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PENATONEの新譜:山田和樹&スイス・ロマンド管のロシアン・ダンス~Auro-3D技術の印象 [オーディオ]

昨日、そして今日と1日たっぷりと時間をかけて、念願の大音量にして再生してみた...Auro-3Dの印象。

さらにはこの技術について、いままできちんとした資料をまともに読んだことはなかった。(笑)SPから聴こえてくる聴感イメージだけで、つぶやいていた。

今日、サラウンドの技術情報サイトなどで、いろいろ読んでみたが、まだ草創期なのか、概念的なことはわかるけれど、なぜそう聴こえるのか、自分が納得できるレベルまで、掘り下げている文献は皆無だった。

だから読了前後の印象とあまり変わらない。

3次元立体音響とか、3Dサラウンドとか呼ばれているこの技術。読んだ技術情報サイトによると、映画音響では、Dolby社のAtomsやWFS、音楽ではAuro-3D、また2020年の東京オリンピックやアメリカATSC 3.0規格では、22.2CHまでの3Dサラウンドが検討されている、とのこと。

オリンピックが絡んでくると、これは結構ビジネス的にチャンスというかまじめにやらないといけないですね。

家電メーカーにとってオリンピックっていつも大きな商戦だからです。

自分がこの技術を知ったのは、去年の中頃、このサラウンドの技術情報サイトとポリヒムニアのFB投稿記事で、彼らが自分のスタジオをそのように改変している写真を見てからだった。

そして、今回のPENTATONEの新譜で、山田和樹氏&スイス・ロマンドの新譜録音を、スイス・ジュネーヴのヴィクトリアホールでAuro-3Dで録る、と高々に宣言していた。刺激的であった。(笑)

この3Dサラウンドという技術、いままで従来の5.1chなどの水平軸(X軸、Y軸)に音が展開するのに対して、垂直方向(Z軸)にも音の表現ができる、というのがポイント。まさしく3次元の立体空間表現である。

技術情報サイトの図を拝借すると(水平方向はリアが増加の7.1chベースですが。)、

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天井にSPを4ch配置する。

自分はこのシステム図を見たとき、これは一般家庭にはまず普及しないと思った。(笑)対応プリ、パワー、もしくは対応AVアンプのコスト高、さらには天井にSPを設置するということを一般家庭に強いること自体、非現実的だと思ったからである。

やるなら映画館だと思った。(というか映画館しかできないと思った。)

自分の目線から考えると、このビジネスが最初にスムーズに走り出すのは、この3Dサラウンドでエンコードしたコンテンツを現在のサラウンドシステムで聴いたときに(下位互換:上位フォーマットをダウンコンバートして聴くこと))きちんとした効果がわかることだと思った。

ネット記事をみる限り、Auro-3Dであれば、13.5chを現在の5.1/5.0chに落とせるし、さらには2chステレオまで落とせる。そしてその逆でアップコンバートで戻せる(ロスレスなんですかね?)ともいう。

でもどの記事を読んでも、ダウンコンバートしたときに、従来のサラウンドよりも効果があります、と断言しているサイトはどこにもなかった。

自分が1番知りたいのはここ!

もし従来と同品質であるなら、自分はこのフォーマットにまったく興味がない。
非現実的なセッティングをしてまで、やるほどのことはない、というスタンス。

だから自分の耳で確かめるしかなかった。

Atmosは、ご存知Dolby社提唱のフォーマット。それに対してAuro-3Dというのは、それのヨーロッパ版で、ベルギーのAuro Technologies Inc.という会社の提唱しているフォーマット。

Auro-3Dは、音楽の立体音響というイメージで捉えられているみたいだが、そんなことはない。
彼らは映画もエンコードします。

自分にとって刺激的だったのは、ポリヒムニアのスタジオのAuro-3D対応のための改変。

彼らは合計3つのスタジオを持っていて、そのうちBDなどの映像コンテンツを編集するためには、第3スタジオという背面にTVモニターがあるスタジオでやる。

だからAuro-3Dを導入するなら、この第3スタジオになる。

天井SPをセッティング中。

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天井SPにはB&W N805。ひも状のワイヤーで吊るしてます。リアにも2本、合計4本の天井SP。驚いたのは、よく見るとツイーターの位置が逆さまで、805を逆にしていること!

真意のほどは定かではないが、頭にツィーターがあると、ワイヤーを取り付けて吊るせないだけかもしれませんね。(笑)

天井SPは、ちゃんとリスポジの方を向いています。

天井にSPをセッティングする問題点のひとつにSPケーブルの配線がありますね。地上のアンプから壁を這わして天井まで結線するのは、かなり見栄えに問題があります。


自分が思う天井SPの1番の問題点は、ポジショニング調整をどうするか、ということ。フロント2本の調整だけでも、普段自分が聴いているヘビロテディスクを再生して、音像と音場を確認しながら1番いいポイントになるように調整する。2本でも大変なのに、サラウンドの5本は超大変。そこにきて、天井SPはどうやって調整するんですか?(笑)

この写真を見ると、前のベージュのテーブルの中央前に、レーザー光線でSPまでの距離などを測定する器具が見受けられますね?

これでやっているのか、と思いました。要は聴きながら調整するのではなく、距離的に判断してOKを出すみたいな。


そうして完成形。

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そして、今回Auro-3Dで録った作品がこれ。 

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チャイコフスキー:組曲『白鳥の湖』、ショスタコーヴィチ:組曲『黄金時代』、
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ、他 

山田和樹&スイス・ロマンド管

http://goo.gl/9Vrd41


山田和樹とスイス・ロマンド管弦楽団の「バレエ、劇場、舞踏のための音楽」シリーズ。

彼らは過去に2作品世の中に出しており、注目の今回の第3弾はロシアン・ダンスと題され、チャイコフスキーの組曲『白鳥の湖』、グラズノフの演奏会用ワルツ第1番、第2番 、ショスタコーヴィチのバレエ組曲『黄金時代』、そしてストラヴィンスキーの『若い象のためのサーカス・ポルカ』が収録されている。

もちろんロケーションは、スイス・ジュネーブのヴィクトリアホール。

そのときのAuro-3D収録のためのマイキング。

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下位互換で聴いても効果があるかどうか......結論からずばり言うと、もう大変な効果大なのである。このときの私のホッとしたことと言ったら。

最初小音量で聴いていた分には、やや効果がわかりにくかった。
でも昨日、今日の大音量大会で、それは確信と変わった!

端的にまとめると、

①聴いている空間の容積が、従来よりすごく広く感じる。(捉えている空間が広いこと。)
②音のエネルギッシュ、躍動感と、空間の広さが両立している。

この2点だと思う。

聴く前から準備して考えていたことは、映画の3次元立体音響の聴こえ方は、スクリーンを真正面に観ていて、聴こえる音の左右や上下の移動感が著しく生々しく聴こえることだと思う。

たとえばヘリコプターが地上から発射して、そのまま上空に飛び立つ音は、まさに部屋の真下から真上に動いていくのがより生々しく顕著にわかるのだろう。(うさぎさんかエム5さんがそう言ってましたね。)

つまり映画コンテンツって動的表現なんですよね。

それに対して、音楽、コンサートホールやオーケストラを3次元立体表現したら、どうやって聴こえるの?というテーマをずっと考えていた。彼らは静止体、静的表現なんですよ。

音楽を3次元表現すると、なにを聴いているかというと、その音が伝播するホールの空間を聴いていることになって、その効果の現れ方は、(音の伝わり方と)空間の広さがパラメータになっているのかな、と。

今回、この山田和樹&スイス・ロマンドの新譜のどの曲を聴いても、懐が深い、空間の容積が広いというか、オケの発音が下位に定位していて最初は2階席中央からオケを見下ろして聴いているような感覚があった。オケがジャンと鳴らしきるときに、沈み込む感覚というか深い空間を感じるんですよ。

大音量で聴くと明らかにわかるそのホール空間の容積の広さの表現力。オケの音が立体的に聴こえる。

いままで2次元(X軸、Y軸)で空間を表現してきたのだから、それが高さのZ軸が追加されて3次元で表現できるようになれば、同じ容積を聴いていてもすごく広く聴こえるのは、当たり前なのかなぁ、と思いました。

そして、これは②にもつながることなのだが、先述の写真のマイキングの部分に関するところで、オケを直接録っているメインマイク(これは従来と同じ高さか、あるいはもっと近か目にしてある?)と、さらにその上空にハイトチャンネル(高さ情報)を録るためのマイクがあって、メインマイクでしっかり近かめで、オケの音を捉えて、そして空間、高さをハイトチャンネルのマイクで録っていて、いっしょに再生しているから、オケの音が躍動感があって、それでいて空間も録れているという両方が両立しているのではないかな、と思った訳です。

エム5さんからもらったコメントにもあるように、音源から離れた高所の位置にあるマイクで遅れて来る直接音を録る事、そして、それを高所位置のスピーカーで再生してホールでの遅延音を再生する、上下の位相差を感じさせる。

まさにこれ。

ハイトチャンネルのマイクで録った成分が空間を表現するんだと思います。位相差、遅延分があればそれだけ立体感が得られる感覚になりますよね。

いままで数多のクラシック録音を聴いてきて、自分が掲げていた問題点、テーマが、オンマイクで録ったような音の躍動感とオフマイクで録った空間表現力が両立できないか、ということ。片方を立てれば、片方が立たず、そのトレードオフを編集含めて苦労してきたわけで、

この3次元立体音響のマイキングって、それを解決する方法になっているんではないかな、と思えて仕方ない訳です。

オケのサウンドの輪郭をしっかりキャプチャーするメインマイクと、空間を表現するハイトチャンネルのマイク。

だから②の両方が両立できて、しかも①のように、空間の容積というか表現力が秀逸になるんではないか、と想像した訳。


この仮説が正しいか不明ですが、多数のマイクを使うことで、マイクの干渉とかの問題もあって、我々一般人には想像を逸するところです。

仮にAuro-3Dの技術がこのような目的で開発されていなかったとしても、ポリヒムニアのメンバースタッフがそのように解釈して応用して使っているのだと思いました。

ちなみに上述の写真はステージ上の設定しか映していませんが、リア成分をどうしているかは不明です。リアはリアで専用のアンビエント・マイクをホール後方に設定しているのかも不明。

でもディスクを試聴している分には、リアチャンネルからフロントとは別の音源が流れる、というそのようなチャンネルの振り分けはしていませんでした。今回の録音は、リアはフロントの補完、アンビエントな役割に過ぎないですね。


とにかく下位互換できちんと効果がはっきりとわかる!

①と②。~それも自分がいままで永遠のテーマとして掲げていた問題点を解決できるなんて!

これまでの仮定はあくまで、自分の想像、空想で考えています。素人考えですので、間違っていたらゴメンナサイ。

とにかく最初に理論の詰め込みをしなくてよかった。まっさらな状態で聴いたら、①と②の印象だった、というだけですから。

具体的に今回の新譜では、8~14トラックに①と②の凄みを特に感じましたね。(全トラックと言ってもいいですが。)特に13トラック目の木琴みたいな楽器(なんと言うんだっけ?)が鳴っているときの空間の広さの表現力は鳥肌もんです!


PENATONEは、今後ともサラウンド収録は、すべてAuro-3Dで録っていくことになるんだろうか?
アラベラ様の新譜、そして児玉麻里・児玉桃姉妹の新譜.....

これだけの下位互換力を聴かされたなら、自分はぜひそうして欲しいと望むばかりです。

あえて言わせてもらうなら、Auro-3Dで録っているというロゴというか、冊子へのクレジットが欲しいと思いました。

もし下位互換でなくて、本当に天井SP、対応アンプ含めてやれば、本物はもっとリアルでスゴイはず。

これは、うさぎさんやエム5さんに任せて....拙宅のウサギ小屋&なんちゃってサラウンドじゃ無理ぽ。(笑)


あっ今回の日記は、Auro-3Dについてがメインですので、肝心の山田和樹&スイス・ロマンドの新譜については、あまりコメントできませんでしたが、彼らは相変わらずいい仕事をしています。

それにしても、昨今のヤマカズの引く手あまたで、喧騒曲というかクレージーとも思える(笑)様なフィーバーぶりはスゴイもんです。

追伸:その後、友人からするどいコメントをいただきました。Auro-3D技術では、天井SP含めた13.1/11.1/9.1チャンネル相当分のチャンネル数を記録できる記録メディアが必要になると思います。(もしパッケージメディアでの戦略を考えるなら。)でもSACDって5.1chしか音声を格納できない訳ですから、今回のPENTATONEのAuro-3Dの新譜は、あらかじめダウンコンバートして記録メディアに格納していて、最初から下位互換で聴くことが前提だということに気づきました。

つまりPENTATONEは、Auro-3D技術をマイキング技術として利用して、現状のSACDサラウンドのまま録音のクオリティー(空間の容積拡大、音の躍動感と空間の両立)を上げることを目的としているのだと思うようになりました。

Auro-3Dを完全フルバージョンで対応しようとするなら、次世代の音楽光ディスクの開発を考えないといけない。あるいは手っ取り早いのはネット配信でやる、というのが、そういう容量という障壁もなく青天井にも対応できるのでしょうけど、回線パイプの太さもあってまだまだ厳しいですね。なによりもネット配信は、私は、あまり好きじゃないので。(笑)

やはり、3次元立体音響、3Dサラウンドの技術は、コンシューマのマーケットに馴染む、取り込まれるようになるまでは、いままで上げてきたように問題点が多く、障壁が大きすぎると思います。もっと現実的になるには時間がかかるでしょう。

でも自分は、今回のPENTATONEの試みにあるような従来との互換性システムの中で絶大な効果がある、というアプローチは、すごく現実的でいいと思います。拙宅では、もう完全に下位互換でその効果を楽しむ、ですね。

なので、今後のPENTATONEの新譜でも、このAuro-3D技術のマイキング技術を採用していってほしいと思った次第でした。


DG(ドイツ・グラモフォン)のSACDとEMIL BERLINER STUDIOS(エミール・ベルリナー・スタジオ) [オーディオ]

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クラシック録音のまさに王道というか名門中の名門であるドイツ・グラモフォン(DG)の録音、サウンドについて、きちんと語らないといけないときが、きっと来るはずとずっと思っていた。

やれ、PENTATONEだ、BISだ、Channel Classicsだ、とか最新の高音質レーベルのサウンドを賞讃、評価していても、クラシックファンでいて、オーディオファンであるならば、DG録音をきちんと鳴らせない時点でもう失格なのだろう。

ゆうあんさんが新しい高音質レーベルの音は、ちょっと”盛っている”味付けで、クラシック&オーディオファンの真のリファレンスは、やはりDG録音にある旨のコメントをいただいたが、そのときドキッとさせられた。

そこにエム5さんのDG愛を聞かされて(笑)、ますます自分としては、この大レーベルを意識せざるを得なくなった。

DG録音は、まさに膨大なライブラリーがある訳であって、自分でももう数えきれないくらい所有していて死蔵状態になっているのも、たくさんあったりする。

どうアプローチしようか、といろいろ悩んでいたが、調布のゴロー邸の追悼オフ会に参加した時に、ゴローさんの膨大なラックの中に、まさに今ではお宝といっていいほどのDGのSACDが、たくさんあったのには一同全員驚いた。

これだ! 

DGのSACDを集めてみよう!

なにせ一番DSDレコーディングに熱心でなかったのはDG(ドイツグラモフォン)で、そもそもSACDのタイトル数が50程度(あっても100未満)くらい出して、早々にSACDフォーマットから撤退していったレーベルだった。

クラシック録音の王者であるDGのSACDとは、どのようなサウンドなのだろう?

現在の高音質レーベルと比較すると、どのようなテイストの違いがあるのだろう?

特に自分はSACDに対しては、広帯域化による2ch高音質再生というより、マルチチャンネルによるダイナミックレンジの広い再生に興味があって、DGのSACDサラウンドとは?どんな感じ?と興味津々だったわけである。

自分が取り組むならこれしかない、と思った。

そこからDGのSACDを収集する戦いの日々が始まった。なにせ、すでに廃盤、珍盤扱いのものも多く、困難を極めた。ふつうにオンラインで買えるものは全部買う。そして御茶ノ水や新宿、吉祥寺などのディスクユニオン巡り、さらには国内アマゾンの中古マーケットプレイス、さらには海外アマゾン(米、カナダ、フランス、ドイツ、イギリスのサイトをあさった。これが結構手に入るんだなぁ。)にも触手を伸ばした。

そしてもうほぼ限界かなぁというところまで来たと思う。

40枚弱.......これ以上探しても見つからないと思うので、この40枚で評価してみたいと思う。

集めた魅力的なDGのSACDたち.....

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これはもともと自分が持っていたものだが、カラヤンは生涯においてベートーヴェン交響曲全集を4回に渡って録音していて、特に手兵ベルリンフィルとは、60年代、70年代、80年代と3回録音している。このうち60年代の録音はSACDになっていて、ベルリン・イエス・キリスト教会での録音だが、これもDG SACDなのである。

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DGのSACDの特徴は、下の写真でもわかるように、

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ケースの左下に丸い銀色のシールが貼ってある。これはSACD草創期の頃のシールなのだと思う。全部に貼ってある。そして右下に上段にSACDのロゴがあって、中段にSUPER AUDIO CDとあって、一番下段にSURROUNDというロゴがある。これもSACD草創期のロゴのスタイルですね。全部そうなっている。

そして、この40枚のDG SACD全てを録音、ポストプロダクション、そしてマスタリングしたのがEMIL BERLINER STUDIOS(エミール・ベルリナー・スタジオ、以下略称でEBSと使う。)なのである。

DG SACD、そしてDG録音を語るには、まずこのエミール・ベルリナー・スタジオのことを語らないといけない。(以後のスタジオなどの掲載写真は、エミール・ベルリナー・スタジオの公式HPからお借りしました。)

ドイツのエミール・ベルリナー・スタジオ EBSは、元々ハノーヴァにあってドイツ・グラモフォンの技術センターであった。それがポリヒムニアと同じように、2008年に独立して、ベルリンに新しいスタジオを構えた。

場所は、ベルリン市の中央、ポツダム広場の近くである。元々マイスター・ザールという中ホールがあり、映画の制作会社がいくつか入っていたビルに5人の精鋭エンジニアが集まったのだ。


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エミール・ベルリナー・スタジオは、このマイスターザールという中ホールがあるビルの一角を占めている。

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EBSの精鋭エンジニアたち。

看板トーン・マイスターは、第1にライナー・マイヤール。
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彼は、1990年から2000年代にDGレーベルでブーレーズ指揮のマーラーやガーディナー指揮のホルスト「惑星」など優秀録音を多々生み出している。彼が生み出してきたDG時代の優秀録音には、いかに数多くのオーディオファイルを驚嘆させてきたことだろう。

ゴローさんとも親交が深かった。小澤さん&ベルリンフィルのフィルハーモニーでの「悲愴」のBD化のトーンマイスター&音声エンジニアにこのマイヤール氏を起用した。なぜ、もっと安いNHK内部のエンジニアではダメなのか?という問いただしにも、苦労して無理に予算を通す荒技で、このマイヤール氏のサウンド作りにかけていた。おかげで、小澤さんの悲愴は、業界でオーケストラコンサートとして、はじめてBlu-rayを使うという偉業でエポックメイキングな出来事になった。


そしてもう1人がシュテファン・フロック。
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ヒラリー・ハーンやラン・ランの録音を担当してきたトーン・マイスターである。彼はこうあるべきだというサウンドのイメージをしっかり持っていて、その実現には決して妥協しないことで有名。

彼がDGで働いていたころ、その当時マーケットになかった機器を、自分独自の自作で作り上げてしまうというほどの人なのだ。現在は、録音プロデューサー&音声エンジニアとして働く一方で、自分の会社 Direct Out Technologiesという会社を立ち上げ、そこのスタジオの設備を整えることに多くの時間を費やしているようだ。


あと、エヴァート・メンティングという、これまたハノーヴァ時代からのベテラン・エンジニアがいて、メンティングは社長としても、エミール・ベルリナー・スタジオをリードしている。

このベルリンの新しい第1スタジオは、ポリヒムニアのスタジオよりも一回りコンパクトな感じで、24畳くらい天井高さが3m強というサイズ。スタジオの中は、森の中にいる様な静けさで、ベルリンという大都市の中心部であるので、その外からこのスタジオに入った時の落差がスゴイらしい。新しくスタジオを作るにあたって、空調から機材のトランスの唸りにいたるまであらゆるところに気を使ったそうだ。「漆黒のような無音のキャンパスから、美しい録音が生まれる」という信念があるらしいが、でもスタジオ内には適度な響きがあるそうだ。

第1スタジオ
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ただ、この第1スタジオは,ガラスを隔ててピアノのソロや室内楽の演奏が録音できるスタジオフロアーがあるのだ。つまり彼らのスタジオは、単なるポストプロダクションだけではなくて、収録スタジオも兼ねている。この写真にあるピアノはDG時代のグランドピアノで、過去アルゲリッチやら一流音楽家達が弾きまくった逸品だそうである。

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第1スタジオのモニタースピーカーはB&W Nautilus 802を5本揃えるサラウンド制作ができるような対応になっている。B&Wは、その後、DそしてDiamondとどんどん新シリーズのSPを世に送ってきているが、こういうEBSに限らず、PENTATONE,BISなどのクラシックレーベルのスタジオのモニターとして使われるSPは、やはり圧倒的にNautilus、もしくはMatrix時代のものなのだ。

”モニターする”という最大の役割を果たすには、現代の最新のSPはやはり色が付きすぎなのだろう。

マイヤール氏の録音は、ポリヒムニアの自然で押しつけがましさのない録音と少し異なり、良い意味で華やかさがある。自然の中の空気感の中ではっとするような美しさがある、とでも言おうか。

さらにマイヤール氏は、クラシック録音の要であるメインマイクの指向性や周波数特性を帯域ごとに細かく分割して可変するデジタル処理のプログラムを開発したそうで、たとえばシンプルなピアノ・ソロを2本のメインマイクで捉えた音源を使ってデモするのだが、たった二つのマイクで収録した音源を、後処理によって、あたかもマイクの位置を動かしたかのように、音色、距離感、残響感を自在に可変して聴かせるなどのパフォーマンスができたりする。(ゴローさんとエム5さんは訪問時聴いているはずです!)

まさしくおそるべく技術集団とも言えよう。


彼らのもうひとつの第2スタジオは、2chステレオ専用の編集・ミキシング・マスタリングのスタジオとなっている。

第2スタジオ
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モニタースピーカーは、ハノーヴァ時代から変わらぬB&W マトリックス801。プロフェッショナルは一度決めた「音の物差し」はなかなか変えられないものだ。


もうひとつはアナログテープのリマスターやLPのカッティングに対応したアナログを重視するスタジオになっている。

思うに、彼らは、名だたる指揮者や演奏家と一緒にプレイバックを聴きながら、「よし、この音で行こう!」と納得させるサウンドを出すことを常に求められている。そんな尋常ではない説得力がある。

我々のようなオーディオファンの再生音とは全然違う。
「う~ん、この音量なのか、このバランスなのか、こういう風な遠近感なのか......」

こういう名だたるスタジオ、名トーンマイスターのもとで、その再生音を聴いてみたい、きっと自分のオーディオの糧になること、間違いないと思う。彼らのセンスというのを盗んでみたい。”盗む”という行為は成長するうえで、とても大切なことで避けて通れないものなのだと思っている。

前置きが長くなったが、このエミール・ベルリナー・スタジオのスタッフたちが、いままでの膨大なるDG録音を作ってきたのだ。

少なくとも、私が今回集めたDG SACDは、すべてエミール・ベルリナー・スタジオでの編集、マスタリングであった。

日記が長くなるので、続きは、後編ということで、二部構成にしたい。

ここで事前に簡潔に要約すると、DGのSACDサラウンドというのは、SACDの草創期の録音であるから、コンサートホールでのサラウンドのマイクアレンジなどのノウハウなど、まだまだ未熟な点も多く、そこに起因すると思うのだが、サラウンドとしての音場感が、現在の高音質レーベルと比較して、乏しい感じがして、ホール空間での直接音と対響きのバランスなどの再現が垢抜けないというか洗練されていない。そういう空間表現という言葉があてはまるほどの再現になっていない。

いまの高音質レーベルは、部屋中にふわっと拡がっていく、自分を取り囲まれているような感覚に陥るようなサラウンド感というのが秀逸なのだが、DGのSACDサラウンドにはそれはあまり感じない。彼らはもっとダイレクト感あふれるサラウンドで、5本のSPから各々ダイレクトに音が出てきてサラウンドが形成されるような、そんな感じのサラウンドに思える。

ホール空間、その場でのアンビエンスをどう表現する?その空間表現をどのように作るかをマイクアレンジの時から考えてやる、という次元ではないような気がする。

やっぱり当時のサラウンドの作り方は、いまとやり方、考え方が違うのかな?と思ったりする。
う~ん、いまは進化しているんだなぁ。

5本のスピーカーからダイレクト音でサラウンドを形成する、というのも、これはこれで魅力的で、特にPENTATONEは基本は質感の柔らかいサウンド、BISはワンポイント的にマイクからある程度、距離感があるように聴こえる空間表現の作り方が卓越なのだが、DGは、それらのサウンドとは根底的に違う、もっと音の厚みというか、ソリッド(硬質)で骨格感のある硬派なサウンドが根底にあることは間違いないと思えた。それは聴いていてよくわかる。

長年のDG録音に聴けるようなサウンドの厚みは、やはりこのエミール・ベルリナー・スタジオの作り出す伝統のサウンド・マジックの賜物なんだろうな。

だから尚更、この硬派な厚みのあるサウンドを活かしつつ、現在におけるホール空間を表現できるようなマイクセッティング技術が加わると本当に鬼に金棒!だと思うのだ。

だから”いま”のDGが作るSACDサラウンドを聴いてみたい!

現実性は乏しいにしろ、ボクもDGのSACD復活論者の仲間入りをさせてほしいのです!(笑)

二部構成の次回(各ディスクの評価)に述べますが、特にウィーン楽友協会でのウィーンフィルの録音は、昔からDG(エミール・ベルリナー・スタジオ)の録音の独壇場で、じつに圧倒されるスゴイ録音ばかりでした。


懐かしい!5年ぶりのHMV渋谷復活! [オーディオ]

今年の夏くらいにHMV渋谷が復活する、というニュースを聴いていたので、非常に楽しみにしていた。

別に渋谷でなくても、池袋、新宿、原宿にもある訳だが、でもやっぱりHMVといえば「HMV渋谷」というのが圧倒的なブランドであった訳で、ここから発信される情報はひとつのカルチャーだった。

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当時の渋谷の文化カルチャー発信の地であった「HMV渋谷」

いままでの自分のオーディオライフを語る上で、このHMV渋谷の存在はとてつもなく大きかった。ヨーロッパから帰任した頃が1995年頃であるから、その頃からこの店の存在を知り、本当に信じられないくらい入り浸った。

まさに自分の青春時代の想い出がびっしり詰まった場所なのである。自分はセンター街に移った、ちょうど西武百貨店の隣にあった頃から通い詰めた。なにせ長時間入り浸っている訳で、終いには、店員さんから「あのぉぉ、もしお買いにならないのであれば.....」とか言われる始末。(笑)

同期の友人からも「おまえの休みの日の行動パターンは大体わかる。渋谷に出て、そのままHMVに行って.....」とか、さらには言われてしまう始末。(笑)

東横線沿いに住んでいるので、立地的にも渋谷は必然で、週末はかならず毎週ここに寄っていろいろむさぼっていた。その頃は、まだネットショッピングなどなかった時代なので、こうやってじかに自分の足でお店に行ってCDを試聴して買う、というスタイルが当たり前だった。

どれだけのCDをこのお店で買ってきたことだろう。

店内も、まさに5~6フロアくらいの大所帯で、フロアに応じてジャンル分けされていて、その在庫、品揃えたるもの、まさに大きな図書館を見ているくらい圧倒的だった。5年以上経ったいまでも鮮明にそのフロアのシーンが頭に蘇ってくる。

2004年頃から、ネットでCDを買うというE-Commerce(死語?(笑))スタイルが普及してきて、やはり自分での最初の体験がHMVのサイトであった。以来、現在に至るまでずっとこのサイトで買い続けていてお世話になっている訳である。(HMVサイトの自分の履歴を見ると、2004年8月17日に使い始めて、累計1600枚、金額にして530万の投資をしてきたようである。(^^;;)

もちろんアマゾンさんやタワレコさんのサイトでも買うが、自分が思うには、やはりスマホと同じで、サイトのGUIはどうしても自分が長らくお世話になったデザイン・イメージから離れられなくて、視覚的に慣れたGUIでないと不便に感じる。

自分がHMVサイトを使い続ける理由は、この慣れが大きな理由で、特にCDなのかSACDなのかがピンクの枠マークで先頭に表示されるところが一番わかりやすくて気に入っている。あと、長すぎない&難しすぎない適度な長さの解説文があるのもいい。

あとレーベル、録音時期、特に録音場所がちゃんとわかりやすくクレジットされているのもいい。このポイントは、自分がCDを買うときは、1番気にするところなので尚更だ。

もちろんアマゾンさんやタワレコさんでも買うが、まずHMVでなかった場合などに、そちらに移る場合が多い。特にアマゾンさんは、すでに廃盤になったレア盤を購入するときは(中古マーケットプレイス)重宝する。これはアマゾンさん独自の強みですね。

HMV渋谷のもうひとつの想い出は、確か2Fにあった、なぜかCDショップの中に存在するJ-Waveのサテライトスタジオ「渋谷HMVスタジオ」だったりした。前職を退職して、1年間浪人していたときに、毎日16:30~20:00に聴いていたJ-Waveの番組「Groove Line」が、このスタジオで生放送されていたもので、ホントにくだらない番組(失礼)なんだけれど、失意の日々に、これを聴いていることで、どれだけ気が紛れて明るくなったことか!

実際、2人のDJ、ピストン西沢さんと秀島史香さんの顔、姿を見たくて、このHMV渋谷のスタジオまで出かけたことも何回もあった。(スタジオは透明のガラス張りで外から見え見えなのです。)

HMV渋谷は、まさに若者文化(渋谷系カルチャー)の発信の地の代表という感じでしたね。生き生きしていました。

そんなHMV渋谷も、CD販売不況などを理由に、2010年に閉店。
このとき、あぁぁ自分の青春もこれで幕が降りたな、という落胆であった。自分の心の拠り所を失った感じ。ネットでCDを購入するようになってからは、確かに直接店に行くことも少なくなったが、現実に店舗が亡くなってしまうのは、やはり寂しい。

現在はローソンと合併して、ローソンHMVエンターティメントとして再出発している。


そんな自分の青春の想い出がいっぱい、いっぱい詰まったHMV渋谷であるが、なんと5年振りに復活する、という。

これは大変楽しみであった。

渋谷マルイシティの建物を改装して、一新して「渋谷モディ」として再スタートである。

渋谷モディ

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HMV渋谷は、ここの5~7Fに、「HMV & BOOKS TOKYO」という名前で仕切り直しでスタートする。
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自分の頭の中には、あの強烈な物量大投資の図書館のようなイメージがこびりついていたので、この新店舗を観たとき、予想を遥かに超えるライトな感覚、というか......ちょっと驚いた、と同時にやや欲求不満みたいなものも.....(笑)

店舗は、どちらかというと本が主体ですね。その中にCDが紛れ込んで存在する、というような印象。単に本やCDを売るという目的だけではなく、、コーヒーショップなどの「食」の売り場などもあって、料理本に加え、食器や調理器具、そして本を読むスペースや休憩所など、なんかトータル的にライフスタイルを提供する、スゴイおしゃれな空間に様変わりしていた。ネットでの紹介文では、30~40歳くらいの女性客をターゲットにしている、と書いてあったので、なんか合点がいく感じ。

商品の陳列の仕方も、スゴイお洒落で、テーマごとに分けて陳列されているのには驚く。

自分は、CDを買う場所としてHMVをずっと捉えていたので、肩透かしを食らう感じだったが、帰宅してネットの紹介文を読みながら、落ち着いて考えてみれば、CDを買うならもうネットでやるのが当たり前のご時世なので、店を出すなら、それと差別化できないといけない。

そういうところから生まれたソリューションなのかな、とも感じて、なるほどと思った次第である。

(でもCDは置いてあるけれど、クラシックは置いていないというのはなぁ。クラシックを入れちゃうと品揃えが多くなって陳列に困るからでしょうか?(笑))


まずCD売り場。
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なんとブリティッシュ・カルチャーというコーナーもあって、ポリスの「シンクロニシティー」や、スタイル・カウンシルの「カフェ・ブリュ」などの陳列もあった。(笑)これらの音楽は自分の高校、大学時代の世代でその層を狙っているのでしょうか?(笑)

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でも名盤ですね。

出た!HMVの試聴機。(笑)昔は、黒地だったような記憶がある。
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その他にも、音楽、映像関連の商品が......

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雰囲気的にオシャレなテーマごとに本が陳列されていたり。

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ヨーロッパの旅行ものも!!

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文房具が売っていたり。

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健康食品類が売っていたり。

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コーヒーや食べ物などのお店もあったり。

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支払いカウンター。

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なんか、今風のお洒落な楽しい空間ですね。女性客向けを狙ったというのもわかるような気がします。

ネット通販と差別化を図った、という狙いがよくわかるような気がしました。

お店を出て、CDを買いたいという欲望をそらされた感じになった(笑)自分は、そのままお茶の水へ。

エム5邸オーディオオフ会に行くときに、ゴローさんとここで必ず待ち合わせ場所につかったお茶の水ディスクユニオン。

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やっぱりこの風景は、安心する。

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最近集め始めた廃盤などのレアなマーケットであるDG(ドイツ・グラモフォン)のSACDを探すことに。

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意外と全部持っていたりするので、収穫は、最近チケットを確保できたネトレプコのSACD、オペラ・アリア集1枚だけであった。あと、グリモーのクレド(SACDのほうで再生、つまりきちんと鳴らすことが非常に難しい超難関ソフトであった「クレド」のBlu-ray Audioソフト・バージョンであった。)

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ネットでCDを買うようになってからは、こういうお店に行くことも少なくなった。

でも待ち合わせに使ったときに、ゴローさんに質問され、

ゴロー「ノンノンさんは、いつもCDをどうやって買うの?」
ノンノン「大概、ネットですね。」
ゴロー「ダメなんだなぁ、それじゃぁ。」
とダメ出しをくらったりした。(笑)

ゴロー「ネットでは売っていない、なかなか手に入らない珍しい盤などが、こういうお店には出てい
     る場合も多いので、できる限り頻繁に出歩いて探したほうがいいんだよ。」

と教えてもらった。

このとき、このお店で偶然見つけたのが、これ。
1997年の小澤&サイトウキネンの「マタイ受難曲」。なんと今は亡きPhilipsレーベル!

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「うわぁ、これはレアだよ、こんな盤がここで見つかるなんて。だから言ったでしょう。こういうのが見つかったりするから、こういうお店に出入りして、日頃チェックする必要があるんだよ。ぜひ、これは買いだよ!」

いまでは、マタイ録音の自分のリファレンスであったりする。

そして、以前日記でも取り上げたシューマンの「女の愛と生涯」のエディット・マティスのDG録音。これもこのお店で見つけた。こういうお店に出入りすることの重要性を再確認。

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やっぱりオーディオファン全般にこういう言葉を使うと語弊があるかもしれないけれど、自分のような”壊れた大人”には夢を与えてくれるお店なのだ、こういうお店は。

いくらネット通販が主流になっていっても.....

音のたまもの [オーディオ]

先日小林悟朗邸での追悼オフ会の日記を書いたとき、ステレオサウンド誌で悟朗さんが連載していた「音のたまもの」のことに触れた。

このときにふっと思ったのは、悟朗さんがいままで自宅に招待したゲストにどのような人たちがいて、どのような対談をしていたのか、振り返ってみたいという気持ちに駆られた。

ステレオサウンド誌というのは、季刊誌で春・夏・秋・冬の年に4回発刊される。

だから、発売されたときに、その対談を読むのだけれど、その4か月後にまた新しい対談.....という形で、とりとめのない形で自分の中には散文的にまとまっていなくて、記憶も定かではなかった。

ここ最近、仕事が忙しいこともあって、不規則な生活が続いて、さらに夏バテ気味なのか、どうも体調がすぐれなくて、ついに今日会社を休んでしまった。

久し振りにとれた平日の休みなので、過去のステサンのバックナンバーを探し出してきて、振り返ってみようという気になったのだ。

●小山実稚恵さん  2012 SUMMER No.182

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ちょうど小山さんが新作「ヴォーカリーズ」を出したときの対談で、悟朗さんはこの録音をこの2012年前半での最高傑作と大絶賛していて、ぜひ本人に直接の話を聞いてみたいと思って実現した対談なのだろう、と思う。

この録音は軽井沢大賀ホールで録音されたもので、そのときの様子を小山さんは生々しくお話しされている。

録音に使われたのは、大賀ホールのスタンウエイで、非常にいいボディを持ったスタンウエイだったけれど、時間とともに音があまりに移ろうので、大変だったこと。10分前と10分後でピアノの奏でる音の印象が全然違うこと...など。

そして小山さんの体験談で、300人くらいのホールと2000人くらいのホールでは演奏者として音の作り方が全然違うこと、など刻銘に仰られている。

自分が1番食い入るように読んだところは、小山さんのピアノの録音の好みというかあり方だ。小山さんの作品は、ピアノが近かめに聴こえる録音が多くて、教会のよう遠くで鳴っているような録音はほとんどない。

やはり小山さん自身が指の動きなどがリアルに伝わるような録音が好きだそうで、フワッとただきれいに表現されるよりもピアノそのものがそこにあるように録りたいなっという気持ちがあるらしい。

もちろん響きの美しい空間にも魅力を感じるが、なんとなくきれいにピアノの音が響いているのは、つくられた音のような感じがしてしまうんだそう。実際演奏する立場から言うと、手元、耳元では色々な音が聴こえている訳だから。

昔のレコードなどで、すぐそばにすべてが聴こえてくるような録音がとても好きだ、と仰っていた。

やはりこういう感想、考え方を聴くと、演奏者ならではの聴こえ方、音の捉え方というのがあって、我々とは少し違うな、と感じるところがあって、大いに感心した対談でもあった。


●吉野直子さん  2012 AUTUMN No.184

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ハープというのは、実に不思議な楽器で古代ギリシャの壁画にその姿が刻まれるほど昔から存在し、その音色は華やかで変化に富み、クラシックの作曲家たちにインスピレーションを与え続けてきた。

にも関わらず、意外とハープの基本的な原理からきちんと知っている人が少ないのが現実。そこら辺を踏まえて、悟朗さんが吉野さんにハープの基本から、いろいろお話を伺うという趣旨の対談であった。発音原理もそうだけれども、弦に関しても、上のほうはナイロン弦を使っているのだけれど、基本はガット弦。そして超低音はスチール弦。全部自分で張るんだそう。(驚)

ピアノだとスタインウエイやベーゼンドルファーなどのメーカーによる楽器の個性の違いがあるのだが、ハープの場合、イタリア、ドイツ、フランス、そして日本などたくさんのメーカーがあるのだそうだが、吉野さんはずっとライオン・ヒーリーというアメリカの楽器を使っているそうである。音色はもちろん、重さのバランスなどが好みだそうである。

吉野さんのCDである「武満徹:そして、それを風であることを知った」をかけての対談。ハープという楽器は低音から高音まで非常に音域が広くて、その音は立ち上がりに鋭いエネルギーを持っている。

なので、当然このような音域の広い音色を余すことなく再生してやろうとすると、いろいろ苦労があるわけで、吉野さんとそこら辺の苦労をいろいろ語り合っていた。


●矢部達哉さん  2010 AUTUMN No.176

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東京都交響楽団のコンサートマスターにて、サイトウキネンのコンサートマスターでもあるまさに日本のエース。

以前、清水和音さんや仲道郁代さんがピアノの音色には定評のあるGOTOユニット(神奈川県の郊外で熟練した職人さんが手作りしているメーカ)を使ったSPを練習室に入れているということから、やはり演奏家の方々は自分の楽器の音色をいかに自分の理想に近い形で奏でてくれるか、ということに神経を尖らす訳でオーディオ機器(音色に1番影響が大きいのはスピーカーです!)選びもそこを基準にする。

矢部さんの場合もまさにそうだ。ヴァイオリンという弦楽器をもっとも美しく再生できる、ということを基準にオーディオ機器選びをされている。ヴァイオリンという楽器の音色再生でもっとも重要なのは、倍音成分をいかに上手に再生させてやるか、というところ。

音声信号をスペアナで見てやると、周波数軸上に基音と、倍音と呼ばれる2倍波、3倍波....の高調波が現れる。

ヴァイオリンの音色が恍惚的に人の耳に美しいと思わせるのは、この2倍波、3倍波の高調波成分を聴いているからであって、そこに美しさのエキスが詰まっているのだ。なので、オーディオ再生で弦楽器を美しく描くには、この倍音をいかに再生できるか、その能力のある機器(スピーカー)選びがポイントになる。

矢部さんが選んだのはイタリア製のソナス・ファーベルのガルネリ・メメント。ガルネリは弦楽器を美しく奏でることでは、もうこれはあまりに超有名で、自分のオーディオ仲間の中にもヴァイオリンの音色に煩い人がいて、やはりガルネリを使っている。

この対談では、珍しく出張対談という形で、矢部さんのお宅に悟朗さんが伺って対談をおこなう、という形式であった。

「ディスクを矢部さんのシステムで、再生してヴァイオリンがメロディーを歌い始めると愕然とした。自分では逆立ちしても出せないサウンドだと思ったから。好き嫌いを超える「説得力」を持って音が語り掛けてくる。」

このように悟朗さんは驚嘆に結んでいる。

写真にあるように20畳はある矢部さんの練習室に、ガルネリはセッティングされていて、送出系はLINNで固められている。

とにかくこの対談で驚いたのは、矢部さんのその弦の音色再生が、自分が理想とするところがどうあるべきなのか、どのように聴こえないといけないのか、非常に理路整然とこと細やかに説明されていることなのだ。その中にはコンサートマスターの席で聴く理想のオケの響きなどについても言及されている。

その感性というか、理想のオーディオ再生までに持ってく考え方は、ちょっと我々一般オーディオマニアでは持っていないものをはっきり感じるし、それはやはり演奏家ならではの感性で、正直嫉妬する面も大いにあった。(笑)

この悟朗さんの対談集の中では1番読みごたえがあって中身の濃い記事だと思う。


●仲道郁代さん   2010 SUMMER No.175

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あった!これです! 

以前仲道さんのことを日記にしたときに、書いた記事です。仲道さんのリビングに置くSPをどれにしたらいいか、相談された悟朗さんは、どうせなら自分の対談で取り上げてしまえば面白いだろうという感じで出来た企画です。ステサンの試聴室でおこなわれた取材であった。

仲道さんは自宅の練習室にGOTOユニットで組まれた大型スピーカーを入れているほどのオーディオそのものに関心が深い。演奏家であると同時にオーディオファンなのだ。

そんなリビングの出窓に置くので、リビングルームの雰囲気を損ねないデザインのもの、音質がいいからと言って、黒く四角い武骨な箱では嫌....とのお言葉。

ブルガリア、イギリス、デンマーク、スイス、イタリアなどじつに多彩なバリエーションで、合計8種類のSPをノミネートして仲道さんに聴いてもらい、感想をもらってどれにするか決めるという対談であった。

結果は写真にあるように、イタリアのソナス・ファーベルのMinima VintageというSPをお選びになった。

以前日記にしたときに、そのときの感想は、いかにもオーディオマニア的なガチガチの理系コメントでなくて、いわゆる演奏家らしい感性の鋭さで印象を述べられていた、と書いたが、いま読み返してみると、そうでもない。(笑)

やっぱりかなりのオーディオファンだなぁ、と思うこと、しきり。(笑)とにかくどういう音の鳴り方をするのが、自分の理想なのか、はっきりしたビジョンを持っているのだ。

GOTOがどちらかというとモニター的な音なので、それを自分の録音の分析用として普段聴いているので、そういうモニター的なアプローチではなくて、もっとリビングではくつろげるような、というリクエスト。

リビングで鳴る理想の音は、音がギュッと集まるような感じ(いわゆる音像型)でなくて、部屋中にふわっと広がる(いわゆる音場型)感じが仲道さんの理想だそう。

非常にコメントが感性で音の印象を捉えるのがお上手で、わかりやすいので、その根本にはオーディオファンの基礎があるんだな、と思いました。楽しい対談でした。



●磯絵里子さん、三界秀美さん 2012 WINTER No.181

* 磯絵里子さん

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ヴァイオリニストでいらっしゃり、現在洗足音楽大学講師でいらっしゃるようだ。写真にあるように、女性でありながら、リビングで静電コンデンサー型の平面SPを使っているのは驚きであった。このタイプのSPは正直見た目のインパクトが強い。かなりマニアックな方だなぁと思って読んでいくと、じつは旦那さまの買い物だそうで(笑)夫婦いっしょに楽しまれているとのことであった。(なぜか少し安心??)

暮らしの中心につねにオーディオがあって、夫婦で楽しまれる。

ある意味理想ではないか?

我々一般人のオーディオマニアの家庭はもっと事情が複雑だ。(笑)専用のリスニングルームを持っている場合は、まだいいが、リビングにオーディオがある場合は、同居する人の同意が得られないと音をいつも出すという訳にはいかない。奥さんが理解があるといいが、そうでない場合もあって、オーディオオフ会をやるときなど奥さんに立退料を渡して(笑)、不在にしてもらって、それで友人を呼んだりとか、苦労されているケースが多い。

やっぱり奥さんが同じ趣味というか理解が得られないと成り立たない趣味なのだ。

そういう意味でも、この対談を読む限り、磯さんのご家庭は理想とも思える関係に思えた。

* 三界秀美さん

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東京都交響楽団の首席クラリネット奏者でいらっしゃり、悟朗さんとは、いわゆる”オーディオ仲間”でいらっしゃるようだ。もう筋金入りの完璧なオーディオマニアでいらっしゃることがはっきりわかる。喋っている内容からして、もうあきらかにその筋の方で(笑)、悟朗さんとの対談は、もうこの対談の本来の趣旨である演奏家の方から観た目線というレベルを逸していて、完全にオーマニ同士の会話になっている。(笑)

B&W 802Dをメインに使われており、コンサートホールでの生演奏での聴こえ方とオーディオ再生での聴こえ方、それぞれの楽しみ方の違いなどを言及されており、自分のテーマでもあり、本当に興味深く拝読させていただきました。



ここまで読んで感想を書いて、もう疲れました.......

まだまだあります。

石川さゆりさん  2010 WINTER No.173
長谷川陽子さん  2009 WINTER No.169
小松亮太さん   2010 SPRING No.174
角田健一さん   2011 WINTER No.177

あと樫本大進氏との対談もあったように記憶していますが、うまく見つけられません。

これらのバックナンバーは、ステレオサウンドのオンラインのページから購入できます。

http://store.stereosound.co.jp/user_data/bookcategorylist.php?category_id=10

ぜひ興味が湧きましたら購入して読んでみてください。
かなり読みごたえがあります。

あのぉ~、なんかステサンの宣伝をやっているみたいですが、別になにも関係ありません。(笑)

体調不良でお休みした今日であるが、久し振りにこの対談の数々を読んで、なんか自分の中に忘れかけていたオーディオマインドに火をつけてくれるようなそんな嬉しい気分になった。すっかり元気になってきた。

やはり自分はコンサートホールに出向いてダイナミックな生演奏を聴くのも好きなのだけれど、やはりオーディオ再生、そのコンサートの臨場感をいかにきれいに録れているか、その”作品”としての完成度に共感したいし、そういう録音に出会えた時に限りない喜びを感じる訳で、そのような普段の喧騒で忘れかけていたモノを思い起こさせてくれるような1日であった。


小林悟朗邸 追悼オフ会 [オーディオ]

先日の日曜日、2015年8月30日(日)に調布にある小林悟朗さんのオーディオルームを訪問した。

詳しくは書けないが、このオーディオルームは近将来、解体の方向で進めており、その前に最後のお別れの追悼オフ会をやろうということになった。

小林家の親族の方々からの本当に暖かい心遣いで、エム5さんをはじめ、ほんの少人数の有志のみ、でささやかに見送ろうということで、私も末席を汚す形ではあったが、ありがたくも参加させていただく運びになった。

悟朗さんのご逝去が2012年であるから、もう3年は経過する。じつは弟さんもオーディオマニアで、2か月に1回は、ここに来て、火入れをして音楽を数時間ではあるけれど流してウォーミングアップしていたのだそうだ。

本当に頭が下がるのは、自分もそうだけれど、他人の組んだシステムを理解して、動かすことがいかに大変なことか、悟朗さんのシステムをしっかり理解されて動かされていたのには、本当に弟さんには頭が下がる思いで我々も感謝一杯であった。

今回の追悼オフ会では、弟さんがハンドリングして音を聴いてもらうという段取りで進む予定であった。

小林家に到着したと同時に、お母様、奥様、弟さんに出迎えていただき、丁寧なご挨拶となった。

じつに3年振りに訪問する小林悟朗邸オーディオルーム。
面影はまったく変わっていなかった。

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このリアの部分のところの左側に悟朗さんの仏壇が置かれていた。(以前訪問したときはここには紐ものの機材があったような気がする。)悟朗さんがいる場所としては、このオーディオルームが1番居心地がよいはずで最適な場所だと思った。 
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さっそく我々は、御怫前を治め、各人ご線香をあげて手を合わせた。

悟朗さんシステムは、2chはGOTOシステムで、サラウンド(SACD5.0と映画5.1)はB&Wを使う、というように二つのシステムを使い分けるやり方をしていた。

生前語っていたのは、B&Wというのは、いわゆる最新技術のスピーカーで、もう出来のいい息子みたいなもの、何をかけてもそれなりにきちんとしっかり鳴ってくれる、いわゆる手がかからない心配がいらない子供たち。それに対して、GOTOというのは、出来の悪い息子みたいなもので、なにからなにまで自分がきちんと面倒を見てあげないと、という気になってしまう、だからこそ余計に可愛く愛おしい存在なのだ、と仰っていた。

まずは、そのGOTOから聴かせてもらう。GOTOを聴く場合は、前にあるフロントL,RのB&W800Dが邪魔になるので、B&WのSPの底面にはキャスターがついていてコロコロ転がせるようになっていて、B&Wを横にどかして前を空けるということをするのだが、今回は大変なので、それはなし。

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GOTOの各ユニット、ドライバにYL音響のホーンで組み込まれた自作SP。マルチアンプで駆動する。

まさにGOTOのユニットで作成されたこの自作スピーカーはオーディオマニア歴40年以上の中で、悟朗さんの分身みたいな存在である。B&Wはある程度どんなソフトでも鳴ってしまうが、このGOTOに関しては、悟朗さんは他人の持ち込みソフトをかけることを極端に嫌った。自分の分身のように育ててきたスピーカーから、自分が耐えられないような音が出てくるのは、絶対許されないことだったから。

だからオフ会をやるときもGOTOを聴かせるときは、ずっと準備を丹念にして鳴らし込んでからという用意周到さで、なかなか頻繁には披露してくれなかった。

自分は以前訪問させていただいたとき、GOTOのほうは準備していないからこの次、ということで聴けなかった。そのまま亡くなられたので、生涯このGOTOの音を聴けないのが一生の悔いが残るという想いであった。

今回参加させていただけたのも、このような想いを日記に頻繁に書いていたので(笑)、そこをご配慮していただいたようで、本当に恐縮と言うか感謝でいっぱいであります。

じつは自分はこういうホーン型のSPを聴いた経験がほとんどなく、イメージが湧かなかった。最初の曲は、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲。

最初の印象......


ホーン型というのはもっと丸みのある角の取れた柔らかい音だと思っていたのだが、全く予想外で、結構鋭利が効いたシャープな輪郭の音のように思えた。美音の典型的な感じ。音の出方自体は完璧な音像型で、フォーカスがビシッと合っていて締まっている感じの音であった。

弟さんは現代SPに比べると古風な音ですよ、と仰っていたし、他の人からもそんなに感動するほどでもないよ、と聴いていたのだが、なになに、とんでもない、自分には素晴らしい音色のように思えた。

自分の夢が叶った瞬間であった。

自分の持ち込みディスクをかけさせてもらった。生前GOTOはピアノの音色を奏でさせたらピカイチという話を伺っていたので、オーディオオフ会でのピアノ演奏では定番中の定番のこれをかけさせてもらった。 
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I Love a Piano
今井美樹

http://goo.gl/frdiys

仲間から、「いやぁこれは悟朗さんだったら、絶対GOTOではかけさせないソフトだと思うよ(笑)」、と言われて冷や汗。(笑)

でも出てきた音は驚き。素晴らしく鮮度が高くて、今井美樹さんの声が真ん中上空に見事に定位している。注目のピアノの音色も一音一音に質量感があって、沈み込むように深い、響きの余韻の美しさ、その音色はこの世のものとは思えない極上のものであった。

特にこのディスクの2曲目の「年下の水夫」は、このアルバムの中で最高の曲で、これが鳴った時、「そういえば、この曲のピアノのテイクだけ小曽根真さんがやっているんだよね。悟朗さん、小曽根さんとも仕事やっていたなぁ。」とみんな感慨深げになった。

自分もいまでも土曜9時からのJ-Waveの小曽根さん番組を聴いているので(1週間に1回Jazzに接する時間としてそう決めています。)、ますますつながっているなぁ、としみじみ。

なんか自分のGOTOに対するいままでの夢が一気に叶ったという感じ。

結局GOTOはこの2曲のみで、もっともっと聴きたかったところでもあるが、とにかく満足で幸せいっぱいであった。

ここから、最後までは、ひたすらB&WでのSACDサラウンドの世界に埋没。

前方に広がるステージ感がぐっと一気に水平方向に広がる感じで、いままで2chで聴いていただけに情報量、サウンドステージの差はあまりに歴然だ。

とにかく次々にかける曲の鳴ること、鳴ること!

5本のSPからの音がものの見事に綺麗に繋がってきちんと位相も揃っているそのお化けサウンドは、まさにサラウンドの真骨頂ともいえるものであった。

不思議だったのは、弟さんが定期的に火を入れて鳴らしていたとはいえ、丸々3年間休眠していた機器とは思えない鳴りっぷりで、あまりに素晴らしいサウンドなので、おそらく天国の悟朗さんが降りてきて我々と一緒に楽しんでいるんだよ!とみんなでささやきあい、そのときはさすがに胸が熱くなってグッと来るものがあった。

最後の追悼オフ会とは言え、決してみんな湿っぽくなる感じは全くなく、常に笑いとおしゃべりで盛り上がった楽しいオフ会であった。天国の悟朗さんもそのほうがヨシとしてくれるだろう。

小林家の親族の方々も弟さんはもちろんのこと、なんと奥様もほとんどフルタイムでオフ会にずっと参加していっしょにお喋り含めて音楽を楽しまれていた。お母様も休憩時間などときどきであるが、部屋に入ってきて、いろいろお菓子などの差し入れの心遣いなど本当に恐縮でした。本当に最後にふさわしい楽しい時間でした。

今後、この部屋の解体ということで、この場でいろいろ話し合った。今後もそのやり方含めて段取りを決めていくことになると思います。

悟朗さんの財産でもあるソフト群。

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武満徹さんが使っていたiBachという旧式ピアノ。

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この悟朗さんのオーディオルームは、我々オーディオ仲間だけのための空間ではなかった。

ステレオサウンド誌で悟朗さんが持っていた連載である「音のたまもの」では、このオーディオルームにクラシック問わず、いろいろなジャンルの演奏家はじめ、いろいろな方をこの部屋に呼んで、オーディオで音楽をかけなからそれを聴きながらゲストと対談するという連載で、自分もこの連載を読みたいがためにステサンを定期購読していたようなものだった。

いま自分が持っているバックナンバーをちょいと調べてみた。

小山実稚恵さんとのこの部屋での対談。小山さんがGOTOのSPを覗き込むようにして興味を持っているのがうれしい。そして武満さんのiBachピアノを弾く小山さん。

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このときの連載の文章の中にGOTOがピアノの音色を奏でることでは天下一品のSPであること、清水和音さんも練習室にGOTOを持っていることを悟朗さんが発言していて、自分はそれを発見しただけなのである。(笑)

たくさんのゲストを呼んだこの空間がなくなってしまうのは、感慨深いものがある。

小林悟朗さんは稀有な逸材、その人柄も含めた逸材の人生にほんの少しでも関わりが持てたことを誇りに思いました。

今回このような自分の人生にとって一生の記念に残る瞬間に立ち会えるチャンスをいただき、小林家のご親族の方々、そしてエム5さんには本当に感謝する次第です。

ありがとうございました。

           


ダイナミックレンジの広い録音 [オーディオ]

ダイナミックレンジというのは、信号の最小、最大の差。つまり空間の広さのひとつ指標である。

先日、友人にこれはダイナミックレンジがすごい広いいい録音だよ、ということで紹介してもらったこのPENTATONEの新譜。 
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シュトニケ 交響曲第3番 ユロフスキー&ベルリン放送交響楽団

http://goo.gl/Vj7krg

なんかジャケットに見覚えがあると思っていたら、以前に購入していて、そのまま積読の状態になっていたことが判明。(笑)改めて封を切ってみて、聴いてみたら、確かに素晴らしいほどのダイナミックレンジの広さを認識できる。

冒頭の静寂な音など、システムの解像度がよくないときちんと聴こえないというか再生されないような微小音で始まって、次第にクレッシェンドしていってパイプオルガンの合奏になると、すごい高揚感で、その空間の高低の差は驚くばかりだ。

従来のパラメータに対して、さらに高さというか深さを感じるような魅力がある。

(録音セッションは、ベルリン放送局本館で行われて、パイプオルガンだけベルリンの聖マティアス教会で収録され、後でミキシングしているというトリックがあるみたいだが。)

こういう録音は、確かに魅かれるというか、いい録音だと思う。オーディオファンは、こういうダイナミックレンジの広い録音に弱いというか、(あくまでクラシックにおいては、ですが)優秀録音と思ってしまうケースが多い。

ダイナミックレンジが広いということと、録音レベルが小さいということは、必ずペアになる現象で、立体的に聴こえて素晴らしいのだけれど、大編成のオーケストラものなどを聴くときは、やはり自分に向かってガツンと来てほしいというか、音の実在感、躍動感が欲しいという要望が自分にはある。

なんかどこか遠くで鳴っているような感じで、自分に向かってこないサウンドは、欲求不満になる。同じクラシックでも、大編成、室内楽、声楽、現代音楽など聴くジャンルによって、こういうのは向き・不向きはありますね。

先日の日記で、空間は欲しいけれど、音の解像度や音圧は犠牲にしないで欲しい、という実際録る立場からすると相反するというか無茶とも言える要望を書いたが、こういう録音を聴くとやはり難しい要望かな、ともひしひし感じることも確か。

自分はSACDはマルチチャンネルで聴くことがほとんどであるが、2chで聴くときの落とし穴というか、疑問がかねてよりある。

現場で収録するときは、サラウンドのマイクセッティングで収録しているはずだから、そういった形で取り込んで、そこから5.0chや2chにミックスするとなると、最初から現場で2chのマイク設定でセッティングして収録したものに比べて、2chに関して言えば、その空間、音場の捉え方で、不自然というかハンディがあるんじゃないかな、と想像してしまうのだ。

ゴローさんは、サラウンドと2chのマイク設定は干渉しあって同時には両立しないと言っていたし。まさか別々にテイクする訳でもないし。(笑)

やはりサラウンドのマイク設定で収録したものは、サラウンドで聴くのが1番理想で聴けると思うが、世間は2chのマーケットのほうが大きいので、SACDを2chで聴くというのが実際の多いケースであろう。そうするとそういうこともあり得るのかな、と自分は専門じゃないけれど、そのように自分なりに考えてみただけである。(そういうご指摘があった、ということ。)

いつか時間が取れたら、そういう聴き比べもやってみたいとは思うが......



声楽ものはピックアップがあったほうがいい、と先日言ったが、BISは、室内楽のように距離をとったワンポイント・マイクで歌唱を捉えようとしているところがすごく上手で、彼らの空間表現の作り方は卓越している。

もともとBISレーベルはワンポイント録音で名を馳せたレーベルだそうなので、それもうなづける。

自分が声楽もので、じつに素晴らしい録音として自分のリファレンスにしているディスクがこれ。 

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夏の日~スウェーデン・ロマン派歌曲集 オッター、フォシュベリ

http://goo.gl/PHR2In

これは本当に素晴らしい録音で、声楽をマイクを離して録っているのだが、それが聴いていて遠すぎることもなく、音の実在感も隈取もしっかりしていて、それでいて録れている空間もかなり広い。

ふわっという感じで部屋に音が充満する感じで、なによりも捉えている情報量がすごい多いのがよくわかる。オッターの声がみずみずしいというか潤い感溢れる感じで実に秀逸なのである。澄み切った空間の中にナチュラルな音像が浮かぶ、という感じ。


オッターのファンであるということもあるが、声楽の録音を聴くときは、このソフトはヘビロテソフトになっていて、拙宅オフ会や他人様のお宅でのオフ会でも持ち込みソフトとして持参することも多く、そのたびに、「これはいい録音だねぇ」と褒めていただける自慢のソフトなのだ。

このソフトは、2chで聴いてもじつに素晴らしいです。(笑)


空間を感じる録音 [オーディオ]

ずっと以前から、オーケストラ録音は、コンサートホールでのセッション録音であれば、そのホールの空間を感じるような録音が自分の好みだということをずっと言ってきた。

オーディオ評論家の御大である菅野沖彦先生が、ジャズやポップスはオンマイク録音、クラシックはオフマイク録音が基本ということを大昔から言っていていわゆる基本中の基本なのであるが、自分もまさにそうだと思う。

でも最近クラシックの新譜を聴く上で、確かにオフマイク録音で空間を感じることはできるのだけれど、あまりにマイクから遠すぎで、ものすごい録音レベルが小さすぎで、もう音としての躍動感、鮮度感が全くないような、いわゆる死んでいるようなサウンドを聴くことが多いような気がする。

特に自分が贔屓で取り上げてきたPENTATONEの新譜にそのような録音があって、ものすごいショックで立ち直れなかった。

いわゆるワンポイント録音というのは、確かにそのホールの空間をうまく捉えることができる最適な方法なのかもしれないし、巷でも話題なのだが、いい録音のものは、それなりに感動するのだが、うまくいってない録音の場合は、既述のようにマイクが遠すぎでオケの音の解像度が悪くて、音が死んでるような感じで、自分は感心しない場合が多い。

自分は専門ではないので、どのようにするとそのような理想の録音が作れるかは語れないけれど、聴き手側からの希望を言わせてもらうと、やっぱり音そのものはそれなりに音圧があって、録音レベルが高くて解像度、鮮度感があるほうがいい。それでいながらユニゾンやトゥッティのようないっせいの合奏状態に入った時に、ぐっと沈み込むようにそのホールの空間、深さがはっきりと認識できる。そしてその空間がきちんと存在するがために、空間へ彩る、音の色彩感やグラディエーションなどが鮮やかな、そんな録音が好きである。いわゆる空間表現というものである。

一見すると、言っていることが正反対なのだが、これを実現してくれるような製作者側のスキルに期待したいのである。現に自分がいままで数多のクラシック録音を聴いてきて、それがきちんと出来ているレーベルも多いからである。

自分はクラシックのCDを聴くとき、音楽を聴くだけでなく、こういう録音の「さま」を聴いている、評価しているような性分があるので(変わった人種です。)、ここは引けないところと言うか、これによって優秀録音とか決めつけてしまう傾向がある。(もちろんもっといろいろなファクターがありますが。)

録音のテイストの原則は、ホール感、空間をはっきり感じ取れて、でも音自体は解像度が犠牲になっていなくて、音圧もしっかりと高くて鮮度感があって、いわゆる隈取がしっかり録れているような、その両方が両立してほしい。やはり基本的に音楽の全体像を捉えつつも、ソロパートや聴かせどころにはガツンと来るピックアップサウンドにして欲しい。ワンポイントとピックアップの併用などで、その後のミックス、編集でそのように両方の塩梅、さじ加減をうまく作ってほしいという希望があるのである。

好き放題のことを言って、と思われるかもしれないけれど、録音エンジニアの方も、できれば普段、コンサートの実演、生演奏を頻繁に行かれる方で、生のオケはこのように聴こえる、という耳を持っている人がいい。

スタジオ制作だけにこもりっきりの人の作る作品は、生演奏の音とあまりに乖離しすぎて、オーディオ的快楽を強調した作品、いわゆる化学調味料がいっぱいかかった作品のようにできてしまうから。自分はやはり生演奏がそのものさしの基準にある。

ちなみに、オケに声楽が入る場合は、ソリストにピックアップマイクはあったほうがいい。
それのない録音も聴いたが、もう声があまりに小さすぎて作品として聴けたものではなかった。

なぜ、こんな日記を書こうと思ったかは、やはり数多の録音を聴くと、こういう録音の「さま」というのを意識せざるを得なくて、空間のある録音が好き、とずっと言ってきたので、じゃあ、こういうマイクから遠すぎの死んでる音がいいのですか?と思われるのもしゃくだからである。(笑)

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今日は小林悟朗さんの誕生日......... [オーディオ]

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毎年この6月5日なると、mixiの友人の誕生日をお知らせする「今日はゴローさんの誕生日です!」というメッセージがホームに現れて、せっかく忘れかけていたのに~と思っていたのに、1年の中で深い悲しみに陥ることになる。

じつは今日気づいたのだけれど、マルタ・アルゲリッチ様の誕生日も今日なんですね。知らなかった......

エム5さんやDolonさんのつぶやきで、ゴローさんのことを偲ぶコメントがあったので、自分も簡単だけど、ちょっと日記にしてみたい、とつらづら書いてみることにした。

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この写真は、はじめてゴロー調布邸に伺ったときに、帰り際に「これ!」って渡されたプレゼント。ゴローさんは外見はいかつくてコワイ感じだけど、凄いナイーブで、芸術家肌の感性を持っている人だと感じることが多かった。

こういう何気ないプレゼントをさっと渡すところなんか、同じ男心でも心揺さぶられるものがあった。

自分後生大切な形見というか宝物である。

DGのバレンボイム&ブーレーズ シュターツカペレ・ベルリンのリストのピアノ協奏曲。(当時リストイヤーだったと思いました。)そしてオクタヴィア・レコードのクリスマス・キャロル。

そして鶴我裕子さん著の「バイオリニストに花束を」という本。

いまこのCDを聴きながら、今日1日は、追悼の想いを過ごすことにしようか.....

ゴローさんからもらったものをちょっと探してみた。

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DENON J.S.バッハ 教会暦によるオルガン・コラール集。

これは、いまの自分の5.0chサラウンドシステムの中の中枢のフロントL,RのSPであるB&W Signature 800を導入したての頃、元々このSPはウーハーがすごく固くて豊かな低域がでにくくて鳴らすのが難しいと感じていて、パワーアンプをいろいろ増強したりして四苦八苦していたときに、そんな悩みを日記にしたら、拙宅に来てくれた時に、「このソフト、スゴクいいよ。ウーハーユニットを激しく振動させるオイシイ音源がいっぱい入っていて、これをかけるとウーハー、ずいぶん柔らかくなると思うよ。」と言ってくれたソフトである。

そして、これ。

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NHKハイビジョン特集 音 おと~作曲家 武満徹の軌跡

クラシックの番組制作者であったゴローさんにとって、自分が制作した番組をこのようにDVDに焼いてくれてプレゼントする、というのはゴローさん風の一種の社交辞令というか挨拶みたいなものだったと感じる。

自分だけでなくて、本当にいろいろな人に似たようなことをしていた。(笑)その他、自分が制作した夢の音楽堂の「ベルリンフィルのすべて」や「日本人とカラヤン」とか....数えきれない。

ゴローさんは、小澤さん絡みもあるのだけれど、武満さんへの傾倒は大きかった。いろいろ日記含め、話を聞かせてもらった。

武満 徹さんは、1960~70年代の欧米でノヴェンバー・ステップスみたいな邦楽器を取り入れたところは、ユニークだが、 全体としては、悪く言えば ドビュッシーの亜流みたいな評価を受けたことがある。 武満さん自身ドビュッシーに傾倒し、大きな影響を受けたのは確かだろうが「ドビュッシーに似ている・・・」 と言われることは 彼にとって大きなコンプレックスだったに違いない。

そのときN響の定期演奏会で武満 徹作曲の「フロム・ミー・フロウズ・ホワット・ユー・コール・タイム」という 曲が演奏された。 そのことをきっかけに1990年前後に書かれた「そして それが風であることを知った」や「フロム・ミー・フロウズ・・・」はそうしたコンプレックスからの脱却を宣言しているように思われてならない、強く日記で主張していて、それがすごい印象に残っている。

自分もそれに影響を受けたのか、ノヴェンバー・ステップス絡みで琵琶史の鶴田錦史さん(女性です!)のことを日記に書いたことがある。

さみだれのように思い出すまま、書いている。

先日の日記にも書いたけれど、考えさせられるのは、もしゴローさんがいまもご存命であったら、いまの世の中の 動きにどう対応していただろうか?とか、いままでの自分の行動をどう評価してくれるのか、ということを考えてしまう。

PENTATONEレーベルは、ゴローさんが我々に教えてくれたレーベルで、自分の仕事柄、深く彼らと付き合っていた。いまの自分は、それを後を継ぐという大それたことは言わないけれど、彼らをプッシュするという、それもどきのことをやっているに過ぎない。

ご存命の時代はユリア・フィッシャーが全盛だった。でもゴローさん亡き後、アラベラ嬢が彗星のように頭角を現してきた。PENTATONEの今のマドンナとして活躍著しいこのアラベラ嬢をゴローさんならどう評価するか?

いままさにツアー真っ最中で旬なだけに、そんなことが頭の中をよぎる。

また、

昨今のハイレゾなどのダウンロードメディアに対して、どういうスタンスを取るだろうか?

アナログ完璧否定派だったゴローさんが、昨今のアナログブームをどう日記でコメントするだろうか?

ゴローさんが亡くなってから、自分がいままで行った海外音楽鑑賞旅行、ルツェルン・ザルツブルク音楽祭、ライプツィヒ・ドレスデンのバッハツアーをどう評価してくれるだろうか、とか。

本当に生きていたなら、今の自分の人生、どのように変わっていたかなぁなんて考えたりする。

毎年IAS(インターナショナル・オーディオ・ショー)のある期間に、「ゴローさんを偲ぶ会」が、お気に入りだったフレンチレストランで、親交の深かった仲間が集まって執り行われる。

この誕生日のときと、その偲ぶ会のときが、長い1年の中で、喧騒の中で忘れかけていたゴローさんのことを思い出すタイミングと言っていい。

本当に我々の前を疾風のごとく去って行った人だった。

ゴローさんと言えば、mixiの私のマイミクの中では、ログインしていないマイミクさんのビリッけつになってしまった。

オーディオのマイミクさん、SNS病の私が長期間ログインしてなかった場合は、自宅で孤独死している可能性があるので、発見しに来てください!!!(笑) 


輸入盤と国内盤 [オーディオ]

本日思いもよらない贈り物が届いた。

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自分がアマゾンに注文していたアラベラ様の新アルバムの国内盤(正確には、輸入盤+日本語解説付き)だ。

てっきり、国内盤は日本側の公式リリースの6/10まで待たないといけないと思っていたから、どういうからくりなのかわからないが、予想だにしなかったアマゾンさんのご厚意で驚きとともに大変うれしかった。

PENTATONEは現地の小さなレコード会社なので、当然日本法人なんてある訳がなく、日本語解説付きがつく、ということ自体驚きだったのだが、実際ものを観てみると、輸入盤自体の包装パッケージはそのもので、その上にさらに、日本語解説パンフレットと表紙カバーのタイトルなどが日本語表記されているジャケット表紙を、上に重ねて包装する、という感じであった。

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これであれば、大きな変更をすることなくスムーズだな、とも思った。同封のライナーの中まで完璧に英語から日本語に印刷しなおすとなると大変コストがかかると思うからである。

中の日本語のライナーノーツ、しっかり読ませていただきました。大変暖かい心のこもった誠意ある文章に感激。本当に感謝する限りです。ありがとうございます。

そこで先日投稿した日記で、輸入盤と国内盤の音質について、圧倒的に輸入盤のほうがいい、ということを書いた。そのことについて、これを機会に書いてみようと思う。

自分が、mixiのほうに2010年ころに投稿した記事で、いまブログに移植するうえで、読み返してみると、自分の誤解のあった部分も多く、訂正しないといけない部分も多いと感じる。

事の発端は、2010年ころに発売されたEMIのラトル/ベルリンフィルのくるみ割り人形のアルバムについてであった。我々の仲間の間で、輸入盤 vs 国内盤の音質ということで大論争になって、私の日記が炎上してしまった。(笑)

私が購入したのは国内盤で、2枚組だったのであるが、正直あまり感心するできの録音ではなかった。

もともとラトル/ベルリンフィルのEMI録音は、あまり自分の好みに合わない感じで、いままであまりいいと思ったことはなかった。ベルリンフィルと言えば、フルトヴェングラーはともかく、カラヤン、アバド時代のDGが黄金期というのがあって、そういう時代の録音を聴いてきた自分にとってEMI録音はどうもテイストが違じ感じがして馴染めなかった。

ラトルがイギリス人ということもあってEMIという選択なのだと思ったし、またラトルという人自身、録音という作業にあまり熱心な指揮者ではない、という印象がある。カラヤンという人があまりに異常なまでの録音に固執して膨大な作品群を残した人だけに、その後のアバド、ラトルは二番煎じを避けて、マーラー、現代音楽などを取り上げ、そのオリジナリティを出すことに苦労して、ある意味可哀想と言えばそうなのかもしれない。

そこで話を戻して、そのくるみ割り人形の2枚組、どうもあまりいい録音とは思えなかった。まず信じられなかったのが、1枚目(第1幕)がセッション録音で、2枚目(第2幕)がライブ録音ということ。

同じ作品の第1幕と第2幕なのに、録音条件を変えて商品化してしまう、こういう制作者側のセンスが信じられなくて、オーディオマインドのない人がやっているとしか考えられなかった。

こういう国内盤がダメだった場合は、原産国のCDを聴いてみることに限る。

EMI-UKを見ると 何と正式にはまだEU盤はリリースされていない。

しかしすでにタワーやHMVの店頭には 発売直前のEU盤が並んでいるのはどういうわけ?(笑)今やレコード会社の仁義なんてあったもんじゃない。

実際現地盤を聴いて驚き。
いやぁ これは国内盤とは 全く別物!
第1幕・第2幕の差別無く実に素晴らしいサウンド! 驚いた。

それにしても 国内盤となぜそんなに大きな差が出たか?

これはヨーロッパでは年末クリスマス向け商品となるものをEMI Japanが日本国内のみ大幅先行リリースしたものだ。価格が安い輸入盤が入荷してからでは、枚数がさばけないことへの対策にボーナスで ジルヴェスター・コンサートのDVDをつけHQ-CD仕様とした。

音源をWAVファイルで ネット上で取り寄せそれを日本法人が 独自にマスタリングしているんではないか、というそんな予想が立った。
 
第1幕も第2幕も 色々と手を加えているようで基本的にややレベルを上げて ピークを下げダイナミックレンジを抑制し音質も 聴きやすいだろうという方向にいじっている感じ。明らかに現地盤とは異なる。それは比較して聴いていて、はっきりわかるのだ。

国内盤の方が全体に3dBぐらいレベルを高くとって弱音部をかさあげしていると思われた。EU盤から国内盤に取り替えると 音量が高くなる。ピアニシモの部分が 大きくはっきり聴こえるので情報量が多いと聴く人もいることだろう。

しかし第2幕クライマックスのパ・ドゥ・ドゥの最後のクライマックスに向けてのオリジナルの絶妙なフェーダー・ワークは国内盤リマスターで 完全にぶち壊されていた!

こう良かれと思ったリマスター作業は、オーディオ・ファンにとって裏目にでた感じ。かつて他のレーベルでも 国内大幅先行発売というディスクに音質が劣悪なものがたくさんあった。
 
これ以来、我々の間では、収録、オリジナルマスターがある国の現地盤を優先する指向に代わってしまい、国内盤プレスというものが信じられなくなった。

これがトラウマになって、国内盤を買うことにかなり抵抗がある。

ただ、あくまでこれは予想にしか過ぎなくて、すべての日本法人が国内プレスで、リマスターしているかどうかも確かでないし、このようなことで、国内盤のイメージを大きく損なうのも問題なのかもしれない。

また先のくるみ割り人形の件についても、あくまで当時存在した、国内”大幅先行発売”というイベントに対処するもので、いまはそのようなものはないので、何とも言えない。

ただ、その当時、いろいろ国内盤と現地盤を比較する試みがあって、そのような差異を受ける印象が多く、現地盤指向の考え方が、我々の間に根付いてしまった。

そういういきさつがあって、こういう発言となったのだ。

国内盤はライナーノーツが日本語で読めるのがいい。

そういう意味で、ディスクは輸入盤で、ライナーノーツの日本語付という今回のようなケースが1番我々としてホッとして安心できたりするのだ。


PENTATONE,ポリヒムニアを支えるスタッフたち。 [オーディオ]

5月の大きなイベントであった九州遠征も終わり、6月に入ると、またもうひとつ大きなイベントがやってくる。我が愛すべきマドンナであるアラベラ・美歩・シュタインバッハーが、NDR(北ドイツ放送響)と来日して全国ツアーをおこなうのだ。それに合わせて、PENTATONEから彼女の新譜であるデュトワ&スイスロマンド管とのコンチェルト(メンデルスゾーン&チャイコフスキー)もリリースされる。ツアーは、大阪、東京、愛知と開催され、すべての公演を平日なら会社を休んで追っかけることにしている。

そういう背景もあり、自分的にかなりフィーバーしそうで、そのためにもいろいろ準備しないと思っている。また、今年の海外音楽鑑賞旅行では、スイス・ジュネーヴのヴィクトリア・ホールでスイス・ロマンド管弦楽団を聴くこと、またアムステルダム・コンセルトヘボウでRCOの公演を聴くこともあって、このPENTATONEレーベルと非常に所縁の深いツアーになりそうで、このレーベルについて、いままで日記でも多く取り上げてきたが、こういう大きなイベントを前にして、さらに深く掘り下げた彼らの紹介を自分の日記で、自分がやってみたい、と以前から思っていた。

もちろん彼らの紹介は、彼ら自身の公式HPでもパブリックになっているし、またプロオーディオ雑誌でも取材、紹介されている。でも何度も言うように、自分の日記、自分が書くことで彼らを紹介したいというファン心理がある。

そこで掲載写真もFBや公式HPなどから拝借するつもりで、許可なしなので、著作権二次使用になってしまうが、出典元も明らかにするし、まぁ一般人ブログなので大目に見てやってください、というところである。

しかし、アラベラ嬢は、去年にも増して、どんどん綺麗になっていく。

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自分の持論に女性アーティストは経年になれば、なるほど美しくなっていく、というのがある。日本の手短なところで言えば、女性アイドルもデビュー時はかわいくて絶頂人気かもしれないが、そんな彼女たちも結婚をきっかけにいったん芸能界を離れて、子供に手がかからなくなってから復活すると、すごく垢抜けているというか「あ~綺麗になったなぁ~。」女性らしい色気があって、自分にはスゴク美しくなったなぁと思うことが多い。

自分だけの好みかもしれないが、若いだけのかわいさよりも、ある程度歳を重ねたときの女性の艶っぽさ、美しさのほうが自分は断然いいと思う。女性はやっぱり経年のほうがいいのだ。

クラシック界の女性演奏者にもそんな印象を持っている。わずか1年しか経過していないのに、アラベラ嬢もずいぶん綺麗になったなぁ、と写真を見て思うばかりである。

そんな彼女の期待の新譜。

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メンデルスゾーンとチャイコフスキーのコンチェルトという、およそヴァイオリン奏者としては、過去に数えきれない演奏者が録音として残してきた定番中の定番の名曲に今回挑む。自分も数えきれないほどのこの曲の録音を聴いてきたので、彼女&デュトワ&スイスロマンド管の演奏解釈、PENTATONEのサウンド作り、がどのように過去の作品群と一線を引く感じで差別化できているか大いに注目している。スイス・ジュネーヴのヴィクトリアホールで収録されている。

じつは、今回この期待の新譜。日本での発売は6/10になっている。ところがアラベラ嬢&NDRとの来日ツアーは、6/3からスタートしてしまうのだ。そうすると彼女の新譜を聴かないで、ツアーを鑑賞することになり(メンデルスゾーンのほうを演奏します。)、自分的にはかなりいかがなものか、という認識を抱いている。

そこで緊急手段として、PENTATONEのWEBショップから直接購入することにした。PENTATONEからメールが昨日届いて、もう発送した、という。来週中には届く。このようにPENTATONEの場合、彼らのページで直接購入したほうが、日本の代理店を通すより圧倒的に早く入手できるのだ。

ただ、自分は、やはり日本人として、普段は日本の代理店を尊重すべきと考えるので、できる限り、日本を通して買うようにしている。

ただし輸入盤と国内盤となると話は違う。
音質的には圧倒的に輸入盤のほうがいいのはオーディオマニア間では常識である。逆に国内盤はライナーノーツが日本語なのがいい。なぜ、そうなのかはまたときを新たにして日記にしたい。

今回の彼女の新譜では、「輸入盤」だけのものと「輸入盤+日本語解説付き」というパターンらしく、正直非常に驚いた。ある意味理想的な組み合わせなのだが(笑)、それにしてもPENTATONEというおよそ、マイナーな小さいレコード会社のディスクで日本語解説が付くというのは、いままで見たことがないし、ずいぶん隔世の感がある。彼女をいろいろプッシュしてくれるスポンサーがいてくれてうれしい限りである。今回のNDRとのツアーも協賛スポンサーの名前を観て、いろいろ想うところがある。

そんな彼女が席を置くPENTATONEレーベル。そこでその素晴らしいサウンドを作り出しているスタッフたちを紹介していきたい、というのが今回の日記の主旨。

最近、優秀録音というのは、録音収録、そして編集のところの作り手側の空間情報の作り方で、決まってしまうものと思うようになってきた。

我々オーディオファイルは、そのディスクの中の空間情報をいかに万遍なく出し尽くしてやって、その空間表現を部屋で再現させるのか、というところが肝なのだと思ってしまう。(それを再現させること自体、ものすごく大変なことでもあるのですが。)

そういう録音収録、ポスプロの現場の人たちは、ライナーノーツのところに小さく名前がクレジットされているに過ぎない。いわゆる裏方的な存在、扱いなのだ。

そんな彼らにスポットを当てて紹介しようという試み。

総勢9名。

ホントに小さな会社。でも高音質なソフトを提供してくれる優秀なスタッフたちだ。

PENTATONEというのは、いわゆるレーベル、レコード会社のこと。ポリヒムニア(Polyhymnia International.BV)というのは現場での録音、ポストプロダクションなどを担当する会社のこと。ポリヒムニアが現場で録音・収録、ミキシングしたものを、PENTATONEがSACDとして世の中に出すというパートナー関係なのだ。

PENTATONEはフィリップス・クラシックスが源流で、2001年にオランダで設立されたレーベルである。 一方録音のほうのポリヒムニアは同じくフィリップス・クラシックス・レコーディングセンターが 源流で、1998年に独立したレコーディングカンパニーとなった。ともにオランダ・フィリップスが源流なのだ。

アムステルダムの郊外バーンにあるポリヒムニアの建物。(レコード制作会社PENTATONEも同じ敷地内に奥の別棟に居を構えている。)(FB公式ページ)

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スタッフ一同。(FB公式ページ)

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アムステルダム・コンセルトヘボウの屋根裏部屋にあるポリヒムニアの編集コントロールルーム。805でサラウンドを組んでいる。(4人入ったら満杯になってしまうくらいの広さ。)(FB公式ページ)

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このホールでのRCOの演奏会の音声収録は彼らの独壇場。自主制作レーベルRCO Liveに提供している。(ヤンソンスの退任などで切り替えの時期で、彼らは元気がないようだが。)

アムステルダム・コンセルトヘボウの屋根には数十か所の大きな穴が開いており、そこからマイクを吊るしてオケの音声を収録するような仕組みになっている。こういう仕組みができるようにこのホール自体の大改修工事があって、それから20年以上が経過して、マイクの位置や高さなどのデータが蓄積していき、録音の精度、ノウハウが高まっている。エベレット・ポーター氏は1時間以内に24本のマイクをセッティングしたり、1時間以内に撤収することが可能だと豪語していたそうである。

下の写真が、そのアムステルダム・コンセルトヘボウの屋根裏には、このように24個の穴が開いており、そこから24本のマイクを吊るしてオケを収録する箇所。マイクの信号は微弱で長く引き回せないので、すぐ傍にラックを設けて、ポリヒムニア特製のマイクプリアンプへ。その他、A/Dなどが格納されている。そして例の屋根裏のスタジオへ送られるのだ。

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2009年に英国のメディア紙、「グラモフォン誌」でベルリンフィル、ウィーンフィルを抑えて堂々第1位に輝いたロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団。 当時1番旬なオケであった。このときNHKのBS20周年を記念して、このホールでRCOの演奏を生中継しようという企画が実行された。このロケは、映像がNHKで、音声収録がポリヒムニアが担当。日本-オランダの混成チームによる撮影クルーだった。後にTV放映だけでなく、Blu-rayとしてもパッケージ化された。そのライナーノーツになかなか興味深い苦労話が書かれていて面白い。

当時RCOが旬なオケで、それを本拠地で撮るとなったら、音声はこのオケの収録を知り尽くしているポリヒムニアが1番だろう、という結論で、こういう混成クルーになったらしい。またポリヒムニアのサラウンド収録の技法が、NHKの技法に似ているところも大きな決断要因だったようだ。
 

バーンの彼らの本拠地での編集・ミキシングルーム。(ポリヒムニアの公式HP)
彼らは大きく3つのスタジオを持っている。

スタジオ1

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スタジオ2

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スタジオ3

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フロントN801で、センターN802、そしてリアというのが基本の布陣。

自分ももし将来専用リスニングルームを持てる幸運に恵まれたら、このようにセンターにフロントSPを配置できるような本格的なサラウンドのスタジオソリューションをホームの中で実現できたら最高だよな、と夢に思ってしまう。(天井が異常に高くないといけませんが。)

アラベラ嬢とエルド・グロード氏のスタジオでのワンショット。 (FB公式ページ)

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最近、若き新鋭チェリスト、ヨハネス・モーザーと契約を結んだときの記者会見の様子。(FB公式ページ)
左がPENTATONEのプロデューサーであるジョブ・マルセ氏。よくPENTATONEのSACDのライナーにクレジットされている名プロデューサーである。

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これからスタッフたちの紹介に移るが、9名全員は大変なので、およそキーマンと考えられるのが、エベレット・ポーター氏、ジャン・マリー・ゲーセン氏、エルド・グロード氏の3人だと思う。

●エベレット・ポーター氏

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ポリヒムニアのリーダー。内田光子、マリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィなどアーティストからの信頼が厚く、ヨーロッパ、アメリカと大西洋を股にかけて活躍中。アメリカ人である。彼のインタビューの画像を観たのだが、非常にわかりやすいネイティヴな英語で、スゴイ若くてハンサムだ。でも話していることは、かなり鋭い。
 
コンセルトヘボウでオケを録るときのノウハウだとか、近代ホールとコンセルトヘボウの音響の比較をコンピュータ画面の波形シュミレーション比較画面を見せたりして説明するのだ(例の時間軸、周波数軸、振幅の3次元スペクトラムですね。)。やはりこういう世界各ホールの音響データを自社のデータとして持っているのは当たり前なんだな、と感心した。

エレベット・ポーター氏のポリヒムニアでのポジションは、プロデュース、エンジニアリング、R&D、マネジメント。過去の録音収録は、コンセルトヘボウ・オーケストラ、シカゴ・シンフォニー、フィラデルフィア・オーケストラ、クリーブランド・オーケストラ、コンセルトヘボウ室内管弦楽団、アメリカ・シンフォニー、フィルハーモニア管弦楽団、そしてルツェルン祝祭管弦アカデミーなどなど。

一緒に仕事をした指揮者やソリストは、マリス・ヤンソンス、プィエール・ブーレーズ、ハイティンク、アーノンクール、エッシェンバッハ、ダニエル・ガッティ、内田光子、フランク・ペーター・ツィンマーマン、などなどスゴイ略歴だ。

レコーディング・エンジニアとしての最近の作品は、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルハーモニーとのベートーベン交響曲全集。

もちろんプロダクションの仕事の他に、サラウンド収録、処理、ハイ・レゾリューション・レコーディング、編集、ミキシングなど。

エベレット・ポーター氏は、1986年(ほとんど私と同期!)にクリーヴランド音楽大学を卒業。オーボエを演奏していたのと、オーディオ収録などをやっていた。1987~1988年にエベレット氏はニューヨークでクラシック音楽のチーフエンジニアをしていて、1988~1993年ではボストンでサウンドミラー(??)のチーフエディターをしていた。1993年にエベレットはフィリップス・クラシックスの録音エンジニア、エディター、オーディオエンジニア、になって、そして1998年にポリヒムニアが設立されて、そこに移ったという訳だ。

かなり派手な経歴で若きリーダーという印象だ。

●ジャン・マリー・ゲーセン氏

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ジョン・マリー・ゲーセン氏、オーディオファイルから呼ばれている愛称、ジョン・マリさん。ポリヒムニアでの正式な肩書は、ディレクター、そしてバランスエンジニアになる。特にバランスエンジニアが、彼の1番のトレードマークと言っていいだろう。

自分はもちろん専門ではないので、詳しくは知らないが、サラウンド収録にとって、このバランス・エンジニアって1番キーになるポジションではないか、と想像する。コンサートホールでオケを収録するとき、マイクのセッティング具合、そしてホールの中には、必ずその場での編集などのコントロールルームがあって(あるいは特設する)、そこで5本のスピーカーからの音量バランス、位相などを聴いて調整していく大事な役割なのではないか、と想像する。ジャン・マリさんは、いわゆる技術スタッフの顔的存在なのだと思う。

ライナーノーツのクレジットでも、バランス・エンジニア:ジャン・マリー・ゲーセン、編集:エルド・グロードというペアのクレジットが1番多い黄金タッグだ。

ジャン・マリさんは、1984年から1988年までオランダ•ハーグ王立音楽院で、バロック音楽を中心にクラシック音楽の録音を学ぶ。

1988年から1990年はマスタリングエンジニアとしてキャリアをはじめ、フリーランスのクラシック音楽の録音と、PAエンジニアとして活動する。1990年よりフリーランスとして、フィリップス・クラシックスにてエディター、リマスタリングエンジニアとして、また、1996年にはフルタイムのバランスエンジニアとなる。

1998年にフィリップスレコーディングセンターは独立し、ポリヒムニア・インターンショナルとなる。

現在はそのポリヒムニアのバランスエンジニアとして、オランダをはじめ、ベルリン、ロンドンなど、ヨーロッパ各地でクラシック音楽録音を勢力的に行っている。これまでに、アルフレート・ブレンデル、リッカルド・ムーティ、小澤征爾、イヴァン・フィッシャー、アンドレア・ボチェッリらの録音を手がけている。

まさにPENTATONE、ポリヒムニアの技術の顔とも言える存在なのだ。


●エルド・グロード氏

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フィリップス時代からのベテラン・エンジニア。プレトニョフ指揮ロシア国立管、ボリショイ劇場といったロシアでのプロジェクトやヤノフスキ指揮のブルックナー、ワーグナーの全集録音を担当している。

エルド・グロード氏は、彼らにとって今一番ホットであるロシア・プロジェクト、つまり始まったばかりのショスタコの交響曲全集の収録のキーパーソンとしていま活躍していて、1番旬な人かもしれない。ロシアの現地のホールに趣き、ロシア・ナショナル管弦楽団のサウンドを収録している。

エルド・グロード氏は、イギリスのサリー大学を1984年に卒業。トーンマイスターの学位を得て卒業する。現在51歳の私より3年先輩ですね。

その学位取得の勉強中に、彼は主にサラウンドの研究をしていたそうである。
 
大学卒業後にフィリップス・クラシックスに1986年に入社。バランスエンジニアとして職を得る。 

エルド氏はすぐにロシアのキーロフ・オペラの大きなオケやオペラのプロダクション、そしてガーディナーのオペラやオケの収録、それも映像や音声の両方の収録を担当していた。

1991年に、エルド氏は、そこからさらに専門的な職に移り、フィリップス・EindohovenでMPEG開発の中でのマルチトラックのサラウンドレコーディングの研究に従事。(Philipsの研究所の中で1番大きな研究所です!)

1996年にエルド氏は、ソニーとフィリップスの共同開発であるSuper-Audio CD(SACD)の開発の中に入り、マルチチャンネル録音の最初の経験者となった。

こうしてみるとエルド氏はサラウンド収録のための血統のよい正統派の研究の道を歩んできて、なるべくしてサラウンド収録のポリヒムニアで働いているのだ。自分が想像していた以上にスゴイ人たちの集まりなのだ、ということがわかった。

このようにいわゆるなるべくして集まった、という感があるこのレーベルのスタッフたち。この人たちの作り出すサウンドは、とても魅力的で、これからもずっと活躍し続けていい作品を作っていってほしい、とこの日記を書きながら思うばかりなのである。 
 


素晴らしかった九州オーディオファイルのみなさんのサウンド。 [オーディオ]

5/2~5/5の丸4日間、九州の福岡(博多)、佐賀、小倉、大分をオーディオオフ会の名目で周遊してきました。

いま帰宅して、ずっと記憶を遡ってみると、じつに九州の有名どころを隈なく廻れたのかなぁという実感が湧いてきた。

そう言い切れるほど、本当に、みなさん、素晴らしいサウンドを育んでこられてきている、ということがよくわかる感じであった。

九州のみなさんは、お互い住んでいるところは、距離的には結構離れていても、まめに連絡を取り合って情報共有しているみたいで、横のつながりがいい、というか仲良しだなぁ、という印象。

それに比べ首都圏は流派と言えば、わだかまりがあるかもしれないが、結構つながる脈が平行にいろいろ存在して、その間の付き合いは希薄だったりするような印象がある。

九州のみなさんは、大阪のみなさんとも連絡を取り合っているようで、結構横方向に活発につながっている。

面白いな、と思ったのは、九州のみなさんの送出系のシステムが大体どこのお宅も共通のメーカーで統一されていること。SPこそ、各邸で違うものの、トランスポート、DAC、プリ、パワーなどは、ほぼどこの邸も同じであった。

やっぱり横方向に仲良しで情報共有して価値観をいっしょに揃えている成果などのだろう。

新鮮だったのは、NAS(HDD)に楽曲をストックして、iPadで操作して、次から次へと簡単に曲をアクセスできるようにしていたこと。(データをどういう形式で保存していたのかは、聴きませんでしたが。)オフ会の進行がすごくスムーズ。見習うべき点だと思う。

JBLのDD66000というショップも含め、きちんと鳴っているのをいままで聴いた試しがない鳴らすことが難しいSPをマルチアンプ駆動含め、上手に鳴らしていたのは感心であった。ダイレクト感が強く、音像型の音の出方をすると感じた。

逆にガルネリメメントは、部屋中に音が回る、ふわっとした出方、いわゆる音場型の音の出方をする印象で、自分が普段接しているクラシック再生には、こちらのほうがイメージに合うような気がした。

いすれにしろ両方素晴らしかったことは事実。

また30畳もある大リビングの空間をTAD CR1という小型SPでものの見事にその空間を埋めていたのには、驚きの一言であった。そして、その音の鳴り方というか、音の芯がしっかりしていて、それに伴うじつに豊かな響き、これだけ素晴らしく鳴っているのは、聴いたことがない。

九州のお宅では、ここの音が1番、という方も多かった。

極め付きは、菅野沖彦先生を心底心酔していて、菅野先生のお宅のシステムをコピーして自宅で実現していらっしゃる方のお宅には驚いた。もちろん演目もSIDE BY SIDEなどの菅野録音も頻繁に再生される訳である。

この九州の大分という地方の片隅で、菅野先生を心の支えにして、オーディオライフを送っていらっしゃる方がいるなんて、自分としては、とても驚き、と同時にとても新鮮でうれしくなった。

オーディオに限らず、自分の人生で心の支えの人を持って生きるということは、とても大切なこと。それだけで、心に安定、やすらぎが生まれるし、生きる糧になる。自分にとっては、故人の小林悟朗さんがそういう存在だった。

菅野先生はオーディオ界のいわばドン的存在(表現悪くてスミマセン。)で、オーディオマニアの端くれで、なんちゃってマニアの自分でもその偉大さはよく知っている。

2005年に大阪ハイエンドショーで、菅野先生の著書である「新・レコード演奏家論」に直筆サインをいただいて、そのときに使ったマジックも家宝になっている。

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オーディオマニアの端くれである自分も、もう一回原点に戻って、この本を読み直してみようかな、と思い、注文した。特に、「生演奏とレコード」という章をチラ見した分には、自分のかねてからの意見に似ているところが多く感銘するところが多かった。

菅野先生は、健康に問題があって、しばらく休筆されていて、最近ステサンに復活されているみたいだが、でもまだまだ本調子には遠い。大変失礼な表現になるが、そういう背景もあって、ここ数年菅野先生のことをすっかり忘れていた。今回のこの遠路オフで久々に思い出し、なんとも言えない刺激であった。

それでは、細かい各邸の訪問記は、今後mixiのほうに書いていくことにしよう。

それ以外の番外編。やはり九州名物の食事。
やはりイメージしていたのは、九州とんこつラーメンであった。

とんこつラーメンと言えば博多とんこつのイメージがあるけど、現地ではとんこつラーメンと言えば、久留米ラーメンなのだ。博多とんこつは、もう少し油でギトギトしている感じ。博多とんこつは、東京はじめ全国展開しているけれど、久留米ラーメンというのは、いわゆるご当地ラーメンで、全国展開しておらず現地でしか食べられない。細麺が基本で、ミルキーで香ばしいとんこつの味は、いっぺんに自分を虜にした。結局2杯も食べた。

そして、うなぎのせいろ蒸し。たれをいっぱいつけて、ガンガンに焼く蒲焼きであれば、お馴染みだが、ここでは蒸すんですね。柳川のこの料理はここでしか食べれない。ご飯がたれにたっぷり浸って茶色であった。本当に香ばしくて最高に美味しかった。

そして小倉で宿泊してたときに、経験した焼うどん。焼うどんというのは、この九州小倉が発祥の地で、たくさんのお店が市内に存在していた。味付けはソース味が基本であるが、実に美味しかった。

この食べ物以外で、少し気になったのは、九州のホテルのフロント。普通の首都圏のホテルであれば、夜までは女性がフロントを務めて、深夜勤務に関しては、安全性の問題から男性のホテルマンに交代するのが普通。でもここ九州では、深夜もずっと女性がフロントを務めるのだ。これは治安のいい九州ならでは、と感心した。

そんな感じで、本当に九州のオーディオファイルの個性的で素晴らしいサウンドを堪能することができた。

興奮冷めやらず感じで、帰路で大分空港に入ると、来週からはじまる別府アルゲリッチ音楽祭のポスターがとても目立っていたのが印象であった。今年のこの音楽祭は、東京オペラシティーでも開催され、じつに久しぶりに愛しのアルゲリッチ様を拝見することができる。本当に楽しみにしている。

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オーディオオフ、九州遠征します! [オーディオ]

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来たるゴールデンウィークの5/2~5/5の4日間、九州のほうにオーディオオフ遠征してきます。遠路オフは、四国2回、大阪1回で、じつに4回目。みなさんの育んできたサウンドを聴かせてもらいにいきます。

首都圏の近隣の慣れ親しんだ仲間とのオフ会も楽しいものですが、遠路オフとなるとこれまた一味もふた味も違います。

遠路オフをしてきて、つくづく思うのは、やはり地方のみなさんのシステムや部屋ってすごいんですよね。オーディオにかける財力、ハンパじゃないです。都心は土地高などで、一軒家で大きなリスニングルームを持つのは非常に困難。(ホントにほんの限られた人のみ)首都圏は、やはりマンションでリビングオーディオが多いですかね。都心のメリットはその反面、コンサートホールが集中しているので生演奏にたくさん接することができることでしょうか。

オーディオの趣味をやってきて、本当に素晴らしいな、と実感できるのは、特にSNSの登場によって、全国に仲間が一気に増えたことですね。

ハイエンドオーディオは、それこそその投資に莫大な資金が必要ですから、このような趣味ができるのは結構年収の高い職業、社会的ステータスの高い人が多くて、しかも全国的にもそんなに人数も少ない。(だから悪い評判が立ってしまうとすぐに広がってしまいます。(笑))

会社の経営者、お医者さんなど......そんな普通であれば自分とは全く縁のない階級の人たちが、こと音楽に関することになると、そんな垣根を取っ払って、子供のようにお互い話に夢中になって、対等に付き合える、そしてこのような全国に友人を作って、いろいろ行き来、交流できる......これこそ、オーディオの趣味の醍醐味と言えるのではないでしょうか?

やっぱりオンライン(ネット上)だけのつきあいだけでなく、たまにオフライン(直接会う、つまりオフ会)のつきあいもあったほうが、お互い1度でもいいから面識があると、その後のお互いの投稿に対しても、より一層感情移入がしやすいんじゃないでしょうか?常日頃そんな感じを抱いています。

遠路オフの楽しみは、またその地方の美味しい食べ物など、地元の人だからこそわかるようなそんな出会い、楽しみもあります。

今回は、ずばり福岡(博多)、小倉、佐賀、大分を回ってきます。

私のオヤジの実家が佐賀県にあって、小学生のときに家族旅行で九州に行って以来でしょうか、九州に行くのは。

いつまでも青年さんにWindow Personをお願いしました。

いろいろ九州のオーディオファイルの方のお宅へのアレンジをやっていただきました。
本当に感謝するばかりです。

元々九州のオーディオファイルのお方のお宅を回ろうと思ったのは、5月に開催される別府アルゲリッチ音楽祭に行きたくて、大分別府まで出かけようと思っていたことからでした。そのときについでに回ろうと思ったわけです。

ところがアルゲリッチ祭はGWから少し離れているんですよね。(今年は東京オペラシティーでも演奏してくれます。もちろん行きます!)

そこで別に音楽祭でなくても、オーディオオフの目的で行けばいいんじゃないか、と思い直し、実行に移したわけです。

日程は、ずばり下記の予定です。

5/2 東京→福岡着 地下鉄で博多駅で移動。
  博多駅で青年さんにピックアップしてもらう。
  ここでnaskorさんと合流。

  佐賀県のナイトさんのところに向かう。(3時~4時到着)
  ナイト邸オフ会
  夕方 3人で食事(naskorさんはたぶん途中離脱?)
  ホテル(エルモント:福岡)まで送迎してもらう。

5/3 いつまでも青年邸オフ会。
  夕方 2人で食事。
  博多→小倉へ移動。
  ホテル(JR九州ホテル小倉)泊

5/4 アスキー邸オフ会
   夕方 3人で食事。
   ホテル(JR九州ホテル小倉)泊

  マックスオーディオ福岡表敬訪問

5/5 小倉→大分移動。
  コリン邸オフ会
  大分→東京着。

時間的にある程度余裕のある計画が立てれたと思います。

さぁ九州のみなさんのお宅はどんなサウンドを構築されているのでしょうか?

みなさん、私が行くので、クラシックがうまく再生できないと、などと考えているのかもしれませんが、まったく持って心配ご無用です。

普段の自分の聴かれている音楽のジャンルでお願いします。
それが1番自分のシステムで「鳴る」音楽なのですから。

いろいろなジャンルに応じて、私も自分の耳を合わせて聴きます。
クラシックものは、私が持ち込みますので、問題ありません。

クラシック鳴らなくても、問題なしです。
大体他人の持ち込みディスクは、そんな1発で鳴るわけがないです。(笑)
拙宅でもJ-POPSやジャズが鳴らないように....

大丈夫!私優しいですから....(笑)

とにかくお互い初対面ですし、たのしいオフ会、そして交流ができればいいと思っています。

それでは、よろしくお願い申し上げます。


デジタルコンテンツの著作権について。 [オーディオ]

先日ハイレゾに関して、自分の思うところを書いたが(投稿内容にいろいろ秘匿性があって公開しない方がよいと思い削除した。)、まずハイレゾ視聴のためのいろいろ準備を始める前に、自分が1番ネックだと思っていたところの本当にコンテンツがあるのかどうかチェックしてみた。

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インターネット音楽配信というのは、要はシステムはできるけど、著作権の問題が複雑で、コンテンツホルダーがネット配信にあまりコンテンツを供給したがらないという問題がある。だからこの曲を聴きたいと思っても、ネット配信のページを見ても、コンテンツの数が少なく、その当時は使えない、と思っていた。著作権者はパッケージメディア優先が基本なのだ。

でもあれから10年以上経過したいま、暗号、電子透かしなどのセキュリティー技術の向上、そしてネット配信でもきちんと著作権者に収益が還元される仕組みが出来上がってきているはずだろうから、その当時と比較してだいぶ垣根が低くなっていると思っていた。

そこで、e-onkyoをはじめとして、有名どころのハイレゾ音源配信サイトを覗いてコンテンツの様子を覗いてみた。

かなり愕然としてしまった。

やはり圧倒的にコンテンツが少ない。これではとてもなにげなく不自由なく使えるメディアとはとても思えない。自分はクラシック専門なので、J-POPSやジャズなどの分野がどうなのかは、わからないというか興味がないのだが、ことクラシックに関して言えば、高品質の新しい録音の新譜などはほとんどないっと言って良い。過去の古い録音をハイレゾ化してみましたというような高音質の本質化からは外れるようなコンテンツばかり。

正直10年前に抱いていた印象とほとんど変わっていないのに驚く。

世の中のネット記事などで、さかんにCD売り上げ減少、ネット購入大躍進などと煽っているが、ことクラシックに関しては、このコンテンツのリストを見る限り、果たしてどうなのかな、と思うところだ。

またもうひとつ思うところは、ハイレゾ音源のコンテンツの単価が、まだまだ異常に高いことだ。これはとても実用レベルとは思えない。

デジタルコンテンツの著作権のポイントは、デジタルなのでコピーしても品質に劣化しないところに難しさがあって、そのポイントに著作権者は非常にシビアである。

自分のコンテンツと同品質のレベルで世の中に複製されたり、販売されたりすることはご法度なのだ。インターネット音楽配信の草創期の頃は、コンテンツを圧縮する(ロッシー:損失圧縮)のが前提だった。だから品質は、元ソース(CD)より劣化する訳で、それなら著作権者も許諾するという感じだった。

でもいまのハイレゾは、逆に元ソースよりもサンプリングレートを上げたりして、ユーザに届けるまでに、さらに高音質化する。これは著作権者にとって、自分のマスターコンテンツよりもさらに高品質なものにしてしまう訳で、それを世の中に販売するということになると、垣根が高くなり、著作権の問題は非常に複雑になると思う。

それに見合うだけの収益の還元を求めるなら、やっぱり単価はかなり高くならざるを得ないのではないか、と思った。

だから、サンプリングレートを上げるだとか、量子化ビット数を上げるだとか、そこの部分の技術を一生懸命頑張っても、肝心のコンテンツがついてきていない、著作権の問題が解決されていない、普及価格帯とは遠い世界でビジネス的にどうか?と思うばかり。サンプリングレートや量子化ビット数を上げていけば上げていくほど、どんどん著作権の問題は難しくなると思う。この問題は、両者間でどこか落としどころを見つける必要があるのだろうな。ただ単に技術をうなぎのぼりに開発するだけではだめで、著作権奢との落としどころを見つけてビジネスの軌道に乗せることのほうがずっと肝要かと思った。

別件でコンサートホールがいかに優秀であっても、それを生かすも殺すもその演奏者の質の高さ次第という話をしたと思うが、それと全く同じこと。

やぱり10年前と根幹がまったく変わっていないというのは、本当にがっかりだった。

少なくともユーザーがこのコンテンツを欲しい!と思ったら、パッケージメディアであれは必ず存在する。でもハイレゾ配信の場合、ほとんど存在しないのが現状ではないか?ハイレゾ化されている音源リストから、どれかを選ぶ、という狭い選択肢だ。(ハイレゾ音源を聴いてみたいという理由で。)

どちらかというと、J-POPSのようなジャンルであれば、ネット配信でダウンロードして、携帯端末で聴く(それもCDより高音質)という若者層をターゲットとした、そういうスタイルが、このハイレゾ配信にはフィットしているように思う。そういうジャンルでマスなビジネスを軌道に乗せるという感じだろうか。

でも自分のようなインドアでハイエンドオーディオでクラシック音楽を楽しみたい、というユーザにとっては、このコンテンツのバリエーションの少なさであれば、まだまだ道のりは遠いと思わざるを得ない。(あとクオリティ的にもどうだろうな、という想いもある。)

ハイレゾ自体も実際始まったのは、ここ1年くらいだろうから、まだこれから進展していくか、わからないのだろうが、正直がっかりしたことは否めない。

この状態であれば、なにも無理して急いでパソコンを新調してPCオーディオをやる必要はない、と判断した。他にお金をかけたいことはいっぱいある。


生演奏とオーディオの魅力の違い [オーディオ]

とある友人の日記の投稿で、「オーディオは生演奏には絶対かなわない。」というような表現を見る機会が多く、激しい憤りを覚えた。こういう発言は、オーディオできちんとした再生環境を持っていて、それなりのキャリアがある人が発言するのであれば、納得もいくのだが、そうでない場合、軽はずみな発言にしか思えない。

自分は、オーディオもやるが、生演奏も国内問わず、海外まで行くほどのコンサートゴアであるので、両方の魅力、そしてお互いの一長一短についてはよくわかっているつもりだ。


確かにオーディオ再生環境がプアであれば、もう断然生演奏のほうが迫力があって、よいと思うに違いない。


でもオーディオの楽しみってコンサートの代替ではないと思う。

自分が想うには、オーディオの魅力というのは、1番には、やはりモノとしての魅力、所有感にある。たとえば男性であれば車。自分は車にあまり興味がないので、その気持ちがわからないが、車好きの人は、やはりあの外観、そしてそれを所有している魅力が堪らないのだと思う。それで洗車などで常に手入れする愛しい気持ち。これはすごくよくわかる。

高級オーディオの趣味には、これに似た感覚があって、オーディオ機器にモノとしての魅力があって、そこに男心をくすぐるロマンというのがある。そしてそのモノから美音を奏でて聴いている、というそのスタンス。インドアで部屋の中で、このようなシチュエーションで聴いているその状況がなんとも心癒されるし、オーディオというのは、心、人生を豊かにしてくれる大人の趣味なのだと思う。

またそういう自分の愛機からいかに素晴らしいサウンドを作り上げるか、という作業もたまらなく面白い。またオーディオの面白さのひとつに優秀録音のディスクを探してそれを聴いて楽しむ、というのもある。とても録音のいいディスクを見つける楽しみ、そしてそのディスク再生で聴く音楽というのは、コンサートで味わう音楽とは別世界なのだ。自分は録音がいいディスクを聴いていると、そしてそれが自分の愛機であるオーディオ機器から再生されているか、と思うと恍惚になる。そしてそういう優秀録音のディスクを発見する楽しみがお宝さがしみたいで楽しいし、そういうディスクをコレクターするのが楽しい。

生演奏の1番の魅力というのは、大音量、ダイナミックレンジの広さ(再生空間の広さ)だと思う。

こればかりは一般家庭のリスニングルームでは敵わない永遠の壁でもある。

また、そのとき、その場所にいて、その感動を得るというリアリズムが堪らなく魅力的なのだと思う。あのときのあの名公演。特に海外まで出かけるとなると、自分はコンサートホールやオペラハウスなどのハコものが大好きなので、そういう海外の名ホールを経験する、そしてそれをSNSやブログとして残しておく、ということに凄く生き甲斐を感じる。やっぱりその体験というのが人生の上で大きな財産になる。


インドアのオーディオだけの世界で閉じこもってそのサウンドしか知らないよりは、やはりたまには生演奏に出かけて、脳内ソフトの書き換えをする、というのはオーディオマニアにとっては大切なことなのだろう。



一方で生演奏は、座席による音響のムラがあるし、また演奏者の出来不出来によるムラもある。ダイナミックな迫力はあるのだけれど、結構雑というか不出来の時の生演奏ほど落胆するものはない。これであれば、家でオーディオで聴いているほうがずっとイイ、と思うこともよくある。

その点オーディオは常にベストの演奏、音響を時を選ばずして聴ける。


オーディオルームで再生されるサウンドを、コンサートホールでの実体験をそのまま再現しようという努力をされている方も多いが、それはそれで尊重されるべきでいいと思うが、自分は生演奏は、生演奏。オーディオはオーディオというように楽しみ方を割り切っている。

ただ、言えることはオーディオでのサウンド作りをする上で、実際の生演奏で聴いた感覚、経験がたくさんあると、どういうサウンド作りをするべきか、という指針が立てやすいのだと感じる。


そういう意味でも、生演奏とオーディオは持ちつ持たれつだし、楽しみ方はそれぞれ違うところにある、と思っているので、一概に、「オーディオは生演奏には絶対敵わない」などという軽はずみな発言は絶対許せないのだ。


オーディオでそういう苦労を存分にしている人の発言なら、まぁ許せるところもあるのだが.....


ライナー・マイヤール氏のエミール・ベルリナー・スタジオ [オーディオ]

今日たまたま偶然にもHMVサイトのベルリンフィル・ラウンジを覗いたら、大変興味深い記事が掲載されていた。あのDGの名トーンマイスターのライナー・マイヤール氏のエミール・ベルリナー・スタジオが特集されていたのだ。

ベルリンフィルが自主制作レーベル「ベルリンフィル・レコーディングス」から発売した第1作「シューマン交響曲全集」。 最初CD&BDで発売されたのだが、これを聴いたところ、凡録音で本当に悲しくなるくらい失望した。

おまけにBDもあり得ない酷い画質で、音&画像ともにこのレベルで、ずっと天下のベルリンフィルのソフトが発売されるのか、と思うと、もう途方に暮れるくらいの失望感を抱いてしまった。(正直、鬱になりかけました。(苦笑))

じつは、このレコーディングで、アナログLPバージョンが発売される。
その制作にあたってカッティングの部分を、マイヤール氏に依頼したのだという。マイヤール氏やエミール・ベルリナー・スタジオの面白い特徴に、社内にLP部門を設置しているのだそうだ。興味深い。

この記事を読んで、私は本当に最高に嬉しかった。私はアナログをやらないので、今回の音は聴けないのだが、たぶん素晴らしいのでないか、と思う。

ゴローさんが小澤&ベルリンフィルのNHK BD「悲愴」を制作するにあたって、音声の部分を、マイヤール氏に依頼しようとしてNHK内部の予算を通そうとしたときに、その膨大にかかる費用に対して、なぜもっと安いNHK内部のエンジニアではだめなのか、と反対され、そこを説得して費用の高いマイヤール氏を通すのに随分苦労した、という話をエム5さんから聴いていただけに、

今回、ベルリンフィル・レコーディングスが、おそらくは依頼報酬としてその高い費用が予想されるマイヤール氏に依頼した、というその心意気に打たれたのだ。とことん音質のクォリティにこだわるその姿勢がなんともオーディオファンの心をがしっと掴む。

得てもすれば、製作費コストをいかに抑え、利益を多く上げるか、という方針のレーベルが多い現代において、敢えて言えば採算度外視とも言えるこういう姿勢はとても心打たれる。こういう姿勢が必ずしやクオリティの高い音質を生んで、絶対購買層にもその想いは伝わるのではないか、と思う。

オーディオマニアはただ再生装置で再生されるディスクの音を聴いているだけでなくて、もっとそのディスク自体の音を作り出している側の人たちのことに詳しくなるべきだと思う。自分もゴローさんの影響、マネをする感じから始めたのだが、ディスクを買って聴くときは、必ず録音スタッフのクレジットを確認するようにしている。そうするとこの人が作り出す音って、やっぱりこういう感じの音だよなぁ、という傾向が掴めて面白いのだ。

生演奏、コンサートホールで聴く演奏家の音というのは、ある意味その素の音を聴いていることになる。でも録音収録されたディスクの音は、演奏家の素の音を録音技師たちが、いろいろ加工して作り出す作品なのだ。

そういう意味で、オーディオで聴いている音というのは、生演奏とは違うのかもしれないし、生演奏は、それはそれ、オーディオは、またオーディオの音として楽しむ、という別のスタイルなのではないかなぁ、と最近考えが変わってきた。

こういう録音技師たちも、はっきり言えば裏方なのかもしれないけれど、もっとメディアが取り扱ってくれて表に出てきてもいいと思う。そういう意味で、今回のHMVの記事は、とてもタイムリーというか素晴らしい試みだと思った。

そこで、エミール・ベルリナー・スタジオのウェブ・サイトからちょっと写真などを拝借して.....

この人が、名トーンマイスター ライナー・マイヤール氏。(お仕事中)

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そして編集ルーム。

まず2chシステムから。B&W Matrixですね。

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そして5.0chサラウンド・システム。
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B&W N802を5本。
B&Wシリーズは、DそしてDiamondシリーズと後続シリーズが出ているにもかかわず、スタジオで使用されているものは、Nautilusが圧倒的なんですよね。ディスクの冊子のクレジットを見るとそうでした。

やっぱりサラウンドを目指すなら、このセンターSPにフロントSPを使うというのは永遠の憧れです。フロント3本はすべてフロントSPで揃えるべき。

このDGスタジオの他にも、PENTATONE,BISやアビーロードなどプロのサラウンドは、みんなこういう感じです。

普通の一般家庭のサラウンドはセンターSPが横型のものが圧倒的。(それはその後ろに置くTVの高さのため)

でも横型はあくまで映画用のセリフ用のためであって、音声のサラウンドをやるには、クオリティ的にまったくダメ。 拙宅もじつはその再生環境の貧弱さから、センターSPは横型なのであるが、今日PENTATONEのテストパターンの音でチェックしていたら、フロントL,Rから出る音と、センターから出る音がもう全然違うのだ。もうがっくり。 やっぱり横型はオーディオサラウンドにはダメだな、と思った。

それであれば、横型を使わないセンターレスの4chサラウンドのほうがまだいいかもしれない。

将来、理想的には、センターSPにフロントSPを置けるような環境ができれば夢だろうな、と思う。

要は、こういうスタジオソリューションをホームユースに展開するような感 じである。

そのためには、天井が高くないといけない。サラウンドの普及を難しくしているのは、こういう環境を設置するための部屋のスペースというのが現実離れしていて、一般市民に届かないところにあるからではないか、と思う。

こういう環境が揃っているのはエム5さんのところしかないんじゃないかなぁ。

そして、こちらが録音スタジオ。

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こういうスタジオをぜひ訪問してみたいけれど、一般市民には垣根の高い無理な話だし、でも夢でもあったりするのだ。(笑)






naru邸訪問: レコードコンサート「協奏曲特集」 [オーディオ]

プロのカメラマン、写真家で筋金入りのオーディオマニアであるnaruさんのお宅を訪問した。

mixiとFBの両方で友人関係になっていただいているのだが、カメラマン、写真家としての顔、そしてオーディオマニアとしての一面が垣間見れるようなその投稿は、じつにお洒落で、優雅に見える。

どちらかというとFBのほうを優先されているようにも思えるが、その投稿は、特に自分の撮影した写真などを掲載されるのだが、これが本当にさすが、プロというべき見事さで、そのフレームの中に納める被写体の構図、フレーミングの捉え方の見事さは、う~ん、美しい!素晴らしすぎる!と本当に筆舌に尽くしがたい。

自分もヨーロッパ旅行に行ったときは、いろいろ写真撮影してくるのだが、どうしてもやはり敵わない、と思う分野がある。
それは人物画(写真)。これをうまくフレームの中に収めて、その瞬間を撮るそのセンスは、絶対プロには敵わない、と思う。カメラの撮像機能がどんどん進化してきて、誰でもそれなりの綺麗な写真を撮れるような時代になってきていても、やはりプロの撮る写真というのは、そのフレームの中の被写体の構成の取り方のセンスの良さ、これは持って生まれた才能でないとだめなんじゃないかなぁ、とも思うのだ。そしてカメラの進歩があっても、その画質のクオリティはやはりよく見ると我々の写真とはかなり違うのである。

そして年には1回は、かならず海外へ撮影旅行に行かれている。ツアーということで写真撮影に志がある人たちを集めてツアーで行かれるのだ。今年はポルトガルに行かれるようだ。

昔にザルツブルク郊外のザルツカンマーグートのハルシュタットにも撮影旅行に行かれたようで、その写真をFBに投稿されていたので、その当時、同じくハルシュタットに行く予定であった自分は、FBでいろいろ情報交換させてもらった。自分のあのハルシュタット撮影の成功は、じつはnaruさんのおかげでもあるのだ。

このような話題に自慢のオーディオの話が加わり、SNSの投稿は埋まる状態で、それを観ている分にはなんと優雅な生活をなされているんだろう?と思う訳だ。(笑)

naruさんのお宅は、親の代から写真屋さんで、それを引き継がれている。駅から車で迎えに来てもらい、その車中でいろいろ話をさせてもらった。その中で実際はそんなに優雅な生活でもなく、なかなか厳しい現実の話をいろいろ聞かせてもらったのだ。

やっぱりデジカメ、スマホをはじめ、撮像機能の日進月歩で、一般人にもカメラが普通に扱える時代になってくると、写真屋としてのビジネスというのも、なかなかその生き残りに向けてどのように工夫サバイバルしていくか、苦心されているようで、SNSの投稿のイメージでは随分優雅に見えるかもしれないけど、実際はずいぶん苦労して違うんですよ~と仰っていた。

そしてオーディオ。これもSNSの投稿でも頻繁に現れる。聴かれる音楽はオールマイティなのだが、基本骨子としては、やはりジャズがその中心にある。そして扱うメディアも基本はオールマイティなのだが、でもこれも基本はアナログ党。やはりジャズにはアナログがよく似合う。

「写真とオーディオ、そしてアナログでジャズを聴く」

そんなお洒落なイメージがそのSNSの投稿から感じ取れるのだ。いつかはお伺いしたいと思っていて、そのひとつのきっかけとして、naruさんが毎月1回自分のオーディオルームで開催するレコードコンサートに参加してみる、というのはひとつの手かな、と思っていた。

このレコードコンサートというのは、月1回、自宅(写真屋さん)のオーディオルームで、7~10名くらい集めて、レコードやCDをかけて、みんなでそれを鑑賞するという集団オフ会とも言えるものなのだ。

でも参加費が必要で、楽曲を再生してお金をもらう訳なので、著作権の関係もあり、JASRACにきちんと報告して納金されているようだ。そして、それもただ順繰りにレコードを再生して聴いている訳ではなく、きちんとnaruさんが司会進行というような感じで、1曲1曲終わるごとにMCを入れて、曲や演奏家などに関するうんちく含めた説明があるのだ。この司会進行のシナリオを用意するだけでも、かなり大変なことだと思う。

参加するメンバーは、基本はご近所の顔見知りの方が多いようだが、今回の私のように遠路はるばるというお客さんもいるという。でも言っていたのは、あまりオーディオマニアや音楽ファンなどのコアの方はそんなにいない、と仰っていました。

そういった面で、今回私が来るのが、かなりプレッシャーを与えていたようで(笑)、いつになく準備周到で、緊張されていたようだ。申し訳ない、です。(笑)

今回、そもそもこのレコードコンサートに参加するきっかけになったのは、FBの投稿で、コメント欄に、もしクラシックに関するイベントがあったら参加したい旨コメントしたら、8/17に協奏曲集をやる予定です、というコメントをもらってそれでトントン拍子に進んでいった訳だ。

いま考えてみると、私のためにnaruさんが急遽クラシックをやることに決めてくれたのかなぁ、と勘繰ったりすることもあって申し訳ない気持ちだ。

そうこうするうちにnaru邸に到着。裏口に車を止めて、裏口から入った。そうすると1階は確かに列記とした写真屋さんの風情なのだ。そして2階に上がっていく。

自慢のオーディオルームは、この2階にある。

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こちらがプロの写真家のnaruさんが撮影した写真。

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広さとして20畳以上は楽にあるキャパで、ラック・機器群を始め、アナログやCDなどの格納ラック、そして壁にはジャズの演奏家たちの写真が飾ってあるなどして、とても雰囲気のある、いわゆる伝統的な古典的な佇まいの空間だと思った。

ルームアコースティックを強調するばかりに、そのようなメカニカルなデザインでは決してなく、普通の”モノ”が鎮座する極めてスタンダードなオーディオルームの装いと感じた。

そして、そのnaruサウンドの中核をなすのがフロントに大きく鎮座するレイ・オーディオと呼ばれるSP。naruさんはこのSPであることに拘って、サウンドを構築されてきた。そしてこのSPを駆動するのもJDFというパワーアンプ。それ以前はアキュフェーズやソニーなどのパワーで駆動されてきたようなのだが、やはりこのレイ・オーディオを駆動するのに1番適しているのはJDFということで、やっとの想いで購入されたようだ。(SP間に鎮座しているのがJDFのパワーアンプ。)

不詳にもワタクシメ、このSPの存在をあまりよく知らないので、先入観なしに聴かせてもらった。

そうするとSPの真ん中から音が出てくるという音の出どころがわかるような感じで、それでよく見ると、真ん中がホーン型の開口になっているのだ。この時点でnaruさんに確認すると真ん中のホーンの部分が中高音で、上下のユニットが低音だという。この時点で納得がいった。

音離れする感覚で空間から音が鳴っているという感じではまるでなくて、確かにホーンの開口部分から鳴っているのがわかるのだが、でもそこから放射状に空間に広がっていく感覚は素晴らしくて、それで部屋の空間を音で埋め尽くしているという感覚であろうか.......

音質の感覚は、ホーン型特有の非常に柔らかい音触で、高域よりも中低域に抜群の安定感を感じる。量感というかどっしり感というか、中低域の厚みがじつに秀逸だと思った。自分がオケを聴くときの絶対条件として(特にコンサートホールでは)挙げられるのは、当然だが帯域バランスに偏りがないこと。いや、どちらというとオケの場合、低域の量感というのが自分にとってすごく命綱なのだ。豊かな低音が下支えになっていると、オケがトゥッテイのときは、ふっという感じでサウンドステージが浮かび上がる感覚がとりどめもなく好き。
低音は重厚感や生理的快感をもたらし、低音が豊かであるといかにも立派な音楽を聴いたという気持ちになるし、宗教の場では信仰心を高揚させる効果があるのだ。 

高域は色艶のある繊細なイメージとは正反対で、どちらかというと音の旋律を奏でる芯となる線がじつにしっかりしているというか太い感じがする。Vnの音色を聴かせてもらうことが多かったのだが、じつに綺麗な旋律であると同時に細々でなくてどっしりと安定した線を描く、というかそんな感じである。

この音の特質からすると、やはり得意のジャズをかけると、これはもう無限大の魅力を示すんじゃないかなぁともうすぐに予想できた。輪郭の縁取りのしっかりした中低域に感じたので、ドラムなどの炸裂音も切れ味よくバシッと決まる感じで、これはぜひジャズも聴いてみたかったと思いました。

naruさんが仰っていたのも、じつは今回のクラシックの協奏曲特集というジャンルが、かなり苦手なジャンルで、自分の本領発揮と言えるのはやはりジャズ演奏会のときで、ドラムスがバシバシ鳴っている、そんな感じの時なんですよ、と仰っていたのがよくわかるような感じがする。

でもその苦手なクラシックとはいえ、部屋中に広がるそのダイナミックなサウンドは、じつに爽快そのものであった。今回そんなクラシック演奏ということで、普段はアナログレコードをかけることが多いのだが、今回はほとんどがCD再生であった。(そんなところにもご苦労があったのだと思う。)

このプレーヤーで。(naruさんの撮影写真です。)
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途中面白い企画があった。6枚のCDを使って、ベートーヴェンのVn協奏曲の第3楽章の一部を演奏者名を伏せてブラインドテストで聴き比べて、どれが1番いいのかアンケートを取るというイベントをやった。キョンファ(年代を変えて2枚)、ハイフェッツ、ムター、ヒラリー・ハーン、コバンスカヤで聴き比べたが、1番人気はハーンであった。自分もハーンに1票を入れた。やはりハーンの演奏が1番安定していて生理的快感というかバランス感覚が優れていたからだ。

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こういう企画もnaruさんがいろいろ自分で考えて立案するのだなぁ、と思うと頭が下がる想いであった。途中休憩は、別室のお茶室でお茶とお菓子で休憩タイム。1時半スタートで、5時終了。あっという間の時間であった。

本当に素晴らしいサウンドであった。自分がnaruサウンドを一言で表現してみると、中低域ががっちりした安定感で、とてもエネルギッシュなサウンド。打楽器系などの炸裂音がきっと素晴らしいと思う、そんな感じだろうか?

今回のレコードコンサートが第96回。毎月1回開催するとなると、年末には第100回になる。

みなさんもぜひこのレコードコンサートに参加してみてください。
素晴らしい経験で興奮すると思いますよ。

私が証言するのですから間違いありません!

.....ということで、今回は無理やり(?)クラシック分野でチャレンジさせてしまい申し訳ありませんでしたが、大変素晴らしいひとときを過ごさせていただきました。

naruさん、ありがとうございました。
今後ともよろしくお付き合いのほどをお願いします。

SACD高音質レーベルに想うこと。 [オーディオ]

自分がクラシックの録音に接してきて想うのは、ご存知のようにクラシックという世界は、巨匠や名演奏家と呼ばれた世代、そして名演奏など大半が音源が古いもの。一方で録音技術、編集、マスタリング技術やオーディオ機器などの再生機器のテクノロジーは日々どんどん進化する。その一方で最近のクラシック界は巨匠と呼ばれたりカリスマ性のある演奏家が少なく脱個性という感も否めない。

なので、こういうテクノロジーの発達とクラシックの音源というのは、まったく正反対のところに位置していて、私のようにクラシックファン、そしてオーディオファンの両方に関わる人にとって凄いジレンマがあるのが実情なのです。やっぱり音のいい新しい録音で聴きたい、という願望がある一方で、やはり一世を風靡するような巨匠、演奏家の演奏を楽しみたい,これが全く噛み合っていない、相反していることに問題があるのです。(古い録音のリマスタリングも盛んだが、大半があまり芳しい噂は聞かない。)

クラシックの世界では昔の名盤、名演奏を大切に聴く、という方も多いし、そういう古い録音、当時の演奏解釈ならではの価値というのもあると思う。まさにワインのように何年の録音で、~盤、この名演奏といった価値観を共有する。そんな世界がある。クラシックの世界に接していると、そういうひとつのリファレンスというか、考え方の基準が多いのを実感します。

ソニー&フィリップスがCDの次の次世代音楽光ディスクとしてSACD(SuperAudioCD)を開発して世の中にリリースして、もう早15年も経過するのだが、はたして普及していると言えるのか?一般の方からすると、世の中の大半はCDだし、SACDなんて普及しているの?という感を持たれるかもしれないが、地道に間違いなく普及していると自分は思う。

もともと両メーカーも既存のCDを全部置き換えてしまおう、などとは毛頭考えておらず、一部の高音質マニア向けのためのディスクという位置づけの戦略だった。実際その通りクラシックをメインにジャズが少々、という感じで、ポップスは皆無。

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そのメイン市場のクラシックでも、DG,EMI,DECCAなどのメジャーレーベルはほとんど撤退していて、SACDのメインの顧客は、いわゆる高音質レーベルと称されるマイナーレーベル。

メジャーに対して、”マイナー”という言葉は負のイメージがあるので、あまり好きじゃないが、いわゆるマイナーレーベルのSACD高音質レーベル。DGやEMIやDECCAのようなメジャーレーベルは、さすがに抱えているタレントも多いしビッグネーム揃い。

それに対して、マイナーレーベルはタレントでは見劣りするかもしれないけれど、彼らは高音質を提供するというサウンド指向型のところが多い。 だからマイナーレーベルのほうが積極的にSACDを導入していてマルチチャンネルにも凄い積極的に取り組んでいる。

これが彼らのメジャーレーベルに対抗するひとつのアイデンティティなのだ、と思う。所属しているタレントもネームバリューでは劣るかもしれないけど、新しい世代の演奏者は、決して聴き劣りしない素晴らしい演奏でディスク自体の完成度がすこぶる高い。

SACDは、マイナーレーベルのほうが熱いのだ。

これらのレーベルは小さい会社ながら ちゃんと独立のレーベルとして世界的にみとめられ着実にレパートリーを拡充しているしていることは、 現在の厳しいレコード産業の中で 実に立派なこと。

特にPENTATONEに代表されるように、ヤノフスキのワーグナーシリーズなど、ひとつのツィクルスを何年もかけて完成させる、という考え方は、日本のレーベルの場当たり的なリリース計画と違って先を見据えた指針、視野には、日本の経営陣層にはない素晴らしいものがある、と思う。

サウンド指向型のマイナーレーベルで、これだけの枚数のSACDが毎年発売され、しかも廃盤率も低い、SACDは着実に普及している、と思うのだ。またトーンマイスターなどの録音、編集エンジニア達も最初はメジャーレーベルに所属して修行するが、その後、そのレーベルが掲げるいわゆる”トーンポリシー”と自分の目指すサウンドが合致しない、あるいは満足できないなどの不満から、独立して自分の小さなレーベルを立ち上げて、その渇望を満たす、という動きも多いようだ。そういったレーベルの基本骨子は、やはり高音質路線で、SACDを採用している。

自分がクラシックで、よく聴くSACD高音質レーベルは、

PENTATONE(オランダ)
BIS(スウェーデン)
RCO Live(オランダ)
CHANDOS(イギリス)
CHANNEL CLASSICS(オランダ)
SIMAX(ノルウェー)

などがある。どのレーベルも抱えているタレントはメジャーレーベルのビッグタレントには見劣りするかもしれないが、きちんとした自分の看板スターを育てているし、そういう若い演奏家達はとてもフレッシュで、演奏技術が聴き劣りすることなど全くなく、素晴らしい演奏、さらにこの上ない高音質なサウンドを提供してくれる。

つい最近、2009年に設立されたmyrios classicsという、これまた新しい高音質にこだわるサウンド指向型のレーベルを知ることができた。 室内楽中心だが、そのライブラリーはどれも音がよさそうだ。こういう発見がとても楽しい。

上の挙げた6つのレーベルのそれぞれのサウンドの印象を上げてみると、まずPENTATONE。自分にとってSACDのマルチチャンネルと言えば、このレーベルが1番好きだ。ちょっとあざといと思うくらいの残響の豊かさで、基本は柔らかい質感の音色。特に弦のユニゾンは異常に美しい。

つぎにBIS。全体的に録音レベルが小さいが、ダイナミックレンジが広いが故であり、オフマイク録音による空間の捉え方がうまく、見事な空間表現を提示してくれる。

つぎにRCO Live。ライヴゆえ、どれも鮮度感と空間の広さは抜群、若干ソフトによっては解像度が劣るものもあるが概ね優秀録音が多い。

CHANDOSやCHANNEL CLASSICSは、硬質でもなければ軟質でもないニュートラルな音質で、広い空間表現力に長けている印象。やっぱりクラシックの録音って原則オフマイク録音が多いと思うので、こういう空間をどのように表現するか、はそのレーベルのトーンマイスターの腕の見せ所になる。

最後にSIMAX。このレーベルは自分の中ではトップを争うくらい大好き。音の鮮度感が抜群に良くて、ステージが浮かび上がる感じが快感だ。ただ難点は、商品納入が異常に時間がかかって遅いことだ。すごい待たされる。(笑)

オマケにmyrios classics。やっぱりこのレーベルの看板娘のタベア・ツィンマーマンだろう。このレーベルはこの人で持っていると言っても過言ではない。大ファンである。このレーベルも鮮度感が抜群で、タベアのヴィオラの音色が妙に妖艶で本当にため息が出てしまう。

このように高音質指向型のマイナーレーベルで熱いSACD。ゆっくりだけど15年かけて着実に地を這うように普及している、と思うのだ。

私は貧弱だけどマルチチャンネル再生環境を持っているので、SACDは、広帯域化による高音質、というよりも5.0chサラウンドによるダイナミックレンジの広い再生のほうに魅力を感じるので、そういう意味でも、こういうSACDに真剣に取り組むマイナーレーベルにとても魅力を感じる。

新しい録音のほうが、古い録音に入っている情報を遥かに超えるダイナミック・レンジの広さ、情報量、そして高い解像度、表現力があって、古い録音の時代には捉えれなかった「音のさま」というものがある。

オーディオマニアの私からするとそれが昔からクラシック界に存在する演奏論の議論を遥かに凌いでしまうファクターでもある。

決して古い録音を揶揄するつもりは毛頭なく、そういう歴史的音源の素晴らしさを尊重することももちろんだが、こういう新しい優れた音盤の良さを 存分に味わうことで、逆に過去の優れた音源の良さも さらにわかるようになるはず、と思うからだ。 
 


Dolon邸訪問 この美空間にて、この美音! [オーディオ]

かねてからの念願であったDolon邸にようやく訪問することが出来た。なかなかきっかけがなくて訪問できずにいたのだが、Dolonさんのほうからお声をかけていただき、今回の訪問となった。本当に感無量である。

去年にかけて新居を新築、素晴しいリビングオーディオを実現され、そして15年連れ添ってきたAVALONのEidolonを手放して、Diamondを購入、と常にオーディオでは話題尽きない感じで、いまそのお披露目会もあって、たくさんのオーディオ仲間がDolon邸詣をしている、という感じなのだ。そう!いま時の人なのだ。(笑)

ゴローさんが日記で確か書いていたのを記憶しているのだが、Dolonさんはオーディオ界のエリートという風に言われていたのを覚えている。Sudio K'S 時代からのメンバーでDejavou掲示板など、あの頃の仲間といまでも固い絆で結ばれていて、関東圏オーディオファイルとしてずっとサラブレッドの道を歩まれている、そんな印象を抱いている。

私のようなつい最近、参加したような雑草育ちとは違うのだ。(笑)そんなこともあって、今回訪問できる、とあって、どんなサウンドを奏でられているのだろうか?とても興味津々であった。

今回、マイミクさんのishiiさん、たくみ@深川さん、inaiinaibaさん、舞夢さん、そして途中までの参加であったが、サンフラワー☆さんも参加されて6人の大所帯であった。

沸き合い合いでとても楽しいオフ会であった。やっぱり同じ趣味で集う仲間達は、みんなそれぞれ社会ではいろいろなステータスで仕事をされているのに、いざ一緒になると、そんなのお構いなしの垣根なしの楽しいひとときは本当にいいよなぁ。

さて駅からDolon邸に到着したときに、その新築の家の外装の塗装のユニークさに思わず目を奪われてしまった。奥さんがとても芸術肌の感覚を持っていらっしゃる方で、色の組み合わせにお洒落なセンスが伺える。もちろん家の中の部屋の塗装の色の組み合わせも、Dolonさんと奥さんのコラボで、ベージュとブラウンを基調にしたモダンなお洒落空間であった。

オーディオが鎮座するリビングに通されたときに、その美しい空間に思わず息を呑む。
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後ろの観葉植物も拍車をかけているが、これだけ美しいオーディオルームは観たことがあるだろうか?本当にインテリジェンスな空間だ。24畳のスペースで空間容積、エアボリューム感も抜群だ。

さっそく音を聴かせてもらう。今回集まった人たちの好きな音楽ジャンルは多岐に渡るので、いろいろなジャンルの曲がかけられた。

最初は女性ボーカル。なにせ1番最初のつかみが1番肝心と思うが、そうすると期待を裏切らない素晴しいサウンドが出てきた。 声の張り、というかエネルギー感が抜群で、すごい鮮度感。この広いキャンパスにその声が広がっていくさまは圧巻だった。音離れがよくて、スピーカーの存在は完全に消えている。ちょうどスピーカーの後方に広いサウンドステージがあるような感じで、そのセンターに音像が定位している。やっぱりボーカルものは音離れがよくてセンター定位は基本だなぁ、とつくづく感じさせられた。

でもCDなのだが、あまりに鮮度感が生々しくて、ドキドキしてちょっと心臓に悪い感じすらした。自分の家でCDで聴く場合こんなに鮮度よく聴こえないので、伺ったらCDは全部アップサンプリングされているとのこと。納得がいった。

この出だしは強烈だった。(笑)

あと、いろいろなジャンルの曲を聴かせてもらったが、一概に言えるのは、その空間表現力というか、この広いキャンパスを音で埋めて、そしてその空気を揺らすその支配力、というのがスゴイ。つまり自分の耳に入ってくる音のスケール感がものすごい雄大な音場空間なのだ。

部屋の響き具合はかなりライブだ

だから2chなのにマルチサラウンドを聴いているような感じで音の包囲感を感じると錯覚するくらい空間表現が素晴しかった。この音を聴いて、やっぱりオーディオって部屋の容積なんだな、とつくづく思ってしまった。

クラシックもいいのだが、実際はちゃんぽんで聴いていたので、やっぱりクラシック録音よりもヴォーカルものや現代のギターサウンドのようなもののほうが録音レベルも高く、音の張り出し感、色艶、鮮度感、ダイナミックレンジも大きく感じてしまった。

こりゃぁ録音がすごくイイ~、というものと、まぁなかなかイイね、というものと波がある。つまりソースの録音の良さの違いも結構はっきり差がわかるモニター的なサウンドだったように感じる。

圧巻だったのは、たくみさんが持ち込んだ、パッド・メセニーのLP。これ~は素晴しかった。広大なダイナミックレンジで、音が上下にすごく伸びていて、とにかくスゴイ!あまりの音のよさに呆然。しかも、これアナログなのだ!スクラッチノイズなんて微塵もない。今回最大の驚きだった。あまりにすごい音なので、全員驚愕の声を挙げてノックアウトでした。(^^;;) Dolonさんのアナログ再生の水準の高さもありますね。

あとishiiさんがリクエストしたカーペンターズのSACD。これも素晴しかったなぁ。Dolonサウンドは特にヴォーカルが素晴しいんですよね。何度も既述しているが、スピーカーの存在がなくて、空気が揺れて、空間から音が聴こえてくる感じで、これがじつに素晴しい。

本当に高水準のDolonサウンドで、みんな酔いしれた、という感じで最後まで盛り上がった楽しいオフ会でした。今回つくづく感じたのは、その再生空間の容積の大切さ、いまの私が欲しくて欲しくてたまらないファクター。

私はEidolon時代の音を知らないので、以前と比べてどのような進化があったかは言及できないが、それにしても素晴しいサウンドであったことは間違いない。

この素敵なリビングオーディオ空間。もうご存知のようにインテリアの雑誌の取材を受けて掲載された。
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さすがプロの写真家が撮影しただけあって、照明の当たり具合など美しく出来上がっている。本当にすごいことですね!

今回のオフ会を経験して、私のように独身で海外旅行などで散財して、フラフラしているのと違って、着実に自分の城というか、オーディオライフのベースになる部分、地に足がついた立ち居地を築かれている、そういう着実な人生を歩まれている、と思いました。

そういった点で羨ましくもあり、尊敬の眼差し。私も自分の基礎部分を考えなきゃなぁ、と思わされるようなひとときでした。でも、いつになることやら.....

Dolonさん、今回は本当にお招きいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお付き合いの程をお願いします。


小林悟朗さん [オーディオ]

人生の中で、自分の人生を変えてくれた人というのは、何人会えるだろうか?
会えない人もいるだろうし、おそらく一生のうち1人会えたら幸せだろう。
私にとってそんな運命の人だったのが、小林悟朗さんなのだ。NHKの音楽ディレクターである。
SNSのmixiの中でのHN(ハンドルネーム)はゴローさん、私のブログの中に頻繁に登場するゴローさんも小林悟朗さんのことだ。

小林悟朗さん
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そんな悟朗さんが2012年10月7日、ご逝去なされた。享年57歳。
癌だったという。個人情報なので、あまり詳しいことは書けないが、4年前から癌を患っており、闘病生活をしていたのだという。私が悟朗さんに出会ったのが2009年末の4年前なので、ちょうどその頃なのだと思う。本人は何も言わないのでいままで全く知らなかった。進行してしまった癌に強い薬による癌治療せざるを得ず、身体が弱ったところで特殊な肺炎を併発してしまい、どうにもならない状況に陥ってしまったとのこと。

死を覚悟の入院とのことでした。

奥様、お母様の話だと、彼の自宅のオーディオルームに設置してあるピアノにI will say good byの楽譜が開いてあったとのこと。

訃報を知ったのは、mixiの日記から。7日の深夜にアップされ、最初見た時は、あまりに突然のことだったので、全く受け入れられず、すぐに知り合いに確認したところ真実だという。全く頭が真っ白というか途方に暮れてしまい、この先どうやって生きていこうか?とっさに頭をよぎった。

悟朗さんに出会ったのは、mixiに入りたての2009年、拙宅でのはじめてのオーディオオフ会(お互いの家を訪問してお互いのオーディオ・システムの音を聴いて、いろいろ評価しあうオーディオマニアの中での一種の交流手法)だった。 人生ではじめて拙宅で開催するオーディオオフ会のお客様が悟朗さんだったのである。そのとき悟朗さんの素性がNHKの音楽ディレクターで、さらにはあの高級オーディオ雑誌:ステレオサウンド誌で執筆の連載をされている小林悟朗さんだと知って驚愕した。

なにせ、自分がいままで当たり前のように観てきたNHKのクラシック番組やBlu-rayのクラシックソフトは、すべていま目の前にいる小林悟朗さんが作ったものなのだから。信じられなかった。そして筋金入りのオーディオマニアでもある。すぐにステレオサウンド誌で確認して、あぁ~この人か~、と思い、普段のこの人の言っていることは凄い難しくて気難しい人というイメージがあったので凄い緊張した。前の晩は寝れなかったのを覚えている。

でも実際会ってみると凄い気さくな人だった。クラシックとオーディオという自分にとって生きていく上での大きな2つの柱を、すべて持っていらっしゃった小林悟朗さん、そんな雲の上のような人が、いま自分に語りかけてくれている、それだけで夢心地のような感じで現実感がわかなかった。それが最初の出会いである。

その日のうちに悟朗さんからメッセージが届き、携帯電話番号と携帯メールアドレスを交換した。そしてその日から2~3日も経たない日にメールが入って、「とある東京郊外でオーディオ遊びをするから一緒に来ないか?ぜひ紹介したい人がいる。」とのお誘いがあった。

エム5邸だった。ぜひマイミクになるように、と言われた。エム5邸は郊外にあるので、都心からだとかなり時間がかかる。
御茶ノ水のディスクユニオンで待ち合わせをして、途中の電車の中で自己紹介も含めて本当にいろいろな話をした。それが悟朗さんにお近づきになれたと感じた瞬間だった。

いま思うに私はmixiで日記を書くときは、悟朗さんが読んでくれているということを常に意識して、書いていたと思う。悟朗さんに自分のことをよく知って欲しい、自分がクラシックが大好きだ、ということをアピールしたい、悟朗さんに自分のことを認めてほしい、と思っていて書いていたように思う。そのために投稿前にはいろいろ調べて自分なりにかなり勉強して執筆した。これが本当にいまでは自分の糧になって財産となっている。
 
この私のラブレター大作戦が効を奏したのか、普段あまり人の日記にイイネ、コメントをしない悟朗さんは、私の日記、つぶやきには自分の琴線に触れたとき、よくコメントをくれた。それが私にはうれしかった。

私が帰任後15年ぶりに海外旅行を再開しようとして、それも音楽鑑賞旅行という自分に経験のなかったやり方でやろうとしたとき、私の旅行計画日記によく長文のコメントやメッセージをいただいて、いろいろアドバイスをしてくれた。(それこそホテルはここがいい、とか、このホールには絶対行くべきだとか、食事処はここがいいとか。)時には直接会って食事をしながら、いろいろアドバイスをもらった。

いま思うに、過去2年間の旅程は悟朗さんが録音、編集の仕事をしたことのあるベルリン・フィルハーモニーやアムステルダム・コンセルトヘボウを意識的に選んでいたところがある。パリにしてもしかりだ。

またよく携帯にメールをくれてオーディオ仲間内で食事するときは、よく誘ってくれた。食事会は、もちろん話題豊富な悟朗さん中心に盛り上がるのだが、その話を聴いていて楽しかった。

また同じ日のコンサートに行く場合、必ずいっしょに行くマイミクさん達を集めてコンサート終了後に食事会を計画してくれたのも悟朗さんだった。何回この食事会に行ったか数え切れないほどだ。

業界人である悟朗さんの話は本当に面白いのだが、
「ベルリン・フィルやウィーン・フィルなどのオケをNHK単独で収録しようとすると彼らは2000万から3000万の高ギャラを要求するんだよ!だからそんなに毎年録れないし、彼らも日本がクラシック愛好大国だということがわかっていてそういう値段を吹っかけてくるんだよね。その条件を日本も飲んじゃう。ノンノンさんが、そのお金を出してくれるんなら、いつでも録ってあげるよ。(笑)」

とか、あの歴史上に残る名盤、小澤征爾/ベルリン・フィルのBlu-rayの「悲愴」を収録するとき、

「ベルリン・フィル側にカラヤン生誕100周年のときのメモリアル公演として、小澤さんで録らせてくれ、と依頼したら記録メディアが業界初のBlu-rayだから許可された。彼らってそういうところがあるんだよ。カラヤン時代のアナログLPからCDに切り替わるときも自分達が業界初のフォーマットを使うという自負があった。だから悲愴のときも業界初のBlu-rayだったから許可されたんだよね。」

こういうパッケージメディア制作や番組制作の舞台裏秘話をたくさんしてくれた。

悟朗さんは今でこそ、NHKのクラシック番組制作に携わっていたが、昔の下積み時代を始め、紅白歌合戦やいろいろな音楽番組をそれこそたくさんプロデュースしてきた。でもようやく自分の畑であるクラシック専門になれたのはつい最近のことなんだよ、と言っていた。

悟朗さんとの想い出で忘れられないのは、やはり小澤征爾さんのサイトウ・キネン・フェスティバル松本だろう。悟朗さんの代名詞的番組だ。

私がこの松本の音楽祭に通おうと思ったのは、悟朗さんからの1本の電話だった。それは忘れもしない2010年の小澤さんが食道がんから復帰して、弦楽セレナーデの第1楽章だけ振る、という年だった。

私の携帯に悟朗さんから電話がかかってきて、
「あのさぁ、今、松本なんだけど、オーディオ仲間が急遽行けなくなった人が出て、1枚チケットが余っているんだけど、松本遠いけど明日来ない?小澤さんのチケットはなかなか手に入らないんだよ。」

私はちょっと急だし仕事で行けない、と断ってしまった。

でもそれが後からすごい後悔して、翌年からSKF松本に毎年通おうと思ったのである。そして翌年バルトーク・プログラム。 はじめて松本を訪れる私は、新宿から特急あずさで3時間揺られていた時、メールが入って、

「ノンノンさん、いつ頃松本に着きますか?着いたら連絡ください。一緒に昼飯でも取りましょう。」

それで直接松本でお会いして、サイトウキネンのメンバーがよく行くレストランや、小澤さんが通う蕎麦やさんなどに連れて行ってくれた。そして松本にはオーケストラ・コンサートとオペラとで2日間いた訳だが、2日間日中、朝の9時に珈琲喫茶アベで待ち合わせをして、そこから夜の公演までずっと松本のいろいろなところを車で案内してくれたりで、ずっと悟朗さんと一緒だったのである。松本で行われるアキュフェーズのデモに行ったりして時間をつぶした。

2日間丸々これだけ長時間悟朗さんと二人きりで一緒に居たというのも後にも先にもこのときだけである。驚いたことに話題に尽きることはなくずっと喋っていた。何を話していたのか覚えていないが、とにかくいろいろ話をした。

ちょうど私が行く公演は小澤さんが体調不良で降板した日で急遽収録をもう1日増やすということで、私の横で携帯で東京に盛んに指令を出していた。

そして最終日オーケストラ・コンサートが終わった後に、レストランで夕食を取ることになった。
そのときに悟朗さんが番組制作やBlu-ray制作の自分達の制作スタッフを集めてくれて、そこに私を招待してくれた。「この方達が、普段ノンノンさんが観ているBlu-rayや番組を作りだしているスタッフ達なんだよ。」 私は恐縮した。食事は盛り上がり、いろいろな話を聴けて楽しかった。こうやって、初めて松本を訪れた2日間朝から晩まで悟朗さんと一緒で今でも忘れられない思い出である。

そのときに言われたのは、「ノンノンさん、2日間丸々アテンドしたことは日記に書かないでね。収録という仕事で松本に来ているのに丸々一日アテンドして遊んでいると思われたらマズイからね。頼むね。」

お亡くなりになられた今となってはもう時効だろう。

2年目の今年、同じく松本に行ったが、悟朗さんから連絡がなかった。私から連絡しようとも思ったが、勤務中だと思ったし、去年ははじめてだからいろいろサービスしてくれたのだと思い、甘えるのはやめようと思い、連絡しなかった。

唯一お会いしたのは、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」終演後のロビーで会って二言、三言交わした。

ノンノン「カメラ凄かったですね。」
悟朗「この日の収録のためにカメラ10台入れているんだよ。」

この会話だけだった。結局悟朗さんにお会いしたのは、これが最後だった。

そのとき思ったのは眼の下のクマが凄い違和感だったこと、今思えば病魔に取りつかれた結果なのだろうと合点がいった。 いま本当に悔むのは連絡してお会いしておけばよかったと最大の不覚だと思った。結局先日NHKBSプレミアムシアターで放映された「小澤征爾のサイトウ・キネン・フェスティバル松本2012」が悟朗さんの最後の遺作となった。

常日頃から、今後まず出ることはないであろう不世出の日本人、小澤征爾さんの記録は、すべて自分が撮りたい、と仰っていた。小澤さんの生き様の素晴らしさを心底陶酔されているようで、それを聴かされ、私も強く小澤さんの存在を意識するようになった。悟朗さんと知り合って、小澤さんを強く意識するようになったと言っても過言ではない。そんなことを常日頃言っていた悟朗さん、小澤さんより先に逝ってしまっては洒落にならないだろう!

今年のSKF松本2012の鑑賞日記を私が連載したとき、悟朗さんからメッセージをいただいた。タイトルが日本人とカラヤンというもので、

「ノンノンさん、こんばんは。松本日記執筆お疲れ様でした。楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。ところで質問があります。
以前お会いした時に、私が2008年に制作した「日本人とカラヤン」という番組のDVDのコピーを差し上げませんでしたでしょうか? 小林悟朗」

という内容だった。今年の松本はカラヤンの長女であるイザベル・カラヤンさんが主演で話題になって、それについて私も大きく日記で言及していた ので、それに関するものだと思う。

この「日本人とカラヤン」という番組は、2008年のカラヤン生誕100周年のときにNHKで特番された8時間番組である。当時BDは持っていなくてオンタイムで観たが録画はできなかった。

悟朗さんからいただいたのは、悟朗さんが制作した武満徹のドキュメンタリー「おと」という番組だった。その旨、返信したが、それ以降連絡はなかった。
 
同じく堀米ゆず子さんのコンサートにもよく連れて行ってもらった。悟朗さんと堀米さんは非常に仲が良く、よくコンサートに招待されていたからだ。堀米さんは竹を割ったようなズバッとした性格で本当にシャキシャキの江戸っ子なんだよ、とよく言っていた。

小澤さんのサイトウ・キネン・フェスティバル松本と堀米ゆず子さんのコンサートは今後も行くと思うけど、正直悟朗さんの影がちらつき、思い出してツライと思う。

もともと悟朗さんと知り合うきっかけになったのはオーディオである。やはり我々を結び付けているのはオーディオなのである。業界人でありながら、オーディオのことになると我々のような一般人と積極的に交流を持ち、幅広い人脈を構築していったところが凄いことだと思う。

悟朗さんのオーディオルームには4回ほど訪問させていただいた。
調布にある本邸に1回、二子玉川の別邸に3回である。

過去にも日記にしたと思うが、素晴らしい美音だった。

残念なのは、悟朗さんの分身でもあるGOTOシステムの音を聴けなかったこと。これが唯一の心残りである。

調布にある小林悟朗邸のオーディオルーム。
手前にあるのがマルチサラウンド用のB&W800D(フロントL,R)とB&W802D(センター)。その後ろにある黒い大きなスピーカーが2ch専用のGOTOシステム。上流から下流の機器はすべてアキュフェーズで統一されている。
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リア(背面)
リアSPはB&W802D。
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ソフトは1万枚は超える、という凄いライブラリー004.JPG

iBachという旧年式のピアノがオーディオルームに鎮座している。このピアノは、悟朗さんが傾倒していた武満徹さんが愛用していたそのもののピアノでそれをある筋から入手して、最初は実家のほうに置いていたのだが、思い切って、この自宅のオーディオルームに入れ込んだものなのだ。

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二子玉川にある小林悟朗邸のサブ・システムが鎮座するオーディオルーム。
(マンションを借り切って、そこを番組作成の編集作業をするためのスタジオ兼オーディオルームとしていた。)SONYのSS-NA2ESをメインスピーカーに2chシステムを組んでおられた。(この部屋ではマルチサラウンドはやっていなかった。)スピーカーの聴感上の高さを稼ぐために、スピーカーを碁盤の上に乗せていた。部屋は12畳ぐらいで、部屋の響きがライブなので、背後に吸音柱などでデッドニング(響きを少なめにすること)をしていた。
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送り出しは、トランスポート、DAC、ラインアンプにEMM-Labs。
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パワーアンプにマランツのモノラル・アンプ2台を使用していた。
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感動だったのは、帰るときにプレゼントとしてブーレーズ&バレンボイムのリスト協奏曲のCDとクリスマスソング集CD、そして本「ヴァイオリニストに花束を」をプレゼントしてくれたことだった。こういう女性のような細かい心遣いが出来る人だった。

悟朗さんの素晴らしいところは、単なるオーディオマニアではなくて、クラシックそのもの、そしてディスクの情報に関する知識・見識が非常に豊富であったことだ。本当に驚くような知識の豊富さだった。毎日発信されるmixiの日記には、その内容の濃い切れ味鋭い切り口には、すごいインスパイヤーされたものだった。そしてその日記で毎日のように悟朗さんの推薦盤を紹介してくれていた。下手な評論家が推薦するディスクより、よっぽど信頼がおけた。なにせ悟朗さん推薦だから、録音が抜群に良いのである。オーディオマニアである以上、録音の悪いディスクは紹介できないのである。また悟朗さんはヴァイオリンやピアノを演奏する演奏家でもある。だから当然楽譜は読めるし演奏する側の知識も豊富なのである。そういう視点から立った日記もよく発信されていた。本当に私達からするとなんでも持っている、出来るスーパー人間なのである。
 
悟朗さんは、テレビ局の番組制作者の立場であるから、正式な音楽評論家ではないのだが、小難しい文章を書きならべたてる評論家の文章よりもずっと親しみやすく信頼できる、そんな業界と我々との間を取り持ってくれた人だったような気がする。私にとってクラシック音楽への大きな道しるべを提示してくれていた人だったのだ。

こんなスーパー人間の悟朗さんと知り合えたのは、本当に神様の恩恵と毎日感謝していた。いままで、私はクラシックやオーディオの趣味は1人でこつこつやっていた。1人で勉強していた。ところが悟朗さんと知り合うことが出来て、急に目の前が明るく、世界が広がったような感覚になれた。やはり博識な人が近くにいるだけで人生明るくなるものなのである。

また悟朗さんは私のことをよく目にかけてくれた、というか可愛がってくれていたと自分では感じている。やはり悟朗さんは、クラシックが好きでオーディオをやっている人には、とても優しかったように思う。私にはそれが嬉しくて嬉しくて、それに応えようと私も自分を啓蒙してすごい勉強した。それがいまの自分を築いている。

男が男に惚れる。

私にとってそんな言葉があてはまる運命の人だったのだ。

大病をして第2の人生を歩まざるを得なくなって人生絶望のどん底にいたときに、さっそうと私の前に現れて、クラシックとオーディオといういまの私の人生の大きな柱である、その世界に誘ってくれて、そして突然のように目の前から急にいなくなる.....なんと罪つくりな人なのだろう。

突然のご逝去を聴いて、混乱してどうしていいのか分からない状態が続く。
心の大きな支えを失った感じで、毎日大きな喪失感を抱きながら、今後どうやって生きていこうか真剣に悩む現在の心境なのである。いつまでも引きずっていては、天国の悟朗さんもよしとはしないであろうし、前向きにオーディオと音楽に取り組んでいかなきゃならないのだろう。

でも今後このような人と出会えることはまずないだろうし、これからもずっと引きずっていく人生もありなんじゃないかなぁ、と思う。だって経年とともに綺麗に忘れ去るなんて、たぶん絶対無理だと思うから。

神様もいつまでも幸せな気分を味あわせてくれないというか、厳しいな、と思う。
たった3年という付き合いだったけれど、悟朗さんに出会えたことで、どれだけ自分の人生が変わったことか、本当に運命の人でした。

小林悟朗さんは我々オーディオマニアの間では超有名な方ですが、ご存知のない方のためにプロフィールとロングインタビューの記事のリンクを貼っておきます。写真、インタビューが2001年なので若いですが、いまとは面影が全然違います。長文のロングインタビューの内容がとても鮮烈です。

リンク先(↓)(そのままクリックしてください。)

小林悟朗さんのプロフィールとロングインタビュー

享年57歳。まだ定年にもなっていない。おそらく定年後は番組制作という立場から、趣味のオーディオのほうに軸足を移され、ステレオサウンド誌の執筆も続けられ、ご自分の楽しみの世界に埋没されるつもりだったのだろうと思われる。

まさに人生の集大成を考えなきゃいけないときで仕事も最高潮のときのご逝去。

ある意味じゃカッコいい死に方なのかもしれない。

3年間という短いお付き合いだったけど、夢を見させてくれてありがとう。
悟朗さん、さようなら。


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