上で、いままでのバンドにはない新しいサウンド指向を持っていた。

やっぱり高い演奏技術、そして高い音楽性の才能がもともと備わっていた3人だからこそ、デビューこそパンクブームの隠れ蓑に隠れていたけれど、徐々に頭角を現してきた、といえるバンドだった。


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ポリスサウンドで結構特徴的なのがスチュアート・コープランドのドラムス。レコードを聴いていてもわかるが、ポリスの映像素材を見ると、正確なリズムに乾いた抜けるようなスネア、シンバルやハットの使い方など、じつにハイテクニシャンだよなぁ、ということがはっきりわかる。じつにうまいドラマーで、ポリスサウンドの正確なリズムを刻んでいた。

アンディ・サマーズは3人の中で、一番年上でミュージシャンとしての経歴が長い。
彼のギターは、とても多彩な技術を持ったギタリストで、ポリスサウンドのメロディラインの旋律の部分は、彼のギターテクニックによるところが多かった。ポリス最大のヒット曲「見つめていたい」は、アンディに言わせると、最初のスティングからもらったときのこの曲はクソだったそうだ。(笑)そこにアンディのギターのメロディラインが加わり、見違えるような名曲になったとか。

そしてスティング。卓越なるメロディメーカーとしての才能もさることながら、やはり声が最大の魅力だと思う。ハスキーでセクシーな声、一度聴いたら絶対忘れられない声。そしてその声の発声の仕方がすごくロックっぽい格好良さ。

一種独特のカリスマがあって、いままでに聴いたことのないロッカーの声だった。またステージパフォーマンスも格好良かった。ルックスもいいし、なんか同じ同姓の男として男の憧れるすべてを持っているような感じなんだよね。

スティングの音楽嗜好の根底には常にジャズがある。ポリス結成前は、ジャズのベーシストをやっていたからね。

ポリス解散して、ソロに転向していくと、そのジャズ色が濃くなって、ポップスとジャズの融合のような一種独特のスティングの音楽観を築いていた。

ポリスを結成したのはスチュアート・コープランドだ。彼がスティングを誘ってバンド結成となった。スチュアートはポリスのスポークスマン的なところもあった。

でもソングライターで、シンガーのスティングがどうしても中心のスターになる。

そこにどうしても個性・感情のぶつかりあいがあって、晩年バンド内の雰囲気はもう最悪の状態だったようだ。要はスティングとスチュアート・コープランドの仲が悪かったのだ。その間を埋めるような緩衝材、クッションになっていたのが、アンディ・サマーズだった。

最大のヒットとなったシンクロニシティーでのレコーディングでは、メンバー間の関係が最悪のときで、お互いメンバーの顔を合わせることなく、別々にテイクをとって、それをミックスしたとか。

そのシンクロニシティーが、空前絶後の大ヒットとなって、全米のビルボードチャートのアルバム部門で、17週連続(4か月間)、1位を独占。シングルカットの「見つめていたい」も8週間(2か月)1位を独占した、まさにロック界の頂点に立った。

その年のグラミー賞で最優秀ロック・グループ賞と見つめていたいの年間最優秀シングル曲賞だったような記憶がある。その年は、マイケル・ジャクソンの「スリラー」が世界的な大ブレークした年だったから、ポリスは大善戦だった。


1983年、忘れもしない自分が大学1年生のときだったな。

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当然、このアルバム発売に乗じて、全米をはじめとする全世界ツアーをおこなった。俗に言う「シンクロニシティー・コンサート」。

これはじつは日本にも来る予定で、当時北海道にいた自分は、東京まで遠征するつもりだった。
でもチケット発売前に中止になってしまった。はい、泣きました。

シンクロニシティー・コンサートの全米ツアーはまさに熱狂の渦だった。
なんせアルバムは、全米チャートを独占・独走していたからね。

このツアーの中で最大のメモリアル・コンサートとなったのが、ニューヨーク・シェアスタジアムでのコンサートだった。野球場なのだが、ここは、昔ビートルズがコンサートをおこなったところで有名で、まさにビートルズの再来と騒がれて、この聖地に凱旋してコンサートをやることが、この全米ツアーの最大の頂点、盛り上がりとなった。

自分は、このときの熱狂の様子を、ミュージックライフの特集記事で読んだ。もう何回も何回も擦り切れるように読み返した。コンサートが終わった後、楽屋に戻った3人がシャンペンで乾杯するところを、球場のスコアのところの電子掲示板で映して、それにまた観客が大歓声になるとか。

シンクロニシティー・コンサートは、ビデオ化された。
ゴドレー&クレームによる作品で、自分の中では、ロックのライブ・コンサートのビデオでは最高傑作だと思っている。そのカメラワークがじつにセンスがよくて、すごい興奮する。

このライブは、カナダのモントリオール、ケベック州で撮られたもので、それも複数のコンサートをミックスして作っているものだった。

VHSとレーザーディスクの両方を買いました。

自分としては、どうしても最大の頂点だったニューヨーク・シェアスタジアムでのライブ動画を観てみたいとずっと懇願している。

Youtubeにあがっていないか、調べてみたい。

もしそのときの動画素材があるなら、市販化してほしいです。



自分がロックに夢中だったときの不幸なできごとは、家庭用ビデオ機器がまだ一般家庭に普及していない頃の話だったことだろう。だから、こういうライブコンサートのありようを動く動画として楽しめなかった。確かに市販化されたシンクロニシティー・コンサートのビデオが販売されたときは、東芝のVHSデッキを親に買ってもらって、それで毎晩観ていた。

自分が就職で、東京に来て、まずやったことは、都内の中古ビデオ屋さんで、ポリスのライブ・コンサートのVHSが出ていないか探しまくったことだ。もちろん市販されているシンクロニシティー・コンサート以外のもの。

北海道にはそういう中古ビデオ屋さんが少ないし、皆無だったからね。

まずロック雑誌の中古ビデオ店のソフト在庫情報で、そのポリスのライブ・ソフトを売っている店を探し出して店を突き止める訳だ。新宿の中古屋さんを本当にしらみつぶしに歩いて探していたなぁ。

いまで言えば、海賊版だと思うのだが、数本見つかって大事にコレクションした。
それはシンクロニシティーより以前の若い頃のツアー・コンサートの様子のもので、大体なものを全部揃えていると思う。市販化されたシンクロニシティー・コンサート以外の別バージョン(別会場)のVHSも見つかった。

3人のステージ衣装が市販ビデオとは違っていた。でもその中の観客の様子の画面が、なぜか市販ビデオの方に挿入されていたりするのだ。そこで、自分は市販ビデオは、複数会場のミックスということがわかったのだ。



一番ステージ・パフォーマンスが格好いいと思ったのは、やはりシンクロニシティのとき。
市販ビデオ以外に、どのような感じだったのかを無性に知りたかった。

特に格好いいと思っていたのは、3人が着ていた当時のステージ衣装。
これには複数のバージョンがあって、それを全部確認したいと思っていた。

当時はSNSなんぞなかったので、それを確認できるのは、ミュージックライフやFMレコパルに掲載されている写真しかなかったのだ。

ところが最近、FBやInstagramでポリスをフォローしていると、その当時のシンクロニシティー・コンサートのときのいろいろなコンサート会場での写真が流れてくるのだ。

もちろんいろいろなステージ衣装のバリエーションがある。

うぉぉぉおおお~。もう興奮状態。(笑)

SNSの時代って本当に、便利だよね~。
学生の当時、雑誌でしか入手できなかったことが、こんなに簡単に手に入るとは!

もう夢中でコレクションしました。(笑)
いまや自分の写真コレクションの中で超お宝です。

これをこの日記で紹介します。
貴重な写真です。

シンクロニシティー・コンサートのときのステージ衣装は大きく3タイプあったという自分の理解。
これ以外はおそらくない。この3タイプをローテーションで回して着ていたに違いない。


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白のジャケットに赤パンツ。アンディはその反対。
これが最も基本になった衣装で、一番有名な衣装。
自分もこの衣装が一番好きである。シンクロニシティー・コンサートといえば、まず思い出すのはこの衣装である。ニューヨーク・シェアスタジアムでの衣装もこれだった。


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市販ビデオを撮るために特別に作られた衣装。この写真ではスティングは黒のアンダーシャツを着ているが、市販ビデオでは着ていない。上の白のジャケットでは、やはり映像化するには、ちょっと地味だと判断してこのようなギンギラの衣装をデザインしたのだろうけれど、じつは自分はあまり好きではない。

上の白のジャケット、赤パンツが一番好きだ。


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黄色のジャケットは、1作前のGHOST IN THE MASCHINEのライブの時に作ったもの。
それをシンクロニシティー・コンサートのときも使いまわしたもの。
前作ライブのときと違うのは、アンダーシャツがシンクロニシティーしていることだ。(笑)

自分はこれは好きである。

スティング格好いいな~♪


こういうショットを集めたいのは、ちょっとコア層というか病的でしょうか・・・?(笑) 








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オードリー・ヘプバーンの心理サイコなサスペンス [映画・ドキュメンタリー]

オードリー・ヘプバーンがハリウッドで活躍したのは、1950~1960年代がピークで、女優業としてのキャリアは年齢と共に減っていき、後半生はユニセフでの仕事に捧げた。

その全盛時代は、グラマーとは正反対のスリムなボディと、性別を超越した、文字通り”妖精”のような魅力で映画界に独自の地位を築いていった。

そして単に女優というだけではなく、彼女のファッション、ヘアスタイルなどが流行になっていくなどのファッションアイコンとしてのトレンドの発信源だった。


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彼女の作品は、まだ3作品しか観ていない、あとから参入の新しいファンであるが、その作品を観る限り、概ね上のようなイメージがピッタリくるような感じだった。

それが彼女の最大の魅力的なポイントだし、当然のことだと思った。

わずか10年間しか活躍しなかった中で、彼女が出演した映画というのは、じつはそんなに多くないのだ。こうなったら、とことん極めてみたいと思い、彼女の映画作品を全部制覇してみたいと、ここに誓ってみる。

そしてその全作品の感想記を書いてみたいのだ。

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今回観た作品の中で、”銀幕の妖精”というようないままでのイメージをまったく覆すようなとても印象的な作品に出会った。

心理サイコ的なサスペンス映画で、オードリーは全盲の女性を演じるのだが、そこでの彼女は、従来のキュートで可愛いというだけの女優ではなく、心理俳優と言ってもいいほどの全く違った一面を見せてくれるのだ。

正直自分の心の中でも、オードリー・ヘプバーンは、所詮ファッション・トレンドの女優さんという認識は間違いなくあって、そんなイメージとは程遠い正反対で、じつに心にぐっと深く浸みこんでくる見事な心理役者ぶりを見せてくれたので嬉しくなった。オードリーもこのような演技ができるんだ!という驚き。

じつに怖い映画でした。相当ヘビーでした。
下手なホラー映画よりずっと怖い映画でした。

くわしくは、あとで。。。



まず、今回観た映画を順番に感想を。


・パリの恋人 

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ミュージカル作品。古本屋に勤める彼女。彼女に一目を置いていた写真家が、大物編集長に推薦して、ついにファッション雑誌のモデルを頼まれる事に。そしてパリで華々しくデビューする。

パリを舞台に繰り広げられる、古本屋の娘オードリーと写真家との恋ロマンス、そしてファッションショーのデビュー、そんなミュージカル映画だ。

やっぱりオードリー映画の王道「変身物語」はここでも健在だ。

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凱旋門やオペラ座ガルニエ、シャンゼリゼ通り、ノートルダム大聖堂など、パリの名所が目白押しで登場する。

ノートルダム大聖堂はいま見るとやっぱり心傷んだね。

アメリカ人から見た「パリ」のお上りさん的な感覚や描写がとても面白い。

ミュージカルだから、歌う。オードリーは吹き替えなしの本人の歌声だ。「マイフェアレディ」では吹き替えになってしまい、本人もとても悔しい想いをしたらしいが、みごとに雪辱。

オードリーの素の歌声、はたして?・・・と観る前はちょっと心配したが、全然よかったですよ。

酒場のバーで、オードリーが、男性2人と踊るシーンがあるのだが、これが圧巻!
上下の黒のピッタリした服に身を包んでのダンスなのだが、これが最高に俊敏で絵になって格好いい。

オードリーっていったい何頭身あるんだ?というくらい頭が小さく、足が長い長身のスレンダー。

子供の頃、ずっとバレエを習っていたそうなので、こういうダンスはお手の物で最高にカッコイイ。
素地がある感じ。背が高すぎたのが、バレエの道を諦めた理由だそうで、それで女優の道に進んだ。

ふつうの女優さんではできない芸当ですね。

この場面はすごい印象に残りました。

もうひとつお相手の写真家の男性の路上での即興ダンス。ミュージカルらしい場面なのだが、これがまた格好良い。傘を使って、いろいろアクロバティックなダンスをやるのだが、この時代ってCGなんかない時代だよなぁ~?というくらい傘の空中芸など、もうびっくり。あまりのセンスの良さに、私は思わず吹き出して笑ってしまい拍手してしまいました。(笑)

1967年のミュージカル映画ですが、この時代の映画って本当に古き良き時代というか、じ~んとくるいいものを持っている。

お互いの愛を語る場面での「ス・ワンダフル」。

もう名曲中の名曲ですね。ジャズのスタンダードナンバーとして女性ジャズ歌手がよくカバーしている名曲です。

いい映画には、必ずいい音楽が存在します。

唯一うん?と思ったのは、オードリーと男性写真家があまりに年が離れすぎているところでしょうか?(笑)

オードリー映画の中で、この「パリの恋人」を最高傑作という人は多いです。



・シャレード 

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まさにこれはヒッチコック映画だよな~と思わせるようなスリリングなサスペンス映画。 誰が味方で誰が敵なのか、こいつが犯人、と思いきや、殺されちゃうし、あいつが犯人と思いきや、はたまた殺されちゃうし、一番オードリーに近いあの方が、じつは犯人なの?そのときの裏切られたような恐怖感、でも最後はえ~まさか、一番の見方だと思っていたあの方が犯人・・・最後はやられた~!かっこうよすぎる!というようなまさにヒッチコックの映画でした。(笑)

扱うテーマは怖いサスペンスで、二転三転の展開だけど、洒落た会話の数々で、会話のテンポやリズムが良くて、全体の雰囲気はコメディーっぽい。そこにオードリーの雰囲気がぴったり嵌って、ミステリー・コメディという作風ですね。

オードリー・ヘプバーンが名コメディエンヌぶりを発揮、といったところでしょうか。


ジバンシィがすべて担当したオードリーの衣装が彼女の魅力をさらにいきいきとさせていて、この映画を決して怖くて暗くならないように華やかな雰囲気にしていたと思います。

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シャレードは、ヘンリー・マンシーニが音楽を担当している。

やっぱりマンシーニはいい。この「シャレード」もいつもiPodで朝の通勤で聴いている自分のスタンダード曲です。今回この映画を観てみようと思ったのも、普段聴いているマンシーニの「シャレード」だから、というところから来ていました。



・暗くなるまで待って 

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いよいよその問題作。(笑)

自分のブログのコメントに、オードリー・ヘプバーンの映画を観るなら、ぜひ「暗くなるまで待って」を観てみてください!というリコメンドがあって、観てみようと思ったもの。

1966年にフレデリック・ノットが書き下ろし、ブロードウェイで初演され、1967年に映画化、大ヒットを飛ばしたサスペンス劇の傑作。

ロンドンのアパートの1室で繰り広げられる、スリリングな密室のミステリーである。

舞台設定がアパートの1室で済んでしまい、すべてそこで展開される物語なので、とても低予算で、映画だけでなく、ふつうの舞台にも向いていて、よく上演されるベストセラー作品のようです。


自分はいままで知らなかったです。

日本でも今年の春、2019年2月に福岡で舞台化されたみたい。


オードリー・ヘプバーンが本格的に活動していた時期の最後の作品(1967年公開)だそうだ。
最後の作品にて、いままでファッションアイコン的なイメージの存在から、一気に心理俳優へ、という女優としての脱皮進化。

オードリーは全盲の女性を演じている。

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すべてはこの人形から始まった。

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この人形を奪うために、怪しい悪党3人組が、全盲のオードリーの家を訪れ、彼女が目が見えないことをいいことに、言葉巧みに騙そうと演技をして、あれこれ手を尽くしていくのだ。

まさにそこは奇妙な心理戦。

観ていて、本当に心臓がき~んと痛くなってくるのだ。

やがて、彼らの言動に不信を抱いたオードリーは、いつものお世話係の少女の協力を得て、男たちの正体を次々と暴いていく。

まさに心理戦。観ていてドキドキ。

半分を過ぎたあたりからは加速度的に緊張感が増し、手に汗握る展開となってくる。

最大の見どころは終盤。

真っ暗になった部屋は盲目のヒロインの世界と恐怖感を、観る側に疑似体験させる。


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もう超こわ~い!ってな感じでホラー映画顔負け。
めちゃめちゃ怖いです。

自分の心臓の痛みはこのラストで思いっきりピークに。

オードリー死なないで!って祈りました。


この心理戦、そして衝撃のラスト。

本当にコワイ映画です。

観終わった後、冷や汗たっぷりでした。

これは自分は本当に傑作サスペンスだと思います。

アパートの1室だけの設定ですべてが実現できてしまい、これだけの心理戦、観ている者をドキドキさせ夢中にさせることのできる脚本シナリオ。

傑作中の傑作だと思います。

舞台の大ベストセラーになっている、ということも理解できます。

この全盲のヒロインを演じたオードリーは、本当に新境地を開拓。
でもこれが最後の作品だったんですね。

なんかこの日記を書いているだけで、これを見終わった時の興奮が蘇ってきました。(笑)

オードリー・ヘプバーンといえば、「ローマの休日」、「ティファニーで朝食を」、「マイフェアレディ」・・・など名作が多々ありますが、ボクはオードリーの最高傑作は、この「暗くなるまで待って」だとここに確信しました。









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akiko jazz [ジャズ]

自分は確かにクラシック専門なのだけれど、ジャズも好きなのだ。でもクラシックほどの本気度もなく、どちらかというと気軽なスタンスでの取り組み。でも音楽って本来そのようなお気楽な気持ちで接するのが自然でいいのだろう。

自分のクラシックに対する病的な姿勢よりは。。。(笑)

もちろん子供の頃、若い頃はブリティッシュロック少年だったので、ジャズを聴きだしたのは社会人になってから。

自分のジャズを聴き始めたきっかけは、オーディオで鳴らしたい、という欲求から。
だからオーディオをやり始めた時期から、ジャズを聴き始めた。

当時のSACDは、クラシックとジャズのアルバムだけだったからね。

いま調べてみたら残念ながら2012年に終わってしまったようだが、土曜夜9時からのFMラジオのJ-Waveの小曽根真さんのジャズ番組(OZ MEETS JAZZ)が、自分のジャズに関する知識や歴史を吸収するための格好の教科書であった。

毎週必ず聴いていた。

小曽根さんは、あのように天真爛漫な性格なので、ラジオからは声だけにも関わらず、明るいオーラ出しまくりで、聴いていてリズムがよく快感だった。ジャズについて、随分勉強させてもらった。

小曽根さんは、ご存知オスカーピーターソン信者なので、ずいぶん彼の曲を紹介してもらったり、いろいろなことを教えてもらったり。

またご自身が米バークリー音楽大学に通っていた頃に一緒にセッションした仲間との想い出話だとか。懐かしい。


ジャズもクラシックと同じで、やはりスタンダードナンバーという名曲があって(そういう名曲が生み出された時代があった)、それをいまも演奏する人が変わるだけで、永遠に引き継がれている、そういう世界なのだ。

ジャズの分野を自分で開拓していく以外に、自分に一番大きな影響を与えたのは小曽根さんだったな。

ジャズは、クラシックと比較してなにが1番違うか、というと、「即興性」だと思う。

あの独特のスィングするリズム、そして計画通りではない予想出来ないライブ感。
一種独特のノリですね。

これは、オーディオで聴くよりも、ライブハウスで生演奏を聴いた経験があるなら、絶対わかる感覚だ。一度経験してしまうと、やみつきになる。

ジャズには、いろいろなジャンルがあるが、自分が好きだったのは、女性ボーカルとピアノトリオ。
ビッグバンド系はちょっと苦手だった。(でもライブにはよく行っていました。)

女性ボーカルとピアノトリオ専門だったと言ってもいい。(笑)

これは拙宅のオーディオ環境にも起因しますね。マンションなので、ドラムスはご法度で再生不可能なのだ。(笑)

ピアノトリオは、もう定番中の定番のビル・エヴァンスを始め、自分が贔屓で聴いていたのは、いまはもう亡くなられたが、ドン・フリードマンのトリオ。彼がジャズのスタンダードナンバーをピアノソロで即興リズムで弾くと、これがなんとも言えないくらい格好いいのだ。ほとんどのアルバムを持っている。

そして女性ボーカル。これはオーディオオフ会で必須アイテムですね。

ビシっとセンターに定位するあの感覚。ボーカルソフトで、センター定位のSP位置調整をしたりしますね。

自分がジャズの女性ボーカルで徹底して聴いていたのは、ケイコ・リーさんとakikoさんの2人。

これはいまも通勤用のiPodに彼女らの全アルバムが入っていて、今尚、そして毎日と言っていいほど聴いているのだ。いまは自宅のオーディオでは聴かないな。

以前にも告白したが、自分の音楽脳は、家でのオーディオタイムでクラシックを聴く、という一面と、通勤用のiPodでクラシック以外のジャズやポップスを聴く、という2面で音楽嗜好のバランスを取っている。

通勤用のiPodでクラシックを聴くことはまずない。

ふだん日記などの文章を書くときは、その書く内容に沿って、iPodのほうの音楽を聴いて、精神的な高まりをその頂点に持っていこうと意識しますね。

文章を書くために気分を高揚させ、精神を持っていく音楽は、不思議とクラシックじゃないんだな。
(コンサート鑑賞日記は別ですが。)

今回、ジャズの日記を書こうと思ったのは、ジャズボーカリストのakikoさんのことを日記にしたかったから。ケイコ・リーさんに関しては、以前、軽井沢ジャズフェスティバルで想いを書いたので、後悔していないのだが、akikoさんについては、まだ書いていない。いや、mixiのほうには昔少し書いたけれど、ブログのほうに書いていない。

自分の人生に関わってきた人は、みんな自分の日記で語っておきたいので、ずっと狙っていたのだ。

一番理想なのは、近日にakikoさんのライブに行って、その感想とともに日記にするのが、一番いいな、と思っていたのだが、どうも予算と時期のタイミングが合わない。ちょっと近々に実現できそうにないので、もう先に書いちゃう。(笑)

ライブは後日楽しもう。 



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自分が、akikoさんのCDを聴くようになったのは、2004年頃あたりから。

そのきっかけは、

・ユニバーサルミュージック傘下のヴァーヴ・レコードより初の日本人女性シンガーとして契約。(2001年)

・発売するディスクが必ずSACDだったこと。

この2点だった。

ヴァーヴ・レコード(Verve Records)は1956年にノーマン・グランツにより設立されたアメリカのジャズレコード会社。現在はユニバーサル ミュージック グループ(UMG)の一部となっていて、またヴァーヴ・ミュージック・グループ(The Verve Music Group)の本体となっている。

当時、このヴァーブ・レコードに日本人女性シンガーとして初の契約者、というのは彼女を売り出すための大きなセールストークになっていたように思う。

自分もこの売り文句にコロッとやられました。

そしてオーディオをやる上でSACDを極めようと思っていたので、とにかくクラシックSACD盤は目処がつくのだけれど、ジャズのSACDをたくさん集めたくて、akikoさんのアルバムを買い漁っていた想い出がある。

ケイコ・リーさんやakikoさんのアルバムは、必ずSACDで発売してくれる数少ない貴重なアーティストだったのだ。

(ちなみに今日2019年5月21日は、SACD誕生20周年の記念日なのです!) 


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akikoさんは、当時は外見はちょっと尖った格好良さがあって、実際アルバムを聴いてみると、声
や歌い方がものすごく格好良くて、いっぺんにファンになって惚れ込んでしまったのだ。


とにかく歌い方が超格好いいです。


ケイコ・リーさんとは、全然タイプが違う、まったく違った個性の魅力がありましたね。

あとでディスコグラフィーを紹介するが、akikoさんのアルバムは、どのアルバムも聴いていても本当に格好良い印象が先に来て、薄暗い店内の照明、タバコの煙、そして酒という雰囲気のコテコテのジャズというよりは、もうちょっと現代風のモダンにアレンジされた明るく洗練されたジャズという様相であった。

ポップスに近いかも。

単純にジャズと一括りにカテゴライズできない独特のポジションを作り上げていましたね。



有名なスタンダードナンバーをカバーするのがメイン路線(後にはオリジナル作品も多々ありましたが。)で、聴いていて、本当にイケていました。




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ジャズの生演奏は、ライブハウス、ライブレストランでやるのが通常。
ライブが始まる前に、夕食ディナーとドリンクをオーダーして楽しむのがジャズ特有の世界。

こういうところのディナーはベラボーに高いんだよね。

それをけちって、ドリンクだけしか頼まないのは、逆にその場に居づらくなるので、やめたほうがいい。(笑)ジャズのライブは、コンサートチケット代の他にいろいろ入用になる、というのが常識なのだ。



ブルーノート東京、ビルボードライブ東京、STB139(スィートベージル:六本木の有名なライブハウスでしたが、いまはなくなってしまいました。)、モーションブルーYOKOHAMA、とか、こういうライブレストランに入り浸るようになったのは、ひとえにケイコ・リーさんとakikoさんのおかげといってよかった。

(この中で、一番目が飛び出るくらいディナーが断トツで高いのは、ブルーノート東京です!)

彼女たちのライブを聴くために、皆勤賞といえるくらい通いまくった。
湯水のようにたくさんお金を浪費した。(笑)いまの予算体力じゃ考えられないね。

でもまったく後悔していない。若いうちにこういう体験にはどんどん投資するべき。
歳を取ったら、かならず財産になります。


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akikoさんは、アルバムやその歌い方からして、尖った格好良さがあるのだけれど、ライブになるとまったく別人のような印象だった。ちょっと最初は戸惑って、その素のイメージを受け入れ難かった。

必ず曲間にMCを入れるコンサートスタイルで、ちょっと舌たらずの感じの幼さ、天然さを感じるほのぼのとしたお人柄で、このギャップは最初はかなり戸惑ったな。MCにはジョークもよく入り、客の笑いのつかみも上々。

終始、和やかな雰囲気で、でも歌いだすとその歌い方が突然格好いいみたいな、最初はずいぶんそのギャップに悩みました。

MCはいっさいなしで、始めから終わりまで、終始プロっぽいイメージで貫徹するケイコ・リーさんとは全く違うライブの魅力でした。

akikoさんのライブは、モーションブルーYOKOHAMA、ビルボードライブ東京でやることが多かった。特に前者の記憶が圧倒的。



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北海道の友人を東京でおもてなし、するときに、このモーションブルーYOKOHAMAでakikoさんのコンサートに連れて行きました。(そのとき2011年に撮影した写真)




2004年から2011年頃までかな。ライブレストランに通いまくっていたのは。
それ以降は予算不足で行かなくなった。

でもいまでもakikoさんのFB,Twitter,Instagramなどをフォローして近影などを拝見しているのだが、なんか思うのは、昔自分がライブに通いまくっていた頃に比べて、体がひと回りもふた回りも大きくなった印象がするのだ。

昔はCDジャケットで見る限り、カリスマっぽく格好良いのだが、実際素で見ると、ちっちゃな女の子という幼い、天然な感じの女の子だったのだが、いまの近影は写真を見る限り、ずいぶん大人の女性。体格が大きくなったような感じがします。

だからこそ、超久しぶりにakikoライブに行って、そこを確認してみたい衝動にかられているのだ。 


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SNSやHPでライブイベント、ご自分の書籍を発売などを拝見していると、やっぱり思うのは、息が長くてマイペースというか自分のペースをきちんと保持していらっしゃるのは、アーテイストとして本当に凄いことだと思います。

一発屋で、そのあとの浮き沈みが多かったりするよりは、自分のペースをずっと維持できることの素晴らしさ。

小説家でいうならば文学賞は、そのとき偶然に取れたりするのかもしれないけれど、長い間自分の小説をずっと愛読してくれるたくさんのファンをしっかり掴むことのほうが小説家にとって重要なことであるように。。。



この日記を書くときに、久しぶりにakikoさんのディスコグラフィーを覗いてみた。

自分が聴きまくっていた最後の年の2011年以降に発売されたアルバムで、自分が知らないアルバムは5枚くらいあった。

驚き。これだけの短期間で今尚コンスタントにアルバムを出し続けられるマイペース維持は、本当にすごいことだと思う。

自分はデビューアルバムから聴きこんでいた時期までのほとんどのアルバムを持っているが、買わなくなって5枚もあるんだな、と思いちょっと無性に聴いてみたい感。

歳とっているから、新しい音楽を聴かなくなるんだよね。
いつまでも自分が夢中になっていた頃の曲を何回も繰り返して聴いているみたいな感じ。
毎朝通勤時に聴いているiPodに入っているakikoさんのアルバムはそんな時代のものだ。

あの頃から自分は止まっているのだ。。。

だから新しいアルバムは紹介できないけれど、自分が夢中になっていた頃のおススメのアルバムをここに紹介しよう。 



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Collage

akiko

http://qq1q.biz/74uW


デビュー盤からずっと単盤で聴いてきたのであるが、このベストCDが出てからは、もっぱら通勤時のiPodではこれを聴いている。ベストCDは、新しい曲が増えていくたびに過去にも何枚も再リリースされる感じで、このCollageはakikoベストCDとしては一番最初のアルバムだと思う。これは本当に素晴らしいです。珠玉のスタンダードナンバーの名曲オンパレードという感じで、akikoアルバムでこの1枚!というなら、ぜひこのアルバムを推薦したいです。 


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What's Jazz -sprit-

akiko

http://qq1q.biz/KawP 


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What's Jazz? -style-

akiko

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この2枚は同時発売のコンセプトアルバムであった。

“常に時代に反映して進化し続けるのがジャズ”という、akiko信念があって、コンサバなスタイルでない新しいモダンジャズに形を変えて提供、というのがご自身の方針みたいでした。spritのほうは、打ち込み主体によるアナザー・サイド・オブ・ジャズ。自分が好きで堪らないのが、styleのほうの7曲目の「スパルタカス~愛のテーマ」。

これは名曲です! 


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Mood Indigo

akiko

http://qq1q.biz/gNvC


自分が聴いていた時代での話ですが、単盤としては、このアルバムが最高傑作というか、自分が最高に気に入っていた作品。もはや“ジャズ”というより“akiko”というジャンルの音楽。

伝統のジャズスタイルではないです。9曲目のアイ・ミス・ユーと4曲目のソー・タイアードが、このアルバムを最高傑作成らしめているすべてを物語っています。ライブレストランでこの2曲を何回聴いたことか!

絶対忘れられない名曲たちです。 


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Mood Swing

akiko

http://qq1q.biz/8lVr

akikoとしての活動、アルバムの推移の中で、やはりデビューアルバムから進んできて、どうしても自分のターニング・ポイントとなるディスクってあるもんです。このMood Swingがそれに位置するのではないか、と個人的に思います。これ以降に出すアルバムに、迷いがなくなったというか、ご自身のジャズシンガーとしての独特のスタイルが固まったように思います。 


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Little Miss Jazz And Jive Goes Around The World!

akiko

http://qq1q.biz/QH1k


akikoというジャズシンガーが、いわゆるメジャーなメディアに登場したアルバムでしたね。この中の2曲目のアラウンド・ザ・ワールドはCMのタイアップ曲として採用され、なんか一気に知名度があがったというか。自分の中では、akikoは、自分だけが知っている通好みのアーティストという位置づけだったのが、一気にメジャーになって、なんか育ての親的な気分になった1枚でした。 



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Simply Blue

akiko

http://qq1q.biz/qW6w


これはいままでのスタジオ録音とはあきらかにサウンド的な雰囲気が違うモーションブルーYOKOHAMAでのライブ録音。ビル・エヴァンスが、1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで行ったライブを収録したあの名盤中の名盤「Waltz for Debby」を彷彿させるような店内のざわめき、暗騒音。もうすぐそこの至近距離のステージで歌っている感じがする。

ライブ録音ならではのテイストです。この録音を聴いていると、通いまくったモーションブルーYOKOHAMAのあの会場の絵柄、雰囲気が鮮明に頭に浮かびます。このディスクは個人的にかなり好きです。ムーディな歌い方が格好いいです。 



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Vida

akiko

http://qq1q.biz/Z8uA


ブラジル音楽。ベスト盤リリースでいままでの路線にひと区切りつけた後に新しい境地としてチャレンジしたアルバム。

実際にブラジル現地に赴き、地元のミュージシャンと作り上げた苦心作。ブラジル音楽独特の地域密着型の雰囲気かと思いきや、実際出来上がってみれば、かなりポップソング的な明るい出来栄えでした。これがリリースされたのは、確か夏だったな。夏にぴったし!という記憶がある。

ブラジル音楽なんていままで真剣に聴いたことのなかった自分にとって、このアルバムを介しての初体験だった。これはじつはiPodに格納しているakikoアルバムの中では最高にリピート率が高いかもしれない。

ついついこのアルバムを選択しちゃうんだよね。そういう魅力があります。
自分の大好きなアルバムです。


他にもまだいっぱいあるんですが、また今度の機会に。自分が夢中になって聴いていた頃の全盛期のアルバムは、上のアルバムたちになります。


ということで、じつに8年ぶりにakikoライブを経験すべくチャンスを狙っている。
去年の年末クリスマスに一大決心で行こうと思ったのだが、新宿のホテル・センチュリーハイヤットでのクリスマス・コンサート。

高杉。(笑)もっとカジュアルな雰囲気のほうがいいです。


あの天然気味のMCで展開していくあのコンサートの雰囲気は変わっていないのか?
写真の近影でみる限りでは、大きな女性になった感じなのだが、実際見た感じはどうなのか?

楽しみである。




上の一連の写真は、akiko FBからお借りしているもの。最近の近影です。これを見ると大人の女性なんですよね。昔ステージで直接見たときは、もっと幼いちっちゃな女の子という感じだったんですが。









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謎の円盤UFO [雑感]

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SHADO

1980年、既に人類は地球防衛組織SHADOを結成していた。
SHADOの本部は、イギリスのとある映画会社の地下深く秘密裏に作られ、沈着冷静なストレーカー最高司令官のもと、日夜、謎の円盤UFOに敢然と挑戦していた。


SID

コンピューター衛星。
このSIDがUFO侵入をキャッチすると、直ちにSHADO全ステーションに急報。


SKYDIVER

それはSHADOの海底部隊。
世界で最も進んだ潜水艦である。
その前部には、スカイワンと呼ばれるジェット機が装備され、海上を超スピードで進み、敵を撃破する。


MOBILE

人間の最高頭脳を結集して作られたSHADOのメカニック。


MOONBASE

MOONBASEは月面基地。ここにはミサイル要撃機インターセプターが非常事態に備えている。

UFO撃退の準備はできた。




この番組冒頭の矢島正明氏によるオープニングナレーション。

これがもう最高に格好良い。

これは日本用放送版のために作られたオリジナルらしい。




「謎の円盤UFO」(原題はUFO)

日本では、1970~1971年に日テレ系で放映されたのが最初である。
「UFO」という言葉を一般に紹介する先駆的役割を果たした。

イギリスのAPフィルムズ(後の21世紀プロダクション)が製作したSF特撮ドラマ。

これは本当に夢中になりました。
子供の頃に見た特撮ドラマでは、最高に忘れられない優秀作品です。

このAPフィルムズがヒットさせた作品としては、「サンダーバード」があるけれど、あちらは人形劇の作品で自分は好きではなかったというか、じつはいまだに1回も見たことがない。

謎の円盤UFOのよかったところは人間が演じるところの実写版であったところ。

自分は最初の放送は見れなかったけれど、再放送は、もう時代を変えて何回も繰り返して見た。

当時1970年代のドラマとしては、じつに斬新でリアルな斬り口で、ちょっと大人の番組という感じだったのがよかった。子供の自分の心をまず惹きつけたのは、やはりメカニカルな部分。インターセプターとかスカイダイバーとか。これが最高に格好良くて相当憧れた。このプラモデル最高に欲しかったな。

それでいて、単なる子供向けの番組ではなく、脚本がかなり大人レベルの高級さで、質が高く、SF特撮の枠レベルに収まらないクオリティーの高さを感じた。

なんか見る度に、子供心に怖いというか、恐怖心、ドキドキ感を味わせてくれた番組だった。
怖さと格好よさの同居、リアルな組織の設定など、とにかく脚本の質が異常に高かった。

自分にとって強烈なインパクトだったのは、このメカニカルな部分と、脚本の質の高い、大人びた格好よさ、この両方がミックスされた格好よさだった。


2003年に、満を持して、このDVD-BOXが発売されたときは、思わず購入してしまった。
いまはすでに廃盤になっていて、中古市場でないと手に入らないようだ。


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謎の円盤UFO コレクターズボックス PART1

http://urx.nu/bvI3

謎の円盤UFO コレクターズボックス PART2

http://urx.nu/eWDD

購入するだけしておいて、新品未開封だったのだが、じつに16年振りに、このGW10連休を利用して、一気に見てしまった。

全26話。

1話、1時間の物語完結型で、朝9時にスタートして途中休憩は入れるものの、夜の24時までぶっ通し鑑賞、それを2日間連続。全然疲れるどころか、面白くて、夢中になってあっという間だった。

それだけやはり脚本のクオリティーが高いんだろうね。

見るときは、日本語吹き替えか、字幕か、の問題はあるが、このドラマの場合は文句なしに日本語吹き替え。だって子供の頃に見た記憶は圧倒的に日本語吹き替えでの印象が強いですからね。ストレーカー司令官の声は絶対、広川太一郎さんじゃなければダメなのだ。(笑)


じつはこのDVDを見て新たに発見したことがあった。
それは日本で放映された番組は、原ソフトを数分カットしたものだったのだ。
今回のDVDはいわゆるノーカット版。だから日本語吹き替えで見ると、当然カットされた部分の日本語吹き替えの部分は存在しないので、そこだけ急に原語上映なのだ。

最初BDプレーヤーかDVDソフトの字幕設定が間違っているのかな?と思ったが、その事実にようやく気づいた。




それでは、まず、その格好良かったメカニカルな部分と、登場人物を紹介していこう。

MOONBASE(ムーンベース)

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月面基地。SHADOはUFOを撃退するのに、第1次~第3次防衛網の3段階を構えている。
ムーンベースは、UFO撃退の第1次防衛網。

ここには、ミサイル要撃機インターセプターが3機、待機している。

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これが格好良かったなぁ。子供心の相当憧れたというか、かっこいいなと思った。
この先頭に付いているのは、核爆弾だそうで、1機につき1発しかないのは、なんか足りないよなぁといつも思っていた。(笑)1発打って外れたら、それでお終いやん!という気持ちがいつも子供心にあった。

でもその命中率は、UFOの移動速度、宇宙空間での座標位置など詳細なコンピューター計算により設定されるもので、命中率はかなり高いというシナリオなのだ。

このプラモデルが子供の頃に本当に欲しかった。
こうやって実在するものなんですね。

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MOONモービル

月面基地のムーンベースから、実際の月面での調査をおこなう場合に人を運ぶヴィークル。

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SID

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コンピューター衛星。
このSIDにより、UFOの襲来を検知し、移動速度、宇宙空間での座標位置などがSIDのコンピュータにより計算され、報告される。このSIDの計算結果に応じて、インタセープターはミサイル設定をする。



SKYDIVER(スカイダイバー)

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潜水艦の先頭にジェット機スカイ1(スカイワン)が装備されていて、海中から発進して、地球の空でUFOを撃墜する。これが第2次防衛網。ムーンベースでの第1次防衛網を突破して、地球の大気圏に突入してきた場合は、この第2次防衛網で撃墜する。スカイダイバーは7つの海に配置されている、とされている。

このスカイダイバー本体についている”SKYDIVER”というロゴや、スカイ1についている"SKY"というロゴがなんとも格好良い。

これらの文字に使われていたのは1950年代に考案された Microgramma(英語版) というサンセリフのローマ字書体なのだそうである。


スカイダイバーは本当に格好良かった。子供心に相当憧れた。
インターセプターとはまた違う次元での格好よさであった。どちらも甲乙つけれなかった。


スカイダイバーもこうやってちゃんとプラモデルが存在するのだ。欲しいっ~。

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SHADOモービル

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月面基地ムーンベースでのインターセプターでの第1次防衛網を突破し、地球の大気圏でのスカイワンでの第2次防衛網までも突破して地上にたどり着いた場合の第3次防衛網が、このモービル。



ルナキャリアとルナ宇宙艇

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地球と月面基地ムーンベースとの定期連絡便。
写真のように地球の大気圏の間は、ルナキャリアとルナ宇宙艇は合体ドッキングされているが、大気圏突破前に、ルナキャリアから分離されて、ルナ宇宙艇だけになり、月面までに飛行をする。


UFO

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フィ~ン、フィ~ン、という独特の効果音でその移動を表現されていた未確認飛行物体。
地球の大気には長く接していると分解してしまう、という性質があり、地球に舞い降りた場合は、大体、海や湖の中に潜んでいるというのが、大体のストーリーだった。

このUFOがこの効果音で近づいてくると、なんか独特の恐怖感があり、じつに怖さを最高にうまく演出していたと思う。


SHADOカー。

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SHADOのメンバーが乗る専用カー。番組が1970年代とはいえ、じつに格好良い。
ドラマでは、おもにストレーカー司令官が乗っている場面が多い。でもたまにフォスター大佐とか他のメンバーが乗るときにも登場する。このドラマだけに特注で作られた車だと思うが、大変な製作費だったような気がする。当時のハイテクということを意識してか、有線だけど、車内電話も装備されているのだ。



プラモデルの世界では、こうやって謎の円盤UFOキットみたいなものもあるんですね。

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つぎに登場人物を紹介していこう。


ストレイカー最高司令官
(演:エド・ビショップ、声:広川太一郎) 

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地球防衛組織SHADOの最高司令官。沈着冷静でどんな緊急事態でも冷静な判断を下すクールな司令官。ではあるが、いつもすぐに怒る。(笑)このドラマの最高の顔であり、主人公ですね。1970年にメリーと結婚したが、SHADO設立に忙殺され、長男ジョン誕生直後に離婚。のちにその息子ジョンも不意の交通事故で失ってしまう。

SHADOの最高司令官という顔を持ちながら、対外的には、ロンドン郊外にある「ハリントン・ストレイカー映画撮影スタジオ」の専務取締役をつとめる。

ストレイカー司令官を演じた役者:エド・ビショップは、髪の毛の色がブラウンだったそうで、ストレイカーのブロンドの色、髪型にするためにかつらを使ったらしい。そう!あのストレイカー司令官の頭部はかつらだったのだ!


エド・ビショップは、その後2005年に他界され、いまは故人である。

晩年のエド・ビショップ。 


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やっぱり自分にとって、沈着冷静なストレイカー司令官のイメージは、このエド・ビショップの外見もさることながら、声を担当した広川太一郎さんの影響の大きさもあるのではないか、と思う。あの声は、まさにストレイカー司令官そのもの!もうそこで固定概念が固まりましたね。




フリーマン大佐。
(演:ジョージ・シーウェル、声:小林昭二) 

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SHADOの副司令官。ストレイカー最高司令官の良き右腕。地球防衛組織SHADO設立時に参加し、無二の親友となる。ストレイカー司令官とは反対に、人間臭く人情深い男。女性をこよなく愛する男。

そう、まさにストレイカー司令官とは正反対な役どころで、いいバランスを保っていましたね。






フォスター大佐
(演:マイケル・ビリントン、声:羽佐間道夫) 


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若きSHADOの指揮官。ムーンベース司令官、スカイダイバー司令官と、いわゆる現場監督的な指揮官。熱き熱血漢というタイプでハンサムなので、どちらかというと女性絡みのエロい場面でも多用されていた。(笑)また、ドラマでは、つねになにかハプニングに巻き込まれる、というか、事件に巻き込まれる役柄というか、そういう立ち位置が多い役でしたね。

フォスター大佐を演じたマイケル・ビリントンも2005年に他界し、すでに故人です。



レイク大佐
(演:ワンダ・ベンサム、声:小原乃梨子) 

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ユートロニック装置を開発した女性科学者で、SHADOに入隊して幹部となった才女。SHADO入隊後、ムーンベース司令官などを経て、フリーマン大佐とともにストレイカー司令官を補佐する大佐に任命された。

この謎の円盤UFOというドラマの大きな特徴は、女性がとても活躍するということだった。
いまと違って1970年代にとってとても斬新な試みだった。

このレイク大佐はその代表格ともいえるキャリアウーマンでした。

自分のレイク大佐に対する少年時代の強烈な想い出は、第24話の「UFO時間凍結作戦」。
この話では、ストレイカー司令官とレイク大佐が主役なのだが、そのときのレイク大佐の衣装が上の写真で、セクシーで、胸の部分がはだける感じで、当時多感な小学生だった自分は、その姿に猛烈に反応してしまい、相当興奮してしまいました。(笑)

レイク大佐といえば、自分は時間凍結作戦の話なのです。
いまでも脳にしっかり刻み込まれています。

久しぶりにその時間凍結作戦の話を見ましたが、こんなのに興奮していたのか~という感じで、ほくそ笑んでしまいました。

やっぱりいまと違って刺激の少ない子供時代だったんだね。


エリス中尉
(演:ガブリエル・ドレイク、声:松島みのり) 


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SHADO最前線防衛基地、ムーンベース指揮官を務めていた沈着冷静な美女。
ブラッドレイ大尉に好意を寄せていたことから、地上勤務に転任したのではないかとみられている。シリーズ中10本に登場。

ムーンベースに勤務する場合、司令室にいるときは、女性隊員はなぜか、みんなコスモルックというセクシーな制服を着て髪の毛も紫色のかつらを被る。(笑)

自分の感想では、全話に出てくるムーンベース勤務の女性隊員の中では、このエリス中尉が1番の美女で映える存在だったと思う。でもなぜ10話程度の出演だったか・・・エリス中尉を演じたガブリエル・ドレイクの場合、他の作品とのスケジュール調整による降板であると明らかにされている。



ドクター・ジャクソン 

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SHADOの医療スタッフ。元情報部所属の心理学者で、その仕事は隊員の精神面の健康管理から機密保持・内部調査・宇宙人の分析まで多岐に渡る。

こういう勤務は、絶対精神面ふくめ、メディカル・サポートは重要ですね。
影の重要人物です。


カーリン大尉 


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スカイダイバーのスカイワンの操縦パイロット。話によってパイロットは違ったりするが、全話見る限りでは、カーリン大尉が務めることが多かった。

妹さんはUFOの宇宙人に連れ去られ、その後、その妹さんの心臓が、捕虜にした宇宙人の体から見つかったことにより、妹さんの正式な死亡が確定した。

それゆえ、尚更宇宙人侵入阻止のSHADOの任務を自分の生涯のタスクと心より決める。


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番組が放映されたのが1970年。それに対してその未来像としてその中で描かれたのが、1980年と設定されている。作品中に登場したコードレス電話が実現・普及するのはさらに下って1990年代以降である。


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女性の社会進出像(あくまで男性中心の視点を残しつつ)や、1970年代テイスト主体だが単なるレトロフューチャーにはならないスタイリッシュなファッション等も含め、本作における先見性は作品フォーマットを創りあげたジェリー&シルヴィア・アンダーソン夫妻(後に離婚)、特にシルヴィアの功績によるものが大きい。。。と言われているようだ。

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この番組での宇宙人は、外見は宇宙服に身を纏い、青色の肌をして、外見は人間とまったく変わらない、というような設定である。でも宇宙人は優れた技術力を持っており、衰えた肉体の臓器を地球人のものによって代替する目的がこのドラマでは示唆されている。そのために地球で人間を誘拐しては、その臓器だけを切り抜いて持ち去る、というような事件が多発。


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そしてその臓器を新たに組み立てて、新たな人間体を造って、そこに宇宙人の精神、知能を埋め込む、というような感じ。それが第1定義。

あるいに動物や人間を洗脳して、宇宙人の精神や知能を乗り移らせる事件を描いて見せ、実体は、宇宙人というのは精神生命体ではないかという説を立てていた。(第2定義)

いずれにせよ、なんかUFO、宇宙人はつねになにか新しい手で地球侵略の悪だくみを考えている、という路線で描かれていて、それが観ていて、本当にゾクゾクとする怖さというか、かなりシリアスティックに描かれていて、いやぁじつに秀逸なドラマだなぁ、と思ってしまうのだ。

また単に、UFO、宇宙人との闘いだけを描くのではなく、ストレイカー司令官の家庭の問題だとか、より人間性溢れる側面に光をあてた脚本も多々あり、じつに人間的な物語の側面も間に織り込む、なんとも言えない絶妙な味わい、高級感なのだ。

本当に脚本シナリオの質の高さは抜群だ。

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1970年に放映されたドラマだが、それから約50年後の現在、いま観ても全然古臭くなく、返っていまのドラマには絶対にない鮮度がある。いつぞや、オードリー・ヘプバーンの映画のときにも同じ感想を抱いたが、昔の映画、ドラマには、現代には忘れかけている大切なものがあるような気がする。

いまの時代にこういうドラマを見てみたいものだよなぁと思ってしまうのだ。

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1970年の最初の放送の時は、自分は知らなかった時代だが、番組エンディングには映画評論家の小森のおばちゃまこと小森和子さんが現地で取材した映像を紹介するコーナーがあり、出演俳優の素顔を垣間見ることができた。また、このコーナーではプラモデルを視聴者プレゼントとしていた、こともあったとか。


番組のオープニングで格好良いナレーションを決めてくれた矢島正明氏は同じ日本テレビ系列の「木曜スペシャル」で、矢追純一プロデュースのUFO・宇宙人物番組のナレーションも担当していたらしい。

謎の円盤UFOの初回放送時には、視聴率面で当時の怪物番組だった「8時だョ!全員集合」(TBS)の裏番組となっており、ビデオのない時代、ターゲットの重なる視聴者層は選択を迫られた。

矢追純一さんが率先していたUFOブーム、あったよなぁ。
あれから、いまどうなっているんだ?(笑)

跡形もなく消え去りましたか?その可能性とそのブーム。

いずれにせよ、この謎の円盤UFOのドラマが、UFOブームの率先となったことは間違いない。

いまさらUFOブームでもないだろうけれど、このドラマの素晴らしさは、ぜひお勧め、見てほしい感じがします。まったく色褪せていなく、いま見てもドキドキしますから。

2日間、フルタイムで見ていてもまったく疲れを感じず、集中できました。


放送タイトルリスト(日本放送時)

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