クラシック・コンサートのカーテンコールは、なぜ何回も繰り返すのか? [クラシック雑感]
クラシック・コンサートに行き始めた人は、あの終演のときのカーテンコール、つまり指揮者やソリストが何度も舞台袖に下がっては、また登場して、を繰り返して拍手喝采を浴びるのか?といういわゆる儀式を不思議に思うかもしれない。
自分は通い始めた頃からそんなに違和感を感じなかったが、じゃあこれはなんのためにやっているの?という疑問にきちんと答えられるか?というと、それも自信がなかった。
せっかく昨日カーテンコール撮影のことについて日記にできたので、ついでに、このカーテンコールの儀式について、チャレンジしてみたい。
ネットでググると、いろんな人がこのカーテンコールについて、語っている。
なんで、ダラダラやるんだよ!スパッと終わってほしい!なんて声も結構多い。(笑)
その中で、有識者と思われる方が、カーテンコールの由来について説明している箇所を見つけたので、抜粋して紹介しよう。
もともと、クラシック音楽のコンサートは「劇場(オペラハウス)」で行なわれていた。
例えば、ベートーヴェンの「運命」の初演は、ウィーンに今でも現存するオペラハウス「アン・デア・ウィーン劇場」。
当時、劇場の緞帳(カーテン)を下ろしたのかどうかは伝わっていないが、「カーテンコール」というのは、演目が終わった後、緞帳(カーテン)をおろし、そのすき間から出てきて拍手に応える、というのが本来の姿である。(現在でも、オペラではその形式で行なわれている)
クラシックで「コンサートホールでの演奏」が主流となったのは19世紀以降のこと。
コンサートホールは、オペラなどの舞台上演を目的とせず、場面転換などの必要もないため、大道具移動装置や緞帳(カーテン)といった「劇のために必要な設備」が排され、「いかに音楽をよく響かせるか」に特化したつくりになっている。
このため、演奏するのは良いのだが、「終わった後に緞帳(カーテン)がなく、カーテンコールが出来ない」という問題に直面することとなった。
この解消策が「演奏家自ら袖に下がって、「一度聴衆の視界から消える」ことで、カーテンコールの代替行為とする」方法である。
誰が始めたのか定かではないが、今日では音楽界の常識として、演奏家にとっては「自分の演奏に満足してくれたことに感謝する大事な時間」として、聴衆にとっては「素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに対する最大限のお礼」として、どのコンサートでも行なわれている。
そういうことでしたか!
昔は幕カーテンが下りて、そこから観客の歓声に呼び出され、その幕のすき間から出てきて、拍手に応える。確かに、これはいまのオペラでは当たり前にやられていることですね。
そしてコンサートホールでのクラシック・コンサートでは幕がないので、指揮者自ら舞台袖に下がって姿を消して、そして拍手に応えて、また現れる。。。そういうことだそうです。
でも何回も繰り返す理由については、言及されてませんね。
それについてドンピシャ!と的を突いた発言しているところは、ちょっとググったぐらいでは、見つけられませんでした。
カーテンコールとは?
音楽会・演劇・ショーなどで、終幕後に観客が拍手喝采し、いったん退場した出演者を舞台に呼び戻すこと。
「カーテンコール」という言葉の由来は、英語の「curtain call」で、英語圏でも同じような意味で用いられる。「curtain(カーテン)」は「幕」、「call(コール)」は「呼ぶ」といった意味を表し、「幕が下りた後に呼ぶ」という文字通りの意味合いになる。
自分の経験だと、大体クラシック・コンサートのカーテンコールって、4~5回くらいではないだろうか?
自分は通い始めた頃からそんなに違和感を感じなかったが、じゃあこれはなんのためにやっているの?という疑問にきちんと答えられるか?というと、それも自信がなかった。
せっかく昨日カーテンコール撮影のことについて日記にできたので、ついでに、このカーテンコールの儀式について、チャレンジしてみたい。
ネットでググると、いろんな人がこのカーテンコールについて、語っている。
なんで、ダラダラやるんだよ!スパッと終わってほしい!なんて声も結構多い。(笑)
その中で、有識者と思われる方が、カーテンコールの由来について説明している箇所を見つけたので、抜粋して紹介しよう。
もともと、クラシック音楽のコンサートは「劇場(オペラハウス)」で行なわれていた。
例えば、ベートーヴェンの「運命」の初演は、ウィーンに今でも現存するオペラハウス「アン・デア・ウィーン劇場」。
当時、劇場の緞帳(カーテン)を下ろしたのかどうかは伝わっていないが、「カーテンコール」というのは、演目が終わった後、緞帳(カーテン)をおろし、そのすき間から出てきて拍手に応える、というのが本来の姿である。(現在でも、オペラではその形式で行なわれている)
クラシックで「コンサートホールでの演奏」が主流となったのは19世紀以降のこと。
コンサートホールは、オペラなどの舞台上演を目的とせず、場面転換などの必要もないため、大道具移動装置や緞帳(カーテン)といった「劇のために必要な設備」が排され、「いかに音楽をよく響かせるか」に特化したつくりになっている。
このため、演奏するのは良いのだが、「終わった後に緞帳(カーテン)がなく、カーテンコールが出来ない」という問題に直面することとなった。
この解消策が「演奏家自ら袖に下がって、「一度聴衆の視界から消える」ことで、カーテンコールの代替行為とする」方法である。
誰が始めたのか定かではないが、今日では音楽界の常識として、演奏家にとっては「自分の演奏に満足してくれたことに感謝する大事な時間」として、聴衆にとっては「素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに対する最大限のお礼」として、どのコンサートでも行なわれている。
そういうことでしたか!
昔は幕カーテンが下りて、そこから観客の歓声に呼び出され、その幕のすき間から出てきて、拍手に応える。確かに、これはいまのオペラでは当たり前にやられていることですね。
そしてコンサートホールでのクラシック・コンサートでは幕がないので、指揮者自ら舞台袖に下がって姿を消して、そして拍手に応えて、また現れる。。。そういうことだそうです。
でも何回も繰り返す理由については、言及されてませんね。
それについてドンピシャ!と的を突いた発言しているところは、ちょっとググったぐらいでは、見つけられませんでした。
カーテンコールとは?
音楽会・演劇・ショーなどで、終幕後に観客が拍手喝采し、いったん退場した出演者を舞台に呼び戻すこと。
「カーテンコール」という言葉の由来は、英語の「curtain call」で、英語圏でも同じような意味で用いられる。「curtain(カーテン)」は「幕」、「call(コール)」は「呼ぶ」といった意味を表し、「幕が下りた後に呼ぶ」という文字通りの意味合いになる。
自分の経験だと、大体クラシック・コンサートのカーテンコールって、4~5回くらいではないだろうか?
2~3回やって、その後アンコールに入って、そしてまたカーテンコール。
オペラはもっと多いかもしれない。
オペラのカーテンコールは、いわゆる独特の形式があって、登場人物1人1人出てきて、拍手を浴びて、そして後ろに並んで、全員終わったらみんなでお手手つないで、ステージの前へ出ていく。
幕を完全に開けて、端役や合唱など全員が集合する形式を特に「アンサンブル・カーテンコール」と呼ぶ。役の重要度の昇順(合唱、端役、脇役、主役の順)に登場する場合が多い。
ここら辺は、オペラファンであれば、もう目に焼き付いている当たり前のシーンであろう。
自分のオペラのカーテンコールのベストショットは、ステージの後ろに合唱、端役などがずらっと並んでいて、主役たちがお手手つないで前へ出てくる瞬間。オペラのカーテンコールを撮影するときは、必ずここを狙う。それまでは絶対写真撮りません。(笑)
なぜ何回も繰り返すのか?
ずばりノンノン流に解析を施してみると、
クラシック・コンサートにしろ、オペラにしろ、何時間も時間をかけたその演奏家、歌手たちの芸術品であるから、それに対して1回の挨拶で終わるのは、あまりにも失礼。やはりこれだけ長い時間をかけた芸術作品に対しては、観ている聴衆のほうもその余韻というのを十分に味わいたい、という想いがあるのではないだろうか?
その余韻を味わうために、何回も繰り返す。
休憩挟んで3時間のコンサートなのに、終演の挨拶、拍手が1回で終わってしまっては、あまりにあっけなさすぎるし、尻つぼみ的な感じもする。
やはり深くて感動を与えてくれた長い公演に対しては、十分にその出演者に対する感謝の気持ちを伝えるには、時間をかける必要がある。
カーテンコールの回数は別に決められたものではなく、臨機応変だ。
本来カーテンコールとはそういう決まった回数ではなく、舞台に感動した観客が劇場を去りがたく、拍手が鳴りやまない状態のことをいうのだ。
まさにクラシックの世界のカーテンコールの奥義はそこにあると思う。
例えばロンドン。例えば韓国。おそらくブロードウェイも。カーテンコールは決まった数しか出てこない。大体1~2回。カーテンコールはあっという間に終わり、オーケストラがチェイサーの音楽を奏で始めたら、観客はさっさと劇場から出ていくそうだ。
それじゃ、あまりに悲しいし、寂しすぎると思うのだが、カーテンコールのやり方や回数などの伝統も、その国によって違うということは当然のことなのかもしれない。
オペラはもっと多いかもしれない。
オペラのカーテンコールは、いわゆる独特の形式があって、登場人物1人1人出てきて、拍手を浴びて、そして後ろに並んで、全員終わったらみんなでお手手つないで、ステージの前へ出ていく。
幕を完全に開けて、端役や合唱など全員が集合する形式を特に「アンサンブル・カーテンコール」と呼ぶ。役の重要度の昇順(合唱、端役、脇役、主役の順)に登場する場合が多い。
ここら辺は、オペラファンであれば、もう目に焼き付いている当たり前のシーンであろう。
自分のオペラのカーテンコールのベストショットは、ステージの後ろに合唱、端役などがずらっと並んでいて、主役たちがお手手つないで前へ出てくる瞬間。オペラのカーテンコールを撮影するときは、必ずここを狙う。それまでは絶対写真撮りません。(笑)
なぜ何回も繰り返すのか?
ずばりノンノン流に解析を施してみると、
クラシック・コンサートにしろ、オペラにしろ、何時間も時間をかけたその演奏家、歌手たちの芸術品であるから、それに対して1回の挨拶で終わるのは、あまりにも失礼。やはりこれだけ長い時間をかけた芸術作品に対しては、観ている聴衆のほうもその余韻というのを十分に味わいたい、という想いがあるのではないだろうか?
その余韻を味わうために、何回も繰り返す。
休憩挟んで3時間のコンサートなのに、終演の挨拶、拍手が1回で終わってしまっては、あまりにあっけなさすぎるし、尻つぼみ的な感じもする。
やはり深くて感動を与えてくれた長い公演に対しては、十分にその出演者に対する感謝の気持ちを伝えるには、時間をかける必要がある。
カーテンコールの回数は別に決められたものではなく、臨機応変だ。
本来カーテンコールとはそういう決まった回数ではなく、舞台に感動した観客が劇場を去りがたく、拍手が鳴りやまない状態のことをいうのだ。
まさにクラシックの世界のカーテンコールの奥義はそこにあると思う。
例えばロンドン。例えば韓国。おそらくブロードウェイも。カーテンコールは決まった数しか出てこない。大体1~2回。カーテンコールはあっという間に終わり、オーケストラがチェイサーの音楽を奏で始めたら、観客はさっさと劇場から出ていくそうだ。
それじゃ、あまりに悲しいし、寂しすぎると思うのだが、カーテンコールのやり方や回数などの伝統も、その国によって違うということは当然のことなのかもしれない。
カーテンコール [クラシック雑感]
クラシックのコンサートのカーテンコールは、その光景に、その公演のすべてが含有されているとても華やかな瞬間だ。
やっぱりこれは自分の想いなのだけれど、コンサートの鑑賞日記の巻末に、このカーテンコールの写真があると、それまでの文章がぐっと映えてくるというか、読み手側にものすごい感動、そしてその公演の場がいかに素晴らしかったか、という臨場感を与える効果があるのではないか、と思うのだ。
やっぱり写真の視的効果はすごく大きい。
カーテンコールを撮影することは、国内のコンサートホールでは、ほとんど禁止行為で、撮影していると係員が飛んでくる感じで、とても厳しい。レセプショニストがしっかり目を見張らしている、という感じだ。
いつかレセプショニストの日記を書いたことがあったが、自分にとって、レセプショニストの存在は、どちらかというと撮影していると、注意される、いわゆる怖い存在といった経験のほうが多い。(笑)
演奏中を撮影することは、これはもっての外だと思うが、終演後のカーテンコールぐらいは撮影したいなぁという気持ちは正直ある。
ここら辺は、結構ホールによって、その厳しさや緩さがまちまちで、カーテンコールの撮りやすいホール、撮るのが極めて困難なホールというのがあって経験上自分の中ではよくわかっている。(笑)
自分の経験では、やはりサントリーホールが1番厳しいと感じる。
それと比較して、海外音楽鑑賞旅行で、海外のホールに行くと、もう日本とは天と地の差で、カーテンコールはほぼ撮影可能だ。
クラシックに限って言えば、外国人の聴衆のマナーは、日本と比較すると、かなりレベルが低いように思われる。自分の経験からすると、静謐さ、楽章間の拍手禁止、フライングブラボーをやらない、終演直後の沈黙の時間をきちんと守るなど日本の聴衆は、クラシックに関して造詣が深くとてもハイレベル。
日本人聴衆は概して大人しい。それに対して、外国人聴衆は、もっと動的だ。
オペラで演出に不満があれば、もう平気でブーの嵐だし、床をどんどん踏み鳴らす。意思表示がはっきりして、個性的なのだ。
もちろん日本でもそうじゃない場合もあり、よくマナーが悪い観客に遭遇することはよくある。
でも自分の経験からすると、やっぱり日本の聴衆のほうが、海外の聴衆よりずっと大人しくて紳士淑女のように思えるし、クラシック・コンサートの聴き方の基本的マナーをわきまえているように思える。
カーテンコールを撮影するなら、海外のホールだけにしたほうがいい。
自分もその昔は、よく国内のホールでもカーテンコールの撮影にチャレンジしていた。
自分ながらよく果敢に挑戦したよな、と思う。
カーテンコールの撮影は、ひとつのスキルが必要なのだ。ただ、撮ればいいってもんじゃない。
たとえばソリストが一番いい表情をしているような、輝いているような、その瞬間を撮らないといけない。
終演後、ソリストの挨拶、指揮者の挨拶など、ほんのわずかで、あっという間に終わってしまう。
そのわずかの間にベストショットを撮る必要があるのだ。
もちろん一発で撮れるわけがなく、連写してたくさん撮る。1回のカーテンコールで、50枚から100枚ぐらい撮っているかもしれない。その中の90%は、ほとんど失敗作なのだ。ピンボケしていたり、ソリストの表情がいまいちだったり・・・。
撮影中にいま撮ったショットがうまく行ったか、逐次猛スピードでビューモードで確認する。
これで、いいショットが撮れていた場合は、もうそこで撮影は終了。
いいショットが撮れるまで、ずっと繰り返すのだ。
日本のホールはとても厳しいので、必ず係員が飛んで注意される。それもわかっているので、要は終演直後から、係員に注意されるまでの間に成功作品を撮影する、そういうタイムリミットがあるのだ。
ソリストの表情など、どの写真を選ぶかは、やはりその人のセンスが滲み出る。
いわゆるカメラマンとしてのセンスというのかな。
風景画を撮るより、人物画を撮る方がずっと難しいのだ。
ソリストの一番いい表情をいかに撮るか、そのソリストの一番いい所をいかに引き出すか、これがカメラマンの腕の見せ所なのだと確信している。
自分のカメラの美学として、ピンボケの写真は、絶対日記には載せたくないというのがある。
それだけで、日記が汚れてしまう感じがするし、ピンボケの写真しかなく、そんなことするくらいなら最初から写真は掲載しないほうがいい。
あと、カーテンコールの撮影にはカメラマンの腕というかデジカメの機能もかなり大事なファクターでもある。
カーテンコール撮影に必須な技術は、ずばりズーム。終演後に一気にズームして、フレームの構図内で、出演者の大きさのバランスを取ること。つまり遠近感の調整。
これは終演後にまずやらないといけないこと。
ズーム機能の倍率の弱いデジカメはNGです。コンサートホールはとても広いので、遠くの観客席からステージでの出演者の被写体に適した大きさにする、つまり適した遠近感にはズームが絶対必須の技術なのだ。ソリストの表情がわかるくらいがいい。
素人の写真では、ステージ上の出演者たちを撮るのはいいけど、なんか座席が遠いので、豆粒みたいにしか映っていないのもよく見かけるが、これじゃダメです。
最近スマホは画質が綺麗に撮れるけれど、自分的にはズームが弱いと思っているので、カーテンコール撮影には使えない。
一眼レフの本格的なものは、そのガタイがでかいので、カバンから取り出すときにかさばるし、それを使って撮影している時点で、もう係員に見つかりやすいので、これもNG。
やはりコンデジが1番いいです。自分はソニーのサイバーショットを使っているのだが、じつは最新になるほど画質や撮像素子のレンズの高性能になっていくんだが、ところがなぜかズームの倍率が弱いのだ。
新しいほどいいと思って最新のサイバーショットを買って、カーテンコール撮影に臨んだところ、ズームが弱くて、被写体が小さく過ぎて、ちゃんとしたカーテンコールが撮れないのだ。
もうがっくり。金返せ!
そして再度もう一ランク下げてズームの倍率の桁表示データに気をつけて買って、カーテンコール撮影にチャレンジ。これもダメだった。
結局、同じサーバーショットでもちょっと古いモデルが、自分的には、もっともズームが強くカーテンコール撮影に向いていて、いまこれをカーテンコール撮影専用デジカメとして愛用している。
(結局サイバーショットだけで、3台も持ってしまうはめに・・・)
やっぱりコンサートホールはとても広いのでそういうところがキーになる。
あと、細かいことを言うなら、ホールの暗がりで撮るので、どうしてもピントがぼけるというか、90%の失敗作は、大半がこのピンボケだ。これも不思議なことに、ホールによって綺麗に撮れるホールと、どうやってもピンボケになってしまうホールと存在するのだ。ホールの照明の種類によるものなのかな?
ザルツブルク音楽祭の祝祭大劇場は超難しかったです。何回撮影しても、どうしてもピンボケしました。
シャッタースピードを調整するという技もあるが、あの瞬時の間にいろいろやるのは厳しい。
だから自分にとって、終演からのこのわずか短時間の間が、勝負の時だった。
ある限られた一瞬の間に、たった1枚でいいから、その人のもっともいい表情を引き出しているその瞬間が撮れればそれでいいのだ。何十枚の連写の無駄使いも気にならないのだ。
そして、このエンディングのこの儀式があるために、そしてこの勝負の時がエンディングで待ち構えているから、コンサートの公演の最初からどうも落ち着かないというか、コンサートに集中できないということもある。
うまいショットが撮れるかどうか、もうコンサート公演中のときから心配なのだ。(笑)
やっぱりこれは自分の想いなのだけれど、コンサートの鑑賞日記の巻末に、このカーテンコールの写真があると、それまでの文章がぐっと映えてくるというか、読み手側にものすごい感動、そしてその公演の場がいかに素晴らしかったか、という臨場感を与える効果があるのではないか、と思うのだ。
やっぱり写真の視的効果はすごく大きい。
カーテンコールを撮影することは、国内のコンサートホールでは、ほとんど禁止行為で、撮影していると係員が飛んでくる感じで、とても厳しい。レセプショニストがしっかり目を見張らしている、という感じだ。
いつかレセプショニストの日記を書いたことがあったが、自分にとって、レセプショニストの存在は、どちらかというと撮影していると、注意される、いわゆる怖い存在といった経験のほうが多い。(笑)
演奏中を撮影することは、これはもっての外だと思うが、終演後のカーテンコールぐらいは撮影したいなぁという気持ちは正直ある。
ここら辺は、結構ホールによって、その厳しさや緩さがまちまちで、カーテンコールの撮りやすいホール、撮るのが極めて困難なホールというのがあって経験上自分の中ではよくわかっている。(笑)
自分の経験では、やはりサントリーホールが1番厳しいと感じる。
それと比較して、海外音楽鑑賞旅行で、海外のホールに行くと、もう日本とは天と地の差で、カーテンコールはほぼ撮影可能だ。
クラシックに限って言えば、外国人の聴衆のマナーは、日本と比較すると、かなりレベルが低いように思われる。自分の経験からすると、静謐さ、楽章間の拍手禁止、フライングブラボーをやらない、終演直後の沈黙の時間をきちんと守るなど日本の聴衆は、クラシックに関して造詣が深くとてもハイレベル。
日本人聴衆は概して大人しい。それに対して、外国人聴衆は、もっと動的だ。
オペラで演出に不満があれば、もう平気でブーの嵐だし、床をどんどん踏み鳴らす。意思表示がはっきりして、個性的なのだ。
もちろん日本でもそうじゃない場合もあり、よくマナーが悪い観客に遭遇することはよくある。
でも自分の経験からすると、やっぱり日本の聴衆のほうが、海外の聴衆よりずっと大人しくて紳士淑女のように思えるし、クラシック・コンサートの聴き方の基本的マナーをわきまえているように思える。
カーテンコールを撮影するなら、海外のホールだけにしたほうがいい。
自分もその昔は、よく国内のホールでもカーテンコールの撮影にチャレンジしていた。
自分ながらよく果敢に挑戦したよな、と思う。
カーテンコールの撮影は、ひとつのスキルが必要なのだ。ただ、撮ればいいってもんじゃない。
たとえばソリストが一番いい表情をしているような、輝いているような、その瞬間を撮らないといけない。
終演後、ソリストの挨拶、指揮者の挨拶など、ほんのわずかで、あっという間に終わってしまう。
そのわずかの間にベストショットを撮る必要があるのだ。
もちろん一発で撮れるわけがなく、連写してたくさん撮る。1回のカーテンコールで、50枚から100枚ぐらい撮っているかもしれない。その中の90%は、ほとんど失敗作なのだ。ピンボケしていたり、ソリストの表情がいまいちだったり・・・。
撮影中にいま撮ったショットがうまく行ったか、逐次猛スピードでビューモードで確認する。
これで、いいショットが撮れていた場合は、もうそこで撮影は終了。
いいショットが撮れるまで、ずっと繰り返すのだ。
日本のホールはとても厳しいので、必ず係員が飛んで注意される。それもわかっているので、要は終演直後から、係員に注意されるまでの間に成功作品を撮影する、そういうタイムリミットがあるのだ。
ソリストの表情など、どの写真を選ぶかは、やはりその人のセンスが滲み出る。
いわゆるカメラマンとしてのセンスというのかな。
風景画を撮るより、人物画を撮る方がずっと難しいのだ。
ソリストの一番いい表情をいかに撮るか、そのソリストの一番いい所をいかに引き出すか、これがカメラマンの腕の見せ所なのだと確信している。
自分のカメラの美学として、ピンボケの写真は、絶対日記には載せたくないというのがある。
それだけで、日記が汚れてしまう感じがするし、ピンボケの写真しかなく、そんなことするくらいなら最初から写真は掲載しないほうがいい。
あと、カーテンコールの撮影にはカメラマンの腕というかデジカメの機能もかなり大事なファクターでもある。
カーテンコール撮影に必須な技術は、ずばりズーム。終演後に一気にズームして、フレームの構図内で、出演者の大きさのバランスを取ること。つまり遠近感の調整。
これは終演後にまずやらないといけないこと。
ズーム機能の倍率の弱いデジカメはNGです。コンサートホールはとても広いので、遠くの観客席からステージでの出演者の被写体に適した大きさにする、つまり適した遠近感にはズームが絶対必須の技術なのだ。ソリストの表情がわかるくらいがいい。
素人の写真では、ステージ上の出演者たちを撮るのはいいけど、なんか座席が遠いので、豆粒みたいにしか映っていないのもよく見かけるが、これじゃダメです。
最近スマホは画質が綺麗に撮れるけれど、自分的にはズームが弱いと思っているので、カーテンコール撮影には使えない。
一眼レフの本格的なものは、そのガタイがでかいので、カバンから取り出すときにかさばるし、それを使って撮影している時点で、もう係員に見つかりやすいので、これもNG。
やはりコンデジが1番いいです。自分はソニーのサイバーショットを使っているのだが、じつは最新になるほど画質や撮像素子のレンズの高性能になっていくんだが、ところがなぜかズームの倍率が弱いのだ。
新しいほどいいと思って最新のサイバーショットを買って、カーテンコール撮影に臨んだところ、ズームが弱くて、被写体が小さく過ぎて、ちゃんとしたカーテンコールが撮れないのだ。
もうがっくり。金返せ!
そして再度もう一ランク下げてズームの倍率の桁表示データに気をつけて買って、カーテンコール撮影にチャレンジ。これもダメだった。
結局、同じサーバーショットでもちょっと古いモデルが、自分的には、もっともズームが強くカーテンコール撮影に向いていて、いまこれをカーテンコール撮影専用デジカメとして愛用している。
(結局サイバーショットだけで、3台も持ってしまうはめに・・・)
やっぱりコンサートホールはとても広いのでそういうところがキーになる。
あと、細かいことを言うなら、ホールの暗がりで撮るので、どうしてもピントがぼけるというか、90%の失敗作は、大半がこのピンボケだ。これも不思議なことに、ホールによって綺麗に撮れるホールと、どうやってもピンボケになってしまうホールと存在するのだ。ホールの照明の種類によるものなのかな?
ザルツブルク音楽祭の祝祭大劇場は超難しかったです。何回撮影しても、どうしてもピンボケしました。
シャッタースピードを調整するという技もあるが、あの瞬時の間にいろいろやるのは厳しい。
だから自分にとって、終演からのこのわずか短時間の間が、勝負の時だった。
ある限られた一瞬の間に、たった1枚でいいから、その人のもっともいい表情を引き出しているその瞬間が撮れればそれでいいのだ。何十枚の連写の無駄使いも気にならないのだ。
そして、このエンディングのこの儀式があるために、そしてこの勝負の時がエンディングで待ち構えているから、コンサートの公演の最初からどうも落ち着かないというか、コンサートに集中できないということもある。
うまいショットが撮れるかどうか、もうコンサート公演中のときから心配なのだ。(笑)
その瞬間にステージの演奏家の方々が最高!と思えるような所作をしてくれるかどうか、そんな不安をずっと抱きながらコンサートを聴いているのだ。
これは精神衛生上あまりよろしくない。
係員の方に注意されると、やはり精神的に気持ちのいいものではない。
そして、このカーテンコール撮影のために、心配し過ぎて、コンサート自体に身が入らないのでは、なんのためにここに来ているか本末転倒というのもあり、最近自分は、国内のコンサートホールではカーテンコールを撮影しないことに決めた。
そうすると、コンサートの最初からの不安やドキドキがなくなり、公演にしっかり集中できるようになり、精神衛生上とてもよくなった。
でも職業病といおうか、終演後の演奏家の挨拶を観ていると、うわぁこれはベストショットだな~、撮りたい~ってな気持ちになるのだ。
それを我慢してただ拍手しているのが、これまた精神衛生上よろしくない。(笑)
ただし海外に行ったときは、カーテンコールはやっぱり撮影しようとは思っている。
だって、自分だけがそのホールで体験しているからね。
そんな自分が盛んにカーテンコールを撮影していた頃の写真をオンパレードで披露してみたい。
いままでの過去の日記で披露してきた写真だが、ここでもう一度その感動を!
2013年9月13日 読響のコンサートで、清水直子さん。大ファンです!
2013年6月30日 東京芸術劇場で、都響のドビュッシーづくしのコンサート。
吉野直子さん、カッ,カッコイイ・・・(^^;;
2013年8月、ルツェルン音楽祭のKKLにて。結局この公演がアバドとの最後の対面だった。
最前列なので、 アバドと藤村実穂子さんの姿が全く見えない、なんじゃそれ?だった。(笑)
このカーテンコールの写真にアバドと藤村さんが隠れて映っていないのが最大の悔しい~ってな感じ。
2013年8月、ザルツブルク音楽祭でのドン・カルロ。まさにヨナス・カウフマン一色だった。カウフマンの公演のチケットは、いつも瞬殺ソールドアウトで無理。このチケットもこの年のザルツブルク音楽祭の最大の魅せ場で、いつみてもソールドアウトで、1番チケットが取れなかった公演だった。大変なプレミア価格で売買されていた。渡欧直前に奇跡的に取れました。忘れられないです。
2013年8月 ザルツブルク音楽祭 祝祭大劇場にて。ムーティ&ウィーンフィルのヴェルディ「レクイエム」。 独唱ソリストにはガランチャもいた!ザルツブルク音楽祭は、やっぱりウィーンフィルのお祭りだよね~。
サイトウキネンで小澤さんを観る!という念願がかなったとき。2013年8月31日、まつもと芸術館にて。ラヴェルの 子供の魔法。後にこの公演をCD化して、それが米国のグラミー賞を受賞しました。
水戸室にて小澤さんを観る!これもひとつのミッションだった。2014年1月19日、水戸芸術館にて。小澤さんだけでなく、 映ってる団員さんたち、みんな若いよ。
2014年4月26日 銀座王子ホールにて。タベア・ツインマーマンのヴィオラリサイタル。
この方はとても個性と才能が あって、まさに玄人受けするアーティストだと思います。
2014年12月27日 年納めコンサート。神尾真由子さん。ミューザ川崎で東響で聴きました。指揮は秋山和慶さん。 神尾さんは、もう何回聴いたかわからないね。パワフルな奏法ですね。
2015年2月3日 N響とアラベラさん。アラベラさんは、2004年にデビューだけど、自分が入れ込んで聴き始めたのは、 この年。ファンとしては遅い参入です。YouTubeで見ると、アラベラさんも昔は垢抜けてなかったな。(笑) 女性演奏家にありがちな経年とともに抜群に綺麗になるパターンです。アラベラさんのカーテンコールの中でもこのショットは、自分的にはかなり気に入っていて最高の部類に入ります。
2013年の新国のワーグナー楽劇「タンホイザー」。主役のタンホイザーが主役としては、いまいちオーラがなく不満でしたが、でもいい演出でした。いいカーテンコールのショットだと思います。新国もカーテンコール撮影厳しいです。
カーテンコールではありませんが・・・(笑)
いまや恒例となってくれたポール・マッカートニーの東京ドームでの来日コンサート。余裕持って、1時間以上も 前に行っているのに、このザマですか?(笑)まっ超盛り上がりというところですね。ポールは、公演中は水を1滴も 飲みません!
2015年6月6日、愛知芸術劇場にて、ヘンゲルブロック&NDRとアラベラさん。まさにこの年、自分のアラベラさんフィーバーは頂点に達した。東京、大阪、名古屋、縦断ツアーを追っかけました。サントリーの公演はNHKで放映されました。 宝物。アラベラさんのメンコンは5回も聴きました。もういいです。(笑)
2015年9月27日 ミューザ川崎にて、東響の名曲全集で、アリーナ・イブラギモヴァさんを堪能。いまとても注目の若手 ということで、燃えた年だった。イブラギモヴァさんは、このコンチェルトと、銀座王子ホールでシリーズ化しているモーツァルトのソナタを鑑賞。
国内ではカーテンコールを撮影しない代わりと言ってはなんだが、最近嵌っているのは、サイン会の撮影を撮ること。
カーテンコールと違って、短時間での異常な緊張感は必要ない。その分すごく楽だ。(笑)
こちらのほうが健康にいい。
でもじつはこれも結構難しいのだ。何枚も連写しては失敗作が大半。サイン会だと、どうしてもサインをもらうお客さんがジャマになる。そしてソリストもサインを書くので下を向いているから、シャッターチャンスはずばり、サインを書き終わって、顔を上げてお客さんに笑顔で挨拶するとき。
今年の3月の読響とのコンチェルトでのアラベラさん。またしてもメンコンでしたが、これまた素晴らしかった。そしてこのサイン会でのショットは、アラベラさんコレクションの中でも断トツのトップに入ります。
2015年の王子ホールでのモーツァルト・ソナタのリサイタルの後のサイン会でのイブラギモヴァさん。うっ、なんと魅力的なんだ!ちょっとセクシーです。(^^;;
これは精神衛生上あまりよろしくない。
係員の方に注意されると、やはり精神的に気持ちのいいものではない。
そして、このカーテンコール撮影のために、心配し過ぎて、コンサート自体に身が入らないのでは、なんのためにここに来ているか本末転倒というのもあり、最近自分は、国内のコンサートホールではカーテンコールを撮影しないことに決めた。
そうすると、コンサートの最初からの不安やドキドキがなくなり、公演にしっかり集中できるようになり、精神衛生上とてもよくなった。
でも職業病といおうか、終演後の演奏家の挨拶を観ていると、うわぁこれはベストショットだな~、撮りたい~ってな気持ちになるのだ。
それを我慢してただ拍手しているのが、これまた精神衛生上よろしくない。(笑)
ただし海外に行ったときは、カーテンコールはやっぱり撮影しようとは思っている。
だって、自分だけがそのホールで体験しているからね。
そんな自分が盛んにカーテンコールを撮影していた頃の写真をオンパレードで披露してみたい。
いままでの過去の日記で披露してきた写真だが、ここでもう一度その感動を!
2013年9月13日 読響のコンサートで、清水直子さん。大ファンです!
2013年6月30日 東京芸術劇場で、都響のドビュッシーづくしのコンサート。
吉野直子さん、カッ,カッコイイ・・・(^^;;
2013年8月、ルツェルン音楽祭のKKLにて。結局この公演がアバドとの最後の対面だった。
最前列なので、 アバドと藤村実穂子さんの姿が全く見えない、なんじゃそれ?だった。(笑)
このカーテンコールの写真にアバドと藤村さんが隠れて映っていないのが最大の悔しい~ってな感じ。
2013年8月、ザルツブルク音楽祭でのドン・カルロ。まさにヨナス・カウフマン一色だった。カウフマンの公演のチケットは、いつも瞬殺ソールドアウトで無理。このチケットもこの年のザルツブルク音楽祭の最大の魅せ場で、いつみてもソールドアウトで、1番チケットが取れなかった公演だった。大変なプレミア価格で売買されていた。渡欧直前に奇跡的に取れました。忘れられないです。
2013年8月 ザルツブルク音楽祭 祝祭大劇場にて。ムーティ&ウィーンフィルのヴェルディ「レクイエム」。 独唱ソリストにはガランチャもいた!ザルツブルク音楽祭は、やっぱりウィーンフィルのお祭りだよね~。
サイトウキネンで小澤さんを観る!という念願がかなったとき。2013年8月31日、まつもと芸術館にて。ラヴェルの 子供の魔法。後にこの公演をCD化して、それが米国のグラミー賞を受賞しました。
水戸室にて小澤さんを観る!これもひとつのミッションだった。2014年1月19日、水戸芸術館にて。小澤さんだけでなく、 映ってる団員さんたち、みんな若いよ。
2014年4月26日 銀座王子ホールにて。タベア・ツインマーマンのヴィオラリサイタル。
この方はとても個性と才能が あって、まさに玄人受けするアーティストだと思います。
2014年12月27日 年納めコンサート。神尾真由子さん。ミューザ川崎で東響で聴きました。指揮は秋山和慶さん。 神尾さんは、もう何回聴いたかわからないね。パワフルな奏法ですね。
2015年2月3日 N響とアラベラさん。アラベラさんは、2004年にデビューだけど、自分が入れ込んで聴き始めたのは、 この年。ファンとしては遅い参入です。YouTubeで見ると、アラベラさんも昔は垢抜けてなかったな。(笑) 女性演奏家にありがちな経年とともに抜群に綺麗になるパターンです。アラベラさんのカーテンコールの中でもこのショットは、自分的にはかなり気に入っていて最高の部類に入ります。
2013年の新国のワーグナー楽劇「タンホイザー」。主役のタンホイザーが主役としては、いまいちオーラがなく不満でしたが、でもいい演出でした。いいカーテンコールのショットだと思います。新国もカーテンコール撮影厳しいです。
カーテンコールではありませんが・・・(笑)
いまや恒例となってくれたポール・マッカートニーの東京ドームでの来日コンサート。余裕持って、1時間以上も 前に行っているのに、このザマですか?(笑)まっ超盛り上がりというところですね。ポールは、公演中は水を1滴も 飲みません!
2015年6月6日、愛知芸術劇場にて、ヘンゲルブロック&NDRとアラベラさん。まさにこの年、自分のアラベラさんフィーバーは頂点に達した。東京、大阪、名古屋、縦断ツアーを追っかけました。サントリーの公演はNHKで放映されました。 宝物。アラベラさんのメンコンは5回も聴きました。もういいです。(笑)
2015年9月27日 ミューザ川崎にて、東響の名曲全集で、アリーナ・イブラギモヴァさんを堪能。いまとても注目の若手 ということで、燃えた年だった。イブラギモヴァさんは、このコンチェルトと、銀座王子ホールでシリーズ化しているモーツァルトのソナタを鑑賞。
国内ではカーテンコールを撮影しない代わりと言ってはなんだが、最近嵌っているのは、サイン会の撮影を撮ること。
カーテンコールと違って、短時間での異常な緊張感は必要ない。その分すごく楽だ。(笑)
こちらのほうが健康にいい。
でもじつはこれも結構難しいのだ。何枚も連写しては失敗作が大半。サイン会だと、どうしてもサインをもらうお客さんがジャマになる。そしてソリストもサインを書くので下を向いているから、シャッターチャンスはずばり、サインを書き終わって、顔を上げてお客さんに笑顔で挨拶するとき。
今年の3月の読響とのコンチェルトでのアラベラさん。またしてもメンコンでしたが、これまた素晴らしかった。そしてこのサイン会でのショットは、アラベラさんコレクションの中でも断トツのトップに入ります。
2015年の王子ホールでのモーツァルト・ソナタのリサイタルの後のサイン会でのイブラギモヴァさん。うっ、なんと魅力的なんだ!ちょっとセクシーです。(^^;;