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村上春樹さんの小説を読む [雑感]

去年の2019年1月に、”読書をする。”深い深い井戸の中に入り込んで、孤独の層をくぐって体験して、その底で深く人生について瞑想したいと宣言したことを覚えていよう。


これは村上春樹さんの小説を読むということだった。深い深い井戸~という文言も村上さんの使っている名言だ。村上さんの小説は、長編、短編、翻訳、エッセイととても幅広いので、まずはご自身が主戦場と仰っている長編小説を全巻読破してみようと思ったのだ。



村上春樹長編小説14冊


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自分の読書歴は本当に寂しい限りだ。なにせ理系人間まっしぐらの人生を生きてきたので、文学というジャンルにはまったく縁遠く、その反対の人生を歩んできたといってよい。


子供の頃を振り返って記憶にある読書歴。。。司馬遼太郎さんの歴史小説、星新一さんのショートショート、平井和正さんの狼男シリーズ、そしてその時代に話題になった新書をそれなりにかじったかもしれないが、文学少年では絶対なかった。


逆に言えば理系人間だから技術書、専門書のような類はすごく読んできた。TCP/IP解説書とかね。近年ではオーディオ雑誌。そして自分の新しい開拓分野にクラシックの書籍があった。これは一番新しい自分の知識書である。クラシックに詳しくなりたいと思い、たくさんの本を購入してクラシックについて勉強した。


とにかく本を読むということは、知識を得るため、というドライな考え方があって、自分の知識欲のためにならないのなら読書は時間の無駄、というドライな考え方を持っていたかもしれない。


だから日本文学は全然読む意欲がなかったし、興味はあったが、読むとしても時間の有り余る定年後だなぁと漠然に思っていた。


2004年ころに部屋にそういう日本文学の本を収める本棚がないことが気になって、実際読むのは定年後だけど、本だけ買っておこうかな、と思い、本棚を買って、そこに日本文学の小説をたくさんまとめ買いしたのだ。
要は見栄えのためですね。


その中に、村上春樹さんの本があった。


なぜかわからないけれど、村上さんの本は、ほとんど全巻揃えるくらい買い揃えてしまった。他の小説家は代表的なものを2,3冊という感じなのだけれど、村上さん小説だけは、どういう理由なのかわからないけれど片っ端から全部揃えてしまった。


今思えばこうなることを見通して、その当時から自分と赤い糸で結ばれていたのかも?


でもそのときはあくまで積読であった。


村上春樹さんの小説を読み始めたのは、2009年/2010年の1Q84の長編小説が大ヒットしたときからだった。世間がすごい大騒ぎしていたので、自分もその時流に乗って読んでみたいと思ったのである。それ以降、2013年の色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年、そして2017年の騎士団長殺し。


発売されるたびに話題になり、読破した。


このとき、やはり村上春樹さんの小説を読むことは、時流に乗るファッションアイコン的な捉え方が自分にはあったかもしれない。村上小説ビジネスにはたぶんにそういう要素はあるかもしれませんね。


2009年1月に自分を見つめなおすという意思、そして村上春樹さんのつぶやき、エッセイなどから叱責され、生き方、人生とは・・・といろいろ説かれている感じにもなり、それでは村上さんの小説を全巻読んでみようと思い立ったのだ。その背景には、村上さんの本であれば、自分はなにを隠そう全巻揃えているから、という背景があったからだ。


村上春樹さんの長編小説は14冊あるが、1月から読み始めて、毎週の土日は読書にあてた。そうしたら夏休みの8月には14冊全部読破できてしまったのだ。自分でも驚く凄いペース。


それには自分の目論見があって、10月の秋にノーベル文学賞が発表され、そのときに村上春樹受賞という全国、いや全世界のファンが待ち望んでいた瞬間に、この長編小説全読破の日記をぶち上げて、めでたくお祝いのメッセージを贈ろうと思っていたのだ。


残念だったが、このままなにもせずにまた短編、エッセイとかにそのままに読み進めると間が空きすぎるので、いまちょうど「ねじまき鳥クロニクル」の舞台が全国進行中だ。


このタイミングを契機にひとつ村上春樹小説の印象でも日記にしておきたいと思ってリリースすることにした。


村上春樹さんの小説に対する論評や関連ビジネスは本当にすごい。それを今さら読むつもりもなかったし、要らぬ先入観を持つよりは、そういうのをいっさい読まないで、まず自分が読んで自分の感性に正直でいたかった。だからこの日記はあくまで文学評論家でもなんでもない素人のノンノン目線で想いをぶつけるだけである。



村上春樹長編小説を発売順に並べたもの


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村上さんの小説には、リアリズムとノンリアリズムに大別されると思う。自分がこれぞ村上小説の真骨頂と思うのは、やはりノンリアリズムのほうですね。


小説には強いて言えばいろいろなジャンル分けができると思います。恋愛小説、推理小説、歴史小説などなど。でもこういう既存のジャンルに当てはめることのできない独特の村上ワールドを築いていると思いますね。そういう枠にとらわれないオリジナリティがあります。


敢えて言えば、サスペンスと非現実世界の超常現象との混在の魅力・・・とでも言いますか。


やっぱりどこかサスペンスっぽい要素があって、それが強い魅力になっていて、つぎはどうなるのであろう・・・とどんどん読み進んでいきたくなる文章のリズム感のよさが1番の魅力だと思います。


村上小説というとどうしてもこのサスペンス風味のノンリアリズムというイメージが強いので、逆に自分は村上さんのリアリズムの小説はどうもピンとこなかった。ノルウエーの森がそうなのであるが、ノルウエーの森は、いつもノンリアリズム路線ではいかん、ということで小説家としてどうしてもここはリアリズムの小説を書いておかないといけない、という小説家としてのキャリア開発の一環として臨んだ作品だそうだ。


ご存じのようにノルウエーの森は空前絶後の大ヒットとなって大ベストセラーとなった作品。自分は読んでみたんだが、どうも印象に薄いというか、自分の記憶に深く刻まれる作品ではなかった。


あのいつもの強烈なインパクトがない分、ふつうの恋愛小説とそんなに大きなアドヴァンテージを感じなかった。1回じゃどうも印象に残らないから、2回読みましたから。(笑)


でも大ベストセラー、映画にもなった名作ですから、やはり文学素養の乏しい自分では十分鑑賞に耐えれなかったのでしょう。自分の責任だと思いますね。


村上小説というとどうしてもちょっと尋常じゃない奇怪な現象のストーリー展開を期待してしまいますから。



この一連の14作品の長編小説を全部読破してみて、思ったことは、村上春樹さんという人は、性格のいい、いわゆるいい人ではないと思います。


いい人、性格のいい人が書く小説というのは面白くない、退屈でつまんないと思います。


いわゆる自分の中の内面性に毒のようなものがあって、そういう黒い、毒のようなものを自分の中でその毒と向かい合う、そういう非凡人的のところがなければあういう独創的なストーリー展開の発想は思いつかないと思います。


人を驚かすというか、感動する刺激的な小説を書く小説家は、性格がかなり個性的でないとダメですね。いわゆるいい人というのは小説家として大成しないのでは?(笑)


もちろん誤解のないように、悪い人という意味ではなく、普段は普通にいい人だと思いますが、心の闇というかどす黒い毒のようなものを内面的に秘めてないとこのような独創的な発想はできないと思うんですよね。これはあくまで自分の思うところなのだけれど、笑いのツボ、受けるツボが、結構ユーモア、とくにブラックジョークが好き。ちょっとブラックな要素が入っていないとつまらないという面があるんじゃないかと思いますね。


すでに70歳の人生経験豊富な方ですから、ふつうの平凡な方の感動ポイントや笑いのツボとは違っていて、やはり独特のブラックジョーク、痛烈な皮肉ジョークがよく理解できるというかそういうのがお好きなのでは?と思います。


ユーモアを愛するんですね。ボクの普段のジャッジからしてそう感じます。やはりそこは人生経験豊富で、これだけの地位を自分の力で築き上げてきた人ですから。ふつうの人が感動するポイントより敷居が高い感じがします。




1人の作家の作品を短期間で全部読破するというのは、いろいろなものが見えてきます。


それは、やはり晩年の作品になればなるほど作家としての進歩がはっきりわかる、というか。物語の進行の精緻さ、巧妙なトリックのかけかた、使い分ける用語の高度化とか、描写精度、やはり作品が後ろになるにつれて本当に小説のレベルとして進歩しているなと感じます。


ご本人も仰っていますが、小説家になりたての頃というのはどのように小説を書いていけばいいか、わからない中、書いているというのがありますからね。やはり経験だと思います。デビュー作品の「風の歌を聴け」なんて本当に文章が初々しいですよ。ジャズ喫茶を経営しながら、店を閉まった後に、自宅に戻ってキッチンテーブルで当時は原稿用紙に万年筆で書いていた、という状況。ボクはこの作品は本当にその頃苦労しながら書いている様子が垣間見えてとても初々しくて好きです。


この14作品の中で1番好きなのは、やっぱり1Q84。これはやっぱり物語の仕掛けが非常に巧妙に作られていて、読んでいくうちにそうだったのか、と関心させられるところ多し。小説ってこういう仕掛けが巧妙だとやっぱり読んでいてすごく感動しますよね。なにもトリックがないより絶対感動します。そしてなによりも自分が大好きなサスペンス風味抜群で、やっぱりカッコいいですよね。小説全体として。1番好きな作品です。


あとダンス・ダンス・ダンスが大好きです。これもサスペンス風味大活躍。ここの札幌のイルカホテルのレセプション嬢のユミヨシさんに惚れてしまいました。メガネガールなのですが、なんか意固地だけど清楚でそそられるのです。村上小説だからきっと性描写があるに違いない、と期待していましたが、最後の最後でついにユミヨシさんの性描写が!もう、ものすごく大興奮しました。(笑)


あと海辺のカフカも大好きです。なんとも奇妙な小説です。ゴローさん出てきます。(笑)


これは村上小説をずっと全作品読んでいくうえで不思議に思ったことですが、必ず各作品に自分の人生に関わってきた人がいろいろな形で登場するんですね。各小説で必ず登場します。ホテルの名前で出てきたり、いろいろ。最初気味悪かったですから。


ねじまき鳥クロニクルや世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドも面白かった。
もうみんな面白かったです。


村上小説の魅力に主人公が自分と同じ等身大、金がなく、細々と人生を楽しんでいる、というのがあります。そんな主人公像に人気がある理由がある感じがしますね。


自分も金がなく、社会的に成功しているわけでもない、細々として暮らしていますから、こういう主人公像だとついつい自分がそのまま感情移入しやすいんですね。その主人公に自分がなっているかのような感じ。


村上さんはもう結構お歳なのに、書く小説に若者層に人気なのは、そういう主人公の等身大さに共感を得るからなのだと思います。


ダンス・ダンス・ダンスでは、金のないライターで、グルメなお店を取材して雑誌に投稿して細々と暮らしている男・・・なんだ?俺のことか?と思わず共感しましたから。(笑)


主人公がハンサムで金持ちで何不自由なく裕福じゃまったく面白くありませんね。


あと、各小説には、必ずサンドウィッチとサラダが出てきますね。(笑)ご本人が好きなのか、と思いましたが、昔ご自身でジャズ喫茶で出してメニューだったのかもしれません。


これも短期間で1人の作家の作品を全読破するからわかることです。



上の長編小説以外に紹介したい本。


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これは職業として小説家を目指すことになったその経緯や村上流小説の書き方など大変興味深い内容が記載されている。小説ってどのように書くのか、とくに長い長編小説だと、プロット(あらかじめ、全体の筋書を決めて、そこに割り付けていくように書くこと)とかも全然しないそうだ。もう一筆書き。タイトルを決めてそのイメージから一気に書き上げる。そしてどうしても整合性ないから整合性できるまでどんどん何回でも書き直すのだそうだ。



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インタビュー集。ある意味、小説家村上春樹としての自分の小説の在り方、考え方などがわかる。インタビューなので、本人がじかに喋っている内容で人間村上春樹というのがよくわかる本。自分はこの本を読んで小説家村上春樹というのを理解することができた。



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旅行日記。村上流に言えば旅行スケッチ。


ヨーロッパのギリシャ、イタリア、ロンドンに住んでいた時の旅行日記。自分はこれが最高に面白かった。やっぱり人の旅行日記って最高に面白い。失敗談とか最高。やっぱりすごいと思うのは、我々SNS時代の人間は写真を一発載せてしまえば、それで、ものを言わせるというか写真が果たす役割というのは大きいのだが、ここは小説家。文章ひとつでその場の風景とか、読んでいる人の頭にその情景を浮かび上がられせる才能は本当に凄いです。


自分はどの長編小説よりも、この旅行スケッチが最高に面白かった。
これはぜひ読んでほしいです。





村上春樹さんの書斎


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いまでこそこんな素晴らしい書斎で執筆されていると思いますが、村上さんは大の引っ越し魔で、作品の大半はいろいろな場所で執筆されたものです。ヨーロッパなどの外国で執筆されたものも多いです。(ノルウエーの森とかダンス・ダンス・ダンスとか)だからその作品を読むとその風景が蘇るとか。やっぱり創作活動というのは普段の場所と違うところだと、その効率も抜群に上がるものなんですね。村上さんは作品ごとに引っ越ししていたようなものだったらしいです。


単に小説を読むだけでは、やはり物足りなくなるんですよね。やはり村上春樹という人物はどういう人物なのか、というのがどうしても知りたくなってきます。


シャイで人前にでない~文章で自己表現に徹する~自分に似ていますね。

村上ビジネスはすごい。いろいろな人が村上さんを慕って取り囲んでいる。


これだけ日本のみならず、世界中に読者を持ち、大ファンに囲まれている人生って本当に幸せな人なんだな、とつくづく思います。


みんなから愛される、こういう幸せというのは、本当に誰もが持ち得ることではない。
類まれな才能だと思います。


それでいながらシャイでメディアに出てこない、人前で話すのが苦手。
自分は小説1本で自己表現する。この部分ってすごく自分に似ていると思います。


自分も人としゃべって自己表現するよりも、書くことで自分の考えを人に伝えることのほうが容易いと思ってますので。


ほんとごく一般人的な生活らしいです。
夜9時には寝てしまう。朝型人間。


朝早く起きてそこから執筆活動、お昼までやって、そこからジョギングで走って、その後は、音楽聴いたり、アイロンかけたりという生活サイクルの繰り返し。


村上さんと自分では、住んできた、生きてきた人生が全然違う世界。自分にないものを持っている方だと思いますね。自分が歩んできた人生の抽斗には存在しないものを持っている。


それはやはり幼少のころから文学少年で文学が好きだったこと。
とくに外国文学に傾倒していたこと。


少年時代、神戸の古本屋にそのときのアメリカ兵が読み終わった本をそこに売っていく訳でそういう外国文学書が束になって積まれている。そういう束になって古本屋に積んである外国文学本を二束三文の安さで買って幼少時読んでいたそうです。


もう訳すということなどせずに、英語のままガリガリ読んでいくという感じ。


その幼少時代からの影響で、村上春樹の小説は外国文学の影響が大きいということになる。好きな作家を三人選べと言われたら、すぐに答えられる。スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーバー、トルーマン・カポーティ。この三人の小説だけはかれこれ二十年くらい飽きもせずに何度も何度も読み返しているそうだ。そしていまこのように自分の文学に影響を受けた外国作家の本を翻訳されています。これも村上文学の大切な屋台骨。


あとマラソンですね。


これは自分は全然ダメ。高校の時に学校で10kmのマラソン大会があるのだけれど、なんとか例年上位に行こうと思い練習するのだが、10kmでこんなに大変で苦しいものなのか!と嫌になりました。マラソン大の苦手です。


村上さんは大のマラソン人生そのもの。


42.195kmのフルマラソンもやられる。フルマラソンの後の暖かいディナーほど世界で美味しいものはないと豪語される。


これはわかるわ。(笑)



あと、村上春樹さんと言えば音楽にとても造詣が深いこと。ジャスやクラシック。自分は小説の書き方を音楽から学んだ、文章はリズム感だ!というのがご自身のモットー。


ここはボクとまったく同じで、唯一共通点を見いだせるところ。
ボクの人生も音楽が大好きで音楽に溢れた音楽人生だった。


村上さんは、じつは現在ラジオのパーソナリティーをされていることをご存じかな?


FM Tokyoで”村上RADIO”という番組をやっている。



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2か月に1回の不定期な開催だが、村上さんの生声が聴けてご本人のパーソナリティがわかるとても貴重な番組だ。2年前の2018年の8月にスタートして2か月おきにやっている。


自分もスタート時点から必ず聴いているんだが、2か月おきだから、開催日いつも忘れちゃんだよね。(笑)Twitterで登録しておくと、事前に開催を通知してくれるから便利だ。


村上RADIO Twitter



滅多にメディアに出ない村上さんなので、番組当初は、シナリオ原稿棒読みのような感じで硬さが取れていなかったけれど、最近はとても素の姿を見せてくれるようになり、会話もごく自然だなと思うようになりました。


音楽好きの村上さんが、自宅からアナログLPを持参して、各回でいろいろな音楽のテーマを設けて、自分がディレクター、パーソナリティーしている番組なのだ。


これはぜひお勧めです。


今週の日曜日にあります。

テーマは、”ジャズが苦手な人のためのジャズ・ボーカル特集”



最後に自分はオーディオファンなので、最後はオーディオの話題で。


去年の2019年12月号のSWITCH。


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村上春樹のオーディオルーム

という特集が組まれた。


ジャズ喫茶時代から愛用しているJBLのスピーカー、
アナログレコードプレーヤ4台

システム全容が紹介されている。


村上春樹におけるいい音とは?


いい音というのはいい文章と同じで、人によっていい音とは全然違うし、いい文章も違う。自分にとって何がいい音かを見つけるのが一番大事で・・・それが結構難しいんですよね。人生観と同じで。


村上さんは大のアナログレコードマニア。世界中の中古レコード店を渡り歩き、ここにだけある希少価値盤とかお宝のレコードを収集していくというのが本当に大好き。


ぜひ書店にゴーだ!












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謹賀新年2020 [雑感]

あけましておめでとうございます。


昨年は拙ブログを読んでいただき、誠にありがとうございました。
今日から今年の仕事始めでした。


また気持ちを新たにすべく、とてもフレッシュな気持ち。
そして今年はやってやるぞー!という意気高揚とする気持ち。


すでにご存じのように、じつはこの3年間というのは、とても自分に節制を効かせたとても我慢をしてきた3年でした。


耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・


節約のために欲望を抑える毎日というのは本当に精神を病むんだな、と思いました。

3年間、海外音楽鑑賞旅行をずっとお休みをしていたのも、この2020年の大目標のためでした。


今年5月8日からオランダ、アムステルダムで開催されるマーラーフェスティバル2020に行く予定です。この目的のために、必死に予算を確保するべく節制してきました。


このフェストについては、概要は先日の日記で紹介しましたし、詳細はこれから日記で連載して本番までにムード、気持ちを高めていくつもりです。


楽しみにしていてください。


マーラーフェスト終了後にロンドンに渡り、ウィグモア・ホールの室内楽とロイヤルオペラも体験する予定です。


ロンドンのホールはどうしても今回の旅程で決着をつけてしまいたかったのです。
この3年間お休みしたおかげで、いろいろ行かないといけないところが溜まっている状態なので。


マーラーフェスト2020のために、ずっとその優先度を、それが終わってからと我慢して後回ししてきたものも、6月から再スタートするつもりです。(後回しにしてきたそのプロジェクトとして、少なくとも2つの大きなイヴェントがあります。)


ふっ~、なんか生き返ったぞー!というような人間らしい生活を取り戻す、それが今年のモットーでもあります。


3年間の鬱血した溜まりに溜まった気持ちが、5月のフェストで一気に噴き出す、そんな爆発があります。


やっぱりなにをするにつれても世の中って先立つものがすべてですね。(笑)


仕事のほうは、おかげ様で、自分の確固たる存在価値が築けており、とても安定しています。趣味に生きる人生と言いながらも、やっぱり公私の公である仕事がきちんと安定しているから、こうやって趣味の世界を謳歌できていることは言うまでもありません。


自分は公私の切り替えが非常にきちんとできるタイプですが、やはり仕事の方でトラブルや悩みがあると、どうしても頭から離れなくなり、きちんと切り替えできなくなり、趣味も楽しめなくなります。やっぱり生活の中で公がきちんとしていることが第一前提であることが一番大切なことです。


もちろん自分の周りの状況だけでなく、弊社の状況、私の所属しているカービジネスの取り巻く環境も厳しくなっており、予断を許さない状況です。


公私の気持ちの落差は大きいでしょうね。


マーラーフェスト2020の後は、厳粛な予算確保や節約な生活はしないつもりですので、ゆったりとした自分らしい人生のエンジョイの仕方が出来ると思います。


自分のペースを戻せると思います。

グルメや小旅行もどんどん行っちゃうかも?


でもオーディオに投資することはまずないでしょう。(笑)
また人生のバランスを崩すことになります。


技術系は頭で理解して、知識を得ることでアドレナリンが湧く知識欲で処理をします。
実践には移しません。


でもこの3年間の苦労は、ただ苦しかっただけではありません。
自分の人生ってなんて無駄遣いが多かったのだろう、という反省もできたことでした。


一度引き締まった生活が身に着けば、今後もそのペースを知っているだけに、すぐに思い出して軌道修正できます。そういう意味で、自分にとって勉強にもなった3年間でした。

 

今年は東京2020、東京五輪の年。
いろいろ言われていますが(笑)、やはり大成功で終わって欲しいと思います。
楽しみにしています。


自分は1964年生まれ。そう!東京五輪イヤーに生れた世代なのです。
自分が生きているうちに、日本で再度夏季五輪を体験できるとは夢にも思っていませんでした。


そういう意味で、今年2020年は、自分にとっては躍進の年、大爆発の年になるのです。

 


最後に年末年始に故郷北海道に帰省したときの写真のいくつかを紹介。


今年の北海道は雪がほとんど積もっていませんでした。
3月の雪まつりはどうなるのだろう?と心配もしました。


雪まつりに使う雪というのは、そこら辺で降っている雪を使う訳にもいかず、かならず綺麗な雪を使わないといけない決まりごとがあります。自衛隊のトラックで豪雪地帯から雪を運んでこないといけないのです。


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札幌の時計台。


旅行会社のパンフレットでは、爽やかな夏の青い空とともに下からのアングルでこの時計台を撮ります。でも日本の観光地の中でも実際の現地に行くと、ガッカリしてしまう観光地も多いです。


札幌時計台はそんな代表格です。(笑)
プロのカメラマンはやっぱり凄いのだなと思います。


パンフレットはこのアングルからでしょうか・・・

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でも真実のお姿 その1

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真実のお姿  その2

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真実のお姿 その3

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札幌には宮越屋珈琲というチェーン店のコーヒーショップがあります。


ここはなにがいいか、というとそんな凄いシステムではありませんが、それなりのオーディオシステムが置いてあり、オーディオマニアにとっては、ジャズ喫茶のようなそれなりの楽しみ方ができます。


普通のカフェよりもそういうところがちょっと楽しいです。

自分が入ったのは、偶然前を通りかかった大通店。


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中はすごい狭いスペースですが、夫婦で切り盛りしている雰囲気のいいお店でした。


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このお店のシステムは、BOSEのスピーカー、マランツのCDプレーヤー、DENONのプリメインアンプという布陣でした。ごく小音量で、JazzをBGM的に流す感じでいい音で鳴っています。


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珈琲は、ガテラマをオーダー。メニューにはいろいろなコーヒーがあって、かなり専門なお店。ガテラマ、渋い香りで美味しいです。


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帰京時に撮影した新千歳空港。まだクリスマスの雰囲気が残っています。


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最近はいつもLCCを使いますが、LCC専用ターミナルである成田空港第3ターミナルのいかにも即席で作りました感のある貧乏くさい感じと違って、ここ新千歳空港のLCC発着ゲートはとても綺麗。そんな格安の差別感など全然なく、とても普通っぽい扱いでした。


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名古屋駅の立ち食いきしめんは、なぜ新幹線ホームより在来線ホームのほうがいいのか? [雑感]

名古屋駅の立ち食いきしめんは、なぜ新幹線ホームより在来線ホームのほうがいいのか?
それもなぜ3番、4番ホームが最強なのか?


これはみなさんがそう仰るのだが、自分はどこが違うのか、さっぱりわからなかった。
今度、岐阜サラマンカホールに行くので、そのときに比較してみよう、と気軽に考えていた。


ところがあることをきっかけに、ふっとネットでググってみると、出てくる、出てくる。(笑)
これは世間では有名な事実なんですね。


みんなJR名古屋駅のホームにある立ち食いのきしめん屋さんで、どこのホームが美味しいのか?
新幹線ホームより、在来線ホームのほうが美味しい理由。
3番、4番ホームが最強説。


みんなすごい熱く語っているのだ。


それを隅々読んでみると、そう言われている理由が、やっと自分にも理解することができた。


そうなると今度、名古屋、岐阜の方に行くので、是が非でも自分でじかに体験して、自分の日記で、自分の言葉で熱く語ってみようと思った訳だ。


自分もその世界に混ぜて~混ぜて~という感じ。(笑)


ドキドキするという点では、サラマンカホールのコンサートより未知体験だったかも。(笑)


ここでは、ネットから収集した情報を結論として先に述べて、本当にそうだったのか?
実際体験してみて、自分の意見はどうなのか?という論法で書いていきたい。



自分の人生で、駅のホームの立ち食い屋さんと言えば、立ち食いそばだ。そばとうどんがある。サラリーマンなもんだから、いつも出勤の朝とか、帰路とかで、ホームにいると、あのぷ~んとする凄いいい匂い。あれはサラリーマン殺しですね。少し小腹に一杯という感じで、ついつい入ってしまうというのが常だ。


ところがここ名古屋では、同じ立ち食い屋さんでも、うどんではなくきしめんなのだ。
きしめんとそばの選択。(うどんというものはない。)


名古屋駅の各ホームには、必ず1軒は立ち食いのきしめん屋さんがある。


テレビや雑誌でも度々取り上げられる「住よし」は、JR名古屋駅の各ホームにある立ち食いきしめんの有名店である。名古屋方面へ行く出張者の密かな楽しみ、途中下車してでも食べたいと、古くから定評がある。


「住よし」を運営するのはジャパン・トラベル・サーヴィスという会社で、名古屋駅には9店舗を構える。(2018年3月時点)テレビや雑誌の影響で、きしめん店としては抜群の知名度を誇る「住よし」。主に新幹線ホームの店舗のことを指す場合が多いが、在来線ホームにもある。


しかも各ホームに必ず1軒はある。


名古屋駅は、

在来線ホーム=1・2番線~7・8番線、10・11番線と12・13番線まで計6本
新幹線ホーム=14・15番線と16・17番線の2本

のようだから、各ホームに1軒ということは、8軒は確実に存在することになる。

さらにホームによっては、2軒あったりするのだ。


全部が、住よしか、というとそうでもない。でも大半は住よしと言っていい。



「なぜ、新幹線ホームより、在来線ホームのほうが美味しいのか?」


新幹線ホームは利用客が多く、天ぷらを揚げている時間がないそうだ。
そのため、かき揚げの味が在来線と新幹線ホームとでは違う。


中でも3・4番ホームの「住よし」は、電車の発着数が少なく利用客が少ないため,新幹線ホームの天ぷら分もここで揚げているんだそうだ。かき揚げ、えび天、いか天の3種をここで揚げ、新幹線ホームに輸送しているそうである。


つまり、新幹線ホームは、揚げたての天ぷらは食べれないということになる。3・4番ホームが評判になったのは、(麺、ツユが)美味しいからということではなく空いていて揚げたての天ぷらを食べれるということがその理由らしい。


あと、新幹線ホームはとにかく人、人、人で大変な込み具合なので、店の回転率をよくしないとやっていけない。だからきしめんのメニューも数少ないし、店内もすごく狭い。回転率勝負みたいなところがある。


それに比べ、3・4番ホームというのは、全ホームの中でももっとも人が少ないホームだそうで、住よしさんの店内もゆったり広いスペース、そしてメニューも数が豊富だそうだ。


そしてなによりも、注文してから揚げてくれる、揚げたてのかき揚げが食べられる、ということが1番の売りである。


本当に3・4番ホームが最強なのか?


3・4番ホームしか揚げたてをしないのか、というとそれは違うらしい。在来線の全店舗にはすべてフライヤー(揚げ物用機器)が完備しているから、どのお店も天ぷらは揚げたてを提供している。


新幹線ホームのお店にはフライヤーがないため、ここ3・4番線のお店で揚げたものを運んでいる。ところが、どういうわけか「3・4番線が唯一、揚げたての天ぷらを提供している」という話になってしまっているそうだ。(笑)


そうすると新幹線ホームより在来線ホームのほうが美味しい、というのは、フライヤーの設備があるかどうかで、在来線は全店舗ともフライヤー完備のため、どのホームでも揚げたてを食べられるが、新幹線ホームは3・4番ホームで揚げたものを輸送する作り置きというところが、その理由となる。


3番、4番ホームは電車の本数が少なく、きしめんを調理して出すという仕事量は、ほかの店よりも少なくなる。その分、新幹線ホームのお店で提供する天ぷらを揚げる作業を負担してもらっているというのが真相のようだ。


ここまでが、自分がネットから拾ってきた情報である。
この情報をまず自分の頭に叩き込んだ。


あとは、実際名古屋駅に行って、新幹線ホームと在来線ホーム全部の店舗を食べ歩きして(こういうことをするのは強者らしい。(笑))、本当に上記の情報が正しいのかどうか、自分の目と舌の味覚で確認するだけである。


とくに新幹線ホームと在来線ホームのお店の区別をはっきり認識するためにも、フライヤーが完備されているかどうか、を自分の目で確認することに重きを置いた。




新幹線ホームの住よしさん


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店舗の色が黒でお洒落である。
でも確かに店内はすごい狭い。
そしてすごい大行列である。
やっぱり新幹線ホームはすごい人混みだ。
自分も随分待たされた。



メニュー


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いろいろなトッピングのきしめんがあるのだが、やはり今回の一番の目的は揚げ物。
揚げ物のきしめんは、かき揚げ、海老天、イカ天の3種類。


全店舗を食べ歩いた自分からすると断然にかき揚げが一番おいしい。
海老天やイカ天は、なんか小さいというか食べ応えがないんですよね。
やっぱりかき揚げが一番大きいし、揚げたてのかき揚げは本当に美味しいです。


かき揚げに玉子をトッピングする「揚げ玉」が一番お勧めです。

今回はかき揚げを頼む場合、全部それに統一しました。


さっそく調理場を拝見。


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確かにフライヤーの存在を見つけることはできなかった。
新幹線ホームにはフライヤーがない!というのは事実であった。


つまり新幹線ホームのお店は、揚げたてのかき揚げを食べることはできない、というのは真実であった。


ちなみにこれが作り置きのかき揚げ。
これはおそらく間違いなく3番、4番ホームで揚げて、輸送されてきたものに違いない。


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これが新幹線ホームの住よしさんのかき揚げ&玉子のきしめん。


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トッピングのさらに上に大量のかつおぶしを乗せるのが、名古屋流きしめんの特徴ですね。


これが最高に美味しいです。


きしめんの作り方は、麺はもともと乾麵になって保管されていて、注文が入れば、それをお湯で解す。そしてあらかじめ、秘伝のだしで造られたおつゆをかけ、かき揚げなどの天ぷらを乗せて、最後に上に大量のかつおぶしを乗せて、ハイどうぞ、という感じである。


新幹線ホームの住よしさんのきしめんは確かに作り置きのかき揚げを使っていたけれど、それでも十分暖かくて自分は美味しいと思った。作り置きとは思えない美味しさだった。



そしていよいよ在来線ホームへ。

まず当然最強説と言われている3番・4番ホームへ。


名古屋駅の在来線3番・4番ホームと言えば東海道線のようですね。


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ここが最強、3・4番ホームの住よしさん。


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なんか新幹線ホームに比べると地味。(笑)
店自体は確かに新幹線ホームに比較すると大きい。


メニュー


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在来線ホームのほうが、人が少ないので、調理する時間も多いので、メニューが豊富というのはウソだと思いました。パッと見た感じ、新幹線ホームのメニューとあまり変わらない。



お店には、うちは揚げたてを提供します、という張り紙が貼ってある。
噂は本当であった。


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そしていよいよ店内へ。


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最大の注目ポイント。フライヤーの設備があるかどうか?
これだ!!!


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在来線ホームで一番先に訪問したので、後から分かったのだが、3・4番ホームのフライヤーが1番大きいです。他のホームの在来線ホームのお店のフライヤーはもっと小さいです。


なぜ、大きいかというとご多分に漏れず、新幹線ホームの分の天ぷらを同時に挙げるという作業があるためだと思います。


見てください!フライヤーの横に揚げたての作り置きがいっぱい置いてあるでしょう。
しかも油の中はたくさんの海老天を揚げている最中。


やっぱりネットでの情報は正しかったんだな、と思いました。


これが最強説の在来線3・4番ホームのかき揚げ&玉子のきしめん


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これを食べてみて、ここで、自分は、3・4番最強説のネット情報にふっと疑問を持つことになった。

それはかき揚げが思っていたほど、アツアツじゃなかったからだ。


揚げたてってこんなもんじゃないだろう?


自分の分を作ってもらうときによく見ていなかったせいもあって、あくまで類推だが、3・4番ホームはたくさんの揚げ物をするので、たくさん作り置きがあるのだ。


だから注文が入ったら、その作り置きからポイっと持ってくるという感じだったのではないか、と思うのだ。それは揚げたてではない。


たくさんの作り置きがあるからの悲劇。


これは後で体験してわかるのだが、他の在来線ホームのお店は、もっともっとフライヤーが小さく、作り置きはいっさいない。注文を受けてから、揚げ始めるのだ。だから本当にアッツアッツの揚げたてなのである。


自分は、ここに新幹線ホームの分も揚げないといけない3・4番ホームの負の宿命があると感じた。巷では3・4番最強説が揺るぎないものとなっているが、本当のアッツアッツを食べるなら、他の在来線ホームのほうが確率は高いと思います。



つぎに在来線ホームの5・6番へ。
サラマンカホールのある岐阜に行くには、この5・6番ホームを使います。


ここで、住よしさんではない「憩い」というお店を発見。
この5・6番ホームは、立ち食いきしめん屋さんは2軒あります。


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ここのフライヤーはこんなに小さいんです。
そして作り置きもほとんどない。
実際、自分が食券を買ってお店の方に差しだしてから、揚げ始めましたから。


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在来線ホーム5・6番ホームのかき揚げ&玉子のきしめん。


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これが本当に正真正銘の在来線ホームのかき揚げきしめんだと思いました。
もうかき揚げを口の中に入れたら火傷をするくらいアッツアッツ。
おぉぉ~これぞ本物!と自分は確信しました。

これは新幹線ホームのモノは比じゃないね、と思いました。
自分がこの日最高に美味しいと思ったかき揚げきしめんです。


つぎに、同じ在来線ホームの5・6番の住よしさんへ。


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在来線ホームの住よしさんは、どのホームも大体同じ店舗のデザインなのですが、ここだけちょっと違っていました。


店内に入って、さっそくフライヤーをチェック。


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やはり小さい。
そして作り置きがいっさいない。
いままさに自分のために揚げようとしてくれているところです。



ボクが食券を発券してお店の人に渡してから、揚げ始めます。
揚げ物の中で、今回は海老天を頼んでみました。


在来線ホーム5・6番の海老天のきしめん


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これもアッツアッツで最高に美味しい。
でも海老天は小さくて、ちょっと食べ応えが足りない。
自分はかき揚げの方が美味しいとこのとき思いました。



そして7・8番の在来線ホームの住よしさんへ。


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ここもフライヤーは小さく、作り置きも少ないです。
注文を受けてから揚げ始めます。

揚げ物の最後のイカ天を頼みました。


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在来線ホームの7・8番の住よしさんのイカ天のきしめん


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イカ天は、海老天以上に味わいが自分にとってはイマイチ。(笑)
やっぱりかき揚げが最高に美味しいです。


あと、1,2番の在来線ホームも体験して(ここは元に戻ってかき揚げを注文)、名古屋駅の全ホームの立ち食いきしめん屋さんを制覇しました。


こういう輩を相当アホというかツワモノというらしいです。(笑)


でもいっぺんに食べた訳ではありません。
名古屋に着いたときと、帰京するときの2回に分けて実行したのです。


相当血糖値が上がってしまった、と思いましたが、先日検査を受けたらそうでもなかったのでホッと一息です。


今回の立ち食いきしめんプロジェクトを実行してみて、自分なりの結論としては、ネットで熱く語られていたことは、ほぼ事実である、ということ。


在来線ホームのお店には全店舗ともフライヤーが完備されています。
そして注文を受けてから揚げ始めるアッツアッツのかき揚げきしめんが食べられます。
これも事実。


ただし、3・4番ホーム最強説か?という話になると、必ずしもそうでもない。
というのが自分の結論です。


それは先述のたくさんの揚げ物をしないといけない宿命から、注文したら、ふいと作り置きから持ってきてしまう悲劇の可能性もある。もちろんちゃんと注文を受けてから揚げたものを差し出してくれる場合もあるでしょう。自分がたまたま不運だったのかもしれません。


でもそれ以外のフライヤーの小さい在来線ホームのお店は、100%間違いなく、注文を受けてから揚げてくれるので、本当のアッツアッツのかき揚げきしめんが食べられる可能性が高いと自分は確信しています。













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豊臣大坂城と徳川大坂城 [雑感]

実際間近で観る大阪城は、やっぱり天下の日本一のお城だと思いました。
(天守閣のことを言っています。)


城としての美しさがあると同時に、荘厳、威厳あるお姿というか、格好よさがありますね。日本一の美城として有名な白鷺城こと姫路城もぜひ現地に行ってじかに見てみたいのだが、そういう美しさの次元に留まるのではなく、もっと勇敢な武士道精神を表現した男らしい格好よさ、そして天下人という頂点を達観した英雄感のオーラが大阪城にはありますね。


やっぱり天下人のお城、太閤はんのお城という名の通り、天下のお城なんだと思います。


大阪城は、上京したての頃の若い頃、1回大阪に行って観たことがあったのだが、記憶が薄っすらとしか残っていなくて、また当時写真を撮影する趣味もなかったため、ぜひもう1回チャレンジしてみたいと思っていた。


今回いずみホールを体験するのが一番の目的だったのだが、大阪城がある大阪城公園は、そのすぐ目の前にあるので驚いてしまいました。(笑)


大阪城の”阪”という字は、じつは昔は”坂”と書き、大坂城と書くのが常であった。この表記については、近代以降「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。


大坂城と言えば、豊臣秀吉が建てたお城と誰もが思うかもしれないが、大坂城の歴史からすると豊臣時代(豊臣秀吉)に造られた大坂城、徳川時代(徳川秀忠)に造られた大坂城と2つ存在するのだ。


豊臣大坂城と徳川大坂城は、まったく別モノなのである。


秀吉の死後に、関ヶ原の戦い、そして大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家が滅亡すると、大坂城は、初め家康の外孫松平忠明に与えられて、忠明に課せられた任務はまずは大坂城下の復興であった。


ところが2代将軍徳川秀忠によって、豊臣色を払拭する大坂城修築工事が開始されたのだ。幕府直轄の城である徳川大坂城の城主は徳川将軍家の歴代将軍自身であり、譜代大名から選ばれる大坂城代が預かった。


江戸時代は、度重なる火災、落雷などで天守閣の焼失を始め、大半の建物は焼失、修復を繰り返した。



天守閣に限って言及すれば、結局、大坂城天守閣が再建されたのは、いままで3回。


秀吉時代の初代天守は天正13年(1585)から慶長20年(1615)まで・・・31年


徳川時代の2代天守は寛永3年(1626)から寛永5年(1665)まで・・・40年


・・・そして時を経て


3代目のいまの天守閣は、昭和6年(1931)から・・・最長記録更新中。


今回自分が観てきたこの3代目天守閣は、大阪夏の陣図屏風(大阪天守閣蔵、重要文化財)に描かれた豊臣時代の天守の外観に基づいて復興されたものなのだ。


よかったぁ!自分はてっきりいまの天守閣は、徳川大坂城の天守だと誤解していたので、いまこうやって調べたところ、豊臣天守閣だったことが判明してほっと胸をなでおろしました。


そりゃそうだよね。昭和に天下の大坂城を復興再建するのに、豊臣天守の意匠を使うのは当然のことだと思います。


大坂城は豊臣秀吉のお城です!


この3代目天守(復興天守と呼ばれている)は、当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造りで、第二次大戦の空襲にも耐えて現在に至り、平成9年(1997)には国の登録文化財に指定された。


せっかくだからここで、豊臣大坂城天守と徳川大坂城天守についての違いを書いてみよう。(引用元:Wikipedia)


豊臣大坂城天守



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大坂冬の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守



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大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守
いまの3代目天守(復興天守)は、このときの意匠を参考にしている。


大阪夏の陣のときの落城で焼失。


天守は、複合式もしくは連結式望楼型5重6階地下2階であったと考えられており、外観は、黒漆塗りの下見板張りで、漆喰壁部分も灰色の暗色を用いて、金具や、瓦(金箔瓦)などに施された金を目立たせたと考えられている。一説には、壁板に金の彫刻を施していたというものもある。


なお、5階には、黄金の茶室があったといわれている。

最上階は、30人ほど入ると関白の服に触れるほどであったとルイス・フロイスの「日本史」にある。


大坂夏の陣図と冬の陣図では天守の姿が大きく異なっているため、夏の陣のものは再建または改築されたものであるといわれている。冬の陣より夏の陣のときのほう荘厳な天守だったので、いまの3代目復興天守は、夏の陣のときを参考にしたのだと思われる。



徳川大坂城天守




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徳川大坂城天守(願生寺指図を元にしている。)


徳川大坂城の天守は江戸城の本丸・初代天守の配置関係と同配置に建てられたと見られている。建物は独立式層塔型5重5階地下1階で、江戸城天守(初代)を細身にしたような外観があり、白漆喰塗籠の壁面だったとみられている。最上重屋根は銅瓦(銅板で造られた本瓦型の金属瓦)葺で、以下は本瓦葺だったという。


高さは天守台を含めて58.32メートルあったとみられている。このことから江戸城の初代天守の縮小移築との説もある。


これが今回大阪城公園の大阪城復興天守の中に入った時に、展示されていたパネル。
天守閣の中は、博物館のようになっていて、当然豊臣大坂城と徳川大坂城の違いについての説明展示がある。


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これを見ると徳川大坂城は、基本は江戸城をベースとしていたところがあるので、巨大な天守(約58m)だったのがわかる。それと比較して、豊臣大坂城の天守(約39m)のなんと小さいことか!


自分はこのパネルを見たときは正直ショックでした。(笑)


図を見てわかるように、徳川大坂城は、豊臣大坂城よりも地表が高い所にある。徳川大坂城は、全体に高さ約1メートルから10メートルの盛り土をした上に、より高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれることになった。また天守など建物も構造を踏襲せずに独自のものに造り替えることになった。


徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、完全に大坂城を作り替えたのである。


だから、現在の大阪城公園にある地表に見ることのできる大坂城の遺構は全部徳川大坂城のものなのだ。豊臣時代の遺構は地下に埋まっている・・・


ということは、現在の復興天守閣の天守台も徳川大坂城のものである。
天守台は徳川大坂城で、その上の天守閣は豊臣大坂城のものを建立した、ということになる。


いまの復興天守閣の中は、博物館のようになっていて、そこで自分が1番ズキ~ンと心射貫れたのは、豊臣時代の大坂城の全建物の縮小プラモデル。天守閣を始め、本丸、二の丸、三の丸や、とにかくすべて。ものすごい広くて大きな建物群でこれは圧巻で素晴らしかった。


この博物館は、3F,4Fはカメラ撮影禁止になっていて、たぶん4Fだったと思うのだけれど、無性にカメラに収めたい衝動に駆られた。一瞬だったら撮っても大丈夫なような感じだったし、たぶん出来たと思うけれど、どこかで良心の呵責が・・・(笑)


いまものすごく後悔しています。撮っておけばよかったと。。。
それだけこの縮小プラモデルは自分の心をガシっと捉えました。


それではいよいよ自分が体験してきた3代目復興天守閣の荘厳なお姿を披露します。
どこがベストアングルか、というのは、もうすぐにわかるようになっている。


大阪城公園を順路で進んでいけば、天守閣が見えてくると、おぉぉ~ここだ!というのがピンとわかるのです。写真にそれなりに心得、拘りがある人ならば。。。


そしてそこには大抵観光客カメラマンがたくさんたむろっている。

観光雑誌などで使われている有名アングル、スポットも大体この中にあると思います。


では、これが大阪城3代目復興天守閣だ!


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大阪城公園を順路で歩いていくと最初に出くわす撮影スポット。
あっここだ!と思いました。雑誌でよく見るアングルです。


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ここが天守閣を最高のアングルで撮れるスポットですね。
そのように公園が設計されています。
その前がこのように広場になっているのです。


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休日です。天守閣の中に入るには当然長蛇の観光客の列に並ばないといけません。
そこに並びながら撮ったショット。


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天守台の麓からのアングル。


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これは西の丸庭園から撮影したアングル。たぶん珍しいショットだと思います。西の丸庭園からは、天守閣には行けないのですが、この広い庭園を散策していたら、ふっと振り向いたらこのような方向から天守閣が臨めるとは思いもよらず相当心臓がドキッとしました。


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さて、せっかく来たのだから、当然天守閣の中に入るつもりでした。
中に入るとミュージアムショップのお土産屋さんもありました。


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天守閣の中は、上階へはこのように当然エレベーターを使います。
スミマセン、思いっきりイヤミのつもりで言っています。(笑)

先の大阪サミットで、某首相の失言について皮肉っているつもりです。
もちろん階段でも行けます。5Fまでエレベータで昇り、最上階の8Fまでは階段です。


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天守閣の中はこのように博物館になっています。豊臣(秀吉)時代の歴史説明パネル、貴重な屏風や資料、実際使用していた武具などの展示など大変興味深いものばかり。時間を忘れました。


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これが天守閣に装飾されている金のシャチホコなどの装飾具。圧巻でした。


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これはかなり自分を魅了、惹きつけました。
豊臣秀吉はじめその勇敢な武将たちがかぶっていた兜。

手前から黒田官兵衛、後藤又兵衛、加藤清正、ひとつおいて豊臣秀吉。
当時の人間の頭は小さかったんだね。(笑)


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そして展望台になっている天守閣最上階へ。
階段で昇っていくとこんな感じです。


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外に出てみると、防護の網が張っている。


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ここから大阪の街を四方から眺めて観ます。

ここが天守閣を撮影する最高のスポットの広場になっている方面。
こんな広い広場だったんですね。


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高層ビルが立ち並んでいる。大阪は都会なんだなぁ。
手前に見える緑色のドーム式の屋根が大阪城ホールです。


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そして他の2方面。
西の丸庭園など大阪城公園は緑も多く、本当に広いです。


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これで大阪城天守閣を巡るメイン・ミッションはコンプリートです。

ほか、ちょっと大阪城公園を散策してみようと思いました。


あなたも戦国武将になれる!インスタ映えスポットなのでしょうか?(笑)
特に外人さんに人気でした。


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どうしても行っておきたかったのが、大阪城公園内にある豊臣秀吉を祀っている豊國神社。

秀吉像がそびえ立つ!


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ここではみなさん、秀吉に倣って、出世、開運を祈願するそうです。
・・・もうそういうのは、疲れるので、自分の場合、もういいです。(笑)

平穏な未来、小さな幸せを祈願してきました。



そして広大な緑の地平線が広がる西の丸庭園へ。


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ここには、国際会議などで使われる大阪迎賓館があることで有名ですね。


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この建物が大阪迎賓館です。


写真を撮影しているときは、この建物が迎賓館だとは知らずに撮っていたので(笑)、もっと真正面のショットが欲しかったですね。


国際会議(1995年のAPEC'95)などや結婚式場はもちろん2016年から予約制高級レストランとなったことで納涼会や企業の周年パーティ、忘年会、新年会などを愉しむことができるようです。なんといっても周りは、約6万5千平方メートルの広大な緑豊かな敷地内にありますから、四季折々の自然と開放的な空間そのもの。



広大な緑の敷地を歩いていると、ふっと後ろを振り向くと、なんと天守閣が!(笑)
さきほど紹介した、まさかここから天守閣が見えるとは!という驚きでした。

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これで大坂城ミッション、すべて終了。
いやぁ、やっぱり自分は日本史大好きなんですね。
こうやってあの日を振り返ってこの日記を調べながら書いているだけでもうドキドキ、ワクワク。

そして城マニアと言えるほど、全然詳しくないのだけれど、日本の城が大好き、ということを実感。


つぎなるターゲットは、もう決まっています。
日本一美しい白鷺城の姫路城です!


このときに、まだ14時。
開演の19:00まで5時間もある。
いずみホールはすぐ近く。


どうしようか、かなり困りました。
そこで大阪城公園入口のスターバックスへ。
この日は暑かったから涼をとる目的もありました。


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ここはいいですね!


自分はスターバックスにはあまりいい印象を持っていなくて、自分から好んで入るところではない。というのは、スターバックスと言ったら、もう東京では渋谷のスクランブル交差点のあのお店をすぐに思い出し、狭くて、汚くていつも女子高校生や若い人でごちゃごちゃに混みあっているという印象。


そんなイメージだったから、ここの広くて店内が綺麗で、天国のような場所は雲泥の違いだと思いました。冷房もガンガン効いているし。若い人が本、パソコンやiPadを持ち込んで、みんな勉強場所として使っているんだよね。こんな綺麗な環境だったらさぞかし効率いいと思いました。


ボクの向かいに座っているお兄さんは、電気技師資格の参考書持ち込んで長時間勉強していました。


自分は最初、iPodで音楽を聴きながら、ジュース飲んで時間を潰していたんだけれど、やっぱり5時間は・・・(笑)


最近よく思うのは、イヤフォン型のインナータイプで音楽を大音量で聴いていると難聴になる可能性が大きいということですね。最近歳のせいか、イヤフォンを外すと、軽い耳鳴りみたいな後遺症があって、それが鎮まるまで2時間ぐらいかかる。これは耳悪くするな~とつとに思います。


特にiPodではポップスやロックを聴くことが多いですから。

商売道具の耳は大切にしないとですね。

音楽はやっぱりスピーカーで聴きましょう!


開演は19:00なので、耳を鎮めるために、2時間前にはiPodをやめました。

その後の2時間はヒマでヒマで苦痛でした。(笑)



ようやく開演時間近くになって店を出る。


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大阪城公園入り口には、大坂城ホールという16000人も収容できるドーム式の多目的アリーナがありました。自分がここで音楽を聴くことはまずないだろうな・・・たぶん。(笑)







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眠り病 [雑感]

昨日1日はいったいどうしてしまったのだろう?

前の晩、夜の0時に就寝という自分には珍しい規則正しい時間に眠くなり、そのまま寝て、翌朝8時に起床。


そこから顔を洗って、朝ごはんを食べたら、また無性に眠くなって、起きているのがつらいので、ベッドに横になったら、そのまま15時まで眠りこけてしまった。


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ネットサーフィンをしながら、ちょっと早いけど、お腹がすいたので、早めの晩ご飯でも食べようと思い、晩ご飯を食べたら、また無性に眠くなってきた。。。


なんなんだ、今日は?

と思いながら、仕方がないのでベッドで横になっていると、そのまま夜の21時半までぐっすり眠りこけてしまった。


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さすがに眼がぱっちり開いてきたが、なんか寝てばっかりで1日損をした気分。


そこから吉田類さんの酒場放浪記を見る。

類さん相変わらず飲ん兵衛さんだなぁ、飲み方がうまいなぁと感心しながら、つぎに歴史学者 磯田道史さんの明智光秀(来年の大河ドラマ)の特集番組を見る。


終わったら、夜中の0時。


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なんと!また眠くなってきた。(笑)


こりゃなんかおかしいぞ!

と思いながら、当初はあまりに眠すぎたので、今晩は徹夜するぞ、と思ったのだが、睡魔に勝てず、朝方の6時まで熟睡。


今日からまた会社生活。

いま早朝オフィスだが、また眠くなってきた・・・(笑)


普段、早く就寝できない夜更かし人間なので、大体夜中の2時頃に寝て、朝6時に起きて、会社に行く、という毎日。睡眠負債が蓄積されていたんだろうか?それがどっとやってきたんだろうか?


でも人間寝だめはできないと言われている。


今日1日就業時間内に眠くならないように祈りたい。(笑)


しかし寝るということは、こんなに気持ちのいいこととは!
精神的なストレスがあるときは、寝るに限る!
起きたら頭スカッとして、イヤなこともどこかにぶっ飛びます。




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首の骨が1番大事。 [雑感]

洗濯物を洗濯機に出し入れするときに腰を痛めてしまった。1週間前なのだが、日々過ごすうちに症状も軽く良くなってきたのだが、昨日固い椅子に座りながら1日中読書をしていたら、悪化してしまった。

翌日朝起きたら、腰が重くて危険水域にある感じで、ベッドから動けない。

これは会社休んで整形外科でマッサージして治してもらおうと思い出掛けた。

久し振りの整形外科だが、普通に治癒場所の腰に電気パッドをあてて、電気を流し、そしてマッサージしてそれを何回か通院すれば治るのかな、と思っていたのだ。

以前肩痛でこの病院の通ったときもそんな感じだった。
今回それが腰に代わるだけだと思っていた。

そうしたら、先生から説明があった。

以前と比べて、治療方針が変わったとのこと。

治癒箇所だけ電気治療、マッサージをするだけだと、じつは返って体に悪いということが、医学界で判明したのだそうだ。

人間の体というのは、骨格の仕組みをはじめ、すべて繋がっていて、それを一か所だけ施術したらバランスが悪くなり、逆効果。

人間の体の骨って全体につながっているからね。

人間を支えている骨格の仕組みの中で1番大事なのは、首の骨。

ここがすべてを司る司令塔。


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腰とか、足とか、いろいろなところに不具合ができたら、その影響って首の骨にちゃんと影響が出てくるものらしい。

まず首の骨を正確に施術して、それから全体のバランス、矯正を取りながら、全体の骨格の仕組みを補正していくのが昨今の整形外科の方針なのだそうだ。

だから腰の電気治療やマッサージももちろんしたけれど、同時に首や足、手など全体の屈伸、マッサージを体全体におこなった。

そうすることで、体の全体の骨格が正しく矯正される。

医学的なもっと本格的な説明だったので、専門的な説明は記憶が曖昧でできないけれど、腰をやられるとかの症状は、骨の各々のつなぎ目がおかしくなったりとかが原因だから、首の骨を中心に全体のバランスを取って治していくらしい。

施術前と後で体の柔らかさの違いを計るのだが、まだ初回の1回目なのにすごく柔らかくなっていて驚いた。

前はすごく体が硬かった。

こういう骨格の補正をすると睡眠が抜群によくなるらしい。

自分は歳をとっていてジジイだから朝早起きだと思っていたら、それが原因というより、骨のつなぎめの正常化、全体の骨の矯正バランスが悪いことのほうが睡眠障害の原因らしい。

その証拠に今日1回施術するだけで、帰宅後ベッドに横になっていたらそのままストンと寝落ちして、そのまま深い眠りに。(笑)

こりゃ効果抜群だわ。

でも15回は通えとのこと。トホホ。

でも整体施術はお勧めです。

体が楽になると同時に、睡眠改善に繋がります。

人間って歳を取ると、体全体の骨のつなぎにガタが来るもんだからね。

あっあと、腰とか、体の一部に破損があった場合は、自然治癒ではなく、整体施術で、全体のバランスを正しくしてもらったほうがいいです。自然治癒だと全体バランスが正しくないまま、ずっと生きていくことになるからね。

今回賢くなりました。(笑)







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人生やっていく上で楽になる4つの大事なこと。 [雑感]

いま人生が辛い人はこの4つのことを覚えておくとよいらしい。
ツィッターで偶然知って、とてもよい良い内容なので紹介しておこう。


(1)誠意のない人間を相手にしない。時間の無駄。

(2)嫌われてもOK。全人類に好かれるとか無理。

(3)他人は変えられない。変えらるのは己のみ。

(4)明日を良くするも悪くするも全ては己次第。


明るい未来は君の手の中。必要なのは掴み取る意志とちょっと勇気だけ。



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(2)は、自分が近年の差し迫った環境の中で人生やっていく上で一番心掛けていることです。

まさにその通りです。

みんなに好かれようとして自分がクヨクヨ悩んで八方美人で苦労するのは、人生時間の無駄です。自分を嫌いな人をいかに好きにさせようという努力ほど効率の悪いことはありません。そんなことやるくらいなら自分を好きでいてくれる人をもっと楽しませようと努力したほうがよっぽど人生効率的です。

自分もちょっと前までは八方美人的な心配ばかりしてこのことで随分神経すり減らしていましたが、このことを悟り、楽になりました。

周りをあまり気にし過ぎて相手に合せすぎても、それだけの効果って意外とないものです。
「これが、自分です!」という自分の素の姿をさらけ出したほうがいいです。

それで去っていく人は、去る者は追わず。。。です。


(3)は、他人にあまりに期待しちゃいけないってことですな。これは自分も反省点あります。

(4)は、ここまでの境地に達したら、ほとんど仙人ではないでしょうか?(笑)
俗世界に住む人間にとってなかなか難しい境地です。


(1)は、たとえば通勤中の満員電車でイラっとするときに会っても、絶対ムキになって怒らないことです。そんなところで、いつ人生の落とし穴に巻き込まれて、いままでの自分の人生の大事なものをすべて失ってしまうことにもなりかねません。失いたくないから、最近自分は、他人との争いごとになりそうだったら、スゴスゴと引き下がってしまうようにしています。(笑)


でも頭にくることってあるんだよね。(笑)

そういう怒りをどうやって自分で処理できるかなんですね。

もちろんこんな狭い見地だけではなく、もっと広い意味でも、世の中はいろんな人がいるので、適宜見極めが必要で、(1)の判断はとても大切でしょう。

いま人生辛い人は、絶対上の4つのどこかで無理しているかも?


自分の経験から、(2)の考え方は絶対お薦めです。









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謎の円盤UFO [雑感]

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SHADO

1980年、既に人類は地球防衛組織SHADOを結成していた。
SHADOの本部は、イギリスのとある映画会社の地下深く秘密裏に作られ、沈着冷静なストレーカー最高司令官のもと、日夜、謎の円盤UFOに敢然と挑戦していた。


SID

コンピューター衛星。
このSIDがUFO侵入をキャッチすると、直ちにSHADO全ステーションに急報。


SKYDIVER

それはSHADOの海底部隊。
世界で最も進んだ潜水艦である。
その前部には、スカイワンと呼ばれるジェット機が装備され、海上を超スピードで進み、敵を撃破する。


MOBILE

人間の最高頭脳を結集して作られたSHADOのメカニック。


MOONBASE

MOONBASEは月面基地。ここにはミサイル要撃機インターセプターが非常事態に備えている。

UFO撃退の準備はできた。




この番組冒頭の矢島正明氏によるオープニングナレーション。

これがもう最高に格好良い。

これは日本用放送版のために作られたオリジナルらしい。




「謎の円盤UFO」(原題はUFO)

日本では、1970~1971年に日テレ系で放映されたのが最初である。
「UFO」という言葉を一般に紹介する先駆的役割を果たした。

イギリスのAPフィルムズ(後の21世紀プロダクション)が製作したSF特撮ドラマ。

これは本当に夢中になりました。
子供の頃に見た特撮ドラマでは、最高に忘れられない優秀作品です。

このAPフィルムズがヒットさせた作品としては、「サンダーバード」があるけれど、あちらは人形劇の作品で自分は好きではなかったというか、じつはいまだに1回も見たことがない。

謎の円盤UFOのよかったところは人間が演じるところの実写版であったところ。

自分は最初の放送は見れなかったけれど、再放送は、もう時代を変えて何回も繰り返して見た。

当時1970年代のドラマとしては、じつに斬新でリアルな斬り口で、ちょっと大人の番組という感じだったのがよかった。子供の自分の心をまず惹きつけたのは、やはりメカニカルな部分。インターセプターとかスカイダイバーとか。これが最高に格好良くて相当憧れた。このプラモデル最高に欲しかったな。

それでいて、単なる子供向けの番組ではなく、脚本がかなり大人レベルの高級さで、質が高く、SF特撮の枠レベルに収まらないクオリティーの高さを感じた。

なんか見る度に、子供心に怖いというか、恐怖心、ドキドキ感を味わせてくれた番組だった。
怖さと格好よさの同居、リアルな組織の設定など、とにかく脚本の質が異常に高かった。

自分にとって強烈なインパクトだったのは、このメカニカルな部分と、脚本の質の高い、大人びた格好よさ、この両方がミックスされた格好よさだった。


2003年に、満を持して、このDVD-BOXが発売されたときは、思わず購入してしまった。
いまはすでに廃盤になっていて、中古市場でないと手に入らないようだ。


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謎の円盤UFO コレクターズボックス PART1

http://urx.nu/bvI3

謎の円盤UFO コレクターズボックス PART2

http://urx.nu/eWDD

購入するだけしておいて、新品未開封だったのだが、じつに16年振りに、このGW10連休を利用して、一気に見てしまった。

全26話。

1話、1時間の物語完結型で、朝9時にスタートして途中休憩は入れるものの、夜の24時までぶっ通し鑑賞、それを2日間連続。全然疲れるどころか、面白くて、夢中になってあっという間だった。

それだけやはり脚本のクオリティーが高いんだろうね。

見るときは、日本語吹き替えか、字幕か、の問題はあるが、このドラマの場合は文句なしに日本語吹き替え。だって子供の頃に見た記憶は圧倒的に日本語吹き替えでの印象が強いですからね。ストレーカー司令官の声は絶対、広川太一郎さんじゃなければダメなのだ。(笑)


じつはこのDVDを見て新たに発見したことがあった。
それは日本で放映された番組は、原ソフトを数分カットしたものだったのだ。
今回のDVDはいわゆるノーカット版。だから日本語吹き替えで見ると、当然カットされた部分の日本語吹き替えの部分は存在しないので、そこだけ急に原語上映なのだ。

最初BDプレーヤーかDVDソフトの字幕設定が間違っているのかな?と思ったが、その事実にようやく気づいた。




それでは、まず、その格好良かったメカニカルな部分と、登場人物を紹介していこう。

MOONBASE(ムーンベース)

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月面基地。SHADOはUFOを撃退するのに、第1次~第3次防衛網の3段階を構えている。
ムーンベースは、UFO撃退の第1次防衛網。

ここには、ミサイル要撃機インターセプターが3機、待機している。

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これが格好良かったなぁ。子供心の相当憧れたというか、かっこいいなと思った。
この先頭に付いているのは、核爆弾だそうで、1機につき1発しかないのは、なんか足りないよなぁといつも思っていた。(笑)1発打って外れたら、それでお終いやん!という気持ちがいつも子供心にあった。

でもその命中率は、UFOの移動速度、宇宙空間での座標位置など詳細なコンピューター計算により設定されるもので、命中率はかなり高いというシナリオなのだ。

このプラモデルが子供の頃に本当に欲しかった。
こうやって実在するものなんですね。

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MOONモービル

月面基地のムーンベースから、実際の月面での調査をおこなう場合に人を運ぶヴィークル。

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SID

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コンピューター衛星。
このSIDにより、UFOの襲来を検知し、移動速度、宇宙空間での座標位置などがSIDのコンピュータにより計算され、報告される。このSIDの計算結果に応じて、インタセープターはミサイル設定をする。



SKYDIVER(スカイダイバー)

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潜水艦の先頭にジェット機スカイ1(スカイワン)が装備されていて、海中から発進して、地球の空でUFOを撃墜する。これが第2次防衛網。ムーンベースでの第1次防衛網を突破して、地球の大気圏に突入してきた場合は、この第2次防衛網で撃墜する。スカイダイバーは7つの海に配置されている、とされている。

このスカイダイバー本体についている”SKYDIVER”というロゴや、スカイ1についている"SKY"というロゴがなんとも格好良い。

これらの文字に使われていたのは1950年代に考案された Microgramma(英語版) というサンセリフのローマ字書体なのだそうである。


スカイダイバーは本当に格好良かった。子供心に相当憧れた。
インターセプターとはまた違う次元での格好よさであった。どちらも甲乙つけれなかった。


スカイダイバーもこうやってちゃんとプラモデルが存在するのだ。欲しいっ~。

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SHADOモービル

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月面基地ムーンベースでのインターセプターでの第1次防衛網を突破し、地球の大気圏でのスカイワンでの第2次防衛網までも突破して地上にたどり着いた場合の第3次防衛網が、このモービル。



ルナキャリアとルナ宇宙艇

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地球と月面基地ムーンベースとの定期連絡便。
写真のように地球の大気圏の間は、ルナキャリアとルナ宇宙艇は合体ドッキングされているが、大気圏突破前に、ルナキャリアから分離されて、ルナ宇宙艇だけになり、月面までに飛行をする。


UFO

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フィ~ン、フィ~ン、という独特の効果音でその移動を表現されていた未確認飛行物体。
地球の大気には長く接していると分解してしまう、という性質があり、地球に舞い降りた場合は、大体、海や湖の中に潜んでいるというのが、大体のストーリーだった。

このUFOがこの効果音で近づいてくると、なんか独特の恐怖感があり、じつに怖さを最高にうまく演出していたと思う。


SHADOカー。

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SHADOのメンバーが乗る専用カー。番組が1970年代とはいえ、じつに格好良い。
ドラマでは、おもにストレーカー司令官が乗っている場面が多い。でもたまにフォスター大佐とか他のメンバーが乗るときにも登場する。このドラマだけに特注で作られた車だと思うが、大変な製作費だったような気がする。当時のハイテクということを意識してか、有線だけど、車内電話も装備されているのだ。



プラモデルの世界では、こうやって謎の円盤UFOキットみたいなものもあるんですね。

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つぎに登場人物を紹介していこう。


ストレイカー最高司令官
(演:エド・ビショップ、声:広川太一郎) 

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地球防衛組織SHADOの最高司令官。沈着冷静でどんな緊急事態でも冷静な判断を下すクールな司令官。ではあるが、いつもすぐに怒る。(笑)このドラマの最高の顔であり、主人公ですね。1970年にメリーと結婚したが、SHADO設立に忙殺され、長男ジョン誕生直後に離婚。のちにその息子ジョンも不意の交通事故で失ってしまう。

SHADOの最高司令官という顔を持ちながら、対外的には、ロンドン郊外にある「ハリントン・ストレイカー映画撮影スタジオ」の専務取締役をつとめる。

ストレイカー司令官を演じた役者:エド・ビショップは、髪の毛の色がブラウンだったそうで、ストレイカーのブロンドの色、髪型にするためにかつらを使ったらしい。そう!あのストレイカー司令官の頭部はかつらだったのだ!


エド・ビショップは、その後2005年に他界され、いまは故人である。

晩年のエド・ビショップ。 


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やっぱり自分にとって、沈着冷静なストレイカー司令官のイメージは、このエド・ビショップの外見もさることながら、声を担当した広川太一郎さんの影響の大きさもあるのではないか、と思う。あの声は、まさにストレイカー司令官そのもの!もうそこで固定概念が固まりましたね。




フリーマン大佐。
(演:ジョージ・シーウェル、声:小林昭二) 

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SHADOの副司令官。ストレイカー最高司令官の良き右腕。地球防衛組織SHADO設立時に参加し、無二の親友となる。ストレイカー司令官とは反対に、人間臭く人情深い男。女性をこよなく愛する男。

そう、まさにストレイカー司令官とは正反対な役どころで、いいバランスを保っていましたね。






フォスター大佐
(演:マイケル・ビリントン、声:羽佐間道夫) 


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若きSHADOの指揮官。ムーンベース司令官、スカイダイバー司令官と、いわゆる現場監督的な指揮官。熱き熱血漢というタイプでハンサムなので、どちらかというと女性絡みのエロい場面でも多用されていた。(笑)また、ドラマでは、つねになにかハプニングに巻き込まれる、というか、事件に巻き込まれる役柄というか、そういう立ち位置が多い役でしたね。

フォスター大佐を演じたマイケル・ビリントンも2005年に他界し、すでに故人です。



レイク大佐
(演:ワンダ・ベンサム、声:小原乃梨子) 

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ユートロニック装置を開発した女性科学者で、SHADOに入隊して幹部となった才女。SHADO入隊後、ムーンベース司令官などを経て、フリーマン大佐とともにストレイカー司令官を補佐する大佐に任命された。

この謎の円盤UFOというドラマの大きな特徴は、女性がとても活躍するということだった。
いまと違って1970年代にとってとても斬新な試みだった。

このレイク大佐はその代表格ともいえるキャリアウーマンでした。

自分のレイク大佐に対する少年時代の強烈な想い出は、第24話の「UFO時間凍結作戦」。
この話では、ストレイカー司令官とレイク大佐が主役なのだが、そのときのレイク大佐の衣装が上の写真で、セクシーで、胸の部分がはだける感じで、当時多感な小学生だった自分は、その姿に猛烈に反応してしまい、相当興奮してしまいました。(笑)

レイク大佐といえば、自分は時間凍結作戦の話なのです。
いまでも脳にしっかり刻み込まれています。

久しぶりにその時間凍結作戦の話を見ましたが、こんなのに興奮していたのか~という感じで、ほくそ笑んでしまいました。

やっぱりいまと違って刺激の少ない子供時代だったんだね。


エリス中尉
(演:ガブリエル・ドレイク、声:松島みのり) 


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SHADO最前線防衛基地、ムーンベース指揮官を務めていた沈着冷静な美女。
ブラッドレイ大尉に好意を寄せていたことから、地上勤務に転任したのではないかとみられている。シリーズ中10本に登場。

ムーンベースに勤務する場合、司令室にいるときは、女性隊員はなぜか、みんなコスモルックというセクシーな制服を着て髪の毛も紫色のかつらを被る。(笑)

自分の感想では、全話に出てくるムーンベース勤務の女性隊員の中では、このエリス中尉が1番の美女で映える存在だったと思う。でもなぜ10話程度の出演だったか・・・エリス中尉を演じたガブリエル・ドレイクの場合、他の作品とのスケジュール調整による降板であると明らかにされている。



ドクター・ジャクソン 

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SHADOの医療スタッフ。元情報部所属の心理学者で、その仕事は隊員の精神面の健康管理から機密保持・内部調査・宇宙人の分析まで多岐に渡る。

こういう勤務は、絶対精神面ふくめ、メディカル・サポートは重要ですね。
影の重要人物です。


カーリン大尉 


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スカイダイバーのスカイワンの操縦パイロット。話によってパイロットは違ったりするが、全話見る限りでは、カーリン大尉が務めることが多かった。

妹さんはUFOの宇宙人に連れ去られ、その後、その妹さんの心臓が、捕虜にした宇宙人の体から見つかったことにより、妹さんの正式な死亡が確定した。

それゆえ、尚更宇宙人侵入阻止のSHADOの任務を自分の生涯のタスクと心より決める。


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番組が放映されたのが1970年。それに対してその未来像としてその中で描かれたのが、1980年と設定されている。作品中に登場したコードレス電話が実現・普及するのはさらに下って1990年代以降である。


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女性の社会進出像(あくまで男性中心の視点を残しつつ)や、1970年代テイスト主体だが単なるレトロフューチャーにはならないスタイリッシュなファッション等も含め、本作における先見性は作品フォーマットを創りあげたジェリー&シルヴィア・アンダーソン夫妻(後に離婚)、特にシルヴィアの功績によるものが大きい。。。と言われているようだ。

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この番組での宇宙人は、外見は宇宙服に身を纏い、青色の肌をして、外見は人間とまったく変わらない、というような設定である。でも宇宙人は優れた技術力を持っており、衰えた肉体の臓器を地球人のものによって代替する目的がこのドラマでは示唆されている。そのために地球で人間を誘拐しては、その臓器だけを切り抜いて持ち去る、というような事件が多発。


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そしてその臓器を新たに組み立てて、新たな人間体を造って、そこに宇宙人の精神、知能を埋め込む、というような感じ。それが第1定義。

あるいに動物や人間を洗脳して、宇宙人の精神や知能を乗り移らせる事件を描いて見せ、実体は、宇宙人というのは精神生命体ではないかという説を立てていた。(第2定義)

いずれにせよ、なんかUFO、宇宙人はつねになにか新しい手で地球侵略の悪だくみを考えている、という路線で描かれていて、それが観ていて、本当にゾクゾクとする怖さというか、かなりシリアスティックに描かれていて、いやぁじつに秀逸なドラマだなぁ、と思ってしまうのだ。

また単に、UFO、宇宙人との闘いだけを描くのではなく、ストレイカー司令官の家庭の問題だとか、より人間性溢れる側面に光をあてた脚本も多々あり、じつに人間的な物語の側面も間に織り込む、なんとも言えない絶妙な味わい、高級感なのだ。

本当に脚本シナリオの質の高さは抜群だ。

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1970年に放映されたドラマだが、それから約50年後の現在、いま観ても全然古臭くなく、返っていまのドラマには絶対にない鮮度がある。いつぞや、オードリー・ヘプバーンの映画のときにも同じ感想を抱いたが、昔の映画、ドラマには、現代には忘れかけている大切なものがあるような気がする。

いまの時代にこういうドラマを見てみたいものだよなぁと思ってしまうのだ。

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1970年の最初の放送の時は、自分は知らなかった時代だが、番組エンディングには映画評論家の小森のおばちゃまこと小森和子さんが現地で取材した映像を紹介するコーナーがあり、出演俳優の素顔を垣間見ることができた。また、このコーナーではプラモデルを視聴者プレゼントとしていた、こともあったとか。


番組のオープニングで格好良いナレーションを決めてくれた矢島正明氏は同じ日本テレビ系列の「木曜スペシャル」で、矢追純一プロデュースのUFO・宇宙人物番組のナレーションも担当していたらしい。

謎の円盤UFOの初回放送時には、視聴率面で当時の怪物番組だった「8時だョ!全員集合」(TBS)の裏番組となっており、ビデオのない時代、ターゲットの重なる視聴者層は選択を迫られた。

矢追純一さんが率先していたUFOブーム、あったよなぁ。
あれから、いまどうなっているんだ?(笑)

跡形もなく消え去りましたか?その可能性とそのブーム。

いずれにせよ、この謎の円盤UFOのドラマが、UFOブームの率先となったことは間違いない。

いまさらUFOブームでもないだろうけれど、このドラマの素晴らしさは、ぜひお勧め、見てほしい感じがします。まったく色褪せていなく、いま見てもドキドキしますから。

2日間、フルタイムで見ていてもまったく疲れを感じず、集中できました。


放送タイトルリスト(日本放送時)

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心に響いた村上春樹さんのエッセイ集 [雑感]

村上春樹さんのエッセイ集を読む機会があった。 



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きっかけは、年初のスランプのとき。

深い井戸に潜み、しっかりと孤独の相を体験しないといけなかったその試練のときに、村上さんのエッセイは心に染みた。

というよりは、心にグサっと刺さる感じで、自分にとても響いた珠玉の言葉の数々であった。

その代表的なエッセイを紹介しよう。
そのときに、自分が感じた想い、印象などを同時に紹介しながら。。。

もちろんこれらのエッセイ、発言は、時系列的にいろんな時期に発言された寄せ集めに過ぎず、いまの自分に向けて発せられたものではないのだが、偶然読んでみると、いまの自分にズバッズバッと切り込んでくる鋭さがあって、読んでいて、もう心が痛いのだ。(笑)



「世の中で何がいちばん人を深く損なうかというと、それは見当違いな誉め方をされることだ。そういう誉め方をされて駄目になっていった人をたくさん見てきた。人間って他人に褒められると、それにこたえようとして無理をするものだから、そこで本来の自分を見失ってしまうケースが少なくない。」


これは響きましたなぁ。(笑)まさに痛いところを突かれたという感じで、ちょっと自分が恥ずかしい気持ちになってしまったことも確かです。1番自分に響いたセリフでした。


「ときに孤独になることも人間にはとても大事なんです。孤独というのは人の心を鍛えあげます。自分自身と正面から向かい合う機会を与えてくれます。でもあまり孤独が長く続きすぎると、それはときとして人を蝕みます。そのへんの兼ね合いがなかなかむずかしいんです。」


自分は、自分を高みに持っていくには、やはり孤独がいいと思っている派なので、これはよく理解できます。でも仰るとおり、いつも孤独だと、やっぱり精神的にしんどいです。適度のガス抜きが必要ですね。家族がいても、1人でいる時間を大切にする、ということに通じますね。


「ときとして人には「失われた時期」があります。そこでいろいろなものが失われていきます。たとえば時間とか、可能性とか・・・。でもそのときに失われたもののことを考えるのではなく、むしろそこで得たもののことを考えるのが大事なんじゃないかと僕は思います。」


年初のスランプのとき、いままで積み上げてきたものを一気に失いましたが、その井戸の中で、孤独でいることを欲し、そこで瞑想しているときに、自分の希望となった言葉です。


「僕は最近切実に感じるのですが、人間というのは進歩はできるけれど、どれだけがんばっても、結局のところ自分以外のものにはなれないですよね。僕はそんなに大した人間じゃないですが、小説家として一生懸命小説を書いているし、書くという行為の中で、何とか自分を超えたものになろうとはしています。」


これはややもすれば妄想気味で毎日緊張と恐怖に怯えていた自分に対して、「分相応」という言葉を突き付けられた強烈にグサっときたセリフです。


「結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものでもない。そして欠落を埋めるには、その欠点の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。」

これは人生を生きていくうえで、社会を相手に歩んでいく上で、とても大切なことです。これはグサッと胸に刺さるというよりは、自分も確かに、いままでそうやってきた、と再認識したことですね。


「回り道のない人生は、往々にして深みのない人生です。僕も僕なりに、回り道をしました。でも回り道をしなかったら、今こうして小説なんか書いていなかったんじゃないかな?」

これだけは、唯一自分では人生の経験がまだまだ浅いと思うところ。結局、ずっと電機メーカー一筋の人生だからね。夢中になることは、いろいろ変わったけれど、人生そのものの大きなところは安全なレールの上を歩いてきた、といえるかもしれない。


「僕は本当に「個性的」な人を何人か知っていますが、「個性的」であるというのは病と同じで、本人にとってはけっこうきついだろうなと思います。」


いままで自分がユニークである、ということに全く自分では気づかなかったし、いまでも普通だと思っているのですが、「個性的」であることを意識して演技する人はツラいでしょうね。それは本当の自分じゃないですから。


「僕の経験からいえば、僕らの人生において知識がいちばん身につくのは、金がなくて暇がある時期です。」

ハイ。いまの私がそうです。(笑)知識バンバン身につきます。(^^)


「どこにも属することなく一人でやっていく人に、僕はいつも連帯感を感じています。」


村上さんがボクに直接そのように言っているような気がしてならないセリフです。(笑)


「スコットフィッツジェラルドが娘にあてた手紙に「人と違うことを語りたければ、人と違う言葉で語りなさい」と書いています。これは僕の座右の銘になっています。」

村上春樹さんが敬愛する外国の小説家としてスコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーパー、トルーマン・カポーティの3人がいるのだが、その中でもスコットフィッツジェラルドが最も影響を受けてお好きなようだ。ボクも将来読んでみたい。

そのスコットフィッツジェラルドの言葉。ドキッとする言葉です。ぜひボクの座右の銘にもしたいです。


「人生においていちばん深く心の傷として残るのは、多くの場合、自分が誰かに傷つけられたことではなく、自分が誰かを傷つけたことですね。そのような思いは、ある場合には亡霊のように、死ぬまで重くついてまわります。」

これはすでに経験済み。(笑)二度と同じ過ちを犯さないように心がけています。



「調子の悪いときは悪いなりに、自分のペースを冷静に的確につかんで、その範囲でなんとかベストを尽くしてやっていくというのも、大事な能力才能のひとつであろうと思う。そんなに無理をしないで、首をすくめてこつこつしのいでやっていれば、そのうちにまた少しずつ調子は戻ってくるのだから。」


この言葉にも自分は大きく救われました。人生ラッキーなことが続いた後は、必ずその揺り戻しというのがあるそうですから、まさにいまは自分にとって波が悪い我慢の時期。そのときに、このセリフに巡りあえて救われた気持ちになりました。


「人生というのは「ひとつの愚かしさのフェーズ」から「べつの愚かしさのフェーズ」への移行でしかないような気がします。ですから過去のご自分の愚かしさはあまり気になさらない方がいいと思います。」


ありがたいお言葉です。自分の人生、まさに愚かしい、後悔先に立たず、というような体験ばかりでしたから。


「「一に健康、ニに才能」というのが僕の座右の銘である。なぜ「一に健康」で「ニに才能」かというと、単純に考えて健康が才能を呼びこむことはあっても、才能が健康を呼びこむ可能性はまずないからである。」

これは、まさにそう思います。自分は持病があるので、尚更、病気と上手に付き合っていかないといけません。健康あっての才能ですね。


「それで僕は言いたいのだけれど、結局のところ、あなたはあなたの「良いところ」で勝負をするしかないですよね。まずそれをみつけて下さい。そしてその「良いところ」を相手に向けなさい。単純なアドバイスですが、それしかありません。」

このセリフはおそらく就活生の質問に対して答えた内容だと思うのですが、なんか妙にいまの自分の状況にがっちり嵌るんですよね。(笑)ものすごくドキッとしました。


「人生の変わり目はだいたいにおいて、向こうからあなたを選びます。あなたが選ぶことはほとんどありません。ほんとに。」

村上さんが小説家になるきっかけだったのは、知人から「村上君、小説でも書かないか?」という何気ないお誘いがあったからだそうです。自分の運命はなにがきっかけになるかわかりませんね。



こういうエッセイって、自分に響く言葉に出会ったりすると、本当に人生の宝物のような感じがするものである。

いま村上春樹さんの小説を、全冊制覇すべく、片っ端から読破しているのだ。
ご本人のお言葉によると、村上小説の主戦場は、長編小説に置いているそうなので、まずはその長編小説から読破している。

暇のある時間を見つけては読み繋いでいってのスローペースだが、3冊の長編小説を読破した。
いま4冊目だ。

村上小説を読み始めてから、じつに奇妙なことが起こるのだ。

それは、自分の人生に関わってきた、あるいは現在もつながっている人が、次々と小説の中の登場人物として出てくることなのだ。わずか3冊なのだが、かなりの人数出てくる。

思わず笑ってしまうのだ。

登場人物であったり、ホテル名だったり、いろんなシチュエーションで登場する。

ゴローさんも出てきました。(笑)

「海辺のカフカ」という小説に出てきます。長野県松本市とともに。(笑)

時系列的に言えば、村上小説のほうが先に書かれたものであるから、自分の人生が、村上小説の通りに歩んでいるということになる。読んでいて、あっこいつが出てきた。あっ今度はこの方が出てきた・・・みたいな感じで正直薄気味悪い感じもするのだ。

なぜ、いい気分ではないか、というと、そういう因果な繋がりがある関係だと、自分の未来もそこに書かれているような気がして、怖くて読み進められないのだ。

それだけ因果性の一致というか、なにかあると思います。ほんとうに。

いま4冊目の長編小説「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでいますが、まさかあの方が登場するとは思ってもいませんでした。しかもあんな形で。。。思わず笑っちゃいました。




理系人間だったので、読書といっても自分の仕事、趣味に関する専門書が大半で、小説を読むなんてことは、ほとんど縁のない人種だった。子供の頃に星新一さんのショートショートや、司馬遼太郎さんの歴史小説を読んだくらいの記憶しかない。


「文学の世界を理解する。」


これは日本語の表現の美しさや文学表現の面白さなど、その奥深さを感じ取っていて、面白いと思っているところだ。

しかし、人生55歳になってからは、あまりに遅すぎたか。

いや事始に遅すぎるということはない。

村上さん言うところでは、本は浴びるほど読まなければダメだ、ということ。スポーツ選手が走りこみをすることで、基礎を築きあげるのと同じで、文学については、できるだけ、たくさんの本を読んだほうがいい。

そして自分の人生を救ってくれる運命の1冊に出会えることがあれば尚更いうことはない。

「いつまでも自分の心を打ち続ける一冊の本を持っている人は幸福である。かくのごとき貴重な人生の伴侶がいるのといないのとでは、長い歳月をとってみれば、人の心持ちに大きな違いが出てくるはず」。。。なのだそうだ。



これから人生後半の晩年になるが、本を読んでいくという作法を自分の日常生活に取り込むことも悪くない。












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静止画の美学 [雑感]

プロのカメラマン・ネタで最近もうひとつ思っていること。

それは、最近スマホの発達で誰もが簡単に動画を撮影できるようになった。
なので、FB,Twitter,InstagramなどのSNSでも動画のアップが頻繁にみられる。

もちろんこのことに遺憾を唱えるつもりは毛頭ないのだけれど、自分は”静止画の美学”というのは絶対あると思う。

カメラ、そしてカメラマンが芸術とされるその最たる理由は、”その一瞬”の画像があまりに人の心を捉える、そういう芸術性というのがあるからだ。

プロのカメラマンが、画展、写真展などを開くとき、そこに掲示される撮影してきた数々の写真は、みな”その一瞬”を見事に捉えた作品ばかりだ。

そこに観る人は、みんな究極の感動を覚える。

自分も限りなく、その一瞬の絵に、動画では絶対無理である”静止画の美学”というものを感じてしまう。

これもじつは人物画なんて顕著にその差が出そう。

スポーツ選手の撮影なんてそうですね。その競技をしている最中のスポーツ選手のじつに生き生きとした一瞬のショットは、誰もが感動し、動画よりも与える印象は深い。

さすがプロのカメラマンと思う一瞬だ。

また自分の趣味で申し訳ないのだけれど、クラシックでいうならば、最近はコンサートの模様をプロのカメラマンが演奏中の演奏家の姿、カーテンコールのときの瞬間を撮影され、その楽団のSNSなどに掲載されるケースが多い。

そこはさすがにプロのカメラマン!

みんな、そのアーティストの最高の一瞬を見事に捉えている。

自分は、昔、恐れ多くもクラシックのコンサートのカーテンコール撮影を趣味としていたことがあって(笑)、その素晴らしい一瞬を捉える難しさをよく理解している。

あのような一瞬を捉えるには、もう何百枚という連続撮影をして、後で観たところ、その大半が失敗作で使えるショット、演奏家の方々がいい表情をしているショットは、ほんのわずか、数パーセントにすぎない・・・そんな世界なのだ。

まさにここに静止画の美学がある。

最近、なかなかアピールしすぎるくらい(笑)、強調するショットだなぁ、と思ったのは、先だってのサントリーホールでおこなわれた、DG創立120周年ガラコンサート 小澤征爾さん、アンネ・ゾフィー・ムター、そしてサイトウキネンオーケストラという夢のコラボのコンサート。

これがライブ録音されCDになったが、そのジャケットに使われたこの写真。


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何百枚も失敗作があったに違いない。(笑)

自分は、このように写真の世界が持つ”静止画の美学”に限りなく、その価値観を理解できるので、最近SNSでみられるカーテンコールを動画で撮影アップする手法は、まったく感動できない。

動画だと、冗長的過ぎて、その一瞬のインパクト、その感動具合、アピール度が全然伝わってこないのだ。

だからカーテンコールは絶対静止画に限る!

あっ、でも、動画の投稿のほうがいい場合もある。

それはネコ関連の投稿。(笑)

これは絶対動画のほうがいいです。(笑)

動画に向いているもの、静止画のほうが感動するもの、やはりそれぞれ向き不向きってありますね。







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カメラマンでプロとアマの違いって? [雑感]

今日はプロのカメラマンの凄さをマジマジと感じさせられた。

すみれ村中伸宜さん監修という宣伝の味噌ラーメンで、とてもソソラレルお店があった。

これがプロ撮影の写真。

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これはそそられた!
本家のすみれより美味しそう!

でも実際行ってみたら、こんな感じで、アマのボクが撮影した写真がこれ。

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肉眼で見た感覚は、限りなくボクの写真の通りである。

そのときある意味、プロ撮影の写真は詐欺だと思った。(笑)


最近読んだコラムで、カメラマンで、プロとアマの違いってなに?という記事を読んだことがあって、それに感心させられたことがあった。

昨今の撮像素子の発達、高画素で誰もが簡単に綺麗な写真が撮れる時代。

ましてやFB,Twitter,InstagramなどのSNSで、みんな写真映えする綺麗な写真を誰もが簡単にアップできる時代。

誰もが簡単に綺麗な写真を撮れるような時代になった。

そんなときに、カメラマンでプロとアマの違いってなに?というお題になる。

ずばりプロのカメラマンというのは、カスタマー、お客さんから、こういうところをアピールしたいというニーズをいただいて、その写真を観ただけで、依頼カスタマーが喜ぶ、その要求通りの写真を撮れるのがプロなのだ。

カスタマーからお金をいただいているのだから、その対価に見合った適切にアピールする写真でないといけない。

ただ綺麗な写真じゃダメなのだ。

なにをアピールするのか?その写真を観ただけで、一般人がそこに気が行くような写真でないといけない。

それが出来るのがプロのカメラマン。

それでお金を稼いで生計を立てている。

プロのカメラマンは、依頼主から絶対その要望ってもらっているから、そこを強調できる写真を撮れるのがプロ・カメラマンのテクなんだろうね。

構図の取り方、照明などいろいろあるに違いない。

どんなに綺麗な写真でも、そのニーズがアピールできていない写真はプロじゃない。

高画素カメラの時代、プロのカメラマンが生き残っていくには、こういうところが鍵になっていくに違いない。

自分も写真を撮影するのが好きで、自分の日記は写真日記なんだけれど、こういうプロのカメラマンとしての定義を考えさせられたとき、う~んと考えさせられることが多い。

人物画なんてセンス必要ですね。

自分の趣味のクラシックで言うと、クラシックの演奏家の方々は、一番フォトジニックなときを選んで肖像ショットを必ず撮る。その演奏家の方々のその後の宣伝に使う肖像写真であるから、とても大事。

加齢とともにどうしても人間は衰えてしまうから、そのスナップショットはそのいいときに撮らないといけない。

そこはやっぱりプロのカメラマンだと思うんだよね。
みなさん上手。その演奏家のとてもいい表情を撮ってます。

今日のラーメン事件で、やっぱりプロのカメラマンは、スゴイ!と唸った一日だったのでした。





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謹賀新年2019 [雑感]

あけましておめでとうございます。


昨年は拙ブログを読んでいただき、誠にありがとうございました。
明日の出社から新年度スタートとなります。


2年振りに北海道に帰省しまして親孝行してまいりました。
久し振りに帰ってきた息子に、毎日の御馳走攻め、そして先だっての仙台での食道楽、大晦日、元旦と、まさに身体、腹回りとも危険水域でございました。(笑)


明日から絞りに絞って、また節制して元に戻さないといけません。

昨年を振り返りますと、アクシデントなく平穏、無難に過ごせた1年ではなかったか、と思います。
最悪だったその前の年(2017年)に比べますと、きちんと自制が効き、コントロールできた1年だったように思います。


今年2019年の抱負も、特に大きな目標は掲げておりません。


昨年同様に、平穏に自分の出来る範囲で人生を楽しむ、ということです。

どんな小さな目標でもいいので、目先に自分の目標を作って、それに対して一生懸命準備・用意をしていき、さらには楽しみ、生きがいと思えるように盛り上げていって、そして最後に思いっきり謳歌する・・・こういうことの積み重ねをすることで、1年をとても充実して過ごせるようになるし、ある程度決まった年内の予算内で人生を楽しめる、そんな生き方を最近学んでこれたように思います。


コンサートであれ、旅行であれ・・・


別に世のトレンドに合わせる必要はまったくなく、自分の世界の中で、自分で盛り上がっていって、それで満足できる自分がいるなら、それはそれで幸せなんではないだろうか?と思えるようになった訳です。よそ様は気になるかもしれませんが、自分は自分という考え方ですね。


・クラシックコンサート鑑賞について。


いままで通り変わりません。自分のアンテナにビビッと来たもの、自分のクラシック鑑賞人生でどうしても避けて通れないもの、ここはどうしても自分が抑えないといけないもの、その方針で取捨選択して楽しみます。ここ5~10年の間に大体抑えるところは抑えたように思っていて、なんでもかんでもコンサート通いをしまくる、というフェーズは終了したように思います。


新しいトレンド、流れに追って解析・評論していく必要はないと思います。自分は音楽評論を仕事としているプロではありませんので、自分の嗜好の範囲の中で完結することでよいのではないか、と思っているのです。


・旅行について


小さな規模の小旅行を積み重ねていきたいと思っています。
コンパクトな予算重視。それでいて、自分の価値観に合う、自分が面白いと思えるような・・・今年も国内が中心になっていくと思います。基本はクラシック演奏鑑賞を挟んで、だと思いますが、それにこだわる必要はないと思います。ちょっとしたこと、グルメでも散策オンリーでも、日帰りでも楽しいし。やはり自分は、旅行が大好き。インドアよりも外でいろいろ鑑賞して、感動するのが好きな性分なのだと思います。


・オーディオについて


オーディオには一定の距離を置きたいと思っております。
自分の性格、人生の価値観の基準に寄るのですが、物欲に投資するよりも、旅行や、グルメ、芸術鑑賞などに投資したほうが、とても人生前向き、明るい気持ちになれるのです。そのほうがずっと前向きで、人間らしい生活をしているような気がするのです。


正直言いますと、いまのオーディオ業界で取り上げているテーマには、まったく心ときめかないというか、ソソラれないというか、なんかすでに一段落卒業したような気分なのです。


オーディオの友人が日記で言及していたのですが、ハイエンド・オーディオという趣味は、心の余裕、お金の余裕、時間の余裕、この3つがうまくかみ合わないと、なかなかうまく実行できない難易度の高い趣味だということは自分も強く感じ入るところです。


特に心の余裕とお金の余裕。さらに言えば後者ですかね。(笑)
やはりInvest(投資)して、なんぼの趣味だと思います。


そうするとそこまでしてハイリスクを背負っても、得られるリターンというのは、自分の物差し基準だと、コンサートなどの芸術鑑賞や旅行、グルメには到底敵わないというか、それと同等の快感が得られるとは思えないのです。オーディオだけではありません。


映像が絡んだAV(Audio&Visual)でもそうです。
自分は、4K/8KはTVやレコーダを欲しいとは現時点では全く思いません。


時期尚早ですね。


コンテンツの問題が大きいし、アナログ放送→デジタル放送に切り替えたときほどの絶対的なマーケットへのインパクトはないと確信しています。


あのときは、もうそうしないとTVが観れないのだから、もう無理やり買わないといけなかった。必須条件だった。そうやってデジタル放送の2KのTVをようやく買い替えしたのに、すぐに4K/8Kといって、世間一般の人はそんなに何十万も出して、またすぐに買い替える必要性って感じるでしょうか?


AV(Audio&Visual)に関心・指向のある層だけではないでしょうか?


4K/8Kは前向きな技術ですから、普及しないと困りますが、普及するにはもっと長いスパンで観ないとダメでしょう。そんなに焦らなくてもいいと思います。


現時点で自分は、4K/8Kに投資するつもりは毛頭ないし、オーディオでさえまったくないので、私生活の趣味に関しては、技術系よりはもっと旅行、芸術鑑賞のほうに費やしていきたいですね。自分の年内の予算は限らているのですから、その予算内で人生を楽しむには、そのほうが人間味があって前向きな人生のように思います。


SNSの日記でもオーディオの日記は、もうしばらくは書かないと思います。
自分のマイミクさんは、みんな大変素晴らしいオーディオマニアばかりですので、自分がその分野で主張しなくてもいいと思います。(笑)


今月で55歳になりますが、この年になると世の中の仕組み、会社の仕組みというのが見えてくるというかわかってきて、仕事のやりがいのほうも認識が変わってきます。ダメでしょぼくれるか、ノリに乗って謳歌するかですが、幸い自分は後者だと思っております。自分なりにやりがいのある仕事だと思っていますし、社内でもいい流れにある。いわゆる立ち上げ感、築き上げ感があって、このいまの年齢が一番脂の乗っている時期なんだと自分では思っています。


以上いろいろ述べてまいりましたが、結局は去年と変わらず、平穏無事に今年1年が過ごせればという気持ちに変わりはありません。自分のインスピレーションは大切にしてまいりたいと思っております。あるとき、夜中に突然、頭に中に湧き出てくるように、日記に書き留めておきたい、と思ったことは、どんどん書いていくつもりです。


それが周りの事象とシンクロしても気持ち悪がらずにです。(笑)

こればかりは自分で意識できないこと。コントロールできないことなのです。


そういうことで、今年一年も、このブログでまたお付き合いいただければ、と願っております。
本年もよろしくお願い申し上げます。




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我が故郷は、札幌から1時間くらい北の方に位置するのですが、大変な豪雪地帯で、特にニュースでご存知のように、今年度の年末年始は寒波到来で大変な豪雪となってしまいました。


我が故郷の街の駅の風景です。



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2年振りに帰省しましたので、その間海外も行っておりませんので、飛行機に乗るのも2年振りです。ちょっとびっくりしたことがありました。水平の翼の先が、ぐにゅっと上向きになっているのです。LCCの全航空便も全部そうなっていましたし、ANA/JALなども全部そうなっておりました。このようにすることで、確かに感覚的に、機体が空中で浮力などを受ける関係上、飛行の安定感が増すような感覚がします。直感的ではありますが。


国際線もみんなこのような感じになっているのでしょうか?







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海外赴任の本住居を決める前の仮宿泊 [雑感]

ドイツの朝ごはんの日記を書いたら、急に思い出した海外赴任時での生活。それもまず渡欧して、自分の住居を決めないといけない。

そのときに物件を探したりして、気に入った物件が見つかるまで時間がかかるので、それまでの間に仮宿泊が必要なのだ。

自分はベルギーのブリュッセルと、イギリスのロンドン近郊のベージングストークという街に住んでいたのだが、各々でいろいろ国による事情が違っていた。

ブリュッセルのときは、4~6か月の長期滞在だったので、もう日本人赴任用のマンションというのが会社借り上げで決まっていて、必ずそこに宿泊することが決まっている。前任者との引き継ぎで1週間~2週間かかるので、その定宿に移るまでの仮宿が必要だ。

それはもうホテルを使う。ホテルで1週間過ごすのだ。朝食はヨーロピアン・コンチネンタル・スタイルのあの例のやつですね。(笑)

ブリュッセルは、もうすでにレールが敷かれているので、あまり問題なかった。

イギリスに赴任するときは、結構いろいろな想い出があった。

赴任になると、家は自分で探さないといけない。
不動産屋さんに直接行って、物件をいろいろ紹介してもらうのだ。

その物件が決まるまで、やっぱり仮宿が必要。

もう25年以上前のことなので、記憶が薄っすらなのだが、その仮宿って、イギリスのB&B(Bed&Breakfast)じゃなかったんじゃないかな?と思うのだ。

B&B、いわゆるベッド&ブレックファーストというのは家族経営による小規模な宿泊施設のこと。
通常の住宅・民家をリフォームしている宿が多い。とにかく安くていいですね。

期限は、自分の住まいが決まるまで、ということなので、特に制限はないのだけれど、やっぱり常識というものがあって、あまり長居はできないので、そこそこで決めないといけない。宿泊料はたぶん会社持ちでした。

とにかくふつうの一般の家と見掛け上変わらなくて、それを宿として改築している感じ。
自分の部屋は、まさにベッドが1つあって、そのベッドのスペースのみの部屋で、マンションの1Kよりも小さいし、ホテルという感じでもない。トイレやバスルームは共同。そして朝食のみの提供。
階段で2Fに上がっていった記憶があるんだよね。

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自分の場合、部屋はこんなに広くなかったです。
ベッドのスペースのみ、という感じでしたから。

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毎朝の朝食をとるダイニングはまさにこんな感じ!
この写真は、自分がまさにいたところじゃないの?と思うほどソックリ。
こういう木製のテーブルで何人も共同で食事するスタイル。
そして大きな窓があって、そこに陽の当たる素敵な芝生の庭が一面に広がっているのだ。
その庭の風景いまでも鮮明に覚えている。


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朝食は、こういう定番のイギリスのブレックファーストという感じでもなかったような気がするんだよね。もう少し温かみのある感じの食事だったような。でも目玉焼きとソーセージ、とかは定番だったかな?


オーナーのおばさんは、まさにイギリス婦人という感じの方で優しい方だった。

いま考えてみたら、この朝食を取るとき、一応時間が朝7時からとか決まっているのだが、不思議と自分が2Fから降りてきて朝ごはんするときは、自分1人だったな。

そしていまじゃよくやっていたなぁ、とか思うが、朝ごはんを食べながら、その婦人と世間話を数分するのが日常だった。(もちろん英語で!)

だって、ご飯食べたら、Thank Youでそのまま黙って自分の部屋に戻ったらあまりに失礼というか、ましてやこれからイギリスで生活して仕事していく訳だから、そんなことくらい普通にやれなきゃということもあったな。

結構ちゃんと会話として成り立っていて、自分の言葉も伝わっていて、ちょっと自信になりました。

とにかく、これから始まるんだな~というちょっとした緊張感が、この仮宿にいる1週間にはあって、このダイニングでの朝食時の環境と婦人との会話は鮮明に覚えています。

この仮宿に泊まっているときのちょっとしたハプニングもあって、お風呂はシャワーもあるのだけれど、ちゃんと湯舟につかれるバススタイルで、お湯を張っていた時に、自分が目を離した隙に、お湯があふれてしまい、外にそのお湯が流れ出ていて、周りがベチャベチャになったことがありました。

自分は、婦人に何度も謝り、「全然気にすることないわよ。」と言ってくれてホッとした想い出がある。


イギリスの住居のスタイルとして、

デタッチド・ハウス(1戸建て)
セミデタチッド・ハウス(つまり1棟に2住宅は入っている。)
パーパスビルト・フラット (マンションタイプ)

とかかなりの複数種類あって、(いわゆるみなさんがイギリスで見るあの独特の家です。)自分はASTRAアンテナ付き(笑)の1戸建てを借りました。なかなかいい家。(東京じゃこんな立派な家は間違っても住めないなぁ~と思い、この時だけの贅沢と当時は思ってましたよ。)

結構そういう戸建ての住宅街という感じで(でも密集していないのがいい)、よく近所でホームパーティーに誘われたりしてました。へ~、海外でのホームパーティってこんな感じなのか~とかいい経験。

もちろんファーストネームで呼ばれていました。(笑)

会社では、日系企業だから日本人赴任者は、-sanとして尊敬をもって接してきますので、ファーストネームで呼ばれるとなんとなく親近感が・・・(笑)

ときどき夜に街に出かけたりするため、家の前に停めている車で出発するんだが、お近所さんはよくそのことを知っていて、「お前は、日本人だから夜に会社に行って仕事しているだろ?夜は、ちゃんと家で家族とゆったり過ごさなきゃダメだ」とよく言われていました。(笑)

あと、「お前の英語は完璧なビジネス・イングリッシュ。もっと土地にあったこなれた英語を学んでいけ。」ってなことも言われましたね。(笑)


やっぱり観光旅行で海外でリフレッシュするのと、実際その国で暮らしていくということでは、大違い。海外で暮らしていると、日本で当たり前ですぐにパッとできたことが、海外では意思が通じず、いつまで経ってもなにも変わってない、あれ?伝わっていなかった?(笑)なんてことは日常茶飯事。

また自分は日系企業で自分の会社で、海外赴任するということだから、会社内では到底日本人は、高い位置で待遇されるが、実際、海外で生活した時に、そういうのではなく現地の会社に就職となれば、人種差別や労働条件はもっともっと厳しいはずです。

あと、自分はもういくつも持病を持っているので、海外で暮らすのは無理かな、と思いますが、海外で病気になった時ですね。ロンドンには日本人がやっている病院があって、そこは内科から精神科までオールラウンドプレーヤー。助かりました。病院は結構大事だと思いますよ。

床屋もロンドンの日本人がやっているところに行っていた。

毎日の食事は、当時は日本食は高級食で、ロンドンに行かないとダメで、毎日中華料理を食べていたような記憶があります。中華料理って、やはり優秀で、ヨーロッパのどこの国に行っても必ず中華料理って存在するんだよね。(笑)もちろんイギリス料理もよく食べていましたが。

これだけ言えることは、いま小さなお子さんがいらっしゃるご家庭なら、お子さんにどこかのタイミングでぜひ海外生活(ホームステイや留学など、将来的に仕事で勤務がいいですが。)を経験させるように勧めるのがベスト。

海外生活の経験は、その人の人生で将来必ずなにかしらのプラスになります。

それだけは自分が心底そう思うことです。

自分が悔しいのは、あの頃にクラシック音楽に傾倒していたなら、ヨーロッパのあらゆる国のコンサートホール、オペラハウスを体験できたのになぁ、ということ。

世の中、そんなに甘くないです。
そういうチャンスがあるときに、不思議とその価値観を理解していないことが多い。

それが人生というものです。(笑)






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チケット券売力 [雑感]

沢田研二さんの開場間近の公演ドタキャン問題。当初はそのありえない非常識な行動に非難ごうごうの態様だったが、その後沢田研二擁護論のようなものも散見されるようになってきた。

この人の開場間近の公演中止発表理由は契約書に「客をいっぱい入れること」と書いてあったのにチケットが売れていないからとか。


なんか、擁護論では、

・ハコがでかすぎる、と事前に沢田側から興行主に指摘していた。
・契約書では9000人入れること、という条件を沢田側から申し出ていた。
・でも実際の入りは、7000人弱。
・公演当日まで、興行主はそのことを沢田側にダマテンしていた。
・当日その事実を知った沢田は、契約違反としてキャンセルに踏み切った。


ということらしい。

もちろん真偽のほどは、闇なので、それを考慮したうえでお話しする。

擁護論では、契約で具体的な人数、というかハコをいっぱいにするという約束をしているのに、それが実現できなかった。そのときに興行主から、お客さんも入っていることだし、どうかそこをお願いします、と頼まれる。

一度そういうことを許したら、これからもずっとそのたびにこのような言い訳のもとに公演をやらないといけなくなる。示しをつけるためにも、ここはやってはいけない。

そういう気持ちもわかるんだよなぁ、ということらしい。

音楽ファン、コンサート通いが好きな自分からすると、それ、もう論外である。
そういうことを絶対許してはいけない。

自分からするとあり得ないことだ。

自分なんかそうなんだが、この日のコンサートのために、高いチケット代を争奪戦のうえ、勝ち取り、数か月前から本当に楽しみにしていて、いろいろ予習もしていたりして心ときめいていたりする。

そうやって臨んだコンサートの当日、いきなり会場でそんな仕打ちにあったら、合点がいかないだろう。

さらに後日、その理由がそんなんだったら、もう憤りを感じること、間違いなしだ。

やっぱりアーティスト側、演奏家側は、どんな理由があっても、それだけの高いチケット対価を支払って、来てくれたお客さんに対して、ちゃんと誠意をみせるべきである。

期待を裏切るようなことは絶対してはいけない。

これはアーティスト側にどんな事情があろうとも、音楽ファンの自分からすると譲れない一線である。

今回のような理由は、この日のために集まった7000人のファンに対して、裏切り、失礼極まりない行為だと自分は思う。

このような仕打ちをうけると、ファンはそのアーティストに対して、今後不信感をいだくことも間違いない。


契約書に「客をいっぱい入れること」と書いてあったのにチケットが売れていないから・・・。

日本国内専門のタレントでそんな契約はあり得ないそうだ。
(ポール・マッカートニーなんかはそれが明記されているそうです)

これはある招聘元の方の投稿だが、結構生々しい実際リアルなビジネスの経験談で感心した。


公演1週間前に売れてないものは当日まで売れないことなんて関係者なら誰でも分かっていること。

クラシックも来日ポップスも、チケットは発売当日と1週間後で「イケるかコケるか」予想できる。駄目そうなら赤字覚悟で宣伝費を投入。公演1ヶ月前になっても駄目なら、関係者が出演者のプライドを守るために理由を作って延期でなく中止発表の検討に入る。

主催者は大損で、出演料は全額払うし、会場費、宣伝費、印刷費など使ったものは無駄になり、スタッフや移動滞在費のキャンセル料も請求される。そしてプレイガイドからは払い戻し手数料も。

全てはアーティストの「チケット券売力」を主催者が読み違いしたことが原因である。
しかし、アーティストは自分のギャラの高さが原因の高額チケット設定と自分の人気のなさを認めずに、しっかり契約金を受け取る。

この手のアーティストだけが儲かる企画は誰もやらなくなりますよね。

他国で人気があっても、知名度がない国ではチケット売れません。
興行主にとって実力でなく人気が命です。


・・・だそうです。

シビアだな。(笑)


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主催者、興行主、招聘元の仕事って本当に大変だ。

音楽ファンだったら、純粋に自分の応援している演奏家、歌手などのコンサートをホールで体験したい!

その想いだけで十分。

そしてコンサート終了後には、鑑賞日記やつぶやきをして、その感動をみんなとシェアする。
それだけで人生十分すぎる。

でもそれを実現するには、本当に招聘元さんのお仕事に感謝するしかない。
もう彼らは、黒字、赤字のリアルな結果として自分に帰ってくるから、つねに真剣勝負なのだ。

そんな彼らがいるからこそ、そんな楽しい趣味の世界も成り立つ。

でも芸術の世界に、そういうお金の話を前に持ってくるのはある意味タブーというか、それはみんな当然わかっていることだし、感謝はするものの、あまりそのことを強調されると、なんか自分が卑屈に感じたり暗くなっちゃう、というようなこともあるだろう。

ある意味、因果な商売なのかもしれない。


コンサート鑑賞人生を送っていると、自分がよく思うことに、自分が秘かに心を寄せているアーティストが来日してくれないかな~、どこか誰か呼んでくれないかな~とか思ったりすることがある。

自分が応援するアーティストって、ある意味商業路線まっしぐらというよりは、かなりマニアックな類の方が多いので、そういう思いをすることが多い。

でもそれイコール、集客できるかどうか、の判断をかならず仰ぐことになるんだよね。

招聘元は、集客できるかどうか、ペイできるかどうか、かならず計算する。
でもその計算の中には、そのアーティストの将来性や、日本のマーケットで育てていきたい、というような戦略もあるのかもしれない。

そんな事情もわかるから、最近はむやみやたらと呼んでほしい~などという妄想はせずに、実際実演に接したいなら、現地まで自分が足を運ぶ、という冷静な考えをするようになった。


女性ヴァイオリニストが独奏の場合は、なぜメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なのか?(笑)

ヴァイオリン協奏曲の場合、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、ベートーヴェンと大体が相場が決まっている。

ヴァイオリン愛好家の自分なんかは、そのような曲は、もう食傷気味なので、もっとブリテンやヒンデミットとか滅多にやらない前衛的なものをやってほしい、とも思うんだが、やはり招聘元は集客できるかどうかを第一に考えて演目を決める。

前者にあげたものは、やはりお客さんが対価を払って、それで実際満足できるキラーコンテンツなんだろう。

でもそればかりだとニッチでコアなファン層の不満が溜まってくるから、その都度、ガス抜きをして、目新しさを演出、というようなことの繰り返しなのかもしれない。

いずれにせよ、主催者、興行主、招聘元というお仕事は、”いま”を読む独特のアンテナ感度が必要な職業で、それが直に自分の利益、損に帰ってくるから、本当に大変な仕事だとは思います。






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鎌倉紅谷 [雑感]

鎌倉紅谷の存在を知ったのは、数か月前だったか、アマゾンなどのネット販売で、彼らの代表的な商品である「クルミっ子」というお菓子が、とんでもない値段に高騰になっていて、いわゆる転売なのではないか?という疑いもあって一躍ニュースになったことだった。

なんでも、1000円くらいのお菓子「クルミっ子」が5000円とか、2500円くらいのお菓子「クルミっ子」が8000円とか、そんな値段でネット販売されていた。

これはおかしい!ということで話題になったのだ。(笑)

それまでまったく存在を知らなかったので、このことで、鎌倉紅谷の存在を知った。
鎌倉マイブームの自分としては、これはぜひこのクルミっ子を食べてみないといけないなぁと思い、値段が正常に下がるのを待って、ネットで買ってみた。

本当に小粒なお菓子で、そのときは正直こんなものかな?
食べてみても、なんかとりわけ日記にするほどのインパクトもなく、少々がっかりした、という感じだった。

あれから数か月経って、ふたたび鎌倉紅谷が自分の前に現れた。
彼らは、鶴岡八幡宮前の本店のほかに6店舗のお店をもつ大きな組織なのだが、その八幡宮前 本店が10月20日にリニューアルオープンになるというのだ。

SNSで偶然見たのだが、その新しいお店の店構えがすごく洗練されていて、とてもお洒落。建物の色使いとか、自分の感性にビビッと来る感じで、これはぜひ行ってみたいと思ったのだ。

さらに八幡宮前 本店の2Fには、おそらく鎌倉紅谷のお店としては、初と思われる、クルミっ子専用のカフェ「Salon de Kurumicco(サロン・デ・クルミッ子)」がオープンになった。

そのカフェの内装がとてもお洒落。そしてそのカフェのメニューがじつにカラフルで、芸術品ともいえる美しい品々。これは、すべてにおいて、自分の感性に合う感じで、これはぜひ取材に訪れて日記にしたいなぁと思ったのだった。

これが事の顛末。

ここで、鎌倉紅谷について、その歴史とこだわり、商品などふくめ、ちょっと紹介してみよう。

鎌倉紅谷 公式HPより

https://www.beniya-ajisai.co.jp/


鎌倉紅谷の歴史は、神楽坂から始まった。

戦前、東京・神楽坂に山手一といわれた和菓子舗紅谷があった。戦後、腕利きの職人たちは、その看板を背負って全国各地で新たな紅谷を開いたのだった。のちに有井弘臣と共に鎌倉紅谷を創業することになる有井鉄男も、その中の一人であった。

昭和二十九年十月、鎌倉市雪ノ下十二番四号の北条泰時小町邸跡地に二人は力を併せて菓子処紅屋を創業し、同三十一年一月には合資会社紅谷となり現在に至る。



ずばり鎌倉紅谷は、いわゆる和菓子屋さん。鎌倉土産として有名なクルミっ子をはじめ、たくさんの代表作品がある。

「いい国つくろう(1192年)鎌倉幕府」を文字って、「いい菓子つくろう鎌倉紅谷」をスローガンに、和の品格の中に洋の華やかさをもち、なにより古都鎌倉らしさを感じさせるそんな鎌倉を代表するお菓子を作っているお店なのだ。

すべて職人の手仕事による、まさに創作和菓子の世界。
そこが素晴らしいところかな。

その鎌倉紅谷を代表するお菓子を紹介。

クルミっ子 


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まさに鎌倉紅谷の顔ともいえる代表作品。鎌倉土産のお菓子としても有名だ。
キャラメル、クルミ、生地、職人の手仕事。
すべてが揃った普遍の定番中の定番。

自家製キャラメルにクルミをぎっしり詰め込んで、バターの生地で挟み込む。
三つの素材が組み合わさって、贅沢なおいしさに仕上がり。

鎌倉紅谷の定番にして超のつく人気商品、それが“クルミッ子”だ。

たしかな甘さを感じながら、くどくない仕立て。絶妙なキャラメルとクルミの配合に加え、しっかりとした生地が全体のバランスを整える。

はじめて食べたときは、あまりインパクトがないと思ったが、いま改めて食べてみると、キャラメルの味が強烈な甘みでコクがあって、これがこのお菓子のすべてを支配していますね。
それにクルミの味、バターの生地が相まって絶妙な食感。

香ばしいというか美味しいです。
結構濃くて旨みが凝縮された感じのお菓子です。

改めて食べてみたら、ようやくその素晴らしさ、美味しさが理解できた。
やっぱりものごとというのは愛情をもって接しないとその真理は見えてこないね。 

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このクルミっ子には、ロゴマークがあるのだ。
レトロなリスの絵。この絵が好き!可愛い!という方も、けっこういらっしゃるそう。
なぜリスかと言えば、鎌倉にはリスが多いこと、クルミはリスの好物であること、などが由来だそうだ。

このリスのマークは、このあとで紹介する八幡宮前 本店の店内で驚きのしかけがあるのだ。(笑)

そのほか、あじさい、鎌倉だより、鎌倉の鐘、はちまんじゅう、アップルフィーユなど、まさに鎌倉紅谷の職人たちによる創作お菓子の世界がたくさん待ち構えている。


さて、さっそくお目当てのリニューアルオープンした八幡宮前 本店に行ってみる。
鶴岡八幡宮の正門のすぐ前にあるのだ。

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黒、ベージュ、そして赤というまさにお洒落カラーの王道の組み合わせですね。
鎌倉紅谷に興味を持ったのは、まずこのお店の雰囲気がとても素敵だということ。
自分の目に間違いはなかった。

お店は、おおきく2つにわかれる。

1Fがいわゆる鎌倉紅谷がお届けする自慢の創作和菓子の物品販売コーナー。
そして2Fが、鎌倉紅谷のお店としては初のカフェ「Salon de Kurumicco(サロン・デ・クルミッ子)」だ。このカフェで提供されるスィーツ、お菓子の品々は、いわゆる彼らの定番メニューのお菓子とは、また別のまったく新規のメニューなのだ。だから1Fで定番の和菓子を買って、このカフェでまた別のスィーツ、お菓子を頼むなど2重の楽しみ方ができる。

まず1階の物品販売コーナーから。

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すでに箱詰めされた和菓子セット。
中をよく見てみると、鎌倉紅谷の看板メニューであるクルミッ子とあじさい、そして鎌倉だよりのお菓子の3点セットの詰め合わせのような感じ。



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そしてこちらが看板メニューのクルミッ子。
5個入り、8個入り、16個入りの3タイプがある。
自分は、16個入りと8個入りを買いました。


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”秋のぬくもり”と題した特別の創作和菓子も展示されていました。
美しすぎる!



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店内には、秋の紅葉を感じさせる置物もあり、素敵でした。


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店員さんの背後にある紅色の紅谷のロゴが強烈です。



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このなんでもなさそうな煉瓦作りの壁。
じつは、これには彼ら独特の遊び心というか拘りがあるのです。

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この1個1個のブロックが、じつはクルミッ子のサイズとまったく同じにできているのです。
そしてクルミっ子のロゴマークであるリスのマークがこっそりと忍ばされているのを発見しましたか?(笑)


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このようにどこかのブロックに、リスのロゴマークが印字されている。遊び心満載。



さて、もうひとつのお目当てである2Fのカフェを訪問。
なかなか雰囲気がある店内で素敵です。
ここでパソコンを持ち込んで作業したり、文筆の作業をすることは禁止です。(笑)


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とにかく、定番の和菓子メニューとはまったく別のこのカフェ独自の新規メニューを楽しめる。
まさにここでしか味わえない新しいクルミッ子をコンセプトとしたデザートやドリンクなど。
正直どれもすごく魅力的で悩む。でもどれにするかは訪問する前から決めていた。

その中で、自分が選んだのは、そのメニューの中で最高傑作作品。

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そのお店の名前をそのままあしらった「Salon de Kurumicco(サロン ド クルミッ子)」。
まさにスペシャリテな豪華なプレート。¥2500

これまでの歴史を重んじるとともに、これからの鎌倉紅谷の可能性をこのひと皿に表現したのだとか。

スィーツ大好き、甘党男子!の面目躍如である。(笑)

これを頼むには、事前に予約が必要です。

それぞれの1品について、各々どのようなものなのかはじつはインターネットのHPにも掲載されていなく、その情報がほしいといったら、女性店員さん、わざわざ写真掲載されている紙に直筆で全部の品の解説を書いてくれた!

優しい~(感激)。
達筆でした。(^^;;
                                                      
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プレートの左下から、ピスタチオとストロベリーのムース。その横が冬和(ふわ)かさね(りんごとキャラメルのケーキ)、その横がデセールクルミッ子(キャラメル、ミルクチョコのムースをサブレでサンド)、そして自家製プリンです。

美しすぎる!!!

なんか食べてしまうのがもったいないような芸術品ですね。
この芸術品を拝見するだけでもこのカフェに来る価値ありと思います。

この世とは思えない口の中でとろけるような食感でした。
最高に美味しい。



このカフェを経験するなら、ぜったいこのスペシャリテのワンプレートだと思うのだが、じつは他のメニューも本当に美しくて、全部注文したい衝動にかられた。(笑)

いくら取材のためとはいえ、男1人で、つぎからつぎへとこういったメニューを頼んでいたら、やっぱり変わってる(笑)と思われるので、やめときました。(^^)


でもあまりに美しく紹介したいので、HPの写真を借りて試みます。

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Fromage UKISHIMA (フロマージュ 浮島)¥850

日本の伝統菓子「浮島」の作り方を用いた、しっとり食感のチーズケーキ。
クリームチーズとヨーグルトのさっぱりした味わいの中に白餡が優しさと奥深さを生み出している。上にふりかかっているあらく刻んだであるのが、まさにクルミっ子。



ここで、日本の和菓子「浮島」という専門用語が出てきました。
思わず勉強のために、調べてみました。




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浮島

浮島は、お茶会などでも出される棹菓子で、蒸し菓子の一つ。
和菓子屋さんであまり見かけません。

浮島は別名「蒸しカステラ」とも呼ばれている。
浮島はあんをベースとした和菓子でもある。
しかも材料のほぼ大半があん。だからあんこ好きにはおすすめしたい和菓子なのだそうです。

名前の由来は、その形から来ています。

蒸すと生地がぽっこりと浮き上がります。浮き上がった部分が「水面にぽっかり浮かび漂う浮島」に見えるところから、名付けられたそうです。

勉強になりましたね。(笑)
まさに和菓子の世界、勉強中です!



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Dessert Kurumicco (デセール クルミッ子)¥850

サブレ生地でサンドされているのは、クルミッ子のキャラメル、ミルクチョコレート、プラリネをベースとしたムース。シェフの遊び心から生まれた、見た目はクルミっ子でも全く違うスィーツになりました。



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Montblanc Unique (モンブラン ユニーク)¥870

フランス産マロンペーストとクルミっ子のキャラメルで作ったクリームを、パートフィローに入ったあらく刻んだクルミっ子とヨーグルトアイスクリームの上にたっぷりと。



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Kurumicco Parfait (クルミっ子 パフェ)¥1000

これはガマンできず、思わず頼んじゃおうかなーと思った1品。
コーヒージュレ、チョコレートムースの上にローストしたクルミとサブレのパウダーを散らし、塩キャラメルとミルクのアイスを沿えて、クルミっ子をパフェとして再構築。まさにこのカフェでしか味わえないとっておきのパフェ。


このように、もう彼らの定番メニューの和菓子とはまったく別物。このカフェオリジナルのスィーツなのだ。このカフェも7店舗あるうちのこの本店にしか存在しない。

鳴り物入りで宣伝しているのもよくわかるような気がしました。

家に帰って、さっそく買ってきたクルミっ子を開封。

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キャラメルの味が濃厚で、濃い凝縮されたお菓子ですね。


今回、ひさしぶりに鎌倉にやってきた理由は、もちろん、この鎌倉紅谷表敬訪問なのだが、もうひとつミッションがあって、それは江ノ電の鎌倉駅にある「無事カエルくん」の写真を撮影すること。

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江ノ電鎌倉駅の線路のエンドにいるカエル。イベント時期には仮装していることもあるとか(笑)。
なんでカエルなのか? 

江ノ電利用客が無事「カエル」ことを祈って職員が設置したのがきっかけだそう。
現在では鎌倉駅美化プロジェクトに組み入れられ、年6回ほど模様替えを行っているのだそうだ。

鎌倉、江ノ電ファンにとって、この線路のエンドにいる無事カエルくんを後方から見据えて、この構図のショットを撮るのが慣わしなのだ。


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無事カエル。(笑)

このショットの江ノ電はぜひ旧型車両355型で撮りたかったんだが、いつまで待っても来ない。
駅員さんに聞くと、今日は355は端につながることはないという。

江ノ電車両もどんどん新型車両に切り替わっていって、355型がどんどん減っていくのはさびしい限り。やっぱり江ノ電といえば355型車両なんだよね。


(2019.6.16後記)
そして数か月後、江ノ電の鎌倉駅で、旧車両で「無事カエルくん」の撮影に成功。このアングルを旧車両で撮影したく、ずっと待っていたのですが、上記のようにまったく縁がなかったのですが、この寒い日、なんと3回も出会えました。(笑)


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鎌倉駅構内はすっかり秋模様。

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この江ノ電ショットを撮りたかったのと、駅構内をぶらぶら、鎌倉コロッケを食べたり、鎌倉ハムを食べたり。ひさしぶりの鎌倉なので、例の”かかんの麻婆豆腐”を食べたくて(それも今回の大事なミッションでした)、夜の開店が17時半からなので、ここからまたどこか出掛けるのも億劫なので、7時間もずっと駅構内で過ごして(ベンチに座りながら来る江ノ電と喧騒の人々を眺める。)、駅員の人に大層驚かれました。(笑)











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人生初めての楽屋口出待ち [雑感]

クラシック鑑賞人生において、いやその前のロック人生においても、楽屋口で出待ちするという行為は、プライドが許さないというか、抵抗感があるというか、自分で進んでやることは、まずなかった。

今回のグルベローヴァさまのリサイタルも当初は、そんなことはまったく頭になかった。
でも今回は日本最後のリサイタル、永遠のお別れだ。

当然日記を書くことは必須。

そうなるとやっぱり自分の日記で、写真がないのはあまりに寂しい。
かといって掲示板やホール空間ではあまりに味気ない。

やっぱりグルベローヴァさまが映っている写真がほしい。

でもいまや国内でカーテンコール撮影をするほどの勇気や精神力もなし。(笑)
残されたチャンスは、サイン会だ。最後のお別れだから、きっとやるに違いない。

そんな淡い期待を抱いて、リート・リサイタルを聴きにミューザ川崎へ出向いた。

さっそくレセプショニストの女性に聞いてみた。

そうするとサイン会は残念ながら、やりませんが、楽屋口で出待ちすると会えると思います、という回答だった。

楽屋口出待ち!!!

まったく想像だにしていなかったアイデア。
そうか!楽屋口で待っていれば、私服のグルベローヴァさまに会えるし、そういう貴重な写真が撮れるに違いない。

自分にとって初めての経験。
あれほどミーハーな感覚が嫌だったのに、まったく素直に受け入れた。(笑)
逆を言えば、私服姿のグルベローヴァさまを拝見できるので、かえってナイス・アイデアだ。

しかも確実に写真が撮れること間違いなしだ。
カーテンコールのように失敗する確率が多いリスクはない。

ミューザ川崎の楽屋口ってどこにあるの?
これは意表を突く迷路だった。

チケットセンターの右横の交流室の中に入っていって、トイレのある方向にまっすぐ突き抜ける。
かなり歩く。遠いところにある。


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こんなところに楽屋出口があるって、どれくらいの人が知っているのだろう?
一緒に行列に並んでいた人も口々にみんな同じことを言っていた。
知る人ぞ知る、という感じで、案の定、並んでいた行列は極めて少人数だった。

ここを通って、そしてエレベーターで地下に行って、そこの駐車場の車で帰路につく。
その駐車場前でも囲まれるらしい。

実際行ってみると、写真のようにサイン会をするようなテーブルがあった。
並んでいた行列の人々も、手にCDやサイン色紙など、もうサインしてもらうことやる気満々だ。

自分はまったく用意していなかったので、仕方ないので今日のパンフレットにサインしてもらおうと考えた。

着替えをして帰路の準備などで、かなり時間がかかるので、その間、行列で並んでいる人たちの世間話が否が応でも聞こえてしまう。

先だっての大阪なのか、数年前のサントリーのことなのかわからないけれど、サインの行列で並んでいるところに、グルさま自らプロマイド配ったりするもんだから(笑)、大パニックになって大変だったらしい。

グルさまらしいです。


そうすると係員の女性の方が、今日は疲れているのでサイン会はゴメンナサイ、ということで、急遽ここを通ったときにみんなに挨拶だけ、ということになった。

でもそのほうが写真が撮りやすいので助かった。(笑) サイン会だと顔を上げる瞬間を狙わないといけなく難しい。

ピアニスト(指揮者でもある)のペーター・ヴァレントヴィッチ、そして数人のガードマンに囲まれて、グルさまやってきた。

少人数にも関わらず、かなり半狂乱状態になった。

グルさまは、最終日のサントリーでもそうだったが、私服は原色系のVividなカラーを好む。

かなりお洒落です。

歓声で半狂乱の渦の中で、必死にシャッターを押す。

グルさまは予想だにしないくらい小柄な人だった。

ステージであれだけ大スターのオーラー放ちまくりですごく大きく見えるのだが、実際は、すごい小さい。みんなと握手。自分も握手してもらったが、手も小さかった。

一生の想い出だ。

あっという間に通り過ぎた。

隣に居た外国人の女性に、「いい写真撮れた?」と聞かれたので、実際のデジカメの連続写真を見せたら、親指立てて、「OH~Good!」(笑)

嵐が過ぎ去って、そこに、なにか訳ありげな初老の女性の方が、本当の最終でのサントリーでは、きちんとプロマイドを配りますから、というようなことを言う。

この人誰なんだろう?
いかにもグルさまの予定を詳しく知っているようで、なんか訳ありげだ。

サントリーの最終日のときに、閃いたのだが、じつはグルベローヴァさまのオフィシャルブログというものはないのだが、非公式のグルベローヴァ日程表というのがあって、非公式なんだけれど、かなり精度がよくて、グルさまファンの中では常識になっている。

自分の予想だけれどこの初老の女性や数人の取り巻きの方たちは、グルベローヴァ後援会の日本支部の方たちなんだろう、と思う。

あるいは、ここ3年間のグルさま来日公演の招聘元となったコンサートドアーズのスタッフとか?招聘元がそんなことしないか?(笑)

サントリーでの最終日のお見送りについても、このスタッフによる劇的な用意がなされていた。


サントリーホールの楽屋出口は、もう誰もが知っているのだろう。多くの友人が出待ちしている投稿写真を何回も見たことがあるので、みんなが知っている世間の常識なんだろう。自分は知らないが。(笑)

ダメ元でレセプショニストの女性に聞いたら、最終日でもサイン会の予定はない、という。

今日も楽屋口出待ちでのショットを期待するしかない。
でも世間の常識だし、今日は本当の意味で最後のお別れだから、たくさんのファンがかけつけること間違いなしだ。

サントリーの楽屋出口は、エントランスの左側に地下に降りていく階段があるのだ。
ちょうどポスター掲示板のすぐ後ろ側に位置する。


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そこからは、あとは迷うことなく、楽屋口という行先掲示板もあり、そのまま行く通り。

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そうすると目の前に駐車場が広がる。

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その駐車場の行く着く先にあるのだ。サントリーの楽屋口。
こんなところにあったのかぁぁあああ!(笑)

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その出口のすぐそばにワゴン車が止まっている。
グルさまはこの車で帰路につく。
出口とワゴン車の間は、わずかな短距離。
このわずかな距離ですべての決着をつけないといけない。

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ふっと自分の後ろを見てみると、ぎょぎょ!予想通り大行列ができている。
これは大変なパニックになることは予想できた。

逆に言えば、グルさまは、このわずかな距離を移動するだけなのに、後ろに並んでいるこれだけの行列の人はどうするのかな?とも思った。


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あのスタッフたちは、このサントリーにも現れた。
まずはグルさま特製うちわをみんなに配っていた。
後ろには、Danke Edita!(ありがとう、エディタ!)とプリントされている。

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これは、グルさまが出口に現れたら、みんなでこのうちわを振ってさようならをしようということらしい。これは写真を撮影するうえで、すごく邪魔だった。(笑)

そして星印の形をした紙吹雪も用意された。
これも一斉に降らせようというのだろう。

みんな口々に言っていた。
これ、降らせたあとに、後片付けどうするんだよ?(笑)みんなで掃除?

予想通り、グルさまが現れた瞬間、大パニックとなった。
こんな短い通路にこれだけの大勢が一気にかけ寄った。
うちわと紙吹雪がいっせいに空を舞い、金切り声の大歓声。

写真撮影、不可能。(笑)
報道カメラマンみたいに、カメラを空に上げて覗き込むように映す感じ。

グルさまは、すぐにワゴン車には乗らずに、みんなにお礼を言ったり、サインをしたりで十分にファンを喜ばせた。

いったんワゴン車に乗った後に、また降りて、入り口に戻ったりで何回も往復していた。
もうもみくちゃです。

ちょっと異様な雰囲気だったな。

自分も結局この日だけで95枚の写真を撮った勘定だが、97%以上がブレたり、表情が強張っていて使えなかったりで、結局いいショットは撮れなかった。

何分くらいのショーだったろうか・・・。
グルさまの車がその場を離れて、嵐は過ぎ去った。

その後、はい、並んでください~。プロマイドを配ります~、というスタッフの声。
枚数に限度があるが、自分はありつけた。


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約束通りのプロマイド、ゲット!
このプロマイドの下の方に、グルさまの直筆のサインが書かれているのだ。

本物だ。

Edita Grubelova 2018

とYear付の証明入りだ。

要は、サイン会をやらない代わりに、このプロマイドに事前にサインをして、それを配る、ということなのだろう。

そのほうが、グルさまの体力的にもいいかもね。

グルさまの常套手段なのかもしれない。

こうやって、グルベローヴァさまへの最後のお見送りが感動のうちに終わった。

楽屋口出待ちという行為に、ちょっと軽蔑的な考えも持っていた自分だが、グルベローヴァさまの日本最後にかこつけて、やってみたら結構楽しかった。(笑)

これから頻繁にやるかも?(^^;;






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再び、伝説となる! [雑感]

すみれが、ラー博にもたらした効果は絶大だ。そして、すみれを一気に全国区に押し上げたのもラー博のおかげだ。

お互い持ちつ持たれつなのだ。新横浜ラーメン博物館は、1994年に、日本初のフードテーマパークとしてオープン。その昭和ノスタルジーなレトロな館内の空間は、当時センセーショナルだった。

自分は、ラー博には1995年から通い始めたが、すみれとは、その当時からのお付き合いで、その激動の歴史は先だっての日記に書いた通り。(笑)

道産子にとって、札幌味噌ラーメンはやはり故郷の味。
やっぱりずっと拘ってきたんだな。

まさに今日読んだ記事によると、「日本のラーメン店においては、オープンして1年以内に50%以上のお店が閉店しているという現状がある。さらに10年続くお店は20%、20年続くお店は3%と言われている。その中で長く続き今もなお繁盛しているお店には、トレンドに左右されない魅力がある。」なのだそうだ。

いわゆる全国ラーメン人気でつい商売に手を出したものの、そんなに世の中甘くないということなのだろう。本当の真の実力を兼ね備えた者のみが、長年に渡って生き残っていける。

自分はラーメンは大好きだけれど、いわゆる麺通と呼ばれるファン層の方から比べると、毎日新しいお店のラーメンを開拓したい、という気持ちが極めて少ない。「生涯何千食、食した」とは縁のない世界。

たぶん自分が大金持ちだったら、毎日いろんなラーメンを開拓したい、という気持ちも湧くだろうけれど、限られた予算の中で生活している身分になると、やっぱりせっかく身銭を切るなら、自分がよく知っている大好きなラーメンを食べたいと思う派なのである。

だから、いわゆる中毒性があって、あぁ~また食べに行きたい~と思うような、お気に入りのラーメンを飽きもせず、毎日食べる、という、そんなラーメン・ファンなのだ。

自分がそのように思うラーメンは、ほとんど99%以上の確率で、いわゆる「トレンドに左右されない魅力を持っていて、何十年も長続きしている・・・」そんなラーメン屋さんばかり。

一過性の人気で評判になったお店で食べても、自分に対して来るものがないことがほとんどだ。

すみれは、まさに23年間に渡って、愛し続けた故郷愛のラーメンだった。

相当熱狂した。

でも知っての通り、ここ数年、ラー博のすみれは、自分が熱狂していた頃の面影はなく、寂れていくばかりの感じで、だんだん足が遠のいていった。食べるたびに後悔するのだ。これはダメだ。もう来るのはよそう。

札幌で真実を追求しよう。

そう思って4~5年。

そんな、すみれがラー博を卒業する。
12/2に卒業。あと45日。

閉店間際になると激混みが予想されるので、早めに詣でしたいと思っていた。

館内に入った途端、こんなものを目にする。


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「再び、伝説となる。」「札幌以外で、すみれが食べられるのは、ラー博だけ。」
たくさんの花束贈呈で、みんな別れを悲しんでいる。

思わず、グッとくるものがある。開館当初から、一緒に汗を流してきた同士を、華やかに送ってあげたいというその気持ち。SNSでも毎回、「すみれ」の連載特集を組んで、お別れムードいっぱいだ。もうなんか、金輪際、ラー博には入店しない永遠のお別れみたい。(笑)

この卒業にちなんで、最近連載されている「すみれ」の歴史特集で、この自分が知らないこともあった。

当初、村中明子さんが創業した「純連」。純連と書いて、すみれと呼ばせていた。
でも看板の、そのフリガナのひらがなが風雨で剥がれてしまって、漢字の純連だけになってしまった。その看板を見ていた通行人は、いつしか、そのままの音読みで、「じゅんれん」と呼ぶようになって、そのままその特徴ある味噌味とともに「じゅんれん」という名で巷には定着してしまったのだそうだ。

お母さんの純連は、病気で、いったん閉店するが、数年後に再開。

そのときは、巷にすっかり馴染んだ「純連(じゅんれん)」という名で再スタートした、という経緯なのだそうだ。あとは、ご存知、「純連(じゅんれん)」は、長男の村中教愛氏が店を継いだ。

その後、三男の村中伸宜氏が、純連と書いて「すみれ」と呼ぶお店を開店。その後、ひらがなのみの「すみれ」で定着する。

そして家族、親戚一同の大反対を押し切って、ラー博に出店。そして、「すみれ」を全国区のスターダムに押し上げて、純連は押しも押されぬ札幌味噌ラーメンの王道を走ることになった。

ある意味、村中伸宜氏の大英断がなければ、今日の純連、すみれの立ち位置はなかった。
いまや、濃厚な札幌味噌ラーメンのことを、「純すみ系ラーメン」とか、「村中系ラーメン」と呼ぶのだそうだ。

そしてたくさんのラーメン職人の若手たちが、純連やすみれで修行をして、おそらく店主の許可を得て、自分のお店を出す。

それも純すみ系のスープの味で。。。

その中には、10年続くお店は20%、20年続くお店は3%、トレンドに左右されないで生き残っているお店はどれだけあるだろうか?

自分の経験からすると、二番煎じは、絶対初代を超えることはできない。

たとえ、よくできている、親方と似ているスープだと思っても、毎回また通いたいと思わせるようなお店はないだろう。



激混みを避けて、卒業45日前に来てみたが、年々劣化していくそのスープの味に、だんだん客足が遠のいていく感じで、来るたびに閑散としていて、往年のファンにとって淋しいよな~と思っていたんだが、今日来てみたら、行列ができていた。(笑)

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でも、全盛期のすみれの大行列を知っている身からすると、やっぱり寂しい。
酷いときなんか、このお店から、ラー博館内の半周するくらいの距離まで大行列ができていて、いったいいつになったら食べられるんだろう?と気が遠くなるんだが、それでも食べたいから並ぶのだ。

すみれの場合は、それが常であった。

食べ物を食べるのに並ぶことを嫌う人は多い。
でも自分はさほど苦はならない。大行列をみた瞬間、さすがにめげるが、でもそこまでしても食べたいという気持ちが大きい。

自分がこの10年で、行くたびに毎回行列して食べていたのが、このすみれと新宿にある「麺屋武蔵」だった。麺屋武蔵も当初は相当嵌った。やっぱりこれは本物だと直感がわいた。毎回行列しても食べたいと思わせるお店だった。

ところがこの麺屋武蔵も、ご多分にもれず、スープの味が劣化していった。最近数回行ったが、印象は変わらず、もうガッカリ。

ラーメン屋さんにとって、スープの味を何年も続けて同じに保つことが如何に大変なことなのか!

麺屋武蔵も14年前のあの頃は、毎回大行列だったのに、いまは全然空いていて楽勝だ。(笑)
すみれといい、名店の行く末というか、難しいものがあるとしか思えない。


ラー博のすみれと最後のお別れ。
味噌ラーメンと鬼めしをいただく。

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おっ!いつものガッカリするスープの見た目からすると、今回はちょっとマシに見える。
やっぱり最後だと贔屓目もあるかな?有終の美にしたい、ちゅう。

鬼めし、というのは、すみれ独自の看板メニュー。炒飯もいいが、自分は、すみれに来たら、この鬼めしを一緒に食べることをおススメします。卵焼きの千切りをご飯の上にかけて、とても辛い豆板醤(?)みたいなものをかけて食べます。

これがすみれの濃厚味噌とよく合う!

最後のすみれの味噌ラーメン。




あかん!(笑)やっぱりあかん!

自分が知っている全盛期のすみれはこんなんじゃない。
ちょっと面影がある程度にしか思えない。

でもここ数年、マズすぎる!と徹底的にこき下ろしてきたレベルに比べると、今日はちょっと濃厚さがやや感じられて、幾分マシのように思えた。見た目の改善は味にちゃんと現れていた。

最後のお別れというセンチメンタルな気分が、自分をそう思わせているのだろうか?

味噌があのころのような濃厚~って感じじゃなくて、どうしても薄く感じるんだよね。
物足りんのだよ。

そして表面を覆っているラードも全盛期に比べると薄いし、これじゃダメだ。

ひょっとすると、札幌本店もふくめ、多少のイメチェンはあるのだろうか・・・。

自分が全盛期と思えるすみれの写真は、これが一番近い感じ。


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色的にもいかにも濃厚~ってな感じで、これこそ純すみ系の味だ。
ラードも厚い。

いまのは、全般的に薄いんですよね。


これがラー博だけの現象なのか、札幌本店もそうなのか、今年の年末帰省して自分のこの目、この舌で直接確かめます。

もし万が一、不幸な事態に陥ったら、自分は、お店の人に直接なぜこんなに味が変わったんですか?と直接聞いてみようと思っている。

もちろんクレーマーと思われて、本家のお店出入り禁止になったらこちらも困るので、ソフトな語り口で対応することはもちろんのことだ。自分が1995年からの熱烈なファンで、横浜のお店でここ最近味が変わったように感じるのですが、ここ札幌本店でも同じように感じるということは、スープの味のイメチェンでもされたんですか?

こんなソフトなイメージで。

たぶんお店の女性の方は、自分じゃ対応できないと思い、もしその日に厨房に居たら、三男の村中伸宜氏に直接談判できるかもしれない。(笑)

失礼のないよう、クレーマーに思われないよう十分な配慮が必要だ。

自分が全盛期だと思ったすみれはこんな感じでした・・・というような展開を予想して、上の写真を自分のスマホに入れておいた。(笑)

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どんな展開が待っているのか、もういまからワクワクである。

トレンドに左右されない本物のラーメンというのは、絶対また食べたい~というような中毒性を持っている。

自分がここ数年、これも毎回行き倒しているのは、日本橋にある京都銀閣寺ますたにラーメン。
あの三層になっている豚骨醤油背油ラーメンがたまらない。週末の休日になるとついつい行きたくなる。

1998年頃から通い続けて、もう20年目。

この日本橋のラーメン屋さんに行く楽しみは、じつはその途中に乗っていく銀座線でレトロ仕様の銀座線に遭遇できるのでは?というところにも楽しみがあるのだ。(笑)

もう2回も遭遇した。

念願かなって、京都の本家の北白川の「中華そば ますたに」も経験できた。

これからも、数多くのお店を体験するのではなく、こうやって自分が入れ込んだ本物のお店に何回も行き倒すというラーメン人生が続くんだろうな。

今年の年末にすべての真実が明らかになるが、自分は信じたい。

あの全盛期のすみれの味が、またラー博に戻ってくる!ということを。








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神楽坂 [雑感]

クラシックファンであれば、神楽坂といえば、音楽之友社。いつもお世話になっています。(笑)

1941年創刊のまさに日本のクラシック音楽誌の草分け的存在。「音楽の友」「レコード芸術」とかあまりに有名。「音楽の友」はいつも定期購読したいな~とは思うんだけれど、貧乏人なので、興味のある記事があるときは必ず買ってます。

自分もクラシックファンの末席にいる者として、聖地巡礼というか表敬訪問として、いつか神楽坂を訪れたいと思っていたのでした。


音楽之友社

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奥が音楽之友社、手前が音楽友之社の別館だそうです。

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こうやって、音楽の友とかレコード芸術とか、いま手掛けている雑誌が展示されています。

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中にスルスルと入ってしまおうかな~とも思いましたが(笑)、部外者立ち入り禁止の看板がありましたので、やめときました。

音楽の友のいまのひとつ先代のポチ編集長は、いつも夜中の0時過ぎにSNSに投稿して、「また今宵もこんな時間になってしまいました。はぁ~。でも今月号は楽しみにしてください。ではおさしみ~。」なんて感じの投稿をほぼ毎日やっていて(笑)、その真夜中の時間帯の道路の写真を投稿していたんだが、たぶんここのことなのかな~?(笑)

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ちょっと蛇行しているのが特徴と記憶しているんですが。。。音楽之友社の目の前から、東西線神楽坂駅に向かう方面を撮影したものです。



でもこれで神楽坂に来たミッションがコンプリートしました。
まさかこれで終わる訳にはいかないので、ちょっと神楽坂を散策してみようと思ったのです。

音楽之友社のすぐそばにこんなに素敵なカフェがありました。
店の内装がとてもお洒落でうわぁ、これは素敵だな~と思い、思わず入っちゃおうかな~とも思いました。ランチタイムには軽食もあります。

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そして赤城神社。ここは700年にわたり牛込総鎮守として鎮座してきた神楽坂では由緒ある神社ですね。

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神楽坂というのは、厳密な定義で言うと、東京都新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂のこと。

いわゆる傾斜のある坂になっていて、坂の上が、「神楽坂上」、そしてずっと降りて行って、一番下の坂の下が「神楽坂下」。

その傾斜のある坂の両側には、いろいろお店や飲食店が並んでいて、ここを特に「神楽坂商店街通り」と言っているようです。

最寄りの駅でいえば、神楽坂上のほうにあるのが、東京メトロの東西線の神楽坂駅、神楽坂下にあるのが、JRの飯田橋駅。

自分は神楽坂駅を使ったので、音楽之友社から下っていく感じ。
でも結局、この坂を昇ったり降りたりを何回も繰り返していました。(笑)


昔は、夏目漱石の通った田原屋などの老舗があったりなど風情があったらしいが、いまは、結構チェーン店やコンビニエンスストアの進出が目立ち、確かに歩いていると、チェーン店などで、どこかで見たことのあるお店が多いな~とは感じた。

でもそれを差し引ても、やっぱり神楽坂独特の風情のある雰囲気がその場にあってとても素敵なところだと思いました。

音楽之友社から降りていく。

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神楽坂野菜計画


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ここは、なんかふっと吸い込まれそうになる気になるスポットで、ぜひここでお昼ご飯を食べたいな~と思いましたが、値段が高いのでやめときました。(笑)

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以下神楽坂商店街通りの様子です。

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ここが一番下ったところの神楽坂下の交差点。

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ざっとこんな感じです。
それでは各々気になるスポットを紹介していきます。

コボちゃんの銅像。

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読売新聞に4コマ漫画として掲載されている植田まさしさんの漫画のキャラ。
この神楽坂商店街通りに、漫画コボちゃんの田畑小穂(コボちゃん)の銅像が建設され、その除幕式が2015年8月16日、作者の植田まさしさん臨席のもとで行われた。神楽坂は植田さんが長年住んでいる街なのだそうだ。それがここに設置された理由なんでしょうね。

でも正直、銅像の実物はあまり小さすぎて、まったく気が付かないです。坂を何回も昇ったり下ったりしましたが、全然気が付かなく、やっと見つけました。郵便ポストの隣にありました。(笑)



ほうじ茶を煎じています。

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このカレーショップ「ボナ」は相当ソソられました。
カレー大好きなんで。ピザのようなものから、いろんなものをカレーに絡めて、美味しそう。

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「不二家 飯田橋神楽坂店」。ここには数ある不二家の中でも、この神楽坂店でしか購入出来ないという「ペコちゃん焼」がある。日本で唯一なんでここは絶対に行くべき!

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チョコやカスタードをはじめ、いろんな種類のペコちゃん焼きがある。
じつは、店内にアンケートの紙が貼っていて、そこに自分が買った種類を、小さなシールを貼っていくようなシステムがあるのだが、その中では断トツにチョコが多かったので、自分はチョコにしました。

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さっそくいただく。お味は?まっこんなもんだろ?(笑)

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神楽坂に来たら絶対寄らないといけない必須の老舗甘味処「紀の善」。神楽坂の甘味処としては、あまりに有名なところなのだそうだ。ペコちゃん焼きの隣にある。

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店内もなかなか素敵でした。

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ここに来たら絶対注文しないといけない「抹茶ババロア」。
「抹茶ババロア」を目的に神楽坂に来る人も多いとか、神楽坂散歩のマストグルメなのだそうだ。
最近では、TBSテレビの日曜劇場 ”ラブストーリー”で、トヨエツの大好物として登場し、益々、人気を博しているとのこと。

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静岡産の抹茶を使ったもったりとしたババロアが素晴らしい。
甘過ぎないところがいい。たっぷりと餡・生クリームが添えられているのがまた嬉しい。
なんかお洒落な甘味ものですね。



昭和32年創業の15種類の大きな肉まんと小さなミニまん5種類が食べられる「五十番 本店」。
ここも「神楽坂散歩」では外せないお店だそうです。

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たくさんの種類の肉まんを売っている。

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肉まんをひとつ買って食べてみることに。お店の前にベンチがあって、そこで座って食べられるようになっている。さっそく中の餡を見せる写真を撮ろうとしたら、中の肉汁がぶちゅう~って感じですごい量飛び散った。(笑)Yシャツやカバンにベッタリ。すごいね。なんか小籠包食べるときみたいな感じですね。中の肉汁がたっぷりで、これは本当に美味しい肉まんでした。こんな美味しいものは、久しく食べていない。

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神楽坂のシンボル的存在の「毘沙門天 善國寺」。神楽坂商店街通りに即したところにある。
創建して400年余、インドで信仰されてきた財宝の神「毘沙門天像」が祀られている。
善國寺は開運厄除けの福運を授けてくださる「毘沙門天」を祀っているお寺なのだそうです。

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お昼ご飯をどうしようかな、と思いました。たったひとつの肉まんでも結構腹持ちがいいのだけれど、やっぱりご飯はご飯。

これは事前にネットで神楽坂のグルメを探していたんですよね。神楽坂は確かにグルメの宝庫。とてもお洒落で、雰囲気のあるお店が多いのだけれど、どこも正直高杉なんですよね。創作フレンチとかイタリアン。

自分に合うお店を探すのに苦労しました。行き着いたところは、音楽之友社に比較的に近く、東西線の神楽坂駅の1番出口をすぐ出たところにある「清久仁」。

なぜここにしたか、というとお魚専門の和食やさんで、値段が千円くらいで食べられる。
日本食大好きで庶民派の自分に合いそう。

「清久仁」
なんか結構古い昔から存在している和食やさんで、隠れ家的な感じがします。

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中に入ってみると、高級でもなく、ふつうっぽくていい!
なんか家族で経営しているほのぼの町の定食屋さんな雰囲気があります。

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サバの煮つけ定食をいただきました。
最高に美味しかったです。

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これを食べているときに、何気にルイージ&アラベラさんの公演がすでに先行で始まっていることをmixiのマイミクさんの投稿で知ることに!かなりはげしく動揺。(笑)家に帰ってからじゃいい席もう売り切れで無理。仕方なくスマホで購入を試みて、見事に成功。最近はスマホでなんでもできちゃうね。

このチケット獲り、来週土曜の最大イベントと心構えしていたので、それが今日チケット獲れてしまったことに、この瞬間、相当興奮してしまいました。(笑)

ドキドキ冷めやらず。。。


神楽坂に来たら、どうしても寄りたいお店がありました。
それはとても雰囲気があって、その雰囲気にやられてしまったからです。
正直お腹もかなりパンパンなのですが、喰いもん道楽はこれが最後と行ってみる。



神楽坂茶寮 本店

町屋風の和のスイーツや食材を扱っています。
テラスもある。木造造りでとても雰囲気があって、自分はこの雰囲気にやられて、ぜひ行ってみたいと思いました。メディアにも何回かレポートされていて、神楽坂では有名なところみたいです。


スミマセン、逆光で太陽の陽が入り込むので露光が・・・白っちゃけてしまいました。

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自分はテラスより店内を希望。
店内は照明を薄暗くして、それが木造とうまくマッチして、かなりお洒落でいいです。
でもなんでこんなに柱が多いんでしょう?(笑)
店内の面積が広いし、木造だから、強度的に支柱の支えが必要なんでしょうかね?

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あんみつをオーダー。右にあるシロップをかけるのをまた忘れてしまい、そのまま食べてしまいました。(笑)でも美味しかった。

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今回の散策でとても新鮮だな~と感じたのは、神楽坂って”横丁”文化である、ということ。

表通りから脇へ入った道のことを「横丁(よこちょう)」と言う。神楽坂には、大通りを歩くだけでは気づかないような横丁がたくさんあるのだ。

人一人が通るだけで精一杯の道を進んでいくと、石畳の道に、趣のある料亭、一般の民家がひしめく通りが現れる。それが妙に趣きがあって素晴らしい。

この横丁は、まさに絶好写真撮影スポット。
夜の撮影は、もっと最高に素晴らしい。

この横丁文化は、神楽坂独特で、ひとつの観光スポットになっていて、カメラを持ったたくさんの観光客が、そんな狭い路地裏に集まっている・・・そんな光景が自分にとっては、とても興味深いというか、人生初の体験で新鮮味があって感動しました。

表通りから一歩入る静かな路地裏、いわゆる横丁の住宅街のなかにレストランや料亭などが結構あるのだ。そういう奥まったところにひっそり存在するのが、どこか隠れ家的で、かなり和の雰囲気があって素晴らしくいい。

ここには、かつては江戸時代に蜀山人、明治期に尾崎紅葉・泉鏡花などが住んでいたそうだ。

神楽坂の横丁は、かなりたくさんあって、地図を見ても、メイン通りの神楽坂通りの枝道に入ったところからまさに迷路のようにたくさんの横丁が混み入っている。

それぞれの横丁に名前がつけられていて、観光地化している。

なにせ路地裏の迷路だから、行きたい横丁スポットにたどり着くのがかなり苦労する。(笑)


芸者小道。
ここに行きたかったんだが、結局辿り着けず。ネットからの拝借で失礼します。
雰囲気あります。

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たくさんある横丁のうち、自分が選んだのは「兵庫横丁」と「かくれんぼ横丁」。


兵庫横丁は、戦国時代に武器商人が住み、「兵庫」(武器を入れておく倉庫)があったことから「兵庫横丁」の名がついたそうだ。

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横丁には、こうやってひっそりとレストランがあったり、小さなショップがあったりで隠れ家的で賑わっている。

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あれ~ニャンコが!(=^^=)

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かくれんぼ横丁にも。たくさんの観光客。やっぱり横丁の中でも超有名な人気スポットなんだね。

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そんな路地裏に料亭がひっそりと。
まさしく、これぞ神楽坂横丁文化!

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そしてラストスパート。

じつはここからは行きたいとは思っていけれど、場所を特定するのが大変だったので、この日はあきらめていたのだが、帰りの東西線の神楽坂駅の入り口を見つけることができなく、迷いに迷って行き着いたところが、この諦めていた観光スポットだった。(笑)神様が、神楽坂に来たら、ちゃんとここも見て行けよ!ということで誘ってくれたんだろう。(笑)


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2014年に新潮社の倉庫を改装しオープンしたキュレーションストア。 各分野のキュレーターが、本当に良いものだけをセレクトして集めた、おしゃれなショップ。

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中に入ってみると、洋服やカフェなどが入ってました。

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「かもめブックス」という、カフェが併設されている、神楽坂の有名本屋。

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本だけでなく変わった文房具や雑貨もあり、 さらにはアートギャラリーも奥にあり、かなりお洒落な雰囲気です。

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本を読みながら、カフェでくつろぐこともできるのです。

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神楽坂といえば、軒並み出版社がたくさん存在する街としても有名。
迷いに迷って辿り着いたら、この新潮社本館にたどり着きました。

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書籍管理課。。。自分の人生では、たぶん縁がない世界だったかもしれないな~。

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そして旺文社もありました。

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クラシックファンの聖地として巡礼の意味を兼ねて、訪問した神楽坂ではありましたが、いやはやなんとも風情があってとても素敵な街というかスポット。独特の雰囲気があって、いままで自分が生きてきた世界とは別世界のような感じがしました。

また訪問して、つぎなる横丁を開拓しないといけない。 (笑)








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東京昔ラーメン 福寿 [雑感]

奴は渋谷 笹塚に住んでいた。(笑)当時よく笹塚に遊びに行っていたのだが、どうしても忘れられないラーメン屋さんがあった。奴に教えてもらい、よく一緒に食べに行っていたし、自分一人でもよく食べに行っていた。

じつにひさしぶりに奴のことを思い出したとき、この笹塚のラーメン屋さんのことを思い出し、無性に食べたくなった。奴と疎遠になってから、笹塚という街自体にもまったく行かなくなった。

よし!行ってみよう!

本当に久しぶりの笹塚。
駅前は工事中ではあったけれど、そんなに面影は変わっていなかった。

ここの十号通り商店街にある。


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懐かしすぎる!(笑)まったく変わっていなかった。

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この商店街の一角に、焼き鳥を売っているお店があって、そこで焼き鳥を何本か買って、その場で、奴と立ち食いしたことがよくあったのだが、まだやっていた!

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目指すラーメン屋さんは、この十号通り商店街をずっ~と下ったところにある。

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福寿。

創業67年にもなる老舗中の老舗。まさに日本でも相当古くからやっている東京昔ラーメン屋さん。じつに30年ぶりに暖簾をくぐります。

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まったく変わってない!
あの当時のまま。

まさに昭和のノスタルジックな雰囲気がそのまま残っているお店なのだ。

あれから30年は経っているのにオヤジが結構ピンピン若いんだよね。
店主交代しているかな?いやそんなことはないだろう。

あまりに高齢なんでいつ閉店になっても不思議ではないので、やはり今のうちに食べに来たのは正解だった。

結構お客さんもかなり入っていて、繁盛していた。昔より入りがよいぐらい。
ごく最近、フジテレビで特集されたらしく、その効果もあるかも?とか。

テーブルなんて、このレトロ。

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値段設定もとても良心的。

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飲み水のサーバーは、あまりに古すぎて衛生的によくなさそうに感じてしまう。(笑)

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自分はチャーシューメンの大盛を頼んだ。

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大盛はやっぱりちょっと図的に汚いかな?
しかもチャーシューがとても貧祖。

でも懐かしすぎる。まさにあの当時にそのまま。

昔、じぶんはここの東京昔ラーメンの味が大好きで、必ず大盛を2杯平らげていた記憶がある。

さっそく食べてみたが、まったく変わっていなかったね。

本当に美味しい。

麺がすこし固めのが特徴。そして相変わらず美味しい飾りっ気なしのスタンダードな醤油味。

まさに東京昔ラーメン。

昭和の懐かしの東京ラーメン。


イケメンより男前が好き
クリエーターよりも職人が好き
最近のラーメン屋はとかく意識が高い

ダシから徹底的に凝りに凝った芸術品ともいえるいまのラーメン

ここのラーメンは、そういうものとは全く無縁のふるき良き時代の味がする。
昭和のノスタルジックな雰囲気いっぱいで、飾り気ナシの大勝負。

自分がガキの頃、北海道で生まれ育ったときに、オヤジやオフクロに連れて行ってもらったラーメン屋、また当時は出前でラーメンをとる、というのが結構あたりまえで、そんなガキの頃に家でウマいウマいと言って食べていたラーメンが、まさにこんな感じのラーメンだった。



そんな奴はいまはどうしているのか?

奴の名前でネットでググると、なんと折り紙の世界がいっぱい出てくるのだ。(笑)

折り紙の世界は、自分もよく知らないが、でも日本折紙学会という組織がきちんとあって、専用のサイトもたくさんある。やっぱり折り紙の大好きな人が集まって、自分の折った作品を自分のツィッターに上げたりして、楽しまれている、そういうほのぼのした世界みたいだ。

折り紙の世界って、こんな世界。。。

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まさに和の美しさというか、日本的でいいな~と思う。
どちらかというと女性にファンが多いのかな?とも思ったり。

じつは奴の名前でググると、折り紙の世界では奴はどうもスーパースターみたいなのだ。(笑)

これが奴の出世作品。

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「ツル星人」

伝承の折り鶴に,長い手足を折り出して,人型にアレンジされた、どちらかというと面白的な作品。

奴はこれで、一気にスターダムに乗り上げて、折り紙界のスーパースターみたいなのだ。
奴のこの作品に、みんな憧れて、マネをして折ろうとするが、折り方がわからないので、そういう講習会があったりすると、奴は講師として招かれているみたいだ。

じつはその講習会の模様の写真を見つけることができた。
奴は講師として映っていた。

2012年「折紙探偵団」という折り紙の東京コンベンションのこと。

ひさしぶりに奴の近影を見た。

やっぱり奴だった。変わってなかったな。ちょっと太ってひと回りガタイが大きくなっていた気もする。もともと体格がデカいやつで、自分も大きいが、奴のほうが大きかった。

当時は髪型は相当長髪だったが、いまは綺麗さっぱり短くしていた。


このツル星人、何年も連続して講習されている作品で,折り紙教室でも大人気なのだそうだ。

講習生のみなさんも奴の講師ぶりを、こんな風に書いている。

とても大柄な方でキャラがまず最高、朗らか。
とっても明るい雰囲気の折り紙教室


ある個所の沈め折りの説明で「ここをバコーン!と内側にしまって!」
他の個所の沈め折りの説明で「ここを,さっきのバコーンみたいにシャキーン!と内側に」
「そうすると,ここがシャキーンでここがバコーンになるんだけど」
読むと意味不明かもしれませんが,実は結構分かりやすいんですよ,これが。


なんか長嶋茂雄さんみたいですね。(笑)

でも奴のことをよく知っているだけに、このコメントはよくわかるし、その通りと思う。
そういうやつでした。

ツル星人をはじめて開発して折ったスターで、その後それに憧れる折り紙ファンが全国に居て、折り方の本も出しているみたいだ。そしてこうやって毎年、折り紙講習会に講師として招かれている。

奴の他の作品を披露してみよう。

「イスに座って本を読む、ツル星人」

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「 怪獣ツルラ 」

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「 大怪獣 ギャオス 」

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奴の作品は、一番前の青いやつで、「ふんころがし」(笑)

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折り紙の世界って、ある意味、日本的で可愛らしいというイメージがあるけれど、奴の作品は、どれも怪獣もの(笑)。はじめ奴の名前でググったときに、この折り紙の作品が出てきて、てっきり同姓同名の別人かな?とも思ったのだが、この一連のゲテモノというか怪獣ものを見て、あ~やっぱり奴に間違いない、と確信したのだ。

奴らしいというか、奴の匂いがする。。。という感じで。

奴は、当時から、いや大学の頃からちょっと変わったやつで、とても個性的だった。

大学の時、スケバン刑事という番組が流行っていて、初代:斉藤由貴、二代:南野陽子、三代:浅香唯ってな感じで大流行していた。(自分は原作の漫画でもスケバン刑事読んでました。)

奴はナンノこと南野陽子の熱烈な大ファンで、それはそれは、よくいろいろ聞かされました。(笑)いろいろなナンノのコレクターしてました。社会人で再会しても変わってませんでした。ナンノ・ブーム健在という感じで。


ネットでさらにググると、なんとTV出演もしていた!

2015年にフジテレビで、KinKi Kidsのブンブブーンという番組に出演していた。

「近藤真彦と東京タワーを丸ごと知り尽くそう」という内容だった。(笑)

まだ東京タワーやってるんですか!(笑)

自分の予想だけれど、出演者のKinKi Kidsの堂本兄弟と、近藤真彦といっしょに東京タワーってこんなところ、という感じで、東京タワーのいろいろなところを現地ロケで紹介、説明するテレビマンとして出演したのではないか?と思うのだ。

東京タワーのことは知り尽くしているからね。(笑)


でも、まさか折り紙界のスーパースターになっているとは知らなかった。

自分は、オーディオや海外旅行、そしてクラシックコンサート通いとどれも莫大な投資資金が必要な趣味ばかり。生活のリズムを壊してまで、やってるという感じなのだが、そんなところに、奴の折り紙の世界で活躍をしているのを見て、なんとお金のかからない健全な生活をしているんだろう!と思った訳だ。(笑)

お金をかけないで、人生を謳歌する方法はいくらでもあるんだな、ということを強烈に感じました。

2012年の近影の写真でも、当時の面影はそのまま、ひさしぶりに30年ぶりに再会してみたいな~?

積もる話もあるかろう・・・。







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切手コレクション [雑感]

このペーパーレスなネット&電子化時代、いまの若いもんは、切手収集なんて根暗な奴のすることだ、なんて偏見もあるんだろうなぁ。(笑)

自分は、いまはやっていないが、子供の頃は切手を集めることが大変な趣味だった。結構みんなガキどもは全員やっていた。今のハイテクの時代、切手収集という趣味は、存在しているのだろうか?

自分もすっかり忘れていたんだが、さっきSNSの投稿で、切手コレクションのお話をしているのを偶然見て、おっ、そういえば自分もやっていたなー。確か今も持っているはずだ、と探したらあった。(笑)

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自分の切手収集の過去は、大きく2期に分かれる。

小学生のとき、向いに住んでいたお兄ちゃんに結構影響を受けていて、なんでも真似をしていたことがあって、切手収集の趣味をされていたのを見て、自分も憧れて、やり始めた。

そしてオヤジが、当時郵便局で、必ず定期的に切手を販売していて、それを買ってきてくれていた。これが子供の頃、大変な楽しみだった。

それを切手帳に入れて、それを眺めているだけで、子供心に幸せ、というか、その所有感が堪らなかったな。

でも子供の頃はお小遣いなんか、たかが知れているので、どうしても買えない憧れの切手があった。向かいのお兄ちゃんは、父親は同じ職業なのに、なぜか、うちよりもお小遣いが多いらしく、そういう自分の憧れていた切手を何枚も持っていた。

子供心にすっごい羨ましかった。(笑)

切手コレクションは、中学に入ったらピタッとやらなくなり、そこからは洋楽ロックと渓流ルアー釣りを趣味とする少年と変わった。親戚のおじさんに、「君の年代で男の子だったら、ステレオとかそういうのに興味を持つと思っていたが、釣りか~(笑)渋いな。」とか言われた。

これも向かいのお兄ちゃんがルアー釣りをやっていたので、その影響を受けた。
エサ釣りじゃダメなのだ。ルアーを集めるのが男心をくすぐるというか、やっぱり子供って特に男の子はそういう収集癖があるんだな。当時、釣りキチ三平が大流行していて、漫画もがっちり集めて、嵌った。

そして渓流なので、北海道のそんなところに行くと当然、熊の出没の危険がある訳で、そんなところに恐れも知らず、どんどん入っていった。イワナとかアメマスが主だったが、当時から幻の魚イトウは憧れた。


オヤジも大の釣り好きなので(死ぬまで趣味でした。)、その危険行為が発覚するたびに、偉い怒られた。

ステレオ?

ええ、いまやってます。(笑)


すまん、脱線した。

中学に入ってから、切手のことはすっかり忘れていて、そして社会人になって、2004年頃まで、ずっと存在そのものも忘れていた。

ところが、なんかネットで見たのかな?

子供の頃に買えなかった切手を偶然見たことに始まり、いまなら買える!(笑)

何十年ぶりかに、切手のことを思い出し、猛烈に買い始めた。
子供の頃の欲求不満を一気に晴らすかのように・・・。

猛烈に出費しました。

そして、子供の頃に欲しくて、欲しくて、堪らなかった高価な切手を片っ端から買いあさって、欲求不満を一気に晴らす。切手収集の第2期は、わずか数か月の短期間ですべて終了しました。(笑)

あれから何十年もの間に出た新しい切手は、全く興味がなく、あくまで子供の頃の憧れだった切手のみ集める、そんな感じです。


小学校の頃に集めていた切手帳は、おそらく失くしてしまったはず。
だから第2期はゼロからのスタートだった。

全部ヤフオクで買い漁ったのではないだろうか。
憧れていた切手だけでなく、子供の頃に持っていた切手も探した。
不思議とちゃんとくっきりと頭の中に覚えているもんなんだよな。

上の小さなサイズの切手帳2冊が子供の頃に使っていたやつと同じもの。
童心に戻りたかったので、ヤフオクで同じやつを探したらあった。

ずばり子供の頃に憧れていた切手というのは、「月の雁」と「見返り美人」。そして国際文通週間の「蒲原」。


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月の雁

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見返り美人

                                               

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蒲原


当時の値段で、月の雁は1万6千円、見返り美人は8千円、そして蒲原は3千円だった。

子供にはぜったい無理!当時のお小遣いって、500円や千円くらいじゃなかっただろうか?

月の雁や見返り美人は、いまでも切手収集の王者的存在ではないだろうか?

上の値段は、1枚に付きである。

第2期でシートになっているのを買ってしまった。
いまネットで見たら、月の雁のシートは、58000円、見返り美人は、40000円だ。(驚)


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子供の頃、流行っていたというか一世を風靡したのは、国際文通週間の切手だった。

浮世絵・東海道五十三次や葛飾北斎・冨嶽三十六景の切手で、子供の頃は、そんなに集めれなかったけれど、第2期で全部集めました。(右側)(左には、月の雁と見返り美人が。(笑))

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そして当然、単枚ではなく、シートでも全部揃える。
やっぱり子供の頃に憧れていた「蒲原」のシートを買えたのは、長年の夢成就で泣きました。


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左側が蒲原のシート。
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子供の頃に一気にワープする。

浮世絵関係も。

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子供の頃は、まさに大阪万博、札幌オリンピックの時期。その記念切手も当時持っていたので、必死にヤフオクで探して買いました。

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当時の切手に欠かせなかったのは、国立記念公園と国定記念公園のシリーズ。

国立記念公園シリーズ

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国定記念公園シリーズ

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全部集めました。なんせ子供の時に集めた切手帳全部失くしたので、第2期のゼロからのスタートでした。


一気に溜飲を下げました。
相当出費しました。そしてわずか数か月でコンプリート。

2004年の頃だから、自分が病気から復職したときだったな。なにを血迷ったのか。(笑)一瞬の迷いで一気に行ってしまいました。

そして今日思い出すまで、14年間、またしてもその存在を忘れていた訳です。(笑)


今日見た投稿では、大変な切手コレクション・マニアの方で、まさしく段ボールに何箱もあって、それが押し入れにぎっちり詰まっている。

そろそろ自分の終活で、どうにか処分しないといけないが、子供に譲ってあげようと思ったら、今の世代の子供なんて、切手なんてまったく興味なし。まさに大きな粗大ごみとなってしまう、ってな感じの投稿でした。(笑)

そうだよな~。いまの子供に切手なんて、全く価値わからんだろうな。
なにせペーパーレス、電子化の時代ですから。

切手って、郵便切手じゃなくて、こういう趣味用の切手っていまでも郵便局で販売されているのだろうか?

切手収集という世界って、まだ存在するのだろうか?

ちなみに、向かいのお兄ちゃん、自分とそんなに年齢違わないのに、もう亡くなられていたのを知ってショックでした。(数年前に親から聞いた。)











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流鏑馬 [雑感]

流鏑馬(やぶさめ)は、もっとも鎌倉らしいというか、男らしい格好よさがあって、子供心に憧れた。NHK大河ドラマ「草燃える」でもドラマの冒頭は、この流鏑馬から始まる。

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出典 Wikipedia


流鏑馬は、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)を放ち、的を射る日本の伝統的な騎射の技術・稽 古・儀式。896年宇多天皇が源能有に命じ、馬上における実践的弓術のひとつとして作らせたのが始まり。

平安時代から存在したのだ。

その武芸文化を東の鎌倉に復活させたのが、源頼朝。

「吾妻鏡」には源頼朝が西に流鏑馬の教えを受け復活させたと記されている。


ちなみに「吾妻鏡」というのは、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。まさに鎌倉時代のことが書かれた唯一のバイブル書的存在。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、成立時期は鎌倉時代末期。

編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。全52巻。

子供の頃、鎌倉時代に憧れたとき、この吾妻鏡の現代語訳を読破したい、とかなり真剣に憧れた。それほど鎌倉ファンにとって、憧れの的だった歴史的資料なのだ。

鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬は、1187年に源頼朝が放生会の後に奉納されたのがはじまりで、後に神事として行われるようになっている。

幕府の行事に組み込まれたことも含めて盛んに稽古・実演されたようで、北条時宗の執権時代までに、鶴岡八幡宮では47回の流鏑馬が納められたとされる。

いまは、この流鏑馬の儀式のことを、「流鏑馬神事」(やぶさめしんじ)というのが、通常の言い方である。

頼朝公が始めて以来、ずっと800年余、この鶴岡八幡宮で、この伝統ある「流鏑馬神事」の祭祀が行われてきたのである。

途中、海外遠征でこの流鏑馬神事を披露したこともあったそうだ。ロンドンとフィンランドで開かれた、と言っていた。


流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流がある。

以下、わつなぎさんのページを引用。

https://watsunagi.jp/budo/206/2/


武田流


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鎌倉・室町時代にかけて、武田家に伝授されていたが、武田家滅亡により、姻戚の細川藤孝に伝授され、以後、竹原家が継承し現在に至っている。

春の鎌倉まつりでの鶴岡八幡宮の流鏑馬神事は武田流である。


騎射(きしゃ):「式の的」と「板小的」を騎射し、成績の良かった者が選ばれ、土器で出来た「土器三寸の的」を騎射する。

笠(かさ):ヒノキで編んだ綾檜笠(あやひがさ)

射籠手(いごて):家紋の入った黒射籠手



小笠原流

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流派の始まりは、小笠原家の初代小笠原長清、7代小笠原貞宗、遠祖の貞純親王とするものがあり、代々伝わり小笠原流の基礎が出来たとされている。江戸時代に第8代将軍・徳川吉宗の命を受け小笠原貞政が流鏑馬を制定し現在に至っている。鶴岡八幡宮の例大祭や下鴨神社の葵祭での流鏑馬神事は小笠原流である。



騎射(きしゃ):あげ装束という鎌倉時代の武士の狩装束を着た3騎と江戸時代の武士の平服にちかい装束を着た10騎ほどが行う。

笠(かさ):イグサで出来た綾藺笠(あやいがさ)

射籠手(いごて):金蘭



これを読んでざっくばらんに自分が理解した範囲で書くと、武田流と小笠原流の違いは、まず服装などのいでたちが違う。そして騎射のスタイルが違う。

武田流が、成績を競う儀式なのに対し、小笠原流は騎手は3騎~10騎と決まっている、より儀式に近いというところであろうか?

その違いは、武田流の的が、いかに中心を射るかの競技用の的になっているのに対し(残った者は土器の的を射る)、小笠原流は、ただの木の的だということなのだろうか・・・。


まさに鎌倉といえば、この流鏑馬。
ぜひ実際生で観てみたいと思っていた。

秋の鶴岡八幡宮の例大祭で、その流鏑馬神事が行われるのを知って、行ってきた。
例大祭というのは、1年に1回または2回、その神社で定められた日に行われる最も重要な祭祀の事である。

神社ごとにあるお祭りなのだ。おらが街の神社でも今のシーズン、例大祭やっている。


鶴岡八幡宮のどこで、流鏑馬をやるのか?

その流鏑馬馬場は、境内中央付近にある東の鳥居から西の鳥居かけて走る参詣道が流鏑馬馬場になるのだ。

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鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の長さは254m54cm。

進行方向左手に間をおいて3つの的を立てる。
「一の的」「二の的」「三の的」

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つまり騎手は、上の図で、右から左に向かって、馬に乗って走り抜け、腰には矢が3本備え付けてあり、一の的を射ったら、すぐその後に、腰の矢を取り出して、二の的を射る。そしてそれが終わったら、さらに腰の矢を取り出して、三の的を射る、という連続技の感じなのだ。


流鏑馬では、騎射が的を射抜く手前でそれぞれ違う掛け声をかける。一の的手前で「インヨーイ」と短く太く掛け、二の的手前で「インヨーイインヨーイ」と甲声でやや長く掛け、三の的手前では「インヨーイインヨーイインヨーーイ」と甲を破って高く長く掛ける。

なにせ、254m54cmもある長さなので、実際では、拡声器を使って、「いま走り始めました」「一の的的中」「二の的的中」「三の的的中」という感じで実況中継付きなので、自分の場所に近づいてきた、というのがわかる仕組みになっているのだ。


自分は、騎手が矢を射るその瞬間を自分のカメラで収めたかったので、上の図の三の的をちょっと過ぎたあたりのオレンジ丸の部分に陣取った。実際現場に行ってみてわかったことは、絶好のシャッターチャンスと思えるところは、大抵、報道陣席か招待席なのだ。(笑)

つまり、的のある向かい側は、全部報道陣席か招待席。我々一般席は、的のある側なのだ。

流鏑馬神事は、13:00~スタートなのだが、場所取りで、遅くとも11:00には行かないとというネット情報があったので、自分はしっかりと9:30には現場に着くようにした。これは正解だった。11:00じゃ全然遅い感じで、超満員だった。

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じつにひさしぶりの鶴岡八幡宮。さすが例大祭。朝9:30でもかなりの人混みでした。

流鏑馬馬場を眺めてみる。
馬の出発点の方向を眺める。

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出発地点。

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ゴール地点。

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こちらが一の的

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二の的

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三の的

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自分は三の的の横のほうに陣取った。

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場を盛り土して、的をセットします。

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巫女さんたちが招待席に名前の札を張り付けている。招待席はこんな椅子のサービスがあるのだ。我々一般席はなにもない。なにか小さな椅子か、敷物を用意したほうがいい。でも地面は結構蟻地獄だったので、座る気はなくなったが。(笑)


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招待席。みんな望遠付の素晴らしいカメラを持ってらっしゃいました。

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こちらが、今日の例大祭の小笠原流の家元の招待席です。

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続々と集まってきます。しかし、外国人の方、とても多いです。日本の伝統の神事を見たい、というのがあるのでしょうね。

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いよいよ始まります。超満員です。

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流鏑馬馬場の両端には、このような幕がかけられます。この写真は、自分に近いところですから、三の的の後の方のゴールの方です。

この方は?(笑)

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13:00になったらすぐに始まるのか、と思ったらそうでもなし。まず鶴岡八幡宮の歴史、流鏑馬の歴史など、拡声器を使って延々説明が始まる。この部分だけで、50分はかかった。その後の本番の流鏑馬はほんの20分位で終わったので、いかにこの前振りが長いか、ということだ。正直、立ったままこれをただ聴いているのは苦痛だった。それでも朝から立ちっぱなしなのに・・・。

そして主役たちの登場。
3騎手たちの前に、2名が先導をきる。
なんか、一気に800年前の鎌倉時代に戻ったような、なんか煤けた気配。(笑)
要は、まず始める前に、一周して、みんなにそのお姿をお披露目する感じである。

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そして、ついに3名の騎手たち登場。今回の流鏑馬神事に登場する3騎手は、山川芳重さん(源雅之)、廬泰和さん(源承徳)、猪谷亦三郎さん(源崇明)の3名だ。括弧内の源氏の名前は何を意味するのか、わからない。源氏の末裔としての名前なのか、はたまた。。。

この騎手たちは、毎年違うメンバーでやるのだそうだ。

まずは山川芳重さん(源雅之)

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そして廬泰和さん(源承徳)

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そして猪谷亦三郎さん(源崇明)。

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ゴール地点で、みんな勢ぞろいの図。

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そして本道を戻りながら、出発地点に向かう3騎手。


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さぁ!いよいよここからが本番!まさにこの瞬間を捉えるために、いままで準備してきた。

出発点とゴールの両端で、赤と白の扇子を持った武士が、儀式の合図をして始まる。

事前に注意があった。それはカメラのフラッシュを炊かないこと。以前、そのフラッシュに馬が驚くというアクシデントがあったそうだ。


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まっこんなもんだ。(笑)SNSサイトでは、もっと間近で、迫力ある写真を投稿されている方も多かったので、自分の不甲斐なさも感じるが、やっぱり席の良し悪しがすべてを決めると思う。


来年の鎌倉春のまつりの武田流ではもっといい席を陣取ろう。(招待されたい!(笑))


実際、生で見た流鏑馬は、かなりすごい迫力があった!タッタカタッタカ、と馬が疾走してくる迫力が凄くて、なによりも的に的中して割れたときに、バリンというすごい音が鳴ること。

そして一斉に観衆から「おぉぉぉ~!」というどよめき、大歓声と大拍手。


疾走した後、馬がかなり興奮しているのか、ゴール地点でヒヒ~ん、と大声でなく。馬の声ってすごく大きくて、びっくりする。


とにかくすごい大迫力。

流鏑馬カッコイイ!



最初の解説は長かったけれど、いざ始まってみれば、あっという間だった。
帰りの鶴岡八幡宮は、まさに年に1回の最大のお祭りの例大祭。
すごい賑わいだった。

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カッコいい!そして、すごい迫力!で驚き、感動した流鏑馬。ちょっと鎌倉ビールで、休憩。
久しぶりに鎌倉来たから、江ノ電乗っていこうかな?(笑)

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鎌倉愛のルーツ [雑感]

あと残された鎌倉ミッションに、流鏑馬と静の舞がある。

いつも身近に自分の楽しみの目標を見つけて、それを精いっぱい楽しむというのが、健康な人生を送る秘訣。

静の舞は、4月の春に行われる鎌倉まつりでおこなわれるので、今年はもう終わってしまったのだが、流鏑馬は春と秋に、鶴岡八幡宮で行われ、秋は、なんと9月16日にある。

鶴岡八幡宮例大祭の1つの行事として行われるらしく、もうこれが身近の楽しみ。(笑)

流鏑馬は、疾走する馬上から矢を放ち的を射る日本の伝統的な武芸の技術・稽古・儀式で、流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流の2つに分かれるらしい。詳しくは、体験した時の日記で語ってみたい。自分が体験するのは、小笠原流のほうです。

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もうひとつ体験してみたいのが、静の舞。来年春の4月の鎌倉まつりまで待たないといけないが、これも楽しみだ。



静は、義経が兄源頼朝と不仲になり、京を落ちるときにも一緒に行動していた。

義経一行は吉野へと逃げるが、吉野で義経と静は別れる。

義経と別れた静は、京へ帰る途中に捕らえられてしまう。

北条時政に身柄が引き渡され、1186年(文治2年) 3月1日、母磯禅師とともに鎌倉に送られてきた。

源頼朝は、鎌倉に来た静に舞わせようとするが、静はそれを断り続ける。

しかし、4月8日、八幡大菩薩に献舞するということで説得され、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することとなる。

静は、義経を慕う今様(いまよう・歌)にあわせて舞う。



吉野山 峰の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな



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参列した者のほとんどが「静の舞」に心を動かされた。

頼朝は、静が義経を慕う歌をうたったことから激怒するが、妻の北条政子は「私が御前だったとしてもあのように舞ったでしょう」と言ってとりなしたのだと伝えられている。

鎌倉に来た静は、義経の子を身籠っていた。生まれてくる子が男子であったなら、その子の命を絶つことは決まっていた。

7月29日、静の産んだ子は男子。子は殺害され、その遺体は由比ヶ浜に捨てられた。


9月16日、静は傷心のまま鎌倉を離れ京に向かったとされているが、その行方は不明のまま。

由比ヶ浜に身を投げたともいわれている。

いまだに歴史の謎なのだ。

(静の舞~鎌倉と静御前、鎌倉手帳(寺社散策)より抜粋。)


こんな感じ。もう判官びいきで義経伝説が大好きな日本人にとっては、超有名でたまらん場面ですね。

2005年に放映されたNHK大河ドラマ「義経」。タッキーこと滝沢秀明くんが義経を演じて、静御前を石原さとみちゃんが演じていて、そのときのこの静の舞が、自分にはいまでも印象的に心に残っている。

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石原さとみさんは、いまでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気者になってしまったが、この頃は、演技もいまひとつプロになりきれず、女優、タレントとしてもいまひとつ、視聴率を稼げない女優とか言われていた時代。こんなに変わるもんなんですね。(笑)

源頼朝を中井貴一氏が演じ、北条政子を財前直見さんが演じていた。

このときの静の舞のシーンが、すばらしく格好良くて、このシーンだけ何回もVHSを巻き戻して、本当に何回も何回も繰り返して観ていたのを覚えている。

このとき静御前は、義経の子を身ごもっていて、歴史の解釈では、身ごもった状態で、舞を奉納し、その後に男の子を産んで亡きものとされた、というのが通常解釈なのだけれど、この大河ドラマ「義経」では、男の子を産んで殺されてから、その後に頼朝に舞を奉納した、という演出に変えられた。そのほうが悲劇性というか、静の舞に対する怨念が滲み出るという配慮から。。。

このときの石原さとみちゃんの静の舞はその”怨念の気”を見事に演じていてじつに素晴らしかった!



とにかく鎌倉時代が大好き。鎌倉時代の歴史を語らせると永久に止まらない(笑)。

やっぱり鎌倉時代って、その時代考証から自分は好きだったのだと思う。男性も女性もあの衣装。同じ武家時代でも江戸時代では、男性は頭を剃り上げてちょんまげ姿、でも鎌倉時代は、いわゆる剃ったりはしないし、なによりも烏帽子を頭の上に乗せている。

江戸時代の女性は、髪型はいわゆる大奥のドラマのように頭のところでまとめ上げるのだが、鎌倉時代の女性は、ずっと髪をたらす感じ。

衣装も、江戸時代よりも鎌倉時代のほうが、貴族っぽい優雅な衣装で好きだ。


いまはすっかり見なくなったけれど、子供のころからNHK大河ドラマが大好きで、必ず毎年観ていた。やはり太閤記に代表されるような織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国時代ものが好きだったが、それにも負けず大好きだったのが、鎌倉時代。

去年、鎌倉を偶然訪れてから、大の鎌倉マイブーム。

それは、やはり歴史で、鎌倉時代が大好きだった、というところに、その原点、ルーツがあると思うのだ。

子供の頃にあれだけ熱中した鎌倉時代。就職で上京してから、日帰りできるつい目と鼻の先にあるのに、30年間も鎌倉を訪れることがなかった。それがふっとしたことで、去年鎌倉を訪れて、その積年の想いを遂げた感じ。

実際、訪れた鎌倉の街の印象は、歴史が好きという以上に、街としての独特の雰囲気があって、東京とはちょっと時間の流れが違うゆったりとした感じのあるじつに素敵な空間であった。

やはり、自分の日記で鎌倉愛、自分が子供時代に熱中した鎌倉時代について語らないといけない。

いや語らせてほしい!

日本史が嫌いな人はスルーしてください。

自分は世界史よりも断然日本史のほうが好きだった。

共通一次世代で、理系男子は、社会科は負担の少ない地理・倫理を選ぶのが常識とされたが、自分は日本史・倫理と、日本史を選んだ。世界史は、あのカタカナ表記が覚えられなかった。(笑)いまは、音楽が縁でヨーロッパなど海外旅行が好きだが、あの頃とは雲泥の差だ。(笑)

どうしても、自分の”鎌倉愛のルーツ”であるNHK大河ドラマの「草燃える」のことを、自分の日記で語らないといけない使命感に燃えた。

急に思いついた。

長い前振りだったが、これが今回の日記の目的だった。

ちょっとネットから拾い絵を片っ端からやっていきます。
”ネットからの拾い絵”ということは、誰かの記事で採用されていた画像ということ。それを片っ端から使っていきますので、著作権的にクレームが来たら、そそくさと撤収します。(笑)




「草燃える」は、1979年に放映された大河ドラマ。自分が高校3年生のときにみたドラマだった。
とにかくハマった。長年観てきた大河ドラマとしては最高にハマったドラマだった。
日曜日夜8時から放映される大河ドラマだが、当時家庭用ビデオを持っていなかった時代。土曜の昼に再放送があり、それもちゃんと観るのが唯一の楽しみだった。

オヤジから随分バカにされたものだった。「お前、1回見たものを、なんでもう1回見るんだ?(笑)」



ドラマ冒頭は、そう!あの流鏑馬のシーンからスタートするのだ。衝撃的。
まさに鎌倉時代を象徴する流鏑馬。子供心に超カッコイイと思った。

そしてこのタイトル画面。懐かしすぎる!(笑)

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ドラマのテーマソングもいまでも口ずさめるほど、完璧に覚えている。

この草燃えるのちょっと面白いところは、セリフ面で現代語や現代語調が多用されたことだった。視聴者から大きな反響を呼んだ。当時の子供頃の自分は、まったく意識しなかったが、後年そのことを知って、その斬新なアイデアに驚いた。



草燃えるを専門的に解説すると・・・

永井路子さんの原作「北条政子」などを中心に、大河ドラマ用に脚本が新たに作られたもので、源氏3代による鎌倉幕府樹立を中心とした東国武士団の興亡を描いた一大叙事詩。

それまでの源平を題材にした作品か、どちらかといえば平家や源義経を中心とした物語なのに比べて、この作品では平家方の描写は少なく、源頼朝と、頼朝を担いで挙兵した東国武士団の動きに焦点が当てられ、歴史観も「源氏の旗揚げは、東国武士団の旗揚げでもあった」という立場で描かれている。


ここがなによりも目新しかった。この時代を、このような観点から描いた大河ドラマは、この草燃えるが唯一なのだ。従来からの平家が絡むどちらかというと貴族的な軟弱なフンイキよりも、なによりもこの東国武士団という男らしい格好よさに自分は惹かれた。

源氏3代と北条家。

この方々が主役。

ある意味、年間を通しての主役は北条政子と言ってよかった。
源頼朝は、年間の真ん中あたりで、落馬して死亡し、主役は北条政子に交代する。

その中でもズバリど真ん中の主役は、

石坂浩二さん演じる源頼朝、岩下志麻さん演じる北条政子、そして松平健さん演じる北条義時だった。

北条家の初期の執権政治で、歴史的に有名なのは、初代の北条時政、そして3代の北条泰時だと思うのだが、2代の義時にスポットをあてるのは斬新だと思った。義時は政子の弟。そして北条家による執権政治を確たるものにしたのは義時。まさにそのためには身内含め、仲間の豪族を次々と失脚、殺害してく冷酷さだった。まさに政子との連係プレー。その義時は、ドラマ初頭では、とても好青年に描かれていて、後半のその人が変わったような冷徹ぶりは正直子供心にかなりショックだった。

松平健さんがじつにそこを好演していた。当時の松平健さんは、まさに暴れん坊将軍全盛の頃。

でも自分には、この北条義時役の松平健さんのほうが最高だった。

このドラマが貴重なのは、承久の乱まで描いていること。源氏3代が滅び、北条執権政治が始まった時、やや鎌倉武家政治に陰りが見え始め、予てより鎌倉幕府の全国支配を快く思っていなかった後鳥羽上皇中心の朝廷方が、打倒鎌倉幕府の命を下し、戦になった。

まさに朝廷と戦うのであるから、自分たちは朝敵になるのか?そんな鎌倉の御家人たちの大きな不安となるのは当然。

そのとき、鎌倉幕府側は、御家人たちを集めて、岩下志麻さん演じる北条政子が一世一代の演説をする。





皆、心を一つにして聞きなさい。これが私の最後の言葉です。

亡き頼朝公が朝敵を滅ぼし、関東に政権を築いてから、
お前たちの官位は上がり禄高もずいぶん増えました。


お前たちはかつて平家のもとでどう扱われていましたか?
犬のように召し使われていたではないですか!

しかし今は京都へ行って無理に働かされることもなく、
よい暮らしができるようになりました。

すべてこれ、亡き頼朝公の御恩。その御恩は、
海よりも深く山よりも高いのです。

今、逆臣の讒言によって、理に反した綸旨が下されました。

今こそ頼朝公へのご恩を返す時。

名を惜しむ者は、逆臣を討ち取り、三代にわたる将軍家の恩に報いよ。

もしこの中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら,まずこの私を殺し、

鎌倉中を焼きつくしてから京都へ行きなさい。




おおお…と胸打たれる御家人たち。

これに一発奮起した鎌倉側。

幕府はおよそ20万の大軍を京都に向け、あっという間に京都を制圧。

鎌倉側の大勝利に終わった。

北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。


このときの演説こそ、このドラマの年間を通しての主人公、北条政子の最高の見せ場なのだと自分は確信している。

まさに岩下志麻さんの強烈なキャラは、そんな尼将軍・北条政子の役にぴったりだと思った。



そして、いままで何度も言及してきて、もうご存知だと思うが、石坂浩二さん演じる源頼朝。これが自分の歴史人物の中でのヒーローだった。源頼朝をそのように思い始めたのが、この石坂さんが演じる頼朝像を見てからだった。このドラマ、とりわけ、昔の大河ドラマって、登場人物が端役に至るまで、みんなとても個性的で存在感があった。そういう猛者たちを取りまとめる、その長である頼朝が妙に格好よいと感じてしまい、憧れた。特に頼朝の死後、ドラマは、なにか明るく差していた陽が一気になくなってしまったような寂しさがあった。それだけ存在感があった。

頼朝を好きだと思うようになったのはある意味、その死後の寂しさを経験してからだった。あの頃はとてもよかった・・・的な感じ。

そこから源頼朝を徹底的に研究し、鎌倉の歴史を思いっきり勉強した。
鎌倉フェチのはじまりである。(笑)

ここで写真を眺めながら、それぞれの想い出にふけることにしよう。


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ご存知、石坂浩二さん演じる源頼朝。存在感があって、格好良かった。子供心に憧れた。石坂さんは、大河ドラマの主役を演じるのは通算3回で、これは最多回数だそうだ。さすが昭和を代表する名優ですね。プライベートでは大変な有識者で、プラモ模型が大好きという楽しい一面もあります。



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岩下志麻さん演じる北条政子。映画・極道の妻たちでもわかるように、まさに岩下さんのキャラは怖くて強烈。尼将軍・政子にぴったり。いままでの北条政子役で、自分の中では、岩下志麻さんを超える人はいないです。


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若かりし頃、お互い好意を寄せあう頼朝と政子。政子は結局、家族の勘当にあっても頼朝の元に走った。

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当時のTVガイドの雑誌。草燃える紹介されている。「源氏3代の野望と愛」とある。石坂・頼朝と岩下・政子、美男美女のカップル。


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松平健さん演じる北条義時。自分にとって松平さんの当たり役は、暴れん坊将軍ではなく、この北条義時だった。ドラマ前半では好青年で描かれていた。ドラマ後半では、まさに権力基盤を確固とするべく冷徹な義時を演じた。そのあまりの変貌ぶりに子供心にショックだった。岩下・政子と松平・義時の強い絆、連係プレーはある意味、このドラマのキーポイントになっていた。


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源氏2代将軍、源頼家を演じた郷ひろみさん。まさにバカ殿なんだが、それを郷さんは見事に演じていた。当たり役だと思った。頼家はその暴走、狂乱のバカ殿ぶりで、最後は政子、北条家によって幽閉されて殺害されてしまいます。


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源氏3代将軍、源実朝を演じた篠田三郎さん。頼家が愚かなバカ殿だったので、篠田さん演じる実朝はずいぶんスマートでまともな将軍のように思えました。実際教養と知性のある将軍だった。朝廷と幕府が均衡を保っていられたのは、この実朝が後鳥羽上皇を崇拝して、両者の間をとりなしていたから、とされている。でも公暁によって鎌倉八幡宮にて暗殺される。それが引き金になって一気に朝廷、幕府が衝突ということになるんだな。


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源義経を演じた国広富之さん。義経は、どちらかというと、日本では判官びいきの悲劇のヒーローとして描かれることが多いのだが、このドラマでは、軍事的才能はあるのだけれど、若気の至りで思慮の浅い愚か者として描かれているのが特徴的だった。


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静御前を演じた友里千賀子さん。このドラマでは、友里・静は、身ごもった状態で、頼朝の前で、舞を奉納し、その後に産んで亡き者とされた。ドラマでは、その子供は、鎌倉の由比ガ浜の砂浜の中に御家人たちの手によって埋められるというシーンでした。強烈に印象にある。(笑)


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三浦義村を演じた藤岡弘さん。三浦家は鎌倉幕府の有力な御家人で、北条家と密接な関係を築きながらも、じつは陰で次代の覇権を握りたいという策略家として描かれていた。3代将軍実朝を暗殺した公暁(2代将軍頼家の次男)を陰でそそのかして、実朝暗殺をさせたのは、この三浦義村だった、という描写だった。でも暗殺実施後、三浦義村は、公暁をあっさり裏切り見捨てた。


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大江広元を演じた岸田森さん。この写真が見つかったのは最高に嬉しかった。大江広元は、まさに頼朝のブレーンだった。石坂・頼朝と岸田・広元はつねに傍にいて、なにあるごとに、頼朝は広元に相談している図がいまでも頭の強烈に残っている。岸田森さんは、本当に渋いいい名脇役の俳優さんだった。大ファンでした。


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後鳥羽上皇を演じた尾上辰之助さん。当時大河ドラマに歌舞伎俳優さんが出演するのは常で、さすがに時代劇ものに関しては、1枚も2枚も格が上だな、と思いました。北条義時執権のときの承久の乱での朝廷方のトップ。その見事な演技はさすがでした。


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伊東祐之(十郎)を演じた滝田栄さん。架空の人物。原作にも登場しない、このドラマのためだけに作られたオリジナル・キャラクター。青年時代の松平・義時となにかと深い関係で描かれ、ドラマ最終回では、承久の乱の後、政権安定した執権松平・義時の前に、そのときはもはや視力を失った琵琶法師となって現れて、源平の戦のことを、朗々と語るというなんとも因縁めいたシーンが最終回の最後のシーンだった。





以上、しかし、このドラマが放映されて、今年で39年経つんだよね。よくこんなにスラスラと頭から泉のように溢れ出てくるな、と思います。やはり頭の柔らかい子供の脳って、しっかり刻み込んでいるんだね。

草燃えるは、全51話なのだが、これのマスターテープが、NHKには残っていない、全話失ってしまった、というショッキングなニュースがあった。放送用ビデオテープのままNHKに残されていたのは総集編のみであり、通常放送回は1本も残されていなかったのだ。

これは当時の放送用VTRは機器・テープとも高価だったうえ著作権法等で番組の資料保存が制約されていたことも重なり、本作を収録した全話のマスターテープは他者の番組制作に使い回されたためだったからだそうだ。

その後、日本国民の一般視聴者からが家庭用VTRに録画した映像が提供されて、全51話ともNHKアーカイブズで観れるようになったらしい。でもやっぱりそこは家庭ユースのクオリティ。画像の乱れやノイズも多く、いまだに”Wanted、募集してます!”をやっている話(18話分)もあるらしい。

2004年頃に、自分も総集編DVDを購入しました。

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久し振りに観たら、すぐに子供時代にワープして、まったく古めかしさなし、違和感なくのめり込みました。(笑)


語らせてくれてありがとう!

すっきりした!

自分の鎌倉愛のルーツは、すべてここにあった。


これを詳らかにしたことで、これからみなに遠慮なく、残された鎌倉ミッションを成し遂げたいと思います。







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鎌倉のアジサイ [雑感]

鎌倉に紫陽花(アジサイ)という文化があることを知らなかった。まさにアジサイの名所「鎌倉」。

毎年6月の梅雨時期になると、鎌倉は、このアジサイで満開になり、1年でみどころ満載、もっとも華やかな季節となる。

この鎌倉のアジサイを見ようと、たくさんの観光客が訪れ、たださえ人気の鎌倉が1番混雑する季節なのかもしれない。

なにせ上京して30年、首都圏に居て、すぐ目と鼻の先にあって日帰りできるところにあるのに、鎌倉を1回も訪れたことがなかった。それが去年ふっとしたことがきっかけで、鎌倉を訪れてからは、すっかり鎌倉の魅力に執りつかれ、いまは鎌倉マイブーム。

日本の初の武家政治がひらかれた街で、ずっと古来伝統のある歴史の街。そして「鎌倉文士」と呼ばれた多くの文化人が活躍した街でもある。東京とは時間の流れ方が違う独特の雰囲気を持ったところだ。

自分の鎌倉への想い出は、以前日記にも書いたように、1979年の中3のときに放映されたNHK大河ドラマ「草燃える」。

いままで鎌倉時代の題材と言えば、平家や源義経を題材にする番組が圧倒的で、その中で、この「草燃える」だけは、源頼朝などの東国武士団の旗揚げにスポットをあてたもので、頼朝&北条側から見た鎌倉時代の描写は子供心にとても新鮮に映った。

長い大河ドラマの歴史の中でも、こちら側からスポットをあてた作品は、この「草燃える」しか存在しない。

子供だった自分は、このとき石坂浩二さん演じる源頼朝の大ファンになってしまい、源頼朝は、自分の歴史上の人物の中で大ヒーローになった。相当入れ込んだ。

去年、その源頼朝の墓参りができたときは感無量だった。

そんな熱い想い入れが鎌倉にあったのに、上京以来30年も鎌倉を訪れなかったのは不思議だ。

だから鎌倉にアジサイというカルチャーがあることをまったく知らなかったのだ。

去年ようやく鎌倉を訪れたとき、鎌倉が地元のsuzuさんに、アジサイの存在を教えてもらい、そうだったのかー!(笑)。

そしてリベンジするべく1年待った。

今年は、この鎌倉のアジサイを鑑賞するためだけに、ワークライフバランス休暇をそのタイミングで、6月中旬に設定した。ところが、例年よりもアジサイの開花が1週間ほど早まりそうな気配で、5月下旬~6月上旬になりそうだ、ということだった。

慌てて、休暇の日程を予定変更。(笑)

結局5月下旬の最終週に、計5回鎌倉を訪れた。

やっぱりちょっとアジサイの開花状況は早かったかなー?という感じ。
花の青々した感じが、もうちょっと足りなかったかなと感じた。

アジサイの開花状況は、6月上旬の”いま”まさに満開宣言で青々した最高の時期。
でもアジサイの名所と言われるところは、もう大変な混雑ぶりのようだ。

そういうことから考えると、自分が行ったときは、ちょっと早かったけれど、その反面混雑がまだあまりなかったので逆によかったかもしれない。

鎌倉の3大アジサイ寺といえば、明月院・長谷寺・成就院。
とくに明月院が、自分的には、まさにアジサイ寺という感じで、その花模様に圧倒された。
アジサイで彩られたその風景は、まさに”明月院ブルー”と呼ばれていて、最高だと思う。

まず最初に、この北鎌倉にある本命の明月院を訪れた。

門をくぐるともうこんな世界。

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やっぱりちょっと早くて、青々した感じが足りないかなー。


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明月院で、そのもっとも有名な場所が、この正門にあがるところの石段のところ。
まさに圧巻!
                                                   

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(2019.6.16後記)
ほぼ1年後に全身ずぶ濡れになって撮ってきました鎌倉のアジサイです。明月院ブルーです。ほぼ1年後に撮影できたこの写真から学んだことは明月院ブルーを撮影したいのなら、傘をさす雨の日を狙え!です。晴れた日だと、この階段の中にどんどん人が入っちゃうんです。だから撮る絵柄も、人込みの構図になってしまう。土砂降りの中、行列に並んでいるときに、傘をさした人が、階段に入っちゃうと、傘がジャマで絵柄が汚くなるよなぁ、とずっと憂鬱だったのです。

ところが開門して実際、行ってみると、階段の入り口のところに竹の棒が横に張ってあって通行禁止になっているのです。その入り口のところで、各自写真を撮りなさいよ!という感じです。なので、このような人が入っていない構図を撮れたのです。

明月院さんも、そこら辺はよくわかっているんでしょうね。傘をさした人が中に入っちゃうと構図が汚くなるということを。

晴天の気が遠くなるような地獄の大行列に並んで、人の入った構図の写真を撮るか、全身びしょ濡れになって人の入らない構図の写真を撮るか・・・。プロのカメラマンと同じ写真が撮りたいのなら、傘をさす雨の日を狙え!ということを悟りました。     


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(2020.6.8後記)

この年は、新型コロナウィルス(COVID-19)の世界中のパンデミックの年になり、日本でも感染拡大防止のために外出自粛要請。明月院への来訪は、神奈川県在住の方のみとなりました。平日のみ開門、土日は閉門。入場者数制限あり。朝一番の開門9時とともに、このような人が入らない写真を撮ることができました。わかってきたコツは、たとえ晴天であっても開門1番だと、みなさんマナーで誰も入らないで入り口で写真を撮るような作法になっていること。時間が経つと、人が中に入るようになります。コツは晴天、雨天に関わらず、開門1番で撮影することだということがわかりました。


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アジサイには、いろいろな花の種類がある。
こちらもとても魅力的だ。

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こんなんもあります。(笑)

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つぎに成就院に向かう。

昔は、成就院の「あじさい参道」はたくさんのアジサイがあって華やかなところで、まさに観光名所だったのだが、いまの成就院のアジサイは30株しかない。

昨年よりアジサイに代わり、萩を少しずつ植えている。

成就院のあじさい参道は、平成27年から29年まで改修工事が行われ、その際、多くのアジサイが、東日本大震災被害に遭った宮城県南三陸町に寄贈、移植されたのだ。

だから成就院のアジサイは、いまは申し訳なさ程度なのだ。

成就院のアジサイ。

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そして最後の砦の長谷寺で行く前に、同じ長谷にある高徳院の鎌倉大仏さんを見学。

ひさしぶりの鎌倉大仏さん。こっちから・・・(^^;; ちょっと猫背・・・。(笑)

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そして長谷寺のアジサイ。
長谷寺もアジサイ寺として有名なところだ。

長谷寺のアジサイは、入り口のすぐそばにある鉢に植えたものと、そしてあじさい道である眺望散策路にある。

まず鉢に植えたもの。これだけでも十分に美しい。

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そして眺望散策路。

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なんか山道を歩いていく感じで、その両側にアジサイが咲いている感じなのだ。
十分に青々しかった。

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散策路はこんな感じ。まだ早い時期だったせいか、あまり混雑していませんでしたよ。(笑)
たぶんいまは凄い混雑だと思います。

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長谷寺を訪れたのは、去年の紅葉のとき。夜景でライトアップされた紅葉を観るために訪れた。
でもそのときは夜だったので、長谷寺の庭園内をよく見れていなかった。

昼間じっくりみると、じつはとても名所や素敵な庭園がいっぱいあるのだ。


有名な良縁地蔵。

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これはなんだろう?とても面白い。

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素敵な庭園。

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そして長谷駅の前にある食堂で、かねてよりずっと食べてみたかった鎌倉野菜をつかった天丼をいただく。いやぁ、なかなか結構なお味でございました。

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じつは「鎌倉とアジサイ」を語る上で、じつはこのアジサイ寺の他に、もうひとつ抑えておかないといけないことがあった。

それは、

「江ノ電とアジサイ」

のツーショットを撮ること。

このツーショットを撮ることは、もう鉄マニアの方々の世界では、ずいぶん昔から定番としてある趣味の世界のようなのだ。

いまはネットがすごい普及しているので、SNSの鎌倉ファンサイトなどで、今の季節柄、このツーショットが盛んに投稿されている。

なんか、その写真を観ていると、ホントにユルイな~(笑)という感じで、微笑ましいのだ。
自分のカメラマン魂を刺激するというか、ぜひ自分のカメラでそのシーンを収めたいという衝動にかられた。

江ノ電とアジサイのツーショットが撮影できるスポットってどこなのだろう?

と思うのだが、ネットが発達している今の時代、ちょちょっとググれば、もういっぱい出ている。

まず1番有名な定番スポットとして、御霊神社。

もうすでにたくさんのカメラマンたちがいた。

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そのカメラマンさんたちと世間話をした。
いろいろ面白い話を聞いた。

江ノ電とアジサイのツーショットの世界には、いろいろこだわりみたいなものがあって、びっくりというか感心してしまった。

とにかくこういうスポットには、この季節柄、たくさんの愛好家カメラマンがいて、みんな撮影している。

中には、そのカメラ熱で、電車止めちゃう人もいるそうだ。(笑)

無茶はやめましょう!

なんでも、線路の敷地内に入り込んで、その線路の横のところに、小さくしゃがんで待ち構えているとか・・・(アホ。。。笑笑) 思わず電車が止まってしまったとか。

もうそんな武勇伝はたくさんあるのだ。

撮影ポイントは大体踏切のところが多いのだが、江ノ電が通るとき、その踏切から思わず身を乗り出して、警笛を鳴らされることなんか日常茶飯事。現に自分も何回も聞いた。

また、あるとき、そのツーショットが撮れる有名スポットで、あまりにその愛好家カメラマンが熱中するあまり危険な行為に及ぶことが多いので、そこの地主さんが怒って、ついにそこのアジサイを全部刈り取っちゃったとか。(笑)

そんなイザコザも多いそうだ。

みんないいショットを撮影したい、というその一心なんだろうね。

鎌倉ファンサイトに投稿される写真は、みんなとても上手。
その撮影ポイントにはいろいろマニアの中では、こだわりも多いようだ。

自分が世間話で聴いた話では、江ノ電にはいろいろなタイプの車両があるのだが、やっぱりアジサイとのツーショットを撮るなら、江ノ電カラーのグリーン色の車両、さらには1番いいのは、355型と呼ばれる旧車両が1番ベストなんだそうだ。

江ノ電は、1本の線路を、時間調整して、上りと下りで共有する。

そんな中で、旧車両の355型をみんな待っているのだ。そしてカメラマンの方々は、みんな時刻ダイアグラムをちゃんと知っているんだな。(笑)

1本の線路を共有するので、旧車両355型が来るのは、つぎのつぎとか。

正しい撮影の仕方は、自分が撮影している方向に対して、江ノ電がやってくる方向を撮影するのが正しい。

でも自分が思うには、自分の背後からやってくる反対側から来る江ノ電を撮影しても、撮れた写真を観てもわからんのじゃないか?と思うのだが、どうもこれは違うらしい。

それは車掌の向きで分かる。

自分に向かってやってくる車両を撮影する場合は、車掌がちゃんと自分方向を向いて座っている写真が撮れるのだ。

でも自分の背後からやってくる写真では、最後尾の車両だから車掌は後ろ向きなんだな。これでわかっちゃう。

1本の線路を上りと下りで共有するので、時間がかかって結構大変なのだ。

笑っちゃったのは、自分の隣にいたカメラマンが長い間待ってようやく、旧車両355型で自分に向かってくる写真を撮れたと思ったら、

「けっ!失敗したよ。」
「えっどうしてですか?」
「車掌がマスクしていた。(笑)」

車掌がマスクしていた時点で、もう写真としての価値はダメなのだ。(笑)


御霊神社で自分の撮影。

これが旧車両 355型。
見事撮れた。ちゃんと自分に向かってやってくるときの撮影。

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反対側のこちらも。

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そして、こちらは長谷駅からちょっと歩いたところの有名な田中理髪店のあるところの踏切のスポット。

田中理髪店

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自分の感覚では、ここでのアジサイとのツーショットが1番うまく撮れる絶好スポットだと思う。

まずこちら。
旧車両355型。でも残念でした。自分の背後からやってきた最後尾の車両を映したものでした。
車掌が後ろ向きです。(笑)

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いちいち旧車両355型を待っている時間が自分には耐えられなかったので、もう1枚。
今度は自分に向かってやってくる新型車両。

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いっしょにいたカメラマンのアドバイスで、理髪店の干しているふとんと、手前にアジサイが一緒に映る江ノ電のショットもいいよ、ということでチャレンジ。

みんなプロだなぁ。細かい。(笑)

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つぎに源義経所縁のお寺で有名な満福寺を訪れた。

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ここは、源義経と武蔵坊弁慶の腰越状で有名なお寺なのだ。

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平家打倒を果たした源義経は、後白河法皇の信任を得て、兄頼朝の許可なく官位を受けてしまう。これに激怒した頼朝は、その後、義経と不仲になっていく。そして腰越で、鎌倉入りを拒否された義経は、頼朝のブレーン大江広元にとりなしを依頼する手紙、いわゆる腰越状をここで書くのだ。上の写真は、義経が弁慶に腰越状を書かせているところ。

「草燃える」では、大江広元は、故・岸田森さんが演じていた。岸田さんは、まさに渋い名脇役の俳優さんで、自分は大ファンだった。大江広元は、まさに頼朝が最も信頼していたブレーンで、石坂さんの頼朝と岸田さんの大江広元は最高に絵になったコンビだった。子供心にカッコイイと憧れていた。

そんな鎌倉時代が大好きな自分にとって、最高のお寺だ。

ここでも江ノ電とアジサイとツーショットが撮れるのだ。

本来であれば、こういう写真を撮りたかった。

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ところが実際はこんなんだった。(笑)

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ネットの写真は古い時代のものだったんだな。もうそこにはアジサイどころか、そんな花のようなものはなかった。でも源義経所縁の満福寺を経験できただけでもよし、としよう。


つぎに極楽寺。

停車している江ノ電とアジサイのツーショット。(笑)

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極楽寺のアジサイも見事なものでした。

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そして「湘南海岸公園駅前」の「善乃園」沿いに咲く紫陽花と江ノ電のコラボレーション。

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「善乃園」は知る人ぞ知る和カフェだが、アジサイ撮影スポットとしてはかなりの穴場ポイント。

そういうネットの情報であったが、実際はご覧のようにアジサイはほとんど申し訳なさ程度。
ネットの写真は古かったのだろう。残念。



以上が、私が撮影した「江ノ電とアジサイ」のツーショットの写真です。
なんせ鎌倉に計5回通って撮影した成果。SNSにみんなが投稿しているように上手には撮れないけど、まっ自分のカメラマン魂を十分溜飲を下げれたと思います。


江ノ電は、やっぱりこの住宅街の中を通っていくスレスレ感が堪りませんね。(笑)


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(c)江ノ電が好きFB








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ああチケットよ! [雑感]

mixiに入会して、初めての海外音楽鑑賞旅行と称してベルリンフィルハーモニーにて、ラトル&ベルリンフィルを聴く!という大目標を立てた。自分の「ホールツアー」というライフワークの幕開けだった。

なんせ、旅行準備日記として1年も前から連載して盛り上げた。

ところが、ご存知のように、チケット発売本番日にあえなく討ち死に。(笑)
まったくもっての瞬殺ソールドアウトだった。

ラトルのマーラーチクルス、恐るべし!

まさにプラチナ!

マラ6だからな。

1年も準備してきて盛り上げてきたのに、もう怒りの鉄拳を振り落とす場所もなし。
みなさんから、たくさんの慰めのお言葉の数々。

それ以来、海外ツアーは、チケットが取れてから発表することにしました。(笑)

そんな失意のどん底にいるとき、

「はっきり行ってヨーロッパの場合、必要なのは、お金でなく根性だ。」

と言って激励の日記を書いてくれたのが、ゴローさんだった。

いまふたたび、ゴローさんのその日記を振り返ってみたい。

ゴローさんという人が、いかに無茶ちゅうか、猪突猛進というか、まぁ、とにかく行ってみるべえ精神の人だったか、ということがわかる。

SOLD OUTのチケットだから取り甲斐がある!行く価値がある!

いまの旅人には、まずマネできんだろうな。

当時の自分が、この日記にどれだけ勇気づけられたか!
なんとかなるんではないか?という気持ちになった。


とにかく読んでみてくれ。 

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マイミクのノンノンさんが、ベルリン・フィルの定期演奏会のチケットが取れなくて苦しんでいるらしい。まあ定期演奏会となると、やはり定期会員というものがいるわけだから、なかなか思うようにとれない時もある。

しかし、わざわざ日本から聴きに行くとなると自分などは、完売SOLD OUTが当たり前で、それこそ、わざわざ行く価値があるのだと思うぐらい自分は、そういう公演を狙って行ってきた。


はっきり言ってヨーロッパの場合は、必要なのは、お金でなく根性だ。


10数年前は、毎年紅白歌合戦を終えて、3賀日を家で過ごした後、ニューヨークに勉強もかねてミュージカルを観に行っていた。

自分が観たいものは、その年にオープンになったばかりの新しい演目で、しかも話題になっているものばかりを、1週間かけて10演目ぐらい立て続けに観て帰るという旅なので、その半数以上がSOLD OUTなのだ。

そこで当日のキャンセル待ちに、なんと朝の4時30分から並ぶ。
ニューヨークの真冬1月である。とんでもなく寒い!

しかし朝8時過ぎまでは、劇場の玄関が開かないので、毛布を持って路上に並ぶわけ。

これは、痺れるよぉ・・・。4時30分だと、さすがに前から5人目ぐらいになるわけで、8時過ぎると一応ガードマンが正面のシャッターを開けてBOX OFFICEの前に並べるようになる。

暖房はまだ無いが、一応建物の中で小1時間立ってさらに待つ。
だいたい2人か3人で行っていたのだが、必ず自分の順番を待って一人ずつ買う・・・これがコツだった。一番先の人が、他人の分まで買おうとして3席とか言うと、ボックス・オフィスの人は並びや近くの席を取ってくれようとするので、かえって席が悪くなってしまう。

キャンセル席なので、良い席は1席ずつポツポツと出ることが多いのだ。
そうやってチケットをゲットして、ホテルに戻って暖かい朝食を取って、昼まで寝る・・・そんなニューヨーク・ツアーだった。

まあニューヨークやロサンゼルスといったアメリカの場合は、チケットロンのような合法ダフ屋があって、お金にさえ糸目をつけなければ、おおよそのチケットは手に入る。

入らないのは、例えば過日ブルーレイで出たバーバラ・ストライザンドのヴィレッジ・ヴァンガードLIVEみたいなもの。ONE NIGHT ONLYで、座席が200席も無いというような条件では、仮に100万まで出すよ!といってもチケットが取れないだろう。

自分も今となっては内容は忘れたが、カーネギー・ホールでオールスターのGALAコンサートがあって、20万円出しても良い・・・と粘ったが結局チケットを入手できなかった経験がある。

ヨーロッパの場合は、チケットロンのような合法公式なダフ屋がないので、本当に根性と気合しかないような気がする。

最初にそれで、苦しんだのが、バスチーユのオペラ座のこけら落とし公演 新演出の「魔笛」。もちろん初日ではないが、全然チケットの入手方法がわからず、ええいとりあえず行ってみるべえ・・と日本を出発。バスチーユに行って当日券のすでに長い列に絶望的な思いで並んでいると、暗くなる頃に、次々と一般ピープルがチケットを売りに来る。

なんのことはない、市民が個人のダフ屋なのであった。

1998年にやはりバスチーユで、ホセ・クーラが初役でドン・ホセを歌い、ベアトリス・ユリア・モンゾンがカルメンを歌ったときは当日売りに朝8時から並んで、開演5分前に、7列目のど真ん中をゲットした。

そのときは1人だったので、トイレに行くタイミングとか辛かった記憶がある。

しかし昼過ぎくらいになると、前後に並んでいる人たちと親しみが生まれてくるし、順番をきっちり見ている守衛さんがいることがわかったりして、ちょっと気分がリラックスしてくる。しかし、立ちっぱなしでパンや飲み物を持って、飢えや渇きを凌ぐわけで結構大変だ。

ヨーロッパで、どうしても入れなかったのは、一昨年3月にウィーンのコンツェルトハウスの小さいほうのホール、モーツァルトザールであった内田光子さんとハーゲンSQのコンサート。

これは現地に行ってから気がついたので、早くから手をまわせばとれたと思うが、当日いくら粘ってもホールのキャパが小さいのでキャンセルが出なかった。


そこにいくとベルリンは、駄目だったという記憶がない。

コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団が フィルハーモニーに来演し、ソロがアンネ・ゾフィー・ムターで カラヤンとの共演以来久しぶりにベルリンでベートーベンのバイオリン協奏曲を弾くということで話題になったコンサートがあったが、その時も全くソールド・アウトだったが、夕方から当日売りに並んで周りの気配に気を配っていたら、ドアの外に 余りチケットを売りにきたらしき人を発見、ちょっと席の位置のわりには 高い気もしたがあんまり贅沢を言っても 入れない感じだったので 現金で購入しコンサートを聴いた。


休憩時間になると隣の席の60代半ばの紳士が

「失礼ですが あなたはいくらで そのチケットを買いましたか?」と

英語で尋ねてきた。

私が正直に買値を言うと そうか結構高い値段を付けたんですね・・・とちょっぴり残念そうで複雑な表情をした。

理由を聞くと 彼の妻が風邪を引いて来れなくなったので入り口付近で 若いドイツ人に そのチケットを良心的な値段で譲ったらしい。

その男は おそらく別の人からさらに良い席のチケットを入手したので最初に買ったチケットを私に売ったのではないか・・・という話だった。

コンサートの後半が終わり、会釈して帰ろうとするとその紳士は、

「高いチケット代を払わせてすみません。 食事をご馳走させてくれませんか?」と言うのだった。
「妻は寝込んでいるので 帰っても自分で夕食を作らねばならずどこかで 食事をして帰ろうと思っていました。  一人で夕食というのは寂しいものです。どうかご一緒してください」

そんなわけで 夕食をご馳走になってしまい 結局高いチケット代の元がとれてしまうといった微笑ましいコンサートもあった。

まあ 根性と気合でチケットを入手できても長時間並んだ疲れや 席に着けた安心感で 猛烈な睡魔に襲われることもあり、なかなか大変である。   


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結局この年は、日本に居ながらして、キャンセル待ちに成功し、ラトル&ベルリンフィルのマラ6のチケットは、2日とも無事に入手することができた。

そのときゴローさんからのコメントは、やっぱり定期会員の中でも「6番が嫌いな人がいるんだよね。」というものだった。(笑)

確かにベルリンフィルハーモニーの前には、この個人の合法ダフ屋がいるのだ。(チケットの値段は高くなく普通なので、合法と書いた。)自分が、このホールに行ったときは、必ずといっていいほど遭遇した。

これだったら、ベルリンフィルハーモニーでの公演は、まったく丸腰で行っても絶対入れるな!と確信したぐらいなのだ。

現に、自分はヤノフスキ&ベルリン放送響の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」演奏会形式のときは、この個人ダフ屋にお世話になった。なんせ、このワーグナーチクルス、大変話題でビッグなイヴェントだったので、チケットの値段が恐ろしく高かった。当時のベルリンフィルの定期公演のチケットの2倍から3倍の凄いプラチナチケットだったのだ!

なので、座席は悪いが、それなりの値段のチケットを買っていた。

ところが、この個人ダフ屋のチケットは座席がステージ近くで、しかも値段がかなり原価に近い。
思わず、チケット持っているにも関わらず買い直したのだ。


来る6/20、ついにラトルのベルリンフィル離任コンサートの最終の定期公演。

運命のマラ6!

もちろんチケットは完売!SOLD OUT!

当初の予定では、家で真夜中に、IIJ PrimeSeatのDSD11.2MHzライブストリーミングの生中継を聴いて、ラトルに最後のお別れするつもりだが、ひょっとしたら丸腰でベルリンに行っちゃうかもよ。

ぜったい奴らはいる!と思うんだよね。(笑)



注釈:チケットはやはりきちんとしたルートで買いましょう!この事実は、あくまで当時の現実を描いたまでで、非公式での購入を促進しているものではありません。ブログに載せる上で、ちょっと後ろめたい気持ちにはなりました。(笑)





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銀座線レトロ 特別仕様車に遭遇しました。 [雑感]

2~3年前にも偶然遭遇したことがあるのだ。でもそのときは、銀座線にそういうレトロ仕様の車両があることを知らず、「あれ~これなんだろう?珍しい。」というくらいの気持ちで写真を撮らなかった。

後日、銀座線のレトロ、1000系の特別仕様車であることを知って、とても悔しい気持ちになった。

その後、銀座線に行って、「特別仕様車に乗りたいのだけれど、いつ走っているか運行時間知りたいのですが?」と駅員さんに聞いたのだが、「いやぁ、運行時間を教えてしまうと、鉄道マニア(鉄ちゃん)含めて、殺到しちゃうので、いっさい秘密なんです。」ということだった。

乗れるかどうかは、まさに運に任せるしかないのである。

だったら、銀座線ホームでずっと待っていて、レトロ仕様車が来るまで、待っていればいいじゃんか、と思ったが、最初の1~2本で、もうこれでは日が暮れるというか、やってられん、という感じで、すぐに諦めた。

もう運に任せるしかないのだ。

自分が銀座線を利用するのは、日本橋の京都銀閣寺ますたにラーメンを食べに行くときと、外苑前の世界の朝食のお店に行くときくらい。月1回くらいの利用だろうか。。。

これでは、いったいつ遭遇できるか・・・ほとんど諦めで、そのことも忘れかけていた。



ここで、銀座線レトロ 1000系特別仕様車のことについて、まずは説明してみよう。

去年の2017年は銀座線が開業してからちょうど90周年にあたる。
それに合わせて、当時運行された特別な列車に乗りつつ、銀座線の歴史を振り返ってもらいましょうというイベントを催した。

“地下鉄開通90周年記念イベント「TOKYO METRO 90 Days FES!」スペシャル企画『銀座線タイムスリップ』”という、長~いイベント名。(笑)

このイベントの様子の記事が、こちらの電子ニュースで掲載された。
詳しくは、こちらに記載されているので、ご覧ください。

https://getnavi.jp/vehicles/211909/


ここでも、その記事の中から一部を抜粋して、この日記でも紹介してみる。

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運転士と車掌はレプリカ制服を着て乗務。臨時列車では当時の乗客の服装を再現した添乗員も同乗してイベントを盛り上げた


90周年を記念した「銀座線タイムスリップ」の臨時イベント列車。
使われたのは1000系特別仕様車だった。現在、銀座線には1000系6両編成40本が走っている。
そのうち2本のみが、特別な造りとなっている。

つまり確率1/20、5%ということなんだな。

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1000系特別仕様車

1000系特別仕様車は地下鉄90周年に合わせてレトロなイメージを強め造られた車両。通常車両と異なり、前照灯を2灯から1灯に、内装は木製色を強調、銀座線を最初に走った1000形をイメージした造りが各所に取り入れられた。

また天井灯はLED照明ながら、光の色が変更できるようになっている。さらにほかの1000系には無い予備灯(非常灯)があえて付けられた。今回のイベント列車では、この予備灯が生かされたのである。

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車内の内装は木製色の化粧板をメインに。座席も通常車両の煉瓦柄に対して緑色のシートモケット、手すりは真鍮色とされている。


今回のイベント列車への一般の応募者数は4090人。その中の45組90名が晴れて乗車できた。倍率はなんと45倍強! 人気の高さがうかがえた。

きっと熱心な鉄道ファンが多いのだろう、と思って乗車してみると、女性の参加者がかなり多かった。やはり銀座線好きな人には男女、また鉄道ファンに関わらず、ということなのかも知れない。

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イベント列車として使われる1000系特別仕様車が検修庫内に停まる。ふだんは使われない階段と先頭部の非常用トビラから入るという“旅の始まり”も参加者の心をくすぐった。


駅に入る手前の、ポイントを通過する時に、車内の照明が消えて一瞬、真っ暗に。点いているのは車内の非常灯のみ。古い銀座線では“当たり前”だった光景が、四半世紀ぶり、2017年12月17日に運行された臨時イベント列車で再現された。

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前述したように1000系特別仕様車は車内に予備灯が付けられている。イベント列車では、この予備灯を生かしての、古い銀座線車両のイメージが再現された。

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浅草駅~渋谷駅間は照明がLEDモードから、やや赤みがかったレトロモードに切り替えられた。



さて今回のイベント列車内の催しとして注目されたのが「予備灯の点灯」。1984(昭和59)年に走り始めた01系電車が登場するまでは、車内の照明が消え予備灯(非常灯)が一定の箇所で点灯した。銀座線の車両がすべて01系となる1990年代までは銀座線に乗ったならば、いつでもこの一瞬、室内灯が消え、予備灯が付くという現象を体験できたわけだ。なぜ、01系以前の車両は予備灯がついたのだろうか。

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浅草駅から渋谷駅にかけて予備灯が計14回点灯された。点灯した場所は、ほぼ古い車両と同じ場所で起こるように“設定”された。


東京メトロの路線の中で銀座線と丸ノ内線のみサードレール方式(第三軌条集電方式)を採用している。サードレール方式とは、レールに平行した3本目のレールに電気を流し、そこからコレクターシューによって、集電して電車を動かす方式のこと。

このサードレールは、ポイントなどで、途切れる区間が一部にあり、集電ができないところでは、バッテリーの電源を生かして予備灯(非常灯)が点灯する仕組みになっていた。現在の01系以降は、集電できない区間も、室内灯が切れないシステムに変更されている。

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銀座線1000系の台車に付くコレクターシュー(矢印部分)。この装置でサードレールから集電して電車が走る。

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レールに平行して設けられるサードレール(矢印のレール)。ここに電気が流されていて、コレクターシューをすって集電する。


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イベントでは、レトロ制服に身をつつんだ乗務員との記念撮影タイムも用意され、特製の額縁を持ちつつ記念撮影に興じる人も多く見られた。

いーなー、いーなー。すごい競争率だけど、ぜひ自分も参加してみたかった。



さて、ここからが自分の体験談。

日本橋の京都銀閣寺ますたにラーメンを、久しぶりに食べに行きたいなーなんて思って銀座線を渋谷から乗った時のこと。改札を通った時に、目の前にある銀座線の車内を何気なく見ると、このレトロの木目調ではないか!

うわぁ!これは大変!と思い、急いで車内に飛び込んだ。

感動!2年ぶりに遭遇できた銀座線レトロの特別仕様車。

感無量だった。

もう、もちろん夢中で写真を撮りまくった。

まさか、こんな偶然に遭遇するとは思ってもいなかったので、そのときコンデジは持っていなかったので、仕方なくスマホのカメラで。

自分が遭遇した銀座線レトロ 1000系特別仕様車。
写真撮りながら、もうドキドキの頂点だった。
乗車している方々は、いたって冷静で普通なんだが、このことがいかにスゴイことなのか、わかってんのかな?(笑)

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こちらが、ふだん乗っている銀座線の車両。ときめき度が雲泥の違いだ。(笑)

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ちゃんと室内予備灯もありました。(笑)
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ただ、特別イベントのときは、車内消灯、そして予備灯点灯というシーンを再現したけれど、今回はイベントではないので、そういう心配り、配慮はなし。


車内を夢中で撮影した写真を、ちょっと紹介してみる。

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この写真が、銀座線が開通したばかりに走った「東京地下鉄道1000形」と、今回の「銀座線 1000系 特別仕様車」の比較。今回の特別仕様車は、この最初の東京地下鉄道1000形を模して造られたのだ。


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車両間の扉。各車両を隔てるガラス戸にはパンダや雷門など、銀座線に縁が深いイラストシールが貼られていた。

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このつり革も、昔の東京地下鉄道1000形では、思いっきり外側に曲がっていて、それをつかむと正常の位置になる仕掛けだったよう。いまみたいに最初から下にぶら下がっているわけではなかった。


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下車して、銀座線 1000系 特別仕様車を外から撮る。

いまは、みんな投身自殺対策のセキュリティガードがホームに付いているので、車両全体の外観の写真を撮るのが難しくなった。

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いやぁ、興奮でラッキーな日でした。
5%の確率に遭遇するとは!

江ノ電をきっかけに、だんだん鉄ちゃんの気持ちがよくわかるようになりました。
自分もなんかドキドキして楽しい。(笑)

いま乗ってみたいのは、松本行きのスーパーあずさの新車両。
2018年春には、全「スーパーあずさ」が、E353系になる。

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むかしは、小澤さんのサイトウキネンを観るために、毎年のように夏の音楽祭のシーズンになると、松本に出かけていた。そのとき、必ずスーパーあずさに乗るんだが、これが見違えるようにモダンな最新車両になった。

鉄道の世界は楽しい!(^^)







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謹賀新年2018 [雑感]

あけましておめでとうございます。


昨年は、拙ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
年が明けまして、心機一転、気持ちを新たに切り替えてこの日に臨んでいます。


昨年は、おそらくここ5年~10年にかけて、最も最悪のリズムで全く想定外の年でありました。
人生長年やっていると、こういう年も必ず巡ってくる、と実感しています。
よく我慢して耐えた(笑)、と自分を誉めてあげたいです。


去年の年初は、希望に満ち満ちて、そして不安のスタートでしたが、予想外の展開に、自分の不甲斐なさ、そしてこの怒りをどこに持っていけばいいのか、そのやり場もなく、毎日巨大なストレスと戦っていた、という日々だったと思います。


そういう経緯もあり、今年は、どのように臨むか、ということを考えた場合、やはり自分で考えた道なりを進んでいくことが、誰のせいでもなく、自分の責任下において後悔しないことなのではないか、と思いました。


確固たる目標は数年先にあります。


その目標に向けて、今年はその準備期間として捉え、地道に生活をしていくことと誓いました。

クラシック演奏会、オーディオについてもそんなスタンスです。


いろいろ思うところがあり、正直なんでもガムシャラに演奏会に行きまくる、というのは、すでに自分の場合、もうそういうステージは卒業しているのではないか、と思うのです。


少なくとも、ここ5年間の間、自分の運命で結ばれている、繋がっていると思われる、どうしてもここは自分が押さえておかないといけないと思われる演奏家の公演は、すでに網羅したのではないか、と思います。


もう上がりの状態・・・今後は、自分のアンテナにビビッとくる、自分の運命に関わるコンサートのみをより賢明に吟味選択していくことになるだろうと思います。


量より質ですね。


数年先の目標に向けて、支出は抑えたい訳です。


そう考えると、国内オケ主導で、外来オケは正直ないかな?という予想。
やはりコストが高いのが理由です。通う公演数も少なくなると思います。


オーディオについては、これも去年想像以上に大変な出費をして、PCオーディオのシステムを構築しましたので、これも上がりです。オーディオは金かけだしたらキリがないので、見切りをつけないと。。。


次々に魅力のある新製品が出てきて誘惑すると思いますが、彼らの言う通りにしていたら破産してしまいます。毎日、物欲との闘いになりますね。


去年の大失敗を鑑みて、やはり自分の感性を信じて、自分の想うところを進む、という生き方しか、いまは考えられません。


突然ふっと頭に浮かんだり、夜中に突然発作を起こしたかのように、なにかのテーマについて日記に書き留めたい、と思う衝動は、正直自分でもまったく予知できない現象なのです。意識してできることではなく、全く無意識、予測不能なことなのです。


それが周りの事象とシンクロするように見える、思えるのは、これはもう仕方がない。
自分ではどうしようもできない。


それを意識し始めたのが、2016/1/14。いまから2年前です。(ちゃんとメモってある。)突然降臨したかのような意識になり、世界中が回っているような感じで、なんかヤク(覚醒剤)をやるとこんな感じになるのかな、という変な感覚。最初は気持ち悪くて仕方がなく、誰にも相談できずに悶々と過ごしていた訳です。


2年も付き合ってると、だいぶ慣れてきて、逆に楽しんで付き合えるような気分にまで成長できました。

こればかりは自分の力ではどうしようもなく、なるようにしかならないのです。


なので、今後も自分の感性を信じて、進んでいくしかないのかな、と去年の大失敗を経験して、強く確信している次第なのです。


そういう訳で、結論としては、今年は、欲とか、大きな目標を立てずに、無事毎日が平穏に生活できますように、というところに主眼を置いています。


数年先の目標で爆発できればいいのです。


毎日、トラブルなく生活できることの有難みを去年十分に知りましたので。


まっ、今年は大きな夢はありませんけど、ただ1人暮らしでいうのもなんですが・・・もう少しプライベートな空間が欲しい(ボソ)ってなところでしょうか?


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初詣は、いつもお世話になっている川崎大師に行ってきました。
こんなに賑わっていました。


天気は快晴。とても気持ちのいい年始スタートとなりました。


よい年でありますように。








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ひふみんを侮るな! [雑感]

将棋の加藤一二三さん、引退後、いまや「ひふみん」と呼ばれて、すっかりシニアタレント扱い。(笑)


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確かに加藤さんは、真面目で、寡黙な棋士達の集まりである将棋界では、昔から、ちょっと変わった人という感じもあり、ある意味「キャラが立つ」存在で、引退後にそういうところに着目して、いわゆる業界向きではないか、ということで、そのキャラをいい方向に強調しようというメディア業界の意図が見え隠れするように自分には思える。


将棋界の歴史で、もっとも現役生活が長かった功労者でもあり、その輝かしい戦歴もさることながら、ちょうどそのときに話題の藤井聡太四段の登場で、自身の引退とも重なり、新旧世代の交代を大きく、国民の眼に植え付けるタイミングの良さもあったのだろう。


でも自分には、いまの加藤さんの姿は、とても信じられないんだよなぁ。


加藤さん自身、たぶん意識しているところもあるはずで、そういう自分のイメージを意識的に作るような演技をしているように思えて、見てて正直痛々しいのだ。(笑)


当時から変わった人だったけれど、いまのCMで見たり、はたまた「ひふみんアイ」でCDデビューとか、いわゆる面白オジサンキャラで必死に自分を売り出す姿を見ていると、とても自分には痛々しい。


いまの人は、じつは加藤さんは、本当はじつにスゴイ人だったんだ、ということを、どこまで知っているのかなぁ?と思ったりするのだ。加藤さんの過去を知らないいまの人が、いまのキャラを見て、とても優しくて、かわいい老人キャラってな感じで、見ているんだろうなぁ・・・とか。


また引退後、自分を支えてきた家族への感謝を第一にした美談などで、優しい性格(これは昔から一貫した素晴らしいところです。)などがそのキャラ作りに拍車をかける。



人間ならば、誰しも人生のうちで最も活躍する、最大に輝いている、ある意味尖っている時期というのがあって、それを過ぎた後の、晩年の自分の立ち位置、イメージ造りというのは、やはり人生設計で考えていかないといけないところ。


いまの加藤さんを観ると、そんな人生の刹那を感じたりする。

もちろん、まだ始まったばかり。このイメージ作り、大成功で、華開くかもしれない。


自分も、それを願っている。


自分は小学生の頃から、将棋を嗜んでいたので、将棋界の変遷の歴史はよく知ってきているつもり。


自分の加藤さんのイメージといえば、まさにこの写真の頃。


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将棋界は、自分が物心ついたときは、升田幸三×大山康晴時代から、そして中原誠×米長邦雄の時代に差し掛かる時代。まさに大山時代から中原時代に移り変わる時代だった。


自分の世代では、升田×大山時代は、ちょっと昔の人で、自分のリアルタイム世代といえば、中原×米長時代だった。


中原誠名人の大ファンだった。


中原誠、大山康晴、米長邦雄、そしてそこに加藤一二三が入ってくる、という力関係の図式だった。

自分にとって、加藤さんの存在が圧倒的に輝いて見えたときは、中原名人が名人戦九連覇を成し遂げて、十連覇を成し遂げるか、というときに、当時の加藤一二三十段が挑戦者になり、名人戦史上稀にみる大激戦名勝負を繰り広げ、中原さんの十連覇を阻止したときだった。


名人位といったら、中原さんしかとてもイメージ湧かなくて、九年間もそうだったので、そこに加藤一二三名人誕生になったときは、かなり違和感と悔しい思いをしたことがある。


中原ファンとしては、加藤さんの存在は忘れようにも忘れられない人だったのだ。


名人戦というのは、普通七番勝負、先に四勝したほうが勝ちだ。でもこの戦いは持将棋に千日手2回と決着がつかない戦いが3回もあって、全部で十戦も戦ったのだ。名人戦のようなタイトル戦は、普通は旅館などを貸し切ってやるものなのだが、ここまでもつれるとは誰も思わず、旅館の予約が出来ず、最終戦は、ふつうの将棋会館でやる羽目になったのだ。(笑)


その最終戦も深夜におよぶ大激戦で、最後に加藤さんが中原さんの玉の詰みを発見した時は、思わず「ひゃあー」という寄声を上げたことは有名な話だ。


その大激戦だったその中原×加藤の第40期名人戦。


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1982年だったから、自分が高校3年生のときだったな。いまから35年前。鮮明に覚えているよ。

加藤さんがまさに勝負師として最高に輝いていたとき。


そんな時代を知っているからこそ、昨今の「ひふみん」ブームで、ある意味作られたイメージ作りに、自分は違和感を覚えるし、そんな演技している加藤さんを観ると、まさに痛々しいのだ。(笑)

 


でも思うのは、加藤さんの心の中には、やはり勝負師として生きてきたうえで、ここは引けないボーダーラインというのは必ずあるのではないか、と思うこと。


ひふみんキャラを演じていても、その線引きは絶対あるはずと自分は確信している。


「9」という数字は、つくづく因縁のある不吉な数字なんだな、と思ったのもそのとき。
この中原名人の十連覇ならず、そしてONこと王・長嶋の巨人10連覇ならず。そして後世知ったことだが、クラシックの世界でもベートーヴェンやマーラーのように第9番まで交響曲を作曲して、第10番を作曲しようとすると、みんな命を落としてしまう、この数奇な運命。


「9」という数字には、なにか強いそのような運命が隠されているんだな、とつくづく思う次第である。


加藤さんの棋歴はすぐに調べればわかるし、将棋にあまりに興味のない人はチンプンカンプンだと思うが、とにかく加藤さんはスゴイ人だったのだ。


その全盛期をリアルタイムの同世代に生きてきた自分からすると声を大にしてそう言いたい。


中原時代から谷川浩司、そしていまの羽生善治あたりからはもう完全に感情移入できなくなった。
そして将棋界から疎遠になった。


この感情移入できない、というのは重要なポイントで経年になるにつれて、避けられないことだと思っている。人間って、自分のもっとも感情移入できた時代のヒーローがいて、それが経年で、つぎからつぎへと新しい世代のヒーローが出ても感情移入できないのだ。自分の時代のヒーローを超えることはない。


いまの自分のクラシック演奏家やオーケストラについても言えるかもしれない。現在縁があって知り合えた演奏家の方々は、自分の運命の中で不可避の赤い糸で結ばれていて、なるべくしてなって知り合えた訳で、それを超えることはないと思う。


アラベラさん!とか追っかけしているけど、クラシック業界も世代交代が進んでいき、どんどん出てくる若い世代にどうしても自分の感情が追いついていけない、そんな自分を感じるのである。


自分が感情移入した時期のスターはその後超えられないものなのだ。

歳なんだ、と感じるとき。


音楽評論家の方は、そういう点で、大変な稼業だと思います。(笑)


加藤一二三さんは、クラシックについても造詣が深いようで、最近、クラシック関係でインタビューを受けることも多く、自分の視野にちょくちょく入ってくるようになった。まさかあの頃の加藤さんが 数十年後に、自分の目の前に、クラシックという切り口で現れるとは思いもよりませんでした。


「ひふみん」のイメージでもいいです。(笑)


見事に華開いて、第2の人生を謳歌され、今後もご活躍されることをお祈りしたいです。







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20年前の自分はこんな資料を作成して、こんな資料を読んでいた。。。 [雑感]

今日アマオケのコンサートの帰りに、前職時代の同期の友人と久しぶりにメシ&飲み会をした。
その友人とは、今年の1月にじつに17年振りに再会したのだが、どんなに間隔が空いても、会えばすぐその時に戻れるお互いがいるので、やっぱり不思議だ。

同窓会ってこんなもんだろう。

そんな今日、その友人が自分にプレゼントがあるという。

それは、自分が、1994~1997年ころに前職の会社の仕事で作成した資料と、当時仕事で読んでいた資料。

いずれもその友人に、今後の世の中は、こうなる、ということでプレゼントしたものだった。


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その資料を友人は大事に保管していて、その一連の資料を、20年後のいま、自分に返却してくれたのだ。

その資料を観て、驚いた。

1990年代中頃というのは、ちょうどインターネットが世の中に出始めた頃で、同じころにデジタル放送も始まり(最初は衛星放送)、「デジタル放送とインターネットの融合」というのが、ひとつの業界のテーマだった。

ブロック図のほうは、そのことを書いたもので、はっきり覚えている。

自宅でディスクトップのMacを購入して(当時Windows95が出始めた頃とは言え、まだMacブームだった。)、それで一生懸命作っていたのを覚えている。

よくこんな図、書けたもんだなー、と今思う。

いまじゃとても無理だ。(笑)

若いって恐ろしい。あの頃は仕事中毒人間だったからな。



そして、さらに驚いたのは、当時仕事関連で、読んでいた資料。

スーパーオーディオCDの概要と展望。

これは覚えているので、いいとして、驚いたのは、

ドイツのトーンマイスターとクラシック音楽録音
バイエルン放送協会
バイエルン放送協会の音楽番組制作
ドイツのクラシック音楽録音の状況
ドイツ以外のクラシック音楽録音の状況
サラウンド制作の現状と新技術の動向


などなど。大笑い。(笑)

ページの片隅のコピー元の雑誌を見ると、いずれも1994~1997年の放送技術だ。

自分は、このことについて、まったく当時のことを覚えていないのだ。

これを見て、友人と2人で大笑いした。

自分が、いま趣味で、興味を持って勉強していることと、全く変わっていないのだ。

当時の自分がこんなことに興味を持っていたとは知らず、人生って、結局同じことを繰り返しているんだな、ということをつくづく実感した。輪廻転生っていうけれど、まさにこのことなんだな、という感じ。

人生、運命って本当に不思議。

これをよくこの20年間、大事に保管していた友人に感謝。

この当時から現在に至るまで、天国、地獄と波瀾万丈な人生を送ってきて、仕事中毒で変わった人間だった前職時代、そしていまやプライベート趣味にウェートを置く第2の人生、でも結局興味を持って打ち込んでいることは、どちらも同じテーマだったというこのギャグとしか言いようがないパラドックス。

本当に今日は大笑いした1日だった。

このコピー、いま考えるととても貴重な昔の資料。

じっくり読み返してみることにしよう。





 


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世界ふれあい街歩き [雑感]

原則TVを見ない主義の人なのだが、でもオーディオを聴きながら、TV番組の画面だけは観ている、という変則的な楽しみ方をしている。

最近のTV番組は、必ず字幕がつくし、TV音声なしでも、十分にその番組のことがわかる。

画面の映像だけを観ていると、大体世の中の動きがわかるし、丸っ切り世の中から隔離されている訳でもない。

ザッピングしていると、最近のTV番組は、やはり低俗だな、と感じることが多い。

その中で、自分がお気に入りなのが、旅番組。

特にヨーロッパの街並みを、綺麗な女優さんなどが旅している番組なんか大好きである。(笑)

あの美しいヨーロッパの街並みの情緒ある風情を感じるたびに、自分が行ったような気になるし、心の健康にとても良い。


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サラウンド音声には いくつかの効果(エフェクト)があるのだが、その一つが「主観移動」のバーチャル・リアリティ。

カメラが視聴者の目線になって移動し、それに対して 方向性・移動感がシンクロしたサラウンド音声が付随すること。 映画の人工的に付加された移動感溢れるサウンドや、音楽のコンサート中継には登場しないダイナミックな効果だ。



NHKに「世界ふれあい街歩き」という番組がある。

ステディ・カムといった安定装置をつけた1台のカメラ目線で旅する番組。

まるで、自分が街中を歩いている目線で、番組が語っているような感覚に陥る。

6年前に観たときは、この「主観移動」というサラウンドを駆使して、なんちゃってサラウンド、というより結構なかなか本気のような感じがした。

番組が街の散策なので、もともと音数が少ない。

この音数の少ない中をサラウンド感を出すのは、やっぱり映画や音楽のようなダイナミックのような訳にはいかないが、それなりに雰囲気が出ていた。

驚いたのは、林隆三さん(当時)のナレーションがリアから聴こえることだった。
そして現地の人の声はセンターから、など工夫が見られた。

街の散策でやっぱり一番サラウンド感が出るのは、車やバイクの移動感が最高だった。あと現地の通行人のざわめきなどリアから聴こえたり、前から聴こえたり、結構音数が少ない割にその現場感というか立体感があるように工夫して造られていた。


こういう街散策番組で、このような音声の工夫が観られるのは楽しく、当時は毎週観ていたような気がする。 


我々が赤ん坊の頃から、左右ふたつの耳で聴いている日常の現実音はサラウンド。2chじゃない。様々な方向、距離から音が聞こえてくる。ところが、その気になって注意して耳をすまさなければサラウンドしてるという感覚がない。ものすごく自然。それが理想なのだと思う。

亡くなられたサラウンドの権威、富田勲さんも言っていたことだけれど、それが納得いくような旅番組だった。



ところが突然普通の2chステレオ番組になってしまい、以来見なくなってしまったのだが、久し振りにもう一回観てみようか、と思った。

いまはサラウンドでやってくれているのだろうか?

別にステレオでもいい。いまの荒んだ心を癒してくれる番組であることは違いないことなのだから。

BSプレミアム 毎週火曜 20:00~

でやっています。

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文章のリズム感 [雑感]

今から6年前の2011年に発売された「小澤征爾さんと、音楽について話をする」という本を読んだ。購入したのは、発売したと同時に購入したのだが、なかなか毎日忙しくて読めなくて、ついつい積読で存在を忘れていた。

昨日、何気なく存在に気付いて、この夏休みに読んでみようと思った。

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発売当時、ゴローさんからぜひ買って読んでね、と言われて買ったのに、6年も忘れていてゴメンナサイ。

本の内容は、小澤征爾さんと村上春樹さんが対談・インタビュー形式で会話をして、それをテープ起こしで本にしたもの。

いやぁものすごい面白くてあっという間に読了。この内容を6年後に話題にするなんて、本当に申し訳ないと思った。




じつは日記にしようと思ったのは、村上さんのこの一言による記述が自分の心を捉えて離さなかったからだ。



「文章を書くのに大切なことは、リズムがあること。」



「文章と音楽の関係」と題されたインターリュード(間奏曲)として、この内容について書かれていた村上さんの持論は、まさに普段自分が日記を書く上で心掛けていたことを、そのまま代弁してくれたかのような快感があり、「そう!そう!まさにそれ!」という感じで大変感動してしまった。

現に、自分も3年前に「心をつかむ歌声にある「1/fのゆらぎ」特性。」というタイトルで日記を書いて、人を酔わせる歌声には、不思議と1/fのゆらぎ特性があり、人が書く文章もそうだ、ということを書いた。読んでいて感情が抑揚してくる文章のリズムってとても大切。


難解な用語を駆使して単に理屈っぽいだけの文章では、人の頭の中にはすんなり入ってこないし、人を感動させることはできない。

自分の原点は、文章はわかりやすく、そしてリズム感を兼ねそなえるべきもの、という考え方があった。

このように考えるのは、自分だけなのかな、とも思っていたのだが、大作家である村上春樹さんが、同様の考え方を持っていたのには大感動で涙が止まらなかった。



その村上さんの記述を抜粋してみる。





音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。

それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。

前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・

機械のマニュアルブックって読むのがわりと苦痛ですよね。あれがリズムのない文章のひとつの典型です。

新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。

でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にはあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でも、リズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん僕がそう思う、ということですが。


文章を書くのは、まさに音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。

できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人には、わからない。

読み手にとってと同じように、書き手にとっても、リズムは大事な要素なんです。小説を書いていて、そこにリズムがないと、次の文章は出てきません。すると物語も前に進まない。

文章のリズム、物語のリズム。そういうのがあると、自然に次の文章が出てきます。僕は文章を書きながら、それを自動的に頭の中で音として起こしています。それがリズムになっていきます。




村上春樹さんの小説は、じつは自分は”ハルキスト”と呼ばれるほど熱中している読者ではないのだが、1Q84が記録的な大ヒットとなって以来、新書が出るたびに必ず読むようにしている。だからファン歴としては浅い。

村上さんの文芸は、やはりなんと言っても読みやすい、わかりやすい、そして独特の村上ワールドともいえるとてもミステリアスなストーリー展開、そしてクラシック音楽の描写をさりげなく入れる洒脱さ、そして毎度のことながらエロい描写も必ずあるところもいい。(笑)

やはりそこに本人がいうリズムがあることは間違いない。次から次へと前へ読み進みたくなる好奇心というか。

それ以来ファンになって、1Q84以前の作品もほとんど買い揃えて積読状態で、定年になって時間にゆとりが出来たら、じっくり過去の作品も読もうと思っている。



今回の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の本については、いわゆる小澤さんの人生をインタビュー形式で深く掘り下げて紹介していこうという趣旨。


全編通して驚いたのは、村上春樹さんの音楽に対する造詣の深さ。本筋はジャズだそうだが、クラシックに関しても相当なもの。小澤さんからこれだけの深い会話を引き出すのは、インタビューの準備があったとはいえ、かなりなものだと感じた。

もちろんオーディオマニアでもある。(アナログレコードファンかな?)

ご自身の小説にさりげなくクラシック音楽の作曲家や作品をしのばせるテクニックも、これだけの造詣の深さから来ているものだろう。

小澤さんの人生インタビューは、これは、これは、興味深い。ぜひ一読をお勧めしたいです。

いままでパブリックになっている小澤さんのインタビューや履歴なことよりも、もっともっと掘り下げた、本人の細かい描写の回想、思い出話、そして技術論などで相当新鮮で貴重。自分は初めて知った内容のものばかり。相当専門的で細かいです。

小澤さんの話していることで、印象的だったのは、

カラヤン先生は、曲(交響曲)を長いフレーズで見ること。それが指揮者の1番大切な使命。

何小節単位でスコアを読解していくんではなくて、もっと全体の長いラインで読んでいくこと。細かいアンサンブルに拘ってちゃいけない。カラヤン先生独特の指揮法=長いフレーズを作るのが指揮者の役目。

僕らはね、四小節フレーズとか、八小節フレーズとか、そういうのを読むのは慣れています。ところが彼の場合は、十六小節とか、もっと凄いときは三十二小節とか、そこまでフレーズを読めと言われます。そんなことスコアに書いてないんだ。でもそれを読むのが指揮者の役目なんだと。


こんな感じでとても深い内容で、小澤さんの人生をほぼ網羅する形で紹介されている会談形式の本。

発売からもう6年経っていて、本当に申し訳ない限りで、もうすでにみなさんご存知かもしれませんが、まだの方はぜひ読んでみてください。

クラシックファン、小澤ファンであれば、感動すること、勉強になること間違いなし!だと思います。 


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小澤征爾さんと、音楽について話をする。

小澤征爾(著)、村上春樹(著)

https://goo.gl/P6Xf2C








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